好きな人から「クリスマス空いてる?」なんて聞かれなんかでもしたら、恋する乙女は空高く舞い上がってしまうものだ。
 膨らむ期待とめくるめく妄想。
 ホテルの屋上でワイングラスを傾けながら、カティンと星が飛び出しそうな音を立てて乾杯――なんて夢を見るほどにはおめでたい頭はして無いが、毎年恒例のしょっぼいホームパーティを忘却の彼方へとぶん投げるのは至極当然の事。
 というわけで。
 私は普段の運の悪さを忘れ、首を痛めそうな勢いで結城さんの質問を肯定した――それが不幸への序曲になるとは気づかずに。



 街の中は一気にクリスマス色に彩られていた。
 そこらじゅうでクリスマスソングがエンドレスに流れ、プレゼント商戦がしのぎを削っている。積み上げられる妙にハイテクなおもちゃを横目に通り過ぎ、私はいつものように喫茶店へと足を運んだ。
 喫茶店「Herbst」にある大きなモミの木は金色の珠や人形で飾り付けられ、カラフルな豆電球のコードがとぐろを巻き、それはピカピカと時折瞬いては存在をアピールしていた。それぞれテーブルの上にも、結城さんの細やかな性格が反映されているかのようにミニチュアツリーとサンタクロースが置かれている。それを指先でつついていた時にかけられたのが冒頭の質問だったわけである。
 喫茶店の中は私も含め、いつもの面々が揃っていた。寒さが苦手だという桂木拓巳は分厚いマフラーをぐるぐる巻きにして特等席で漫画を読んでいたし、私の席から一つあけて右隣のカウンターに陣取っている峰藤浩輝は相変わらずの顰め面で首振り人形と化した私を気持ち悪そうな目で見ていた。そして私の左隣では美登里がシュトーレンをつつきながら、ちらちらと桂木に視線をやっている。
 私の思い人である結城さんは、色素の薄い髪の毛を揺らしながら嬉しそうに言った。
「ああ、良かった。あのね、クリスマスを夢と魔法の国で過ごす気ない?」
 夢と魔法の国――つまりはネズミがキャラクターのあそこである。
 恋人とのデートスポットに誘うことが何を意味するのか。しかもクリスマスに。結果、そこに行かずとも私の脳内が桃色パラダイスになるのも無理もない。
 あまりの幸福感に私は自分の頬を抓ろうと手を伸ばしたがその必要は無かった。美登里の抉るようなエルボーが私にそれを現実だと実感させてくれたからである。
「……痛い。ってことはこれは現実ってことで嬉しい――んですけどやっぱり、痛いのは痛いんですよ先輩、手加減してくださいよ!」
「幸せって痛みを伴うものなのよ? 知らなかったの? 次回から覚えておきなさいよ! テストに出るから!」
「でねぇよ!」
 完璧なやっかみだと解っていたが、今の私なら右頬を叩かれたら反対の頬も笑顔で差し出せるぐらい無敵だ。マリオで言うならスター取った状態ってやつなのだ。何をされていても笑顔を崩さない私に美登里は舌打ちをして、その腹いせにかシュトーレンを刺殺しはじめた。怖っ!
 結城さんは私の浮かれぶりを微笑みとともに見守りながら口を開いた。
「実はお得意さんに無料でチケットを貰ったんだよ。四枚も。それで――」
 その言葉に私は一抹の不安を抱いた。四枚。つまりは四人いけるということだ。右隣の仏頂面がまさか夢と魔法の国に行きたがるとは思わないが、もう一人のはっちゃけ王子が飛びつかないはずが無いだろう。そんな事を考えていた私の頭は、突然、真上から圧力がかけられて、ずるずると沈んだ。
「結城っ! 俺もっ! 俺も行くぞっっ!」
「あぁ、はいはい。拓巳、解ったから、彼女の上から退きなさいね」
 私の頭に顎を置きながら主張する桂木を、結城さんは苦笑しながら嗜めた。思いのほかあっさりと退いた桂木に文句を言いながら、私は首をごきごきと鳴らす。
 ふと、じとーっとした視線を頬の辺りに感じ、私はそっちのほうに視線をやった。シュトーレンはもはや粉々になっているにも係わらず執拗に刺す動作を繰り返す美登里に、私の背筋に戦慄が走る。自分の命が惜しかったので私は、言葉を選びながら結城さんに提案した。
「あのぉ、結城さん。もしできたら私、美登里先輩と一緒に行きたいな、なんて思うのですが」
「うん。もちろん。朝倉さんは? クリスマス空いてるの?」
「えっっ、ええっっ! もちろんですわっ! 槍が降ろうと車に跳ねられようともぜっっっったいに行きますから!」
 いや、普通に病院いってください。という突っ込みは心の中でひっそりと。
 とりあえず機嫌が直ったらしい美登里に私は安堵の息を吐き出した。桂木と美登里とともに行くというのは不安だが、結城さんも一緒というのなら話は別だ。
 もしかして途中ではぐれちゃって二人きりでロマンチックにパレード見たりするかも……。
 うふふふ、あはは、と私と美登里が二人で桃色オーラをかもしだしていると、結城さんは峰藤のほうに向き直りこう言った
「あと一枚残ってるから、浩輝君もいったら?」

 え。
 え?
 ええっとぉ?

 己の耳を疑っている私に構うことなく、峰藤はこれ以上は不可能だというぐらい顔を歪めて首を横に振った。
「人が多い所は好きではないので」
「そんな事言わずに。ね? だって拓巳一人で女の子二人だとバランス悪いでしょ?」
 結城さんも困ったなぁという風に峰藤を諭している。
「ちょちょちょちょ、ちょっとイイデスカ?」
 どもりながらも私は二人の会話に割って入る。峰藤の怪訝そうな視線が突き刺さったがそれも気にならない。
「結城さんは、も、もしかして、いかない、んですか?」
 恐る恐る口に出して確認すれば、結城さんはいともあっさりと笑顔で肯定した。
「あ、うん。折角だから、僕がいけない代わりに楽しんできてもらおうと思って」
 それを一番先に言って欲しかった……!!!
 私の浮き上がっていた心は叩き落され、地面にめり込んだ。私が行く意味って一体……と私は途方にくれていたがそこで重大な事実に思い当たりはっとする。
 桂木と美登里と一緒にテーマパークに行く。つまり導かれる答えは、あくことなきノンストップ暴走。
 いやいやいや! 普通に考えて私じゃ止めらんないし! 
 園内を引きずり回される姿が目に浮かぶようだ。今更、結城さんが来ないから行きたくないとは口が裂けても言えなくなっていた。ふと顔を上げると、百面相をしている私を気味悪がっているのか変な顔をしている峰藤と視線が合う。
 ……あるいは峰藤だったら、桂木をうまい事諌めてくれるかもしれない。その代わりに心のささくれ立ちそうな一日になるのは否めないが。まさに究極の選択である。
 そして私は逡巡の末に、血を吐く思いで後者をとることにした。
「副会長……よろしければ、私を助けると思って、一緒に来てくれませんか?」
「――なぜ私が貴方のために行かなければならないんですか」
 まさか私からも誘われるとは思わなかったのか峰藤は驚いたようだった。しかし、それはいつもの不機嫌そうな表情に隠されてしまう。結城さんは鬼の首を取ったとばかりにむっつりと黙り込んだ峰藤に畳み掛けた。
「ほらほら、彼女もこういってるんだから。ね、浩輝君?」
 結局は結城さんの事に逆らえない峰藤は憮然としながらも頷いた。
 とりあえず桂木の暴走は食い止められそうだが、迫り来る恐怖のダブルデートを思うと私は憂鬱のため息が漏れてしまったのだ。



 クリスマスはいい天気に恵まれた――にもかかわらず、私は今現在、半泣きで疾走している。
 前日は不安のあまりなかなか寝付けず、そして至極全うに悪夢を見た。ネズミの被り物をした桂木と峰藤と美登里に虐げられている夢である。夢と魔法の国へヨウコソ! といいながらも目は笑ってない(特に峰藤が)。桂木ネズミにジャイアントスイングかまされているところで、私は泣きながら目を覚まし、そして時計に目をやると、私の血の気はざっと音が出るほど派手に下がった。
 つまり有体に言えば、私はものの見事に寝坊したのである。
 人をいつも待たせてばかりな桂木や、桂木がいればご機嫌な美登里はともかくも、まず頭を過ぎったのは峰藤の般若顔。ただでさえ無理を言ってきてもらっているのに、しょっぱなから遅刻なんてすれば、その一日が彼の絶え間ない皮肉で彩られてしまう。ウェルカム。針の筵な一日。
 嫌過ぎる!
 そして焦っていると碌な目にはあわないことを証明するかのように、私は財布を持たずに飛び出して、取りに帰ったら今度は携帯を忘れるわ、駅の階段で段差を踏み外して衆人の目の前で派手にすっころぶわ。兎に角散々だったのだと言い訳させて欲しい。
 そうしてボロボロな風体で私は待ち合わせ場所の駅の改札口にたどり着いた。手元の時計は予定時間をゆうに四十分は過ぎている。
「遅いぞ2C! 何をやっていたんだ!」
 いのいちばんに私を発見した桂木が文句を言いながらこちらに近づいてくる。ぐるぐるに巻かれたマフラーと耳あて、そして皮の手袋と今日も彼の防寒対策はばっちりのようである。グレーのチェックのズボンが似合ってしまうなんて凄いな、とやや見当はずれの感想を持ちながら、言い訳する気力も無かった私は死んだ魚の目で謝罪した。
「む? 擦りむいているな」
 ぷんぷん怒っていた桂木の表情が急に訝しげなものに変わり、彼は私の額をつつきだした。さっき駅で転んだときに怪我してしまったのだろう。反応するのも億劫で私がされるがままになっていると、その手はぐりぐりと容赦ないものになる。ぴりぴりとした痛みが我慢の限界に達すると私は叫んだ。
「触らないでくださいよ! 痛い!」
「どうせどこかで転んだんだろう! お前は朝っぱらから抜けているな!」
「くっ……決め付けないでくださいよ!」
 図星だったが、そこは私の尊厳の問題だ。桂木は手を振り払った私に少し不機嫌になったようだった。そしてお決まりのあの台詞。
「2Cの癖に生意気だな! 人を待たせておいて偉そうに!」
「こんな時だけ早起きできる人に言われたくないです! いつもはどんだけでも待たせるくせにっ! 小学生レベルのくせにっ!」
 これが飛び出した後には、私の口答えを経て絞め技へのフルコース。ほぼお決まりのパターンである。そして桂木に絞められてじたばたしていた私に冷え冷えとした声がかけられた。
「どちらも低レベルなことに変わりはありませんが。二人ともいい加減にして下さい」
 峰藤が身に着けていたのはブラックジーンズに黒いコート。その不機嫌そうな表情と相まってまるで彼は死神のようだった。下手すれば入園拒否されるのではないかと思うぐらい夢と魔法の国には不釣合いだ。その隣に立っていた美登里も桂木に気を使ってか遠慮がちに口を開く。
「もう開園はしてるんだし、あの、そろそろ行かない?」
「おお、そうだな! 出遅れてしまっては元も子もない!」
 ようやく興味が移ったのか、私をあっさりと解放して桂木は入り口のほうへと大股で歩き出した。ため息を付きながら峰藤が追いかける。私が絞められていた首を抑えながら深呼吸をしていると、ふと美登里が私の前に立っている事に気づいた。美登里はふわふわのスカートと茶色いロングブーツを履いて、いつも以上に綺麗だ。やはり桂木とのデートという事でお洒落をしてきたのだろう。美登里は私に近づくとドスのきいた声を出した。
「あんた、私と桂木君のラブラブデート邪魔したら、ぶっ殺すわよ?」
 ドス黒い笑顔が怖いです美登里先輩。
 私はぶんぶんと首を縦に振り、改めて自分の運命を嘆いた。
 この際、王子様とは言わない。野獣でもいいから誰か助けて欲しい。
 とりあえず「不幸と受難の国へようこそ!」といったところである。



 流石はクリスマス、園内はカップルでごった返していた。雪をモチーフした白い飾り付けがそこらじゅうに施され、一際目を引く大きなお城が陽光の下で白く輝いている。テンションが下がり気味だった私も、それにはついときめいてしまった。もともと遊園地は好きだ。ここに来たのはかなり久しぶりであるし、楽しまなきゃ損だと、気を取り直して私は案内のパンフレットに視線を落とした。
 ふむふむ。パレードはお昼と……夜のは絶対見なきゃだよね。
 ぶつぶつと呟いていた私は完璧に前方不注意で、カップルにぶつかってしまい慌てて頭を下げた。二人は笑顔でさらりと許してくれたが、私は冷や汗をかきながら謝罪する。さっきの美登里の言葉ではないが、ラブラブデートを邪魔すると天罰が下りそうだったから。
 前をむくと死神峰藤が突っ立っていたのが目に入る。呆れたような表情はさっきの私の行動を見ていたのだろう。それにむっとして私は小走りで彼に近寄った。
「……前ぐらい見て歩けないんですか」
 やはり見られていたのだと思うとバツが悪くて、私はそっぽを向いて口を尖らす。無言の私にため息をついて峰藤は歩き出す。もしかして待っていてくれたのだろうかとも思ったが、お礼を言うには機を逃していた。私は気まずさを誤魔化すように声をかける。
「あの、あとの二人はどこに? ――わぷっ!」
 目の前が真っ暗になった。突然何かを被らされたのだ。それを手で押し上げると、目の前には黒い耳とリボンをつけた桂木が喜色満面な笑顔で立っていた。
 っていうかそれミ○ーちゃんじゃないですか。
 隣を見てみると、美登里までが頬を染めながらお揃いの耳をつけている。私の頭に被されたのは奇抜な青い色に星が入った帽子。
「うむ。やはり2Cには魔法使いの下僕がお似合いだな!」
「弟子でしょう、弟子」
 満足そうに頷いていた桂木に訂正を入れるが、彼は相変わらず人の話を聞いていない。それどころか峰藤のほうに向きなおり恐ろしい事を言い出した。
「あぁ、藤。お前のぶんもあるぞ?」
 桂木が差し出したそれは白いふわふわの猫耳とティアラがくっついたカチューシャ。
 よりにもよってお洒落○ャットかよ! 犯罪的ににあわねぇ! 視覚の暴力!
 峰藤からは今にも殺人をおっぱじめそうなぐらい不穏な空気がたちのぼる。私は盛大に咳をして爆笑の波をこらえた。ここで笑ったら確実に殺される。峰藤のリアクションは予想できていたのだろう、からかうためだけに買ってきたことはらしく、桂木は笑いながらもそれを引っ込めた。そして思い出したように袋から何かを取り出すと私のほうを振り向いた。
「それと2C、これを恵んでやる!」
 ぽいと桂木が投げ捨てたものをキャッチする。それは可愛らしいキャラクターがプリントされた絆創膏である。桂木はぺちぺちと私の額を叩いた。
「そこに貼っとけ。でこっぱち」
「でこっぱちってなんですか! 気安く触らないで下さいってば!」
 高らかに笑い桂木は背を向けてぶらぶらと歩き出す。頬を膨らせながらも、私は手の中にある絆創膏を握り締めた。馬鹿にされるのは腹立たしかったが、帽子も絆創膏もわざわざ買って来てくれたなんて優しいところもある、と少しだけ桂木の事を見直す。
 が、次の瞬間、私はそれを撤回する事になった。

「わははははは! 悪者を捕獲したぞ!」

 悪者のキャラクターであるオオカミにとび蹴りをかました挙句、マウントポジションを取っている桂木を目にした時、私は絶望した――やっぱ帰りたい。



 着ぐるみの人に誠心誠意で謝ったのが幸いして、なんとかつまみ出される事は免れた。結局謝っていたのは私だけだったし、ぶーぶーと文句を言っている桂木をまじめに殴りたくもなったのだが。
 しかし、これはまさに序章に過ぎなかった。
 予想通り、傍若無人大魔王の桂木はそこらじゅうで迷惑旋風を巻き起こしたのだ。
 ジャングルの中をクルーズするアトラクションでは、自分が案内役になる! と言ってガイドさんのマイクを奪おうとするし(もちろん必死で止めた)、大海賊時代にトリップするものでは船の上から金貨をとろうと身を乗り出して、私がしがみつかければ水の中に落ちていただろう。
 峰藤は呆れたような顔をして我関せずだし(一緒に来た意味なし!)、美登里は桂木の奇行にもうっとりと見とれている。結果、私だけが桂木を止めなければならなくなるわけで。
 そして山の上を走り回る絶叫マシンに桂木が乗りたいと言い出したとき、私はすでにくったくたになっていた。
「……私、ここで休んでます」
「なんだなんだ2C! だらしが無いぞ!」
 どこまでもタフな桂木は、不満そうに頬を膨らませる。それを横目で睨んで私は声を振り絞る。
「誰のせいだと思ってるんですか」
「? 誰だ?」
 心底不思議そうに肩をすくめた桂木にどっと疲れがきて、とうとう私はその場でしゃがみ込んでしまった。たぶん私は燃え尽きたジョーみたく真っ白になっているのだろう。桂木はまるで子供が親にするみたいに、私の腕を引っ張っては「お前も一緒に乗るんだ」とねだる。そんな私を忌々しげに見つめるのは美登里である。もう、お願いですから、少しの間放っておいておくんなまし。
「――私も少し疲れたので休みます。桂木は朝倉さんと行ってきたらいかがですか」
 私が引っ張られながら死に掛けていると、いつもと変わらないトーンで峰藤が唐突にそう提案した。まさか名指しされるとは思っていなかった美登里は肩をびくりと震わせる。しかし、一瞬後には喜びのためかかっかと頬が上気し始めた。
「あ、あの! 桂木君! 私でよければ付き合うわっ!」
「……よし! いくぞ! 今度は立ち乗りに挑戦だっ!」
 拳を突き上げながら歩いていく二人を私は見送ったが激しく不安だ。ストッパーになるはずの峰藤までがここに残っては意味が無い。
 それに副会長はずっと涼しい顔で放置プレイしてたんだからそんなに疲れてないはずでしょうよ! じっとりとした目で見ていると峰藤は眉を顰めてこちらを見ていたが、一拍後には今日、何度目かになる深いため息を零す。数えることも馬鹿らしくなってしまう。そんなに私呆れさせることしたっけ? いやいや、それはむしろ会長だし。
「いつまでそこに居るつもりですか」
 峰藤はうずくまっている私を見下ろしているようだった。それでも全身の力が抜けきっている私は顔を上げることさえ億劫だ。
「立ち上がれません」
「……貴方はまったく。どうしようもないですね」
 呆れた声が振ってきて、近づいてくる足音と共に、黒い革靴が視界に入った。すると、ぐいっと腕を捕まえられ、いとも簡単に私は引っ張りあげられた。峰藤は立ち上がった私から手を離そうとしたが、くったりと脱力していた私はふらふらと倒れそうになる。舌打ちが聞こえると、再び腕を掴まれ、私はまるで介護老人のごとくベンチまで付き添われた。不機嫌そうな雰囲気はビリビリするほど感じたが、がたがたな私を気遣ってか予想外に丁寧に座らせてくれる。案外、根は紳士なのかもしれないと私が考えていたときだ、峰藤は嫌味っぽい口調で言った。
「――本当に手間がかかる人ですね。貴方は幼稚園児ですか」
 前言撤回。にっくらしいことこの上ない。私はトゲトゲした口調で言い返す。
「悪うございましたね。私が会長止めてたときに助けてくれなかったくせに」
「貴方が下手にかまうから桂木が調子に乗るんです」
 まるで私が悪いかのように言う峰藤にむっとする。睨みつけていた私の視線を受け流して峰藤は自分もベンチに腰を下ろした。そして待ち時間にも読んでいた文庫本を広げて読書をし始める。私の存在は無視か!
 手持ち無沙汰になった私はぼんやりと人ごみに視線をやった。手や腕を組んだカップルが仲良さそうに談笑しながら通り過ぎている。大きなバケツ型のポップコーンケースを二人で分け合いながら食べている。いいなぁ、らぶらぶ。美味しそうな上に、らぶらぶ。
 比べて、私は日曜日の家族サービスで疲れた父親みたいになっているし。隣に座っているのは結城さんではなく意地悪峰藤だし。はぁ。
 私が思わずため息を付くと、本に目を落としたままで峰藤が口を開いた。
「――貴方は私が桂木を止めることを期待していたのでしょうが」
 ぎくり。
 図星をつかれつい肩が震えてしまう。
「そんな疲れる上に無駄なことを誰が好き好んでやりたいと思いますか」
 最初からお見通しだったってわけか……! 私はがっくりと肩を落として打ちひしがれる。
「……じゃあなんで来たんですか」
 もうどうでもよくなって、私は投げやりにきいた。
「それは貴方が」
 峰藤はそこまで言いかけて途端に口をつぐむ。落ちた沈黙に私が峰藤のほうをみやると、彼は怒ったような顔をした。
「結城さんに言われたからに決まっているでしょう。それでなければ、こんなところ来るわけがありません」
「そうですかっ! 無理やりお願いしちゃってすいませんでしたねっ!」
 なんとなく無性にむかついた。
 まるで峰藤の怒りが伝染したかのように私も早口でそう言って黙り込んだ。気まずい沈黙が落ちる。
 が、なんともタイミングの悪い事に私の腹の虫がくぅぅと情けない様子で泣き出した。
「……笑わないで下さいよ」
「笑ってなどいませんが」
 峰藤は咳払いをしながらすました口調で言った。嘘をつけ!
 肩は微かに揺れているし、口の端は今にも笑い出したそうにぴくぴくと引き攣っている。レディに恥をかかせるなんて紳士の風上にも置けないヤツだ! 気まずい雰囲気は和らいだが私は依然と腹を立てそっぽを向いていると、峰藤が突然、読んでいた本を閉じた。
「空腹、ですか?」
「は?」
「――私の耳が正しければ、貴方はお腹が空いている筈ですが」
「ええっ! 立派なお腹の虫が泣いてましたからねっ!」
 やけっぱちになって私は大きな声でそれを肯定した。すると峰藤は唐突に立ち上がり、どこかへ行ってしまう。私が首を傾げてその姿を追っていると、戻ってきた彼の手の中にはポップコーンが収まっていた。しかもバケツのやつ。それを峰藤は無言で私に差し出す。
 これはまさかくれるってことなのだろうか? ……よもや毒でも盛られているのでは。
 私の視線がポップコーンと峰藤を怪訝そうに往復していると、痺れを切らしたのか、峰藤は微かに腹立ちを滲ませたような声を出す。
「いらないようであれば、鳩の餌にでもしますが」
 その言葉を聞くやいなや、私の手はがしりとポップコーンのバケツを鷲掴みにしていた。どうやら理性が本能に打ち勝つことは出来なかったらしい。その勢いに驚いたように、峰藤の表情も固まる。私まで何故か微妙に緊張してからからに乾いた喉を鳴らした。
「い、いただきます?」
「――初めからそう言えばいいでしょう」
 驚く表情を見られたのが悔しかったのか、峰藤は憮然としながらそう呟き、再び私の隣に腰を下ろした。私はその様子をちらちらと伺っていたが、峰藤から「何見てんだ、ゴラ!」とでも言いたげな視線が返ってきたから首が寝違えるぐらいの勢いで目を逸らす。その眼力の強さは並ではない。怪光線とか出し始めても私はぜんぜん驚かないだろう。
 かぱっと蓋を外せばキャラメルの香りがふんわりと鼻をくすぐった。一つ、つまんで口の中に放り込むと、サクサクとした食感と微かに苦味があるキャラメル味が舌の上に広がった。
「おいしい……!」
 空腹と疲労に甘いものはよくきくのである。おいしいおいしいを連発し、涙も流さんばかりに感動している私を一瞥して峰藤は少しだけ笑った。それはいつものと彼が浮かべる皮肉なものではなく、年相応の笑みだ。
「随分と手軽に幸せに慣れるのですね、貴方は」
 その言葉のニュアンスは揶揄するようなものだったが、驚くほど柔らかい雰囲気に動揺してしまい、それを誤魔化すように私はポップコーンへと手を伸ばした――ところでそれは横から伸びてきた手にかっぱらわれることになる。
「2C、いいものを食べているな! 俺のために買ってきたのか? 感心な奴だ! 望みどおり俺が食してやろう! 光栄に思うがいい!」
 戻ってきた問題児、桂木拓巳が私のポップコーンを奪いやがったのだ。ゆるせねぇ……!
 私は憤慨して立ちあがり桂木に食ってかかった。
「ちょっと会長! それ私のなんですからっ! 会長は自分で買ってこればいいじゃないですか! 返してくださいよ!」
 桂木からポップコーンを取り返そうと、私は桂木へと飛びついた。しかし、敵は百戦錬磨の暴君である。私が手を伸ばしたりジャンプしても、高い位置にあげられたポップコーンにはかすりもしない。桂木は勝利を確信して高笑いをしている。ぴかぴかに表情が輝いているのは、絶対に私をからかうのを楽しんでいるからだろう。
「無駄な努力はやめることだ! 2Cのものは俺のもの! それは世界の常識だぞ! ふははははは――む」
 ぼすぼすぼすぼす。という鈍い音に桂木は笑いをとめる。
 食い物の恨み! と私が桂木の腹へとパンチを繰り出していたからだ。自分ではポップコーン奪還のためかなり頑張っていたつもりだが、無駄な贅肉など付いていない腹筋は私のへなちょこパンチなんかではびくともしないようだった。生意気にも自分を攻撃してきた私に桂木は笑みを深くする。
「ふうん。お前、俺に逆らうのか? 最近、すごく生意気になってきたからなぁ。――そんな奴はお仕置きしだっ! さらし首だっ! 打ち首獄門だっっ!」
「ってかそれ死んじゃってますからっ!」
 私は危険を察知し反射的に逃げ出した。いつもならすぐに捕まってしまうのだが、人の間を縫って逃げるのなら、小柄な私のほうに理がある。待て! という言葉を背に受けながら私はカップルの間を通り抜け疾走した。命からがらというやつである。
 そして桂木の声が聞こえなくなったとき、私はようやく立ち止まった。肩で息をしながら、深呼吸を繰り返す。どうやら無事に振り切ったようだ。
 あぁ、よかった逃げ切ったと、安堵のため息をついてから、ふと私は気づいてしまった。

 ――あれ、ここってどこだろう?
 自分の状態を冷静に認識してみて、私は青ざめる。
 え、私もしかして、はぐ、れた?




 次第に夕闇が世界を支配し始め、イルミネーションが輝きを増す。
 カップル達のらぶらぶな雰囲気を横目に私は絶賛はぐれ中であった。来た道を戻ろうとしたが、無我夢中で逃げていたから、自分がどうやってここまで走ってきたのかわからなかった。結果、余計に迷ってしまった。携帯電話を朝、家に忘れてきたのは痛恨の失敗だったし、人も多く暗くなってきたらもはや見つかる確立は絶望的である。様々な原因が絡まりあって、絶妙の不幸のハーモニーをかもしだしているとはこのこと。
 お城が見える場所で、人工の切り株に腰掛けながら、私ははぁ、とひとつため息をついた。それがますます気持ちを落ち込ませてしまう。
 私はただ結城さんと一緒にクリスマスを過ごしたかっただけなのに。その結果がこれだ。
 幸せそうに顔を寄せ合っている人に囲まれて、私は余計に惨めな気持ちになった。寒いし、寂しいし、涙まで滲んでくる始末である。それが溢れない様に私は天を仰ぎ見た。
「……神様の意地悪。バカ」
 そう八つ当たりをするみたいに呟いてみたが、すぐに意味の無い事だと気づく。冷えてきた体をぶるりと震わせると私は立ち上がった。そして歩き出そうとしたところで、腕を凄い勢いで捕まれる。振り向いてみればそこには息を乱した桂木が怒ったような表情で立っていた。会長、と言葉を発する前に私は怒鳴りつけら萎縮する。
「馬鹿かお前は! 何勝手に迷子になっている! 飼い主の手を煩わせるなど、忠犬失格だっっ!」
 なんで怒るんですか。私がこんなに心細い思いしてたっていうのに。
 そう思うとついこらえていた涙がこぼれてしまった。ぐじぐじと鼻をすすりながら私は文句を言った。
「そんなこといって……しょうがないじゃないですか。私も好きで迷子になったんじゃないですもん。それにこれは会長のせいでもあるんですよ? ……なのに怒るなんて酷い」
 ぼろぼろと涙を零す私に、桂木はぎょっとしたようだった。ぎくりと体をこわばらせ、意味不明の唸り声を発する。もっと反省すればいいんだ。と意地悪な気持ちになりながら私は泣き続けた。そうでなくても一度堰を切った涙は止まりそうにも無い。
 桂木はぐいっと私の顔を掴み、上を向けさせる。それに私が驚いていると、涙を自分のコートで乱暴にぬぐいはじめた。動揺しているのか力の加減が出来ておらず、ごしごしとこすられると非常に顔が痛い。それに耐え切れず私がやめてください、と言うと桂木はようやくその動作を止めた。
「もう泣かないか?」
「……泣いてほしいんですか?」
「泣くな。お前に泣かれるのは苦手だ」
「じゃあ、泣かせるようなこと、しないでくださいよ」
 ぶすくれながら、私は言葉を返す。それがうつったかのように桂木も拗ねたような顔になった。
「俺だって好きで泣かせたかったわけじゃないぞ! お前が急にいなくなったからどこかで野垂れ死んでるんじゃないかと思ってそこらじゅう探し回ったんだ! それにお前、忠犬ならその鼻で俺を探し出すのが仕事だろうがっ!」
「……いや、私、ホモサピエンスですし。無理です」
 こんな時まで無茶苦茶言う桂木に脱力してしまう。それでも彼なりに私を心配してくれたんだな、という事がなんとなく嬉しかった。泣き止んだ私に安心したのか、桂木にもいつもみたいな偉そうな雰囲気が戻る。そして彼は何を思ったのか、自分の首に巻いているマフラーを外し、ぐるぐると私の首に巻き始めた。そして、そのマフラーの端っこを掴むと、颯爽と歩き出す。
 っていうかリードですかこれ。
「寒いっ! さっさと藤たちのところへ行くぞっ!」
 寒がりな癖に。
 私は一つ笑みを漏らすと暖かいマフラーに首をうずめながら桂木のあとを追いかけた。
 パレードがはじまったらしく、まばゆい光の洪水が私の目にとまる。あぁ、綺麗だなぁ、と素直にそれに感動して、次の瞬間にはぐいっとマフラーを引かれて前につんのめりそうになる。桂木を睨み文句を言いながらも、私は今日この日の出来事を結城さんにも話そうと思った。
 いろいろありましたけど、綺麗でした、ありがとうございましたって――思えば逞しくなったものだ。

 が、しかし。
 そのポジティブシンキングが続くのも、峰藤のいたぶるような説教と美登里のエルボーを頂くまで、ということを、その時の私は想像だにしなかった。

 とりあえず不幸の神様を呪っておこうじゃないか!



メリー苦しみました!


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