「あら、龍ちゃん(俺のことね)、早いのね。おはよう。パンにする? ご飯にする? それともわ・た・し?」
ちなみにこの無駄すぎるやり取りは通年で行われており、スルースキルマックスの俺にとっては屁でもない。パンを頼む、と言えばお袋は詰らなさそうに口をとがらせる。ちなみに親父は律儀にも第三の選択肢を選んでいるらしいが、いつになったら自重という言葉を覚えるんだ、このらぶらぶ夫婦め、少しは息子の目を気にしてくれ。
突っ込んだら負けだ。ツッコミを入れるや否や、なぁんちゃって、とか言って気の毒そうな顔で小躍りするのだ。どうせ。何年来騙されてると思う。この日の俺の心のセキリュティレベルは国防総省に匹敵する。ペンタゴンもまっつぁおだ。
しかし、俺の訝しげな視線もなんのそので、その銀色の物体はお袋の頭の上で硬質な輝きを放っている。まさか、アラフォーの間でエイリアンカチューシャとかが流行っているのだろうか。
ダイニングテーブルに腰掛けながら、俺は目の前に置かれた目玉焼きにかぶりつく。ジャリ、という感触に眉を寄せたが、ひとこと苦言を呈して余計な波風立てるよりは、カルシウムとして血肉とすることを俺は選んだ。なんかびこぴこと電子音が聞こえたり、お袋がまるで誰かと話してるが如く、独り言を言っているのも、絶対的な気のせいに違いない。
俺は忍耐力をフル活用して、なんとか華麗に翻りそうな掌を押さえつけた。
脂汗が額に滲むのを感じたが、痙攣している唇を無理やり横に引き延ばす。よしよし、俺、クールに笑えてるんでないの。自分の振る舞いに満足して、ふわふわと鳥のように飛来するお袋の会話に相槌を打つ。
すると、扉が開き、一家の大黒柱の登場である。
俺の親父は警備会社で働いているが、正直、パッと見はカタギの男には見えない容姿をしていた。眼光は鋭く、きりりと男性的な眉がその頑固な性格を表している。お笑い番組以外では目にすることのできない肉じゅばんを着たような身体に走る無数の傷は壮絶なもので、立ち昇る龍や穏やかな顔をした菩薩こそいないものの、銭湯の平和を乱すくらい朝飯前なのである。しかし、なんといっても彼の異質さを強調するのはその髪型だ。顎の位置で綺麗に切り揃えられた黒髪。それは日本の伝統的なおかっぱカットである。俺は物心つくまで、親父と瓜二つの髪型をしていたという黒歴史があり、それが日本男児のフォーマルカットだと信じこんでいたあの頃の自分をがっくんがっくんに揺さぶってその目を冷ましてやりたい。しかし、そんな髪型をしていようとも、俺は質実剛健で無言実行な親父を尊敬していたし、奇異な髪型はその威厳を損なうものではなかった。そんな無口な親父のもう一つの欠点は、大恋愛の末に結婚したお袋に極端に甘い点なのだが、居間にやってきた親父に俺は嫌な予感を抱いた。
まさか、お袋の悪ふざけに便乗して親父まで頭に銀の延べ棒を生やしてないよな。
おそるおそる視線をやれば、俺の予想は見事裏切られた。主に悪い方向に。