誕生日がエイプリルフール。
 それ自体が何の冗談よ――とか、言いたくなっちゃう訳で。
 妙に西洋文化に毒された輩どもが、四月馬鹿にかこつけて、騙した相手を嘲笑うだなんて、"相手の気持ちを慮る"という日本人の美徳を、脳みそといっしょに下水道に流しちまったに違いない。
 餓鬼だった俺は誕生日とは自分が主役になれる日だと友達から聞かされ、それはもうぱんぱんに胸を膨らませていた。今でこそ、ブロークンハートな青少年に育っちまったわけだが、齢一桁の子供がそれ相応に誕生日を楽しみにしても罰は当たらない筈だ。
 それなのに、つまんない嘘をしょっちゅう聞かされ、誕生日プレゼントだと渡されたものが拾った石だったり、拾った人間だったり。ぐれなかったのが奇跡だったと思う。まじで。
 ちなみに、石は俺の机の上に鎮座しているが、流石に人間さんにはどこかにお帰り願った。当然だ。むしろどこで拾ってきた。
 ガキの頃から騙され続けた俺が極端に疑り深くなったとしても、それは至極当然のことで。この日に俺を生まれせしめた神様と、お袋に(別に責めてる訳じゃない。なんなら十ヶ月前に子作りしやがった親父を含めていい)大部分の責任があると思ってしまうのだ。

 だからって、これはないんじゃね?

 朝、普通に目を覚まし、着崩れた制服姿で降りてきた俺は、目の前に広がる光景にうんざりした。
 前から極端にノリのいい両親だとは思っていたが、それは、さすがに、ない。ひくわ。
 俺、そろそろ本格的に盗んだバイクで走り出すべきか?
 目の前ではロリロリな新妻ファッションで、ぱたぱたと台所を走り回るお袋が居た。目が眩むほど白いエプロンに膝上丈のスカートは、推定、三十代後半だと思われるおばさんがやって許されるものでもない。が、化け物じみた若さを保つお袋は近所でも有名の美人妻だ……ちょっと待て、はやまるな。別にお袋が年考えろ的な格好してるから俺は嘆いているわけではない。お袋の新妻ファッションはいつものことだから、さりとて驚くべきところではない。
 俺が度肝を抜かれたのは、その頭から生える銀色の棒の存在だった。

「あら、龍ちゃん(俺のことね)、早いのね。おはよう。パンにする? ご飯にする? それともわ・た・し?」
 ちなみにこの無駄すぎるやり取りは通年で行われており、スルースキルマックスの俺にとっては屁でもない。パンを頼む、と言えばお袋は詰らなさそうに口をとがらせる。ちなみに親父は律儀にも第三の選択肢を選んでいるらしいが、いつになったら自重という言葉を覚えるんだ、このらぶらぶ夫婦め、少しは息子の目を気にしてくれ。
 突っ込んだら負けだ。ツッコミを入れるや否や、なぁんちゃって、とか言って気の毒そうな顔で小躍りするのだ。どうせ。何年来騙されてると思う。この日の俺の心のセキリュティレベルは国防総省に匹敵する。ペンタゴンもまっつぁおだ。
 しかし、俺の訝しげな視線もなんのそので、その銀色の物体はお袋の頭の上で硬質な輝きを放っている。まさか、アラフォーの間でエイリアンカチューシャとかが流行っているのだろうか。
 ダイニングテーブルに腰掛けながら、俺は目の前に置かれた目玉焼きにかぶりつく。ジャリ、という感触に眉を寄せたが、ひとこと苦言を呈して余計な波風立てるよりは、カルシウムとして血肉とすることを俺は選んだ。なんかびこぴこと電子音が聞こえたり、お袋がまるで誰かと話してるが如く、独り言を言っているのも、絶対的な気のせいに違いない。
 俺は忍耐力をフル活用して、なんとか華麗に翻りそうな掌を押さえつけた。
 脂汗が額に滲むのを感じたが、痙攣している唇を無理やり横に引き延ばす。よしよし、俺、クールに笑えてるんでないの。自分の振る舞いに満足して、ふわふわと鳥のように飛来するお袋の会話に相槌を打つ。
 すると、扉が開き、一家の大黒柱の登場である。
 俺の親父は警備会社で働いているが、正直、パッと見はカタギの男には見えない容姿をしていた。眼光は鋭く、きりりと男性的な眉がその頑固な性格を表している。お笑い番組以外では目にすることのできない肉じゅばんを着たような身体に走る無数の傷は壮絶なもので、立ち昇る龍や穏やかな顔をした菩薩こそいないものの、銭湯の平和を乱すくらい朝飯前なのである。しかし、なんといっても彼の異質さを強調するのはその髪型だ。顎の位置で綺麗に切り揃えられた黒髪。それは日本の伝統的なおかっぱカットである。俺は物心つくまで、親父と瓜二つの髪型をしていたという黒歴史があり、それが日本男児のフォーマルカットだと信じこんでいたあの頃の自分をがっくんがっくんに揺さぶってその目を冷ましてやりたい。しかし、そんな髪型をしていようとも、俺は質実剛健で無言実行な親父を尊敬していたし、奇異な髪型はその威厳を損なうものではなかった。そんな無口な親父のもう一つの欠点は、大恋愛の末に結婚したお袋に極端に甘い点なのだが、居間にやってきた親父に俺は嫌な予感を抱いた。
 まさか、お袋の悪ふざけに便乗して親父まで頭に銀の延べ棒を生やしてないよな。
 おそるおそる視線をやれば、俺の予想は見事裏切られた。主に悪い方向に。


 ぬめぬめとした質感。ヒト科霊長類であることが危ぶまれる緑色の肌。頭の上に置かれたさん然と輝く白いプレート。筋肉隆々な体にはそのままに、背中には防御力が高そうな甲羅を背負っている四十過ぎの男がそこにいた。手にした書類が違和感ばりばりである。
 ああ、それだと髪型むしろ、しっくりくるじゃん。親父、ナイスイメチェン!!! ……とでもいうかと思ったか、このすっとこ夫婦が!!!
 俺のツッコミが魂の叫びに昇華された瞬間だった。



 目の前に甲羅を背負った緑色の親父(恐らく全裸)、そしてその隣には二本の銀の延べ棒を生やしたお袋が居る。なんだろうこの魔の三角地帯。まったくもって逃げられる気がしない。
「龍ちゃんが悪い子になっちゃったわ……ちっちゃいころは、口答えひとつしない子だったのに」
 さめざめと両手を顔にあててすすり泣くお袋に、親父は眼光鋭くこちらを睨む。低く艶やかなバスの声が、俺を咎めた。
「龍、母さんに謝りなさい」
 いや、別に謝るのはやぶさかではないよ。こっちだってさ。急に家族会議的な雰囲気になってるのに戸惑ったぐらいだ。それに今だって口答えしたっていうかつっこんだっつーか……はいはい、わかりましたよ。俺が悪かったって。お袋を悲しませるのは俺だって本意じゃあない。
「龍ちゃん! 私、信じてたわ! 貴方は本当には人の気持ちになって考えられる子だって!」
 いや、いんだけど。いんだけどさ。それよりもまずお袋。あなた様のつがいの肌色といい、肌質といい、いつもと違うことにまず気づいて欲しいんだが。まずそこに鋭く斬り込んで行って欲しいところだ。俺としては。
 改めて全裸の親父をまじまじと観察してみたが、親父の堂々たる姿を見ていれば、不躾に眺めているこっちが無礼な振る舞いをしているような気にもさせられる。国士無双な露出狂ってこんな風体をしているのかもしれない……ごめん、馬鹿なこと言った。
 俺が微妙な顔つきをしていると、お袋が急にその童顔を曇らせた。
「あのね、龍ちゃん。私……いいえ、私たち、龍ちゃんに言わなければならないことがあるの」
 お袋は小さな体躯を俺の方に向け、妙に深刻な顔でこちらを見据える。いつも脳天気なお袋がこんな顔をしたのは、俺の部屋でエロ本を発掘した時以来だ。その時は、代わりにウィニーザプーの絵本を買い与えられ「下半身丸出しなところは一緒でしょ」という言葉と笑顔が添えられていた。そういうレベルじゃねぇ! 可愛い顔してえげつないこというんじゃねぇ! といろいろと憤懣冷めやらぬ事件だったことに違いはない。
 閑話休題。
 つまり、デフォルトが顰め面な親父と正反対なお袋がシリアスな表情をするってのは珍しく、それだけで俺を身構えさせるには十分だった。お袋はおもむろに口を開く。

「龍ちゃん。あなた、人間じゃないの……あなたは、河童とエイリアンのハーフなのよ」

 ちょちょ……ちょ、待てよ!
 あのさ、思わず某ジャニーズの物まねやっちまったじゃないか。ぜんぜん面白くないってその冗談! まったく、お袋ってやつは、突拍子の無さと独創性だけは認めるが、俺がそう何回も騙されると思わない方がいい。俺は余裕のよっちゃんで失笑していた。慣用句が古いのは気にするな。
 だがしかし、いつもの形式美「なぁんちゃって!」という言葉にすこぶる時差がある。お馴染みのあの言葉が待てども待てども聞こえてくる様子がないのである。俺の頬に刻まれていた笑みは次第に引き攣りつつあった。心の防御壁が崩れ、段々と動揺し始めた俺の肩に、親父が冷たい掌を重ねる。
 ぺっとりとした感触と指の間に張られた透明な膜。あのう、それは、もしかしなくても、水かきでせうか?
 目で問いかけた俺に、親父はシリアス面でこくりと頷く――ジーザス。
 さらさらの髪が芸術的に流れるところなんて、オカッパ愛好家以外にはこれっぽっちも嬉しくないって何度言ったらわかるのだ。ただ単に頭の弱いコスプレだクァッパ! とかメンチ切りながらヤクザ顔で言ってくれるのを全力で期待してました。俺。
 すると、そこへ現れたのはすこぶる非常識な家庭に常識という風を吹きこんでくれる救世主であった。願わくば。



 星流れ町のクールボーイ。
 というのは弟の虎の渾名なわけだが、本人はそのダサい呼び方を心のそこから忌み嫌っていることを俺は知っている。身なりを整えた虎は朝から小ぶりなジャケットを羽織り、眼鏡をかけているバーロースタイルだったが、微妙にあたふたとしている俺を冷めた目で一瞥した。虎は俺よりはるかに年下なくせして、普段から両親に振り回されてきた俺を見て育ったからか、なんというか、非常に、こまっしゃくれて冷静な子に育ってしまった。最近はFXのやりすぎで視力が落ち込んだらしく、青縁の眼鏡をかけるようになっている、。噂では為替で設けたお小遣いで、ハイテクのパソコンを購入したらしい。我が弟ながら恐ろしい奴である。そんなまったく小学生らしくない弟だったが、今は幼い弟の感受性を守るのが、兄に課せられたミッションだと俺は瞬時に察した。金属バット的なものを頭に刺した母親や、両生類にクラスチェンジした父親ってのはトラウマとして刻まれるには十分な強烈さである。俺はエキセントリックな両親の姿を虎の視界に入れないように立ちはだかった。
 虎、は、はやいな! まだご飯出来てないから、トイレにでも行ってきたらどうだ? にーちゃんが、お前の好きな野菜生活をレンジでチンしとくからな! な?
 俺の不審なアドバイスに眉ひとつ動かさず、虎は俺の横を通り過ぎる。そして両親に礼儀正しい挨拶をし、椅子に腰を下ろした。普段どおり過ぎる振る舞いに、俺がうろたえたぐらいだ。なんだこの孤軍奮闘。しゃかりき具合。
「母さん、朝早くから、何深刻な顔してるの。兄ちゃんの反抗期でも始まったわけ?」
 そして、反してこのナチュラルさ。虎に笑いのセンスをもとめちゃいないが、ほかにも突っ込みどころ沢山あるだろう。緑色してる父親とか。角生やしてる母親とか。それともなんだ、間違ってるのは俺か? 俺なのか!?
「兄ちゃん、ちょっと朝から騒ぎ過ぎじゃない? ご近所迷惑だよ」
 虎は煩そうに眉を顰めて、俺にとつとつと常識を解いた。
 なぁ、虎、残念ながら常識を逸脱してるのはこの両親だ。自分が河童とエイリアンだとか言い出す始末なんだぞ?
 虎はその言葉に驚いたように目を見開いて、俺を凝視した後、両親に問いかけた。
「兄ちゃんにようやく言う気になったんだ? というか兄ちゃん、気づいてなかったわけ? 本当に?」
 ななななな、な、なんだと? と、と、とととと虎! どういうことだ! どういうことなんだ一体! さすがに兄ちゃんもびっくりして心臓が止まりかけたぞ、今。


「兄ちゃん、ちょっと動揺しすぎ。高校生にもなってそんなに落ち着きないだなんて、先が思いやられるよ」
 肩を竦めながら溜息を吐く虎の仕草はメリケンナイズされている。
 まさか、まさかとは思うが、お前がこの茶番劇の黒幕か!? そうだったのか、虎!!!
「なに黒幕って。テレビの見過ぎじゃない。前々から言ってるでしょ。下らないバラエティ見る代わりに、新聞の一つも読んだらどうなのってさ。ま、新聞にも本当のことが書いてあるとは限らないけどね」
 その厭世的な疑り深さは、まじに黒の団体にアポなんとかっつー薬飲まされたかなんかして、体は子供! 頭脳は大人! 状態になっているのか。お兄ちゃんが力になってやるから、こっそり言ってみろ! 遠慮するな!
 諭した俺に虎は眉を顰める。
 母さん、兄ちゃんが絡んでくるんだけど、とうざったそうに言われて俺はショックを受けた。小学生に説教された揚句、うざがられてる俺って。しかも今日誕生日でセブンティーンになったわけで。それなりに大人じゃんって思ってたわけで。
 へこんで肩を落としている俺を横目で眺めながら、虎はブラックなコーヒーを飲みほしてから声をかける。
「だってさ、気づかない兄ちゃんがどうかしてるよ。化け物並みに年を取らない母さんとかさ。父さんが消費するきゅうりの量が異常だとか。ちょっと考えてみればわかるでしょ?」
 流石に親父の誕生日に催されるきゅうりづくし料理には辟易してたが、お袋はただ異様に若づくりなだけとか、親父も三度の飯よりもきゅうりが好きなだけだと思ってたぞ。あ、もしかして……虎が俺と比べて異常に大人びてるのもそこに原因が!
「僕のは、頼りない周りには任せておけないっていう自立精神から来てるだけだから」
 と、とら! その頼りない周りってのに、俺は含まれてないよな? な? な?
 虎は両親をちらりと一瞥してから、俺に視線を向ける。その呆れを含んだ眼差しに俺は頭を殴られた気分だ。不動の父親は頭の皿をソーサーにしながらコーヒーを煽っているし、母親は、流石虎ちゃん! 頼もしいわねー! とはしゃぐばかりで、自分が遠まわしにけなされていることには頓着しない。
「まぁ、確かに、兄ちゃんは俺と比べて鈍感だけど繊細だから、自分からは気づき難いだろうし、気づいたら気づいたらでへこむし、挙句の果てには騒ぐからめんどくさいし。でも、これまでにもヒントはあったよね」
 あれか? ネクストコナンズヒィィィィント……?
「だからさ。いい加減、そこから離れて現実を直視しなよ。例えば誕生日の時にもらった石とか。あれ母さんの星の石でしょ。夜中に光ったり喋ったりするの、兄ちゃんだって持ってたでしょ」
 いや……俺、一度寝付いたら、エイリアン来襲してこようが起きないタイプだから。
 しどろもどろに答えれば、虎は半眼になった。
「――じゃあ、貰った人間は?」
 え? 人間? あれはもちろんお帰り願ったに決まってるだろ。人型の生ものを貰って喜ぶのって、マッドサイエンティストぐらいのものじゃなかろうか。
 俺が困惑しながら聞き返せば、虎は目をぐりんと回しながら憤慨した。
「兄ちゃんって、本当にしんっじられない! あれがどれだけ高価なものか知らないの!? あれはトーシニッア=プアってもので、自由自在に形を変えて他の生物に擬態できる生命体で、日本、いや地球の貨幣価値に換算すると、人生三回は遊べるくらい価値のあるものなんだよ?」
 し、しらんがな! でも、まぁ、つまり、そこらへんのダイソーに売ってないってことはわかったぞ。
 シンプルに結論を下すと、虎はこれが価値観の相違ってやつか、と苦々しく呟く。
 この虎でさえも年ごまかしてて、実は俺の兄貴だったとかいう話じゃないだろうな――だいぶ俺も毒されてきたらしい。だって、だってだ。この地球上に、宇宙における不思議生物の価値を推し量れる人間が何人存在するとおもってる。グローバリズムっていうレベルじゃねぇぞ。というか、そんなもん、誕生日にくれんな俺の親。目の前に居るふたり!!!



 俺と会話する気をすっかり失ったのだろう、虎はもくもくと朝食を平らげている。妙に寒々とした食卓では、虎が噛むきゅうりの漬物だけが良い音を響かせていた。与えられた事実という名の情報が飽和量を超え、俺の頭からはぷすぷすと煙が上がっていたが、それでも俺は未だに半信半疑だった。騙され続けてきた俺の一部分が最後の足掻きだと常識にしがみついている。
 しかし、それにさらに駄目押しの冷水を浴びせかけたのは、やはりお袋だった。というより、リアルに水を頭からぶっかけられた俺は半眼になる。頭上から降ってきた水が顔面を濡らし、俺の制服のシャツを台無しにしていた。
 おーふーくーろー、どういうつもりだよ……俺もいい加減おこるからな!
 堪忍袋の緒が切れた俺は、鬼気迫る形相で立ち上がり、机に両手を打ちつける。あら、水が滴る良い男、とでも言うようなら、いくら温厚な俺でも一発がつんと言い聞かせてやるぞ、と俺が鼻息を荒くしていると、お袋は悪びれる様子もなく俺に手を伸ばす。そして――俺の、豊満な、胸を、鷲掴んだ、のだ。
 むにゃり、という遭遇したことのない感触に俺は空前絶後の恐慌状態に陥った。
 な、なんだとおおおおおおおお! これは、おおおおおっぱい? 男の俺に、おっぱいがあるわけがぁあああああ!?????
 ものすごい勢いで後じさりながら、お袋の魔の手を引きはがす。俺を見つめるその瞳がどこか不満そうなのは、自分が貧乳だからだろうか……って、冷静に考察してる場合じゃねえええ!!!
 ある意味、テンション駄々あがりな俺に迷惑そうに眉を寄せる虎だったが、そんな弟の非難の視線なんかもはや気遣ってはいられない。自分の身に起きた異変にいっぱいいっぱいだ。あっぷあっぷだ。よし、よし、よーし、よし、これは何かの間違いだ。幻覚に違いない。これは、あれだ。マジックマッシュルームだ。
 俺は何度も目を擦ってから、突如、自分の胸から生えてきたおっぱいに触れてみたが、幻覚ならば感触がするわけが……ちきしょおおおおおおおお、夢見るほどやわらけええええええ!!! しかし、生まれて初めて揉んだおっぱいが自分のってのもしょっぺえええええええ!!!
 俺が冷静と情熱の間を物凄い勢いで行き来していると、あまりの見苦しさに耐えかねたのか、虎が「兄ちゃん、ちょっとは落ち着いたら」と憐れみを含んだ声で俺に声をかけた。
 虎、お前も優しい子に育ったんだなぁ……俺は、俺は、感激だ。ぐすん。
 情緒不安定になった俺が涙ちょちょぎれながら、椅子に腰かけると、お袋は軽いノリで俺に次々と爆弾を投げつけた。可愛い顔して爆弾魔とかちっとも洒落にならない。
「龍ちゃん。十七歳になったあなたは宇宙法で言えば大人よ。成人した河童とエイリアンのハーフは、水を被ると異性へと変わっちゃうの」
 おいおい、ウソでしょ。ウソでしょ。一体、どこからそのらんまにぶんのいち設定は発生したわけ? 俺の華麗なる平凡生活にそんなラブコメ設定とかまじで必要ないから。そんじゃあれか、俺はこれから雨に濡れたり、海に行くのにもびくびくせにゃいかんのか? つまり、俺の平穏なる人生終了のお知らせか?
 父曰く、河童は成人するまでは性別が確定しないらしい。エイリアンとのハーフだということで、不幸なことにその特徴は水、つまり河童が住んでいる状態に近くなることで、それが突発的な性転換へとつながる……とかなんとか、そういうもろもろの説明どうでもいい。正直。俺の関心は、これが一過性のものか、それともなにか対処法があるのかということにのみ向けられている。
 俺が鬼気迫る表情で食い下がると、親父は神妙に頷いた。
「対処法は―― 一つだけ、ある」
 おおおおおおお、なんだよ親父! あるのかよ! 勿体ぶらずにさくっと言えよ! いや、言ってください! リアルに!
 親父は驚くべきほどの滑舌の良さで宣言した。

「交尾だ」

 は? え? おとうたま、なんですと? KOUBI???
「自分が望む性別であるときに、異性と性行為をすれば、その時点で性別が確定する」
 完璧な無表情でそれを言い切った親父、レベルマックスの勇者に匹敵するぐらいブレイブポイントが高すぎはしないか。あれ、もしかしてそれって言い換えれば、不純異性交遊とかいわれるやつ? 不健全性的行為? 性的逸脱行為? というか、まじで、親父の口からリアルにそういう言葉とか、聞きたく、なかったん……ですけど。
 お袋はハッスルという言葉が似合うぐらい、だけど愛のない行為はうんぬんかんぬん、とかさえずっている。
 流石に精神的に限界で、俺は重力にさえも耐えられずに机に頭を叩きつける。じんじんと痺れる額がこれは夢ではないと告げていた。俺はどちらかといえば感情の起伏が平坦なタイプだったが、こんなに胸の内から染み出してくる絶望は味わったことがなかった。
 神様、俺が何かしましたか? そりゃあ、信心深いタイプではぜんぜんなかったけども。別に天に唾吐いたわけでもないし、道路にポイ捨てする小犯罪さえも小心者だから行ったことはない。強きにはそこそこ追従して弱きにもそこそこフォローする。至極、まっとうな小市民だったはずだ。エイリアンとか河童とか。SFファンタジーだか、妖怪だかしらないもののハーフになった覚えなんてこれっぽっちもなかったわけだな。こちとら。更に水を被れば女になっちゃう、だ? そんな追加要素、二次元をどっぷりと愛するオタクにでも与えとけ。
 告げられた真実が頭の中でぐるぐると回っている。今すぐにでも吐きそうだ。
 俺がショックのあまり顔もあげられずにいると、ぽん、と小さな手が肩にのせられた。
 涙が滲んだ目で見返せば相変わらずクールな虎。少しだけほっとする。背後には相変わらず無表情な親父と、何を考えてるのかわからないお袋がいる。虎は呆れた表情を隠すことなく、とてもとても面倒くさそうに息を吐いた。
 そして、三人は声を揃えてのたまったのだ――なぁんちゃって。


 四月一日に生まれた、ある少年にまつわる嘘について。
 どれが嘘か真実か、それはご想像にお任せします。



カエル