ラジオでは関西弁を操る男が、ぺちゃくちゃととりとめのない話をしている。時折、聞こえてくる馬鹿笑いにイラリとして、拓巳はラジオに手を伸ばした。ぶつりという音と共に、男の声を消し去る事に成功した拓巳は少しだけ溜飲を下げる。そして、いつもの特等席に腰掛け、テーブルの上に長い足を乗せては、あぁ、つまらないなと呟いた。普段ならその台詞を受けてびくりと肩を震わせる少女が居ない。そのことだけが拓巳の退屈に拍車をかけるのだ。
 このままでは退屈に殺されてしまいそうだ、と拓巳は詩的で似合わないことを考えた。
 ガラスで隔てられた世界の外側にふと視線をやると、闇が手を伸ばした空からはぽつりぽつりと雨粒が落ち始めていた。ゴロゴロ、と時折、不吉な音が聞こえてくる。それは少しだけ猫が喉を鳴らすのに似ていた。
 柔らかい明かりに照らされた喫茶店の中に存在するのはしょぼくれた観葉植物と拓巳のみ。結城と少女はこの中、二人連れ立って買出しに出かけたから自動的に拓巳が留守番することになったのだ。お手伝いします、と結城に向かって勢い込む赤い顔が脳裏を過ぎり、拓巳は不快そうに顔を歪めた。
 少女が結城を憎からず思っていることは、前々から知っていた。
 以前は別になんとも思わなかったはずなのに、それが最近、妙に癇に障る。ふとした瞬間に結城に向けられるはにかんだ笑顔や視線。その総てに拓巳はイラリとした。ちょっかいをかけて無理やりこちらを向かせてやるなんて毎度のことだ。しかし、その度に浮かぶ嫌そうな(もしくは痛そうな)表情は結城に向けるものとは正反対で、それにますますムッとしてしまう悪循環。
 俺が退屈なときに傍に居ないとは忠犬失格だ! 役立たずで生意気なだけな大馬鹿者め!
 本人が聞いたら理不尽だと目をむいて抗議しそうな事を思って拓巳は形のいい唇を尖らせた。しーんとした喫茶店の中は妙によそよそしい。足を解き今度はテーブルの上に顎を乗せると、拓巳は目を閉じた。
 薄い瞼を通過した光が刹那、瞬く。
 いちにいさん、と拓巳は心の中で数を数えた。そして聞こえる轟音――あぁ、落ちた。
 それを何度か繰り返していたがすぐに飽きた。早く帰って来い、と誰にでもなく拓巳は言う。翡翠色の瞳は開かれ、ひたと外界へと通ずるドアへとすえられていた。
 ――今すぐ帰ってくるのなら俺を放っていたことも許してやる、だから早く帰って来い。
 それが懇願に似たものであることに、拓巳は気づかなかった。



 それから三十分は経過しただろうか、向こうから近づいてくる青い傘がガラスを隔ててこちらがわの拓巳の目に飛び込んできた。かちんこちん、と妙にしゃちこばった歩き方をしている少女と、片手に傘とビニール袋を手にした結城だ。結城はともかく遠慮があるのだろう、一つの傘に入る二人の距離は微妙に遠い。少女がかしこまった表情で、結城の肩を指差した。自分のせいで雨に濡れてしまっている結城に申し訳ないと言っているのが拓巳にもわかった。そうでなくても少女はいつも感情が顔に出やすい。
 結城は笑顔で首を振り、逆に距離を縮めた。どうせ結城の事だから、君が濡れてしまうじゃない、とでも言っているのだろう――あのエロ親父め。
 拓巳は吐き捨てるように言い、自然と舌打ちが漏れた。
 結城は少女が思っているほど、神様のように清廉潔白でもなければ優しくもない。それなりに人間らしく打算的で卑怯だ。そんな結城を非難するつもりはさらさらなかったが、盲目的に結城を信じている少女に拓巳は時々、我慢できなくなることもある。
 おめでたい奴だ、という蔑み。
 愚かだな、というほんの少しの憐れみ。
 そして傷ついたときに少女が何を思い、どんな反応をするのだろうかという好奇心。
 その想像は何故か奇妙な甘美さをもって、日々、退屈に飽いていた拓巳を興奮させた。
 ただ単に退屈を紛らわせるのなら何でも良かった。少し面白そうな奴だから、ちょっかいをかけた。ただそれだけだった――筈なのに、この不可解ないらつきは絶えず胸をチリチリと焦げ付かせる。
 またぴかりと空が光る。
 ドーン、と響いた音に、少女は肩を揺らし車道に一歩踏み出した。それを見ていた結城の顔からはさっと笑みが消え、その唇は普段呼びもしない少女の名前を紡いだ。一台の車が爛々と夕闇を切り裂きながら少女の背後に迫り、あわやと言うところで結城が歩道に引っ張り込む。ぼんやりとしていた少女は自分が結城に抱きこまれていたことに気づくと、顔を青くしたり赤くしたりとあたふたしている。そしてよかったと微笑み返す結城。
 自分が思わず跳ね起き拳を握り締めていた事に気づき、拓巳はなんだかすべてが馬鹿らしくなってしまった――嬉しそうな顔をしている少女も、にやけ面の結城も、無駄に心配なんかしてしまった自分なんかは特に。
 それ以上は二人の姿を視界に入れたくなくて、拓巳は椅子に座りなおすと、天井を見上げてから目を閉じる。
 もう帰ってこなくていい。お前なんか忠犬失格だ。リストラしてやる。馬鹿め。



 そんなことを考えながら眉間に皺を寄せていた拓巳の耳に、ドアの鈴の音と能天気な声が聞こえてきた。
「たっだいま、です……? あれ、会長、寝てる」
「寝ていない。帰ってくるのが遅いぞ」
 目を開き顔を上げると、少女は途端に上機嫌だった顔を引き攣らせた。珍しく鋭利な視線に桂木の機嫌をいちはやく察知したのだろう。何故か結城の姿は見えなかった。
「えっと。すいません。あの、なんだかお待たせしちゃったみたいで」
 自分だけをその瞳に写し、機嫌を伺う少女に胸を焦げ付かせるイライラは、いとも簡単にすっと消えていった。それでもなんとなく苛めてやりたい気持ちになって、桂木は無表情を保ち手招きをする。警戒を露わにした顔で少女はそろりそろりと拓巳の方へと近づいてきた。じっと身動きせずそれを見つめていた拓巳は手の届く範囲に入った瞬間、素早く少女の腕を引っ張り抱き寄せた。そして腕に徐々に力を入れる――必殺・チョークスリーパー。
「いだだだだだだっっ! ギブギブギブギブ!」
「俺を退屈させた罰だ! その積年の恨み、存分に思い知るがいい!」
「積年て出てたの二時間程度なんですけどっ! 完っ璧な言いがかりじゃないですかっ!」
 腕の中でもがき、逃れようとする少女に拓巳はますます拘束を強める。ふと体をよじっていた少女の喉笛が目に入り、拓巳は衝動的に噛みつきたくなった――がその代わりにべろりと舐めるにとどめる。
 ぴしり、と一瞬で石になった少女は、次の瞬間、断末魔のような叫び声を上げた。
「っっっ……んぎゃああああああ!」
 その良すぎる反応に、拓巳はカチカチとからかう様に白い歯を鳴らす。ざっと顔から血の気を引かせた少女は、どうか食べないでくれ、美味いわけがないから、とパニックを起こしながら懇願し始めた。
 なんだこいつは。まさか本気で食べられるとでも思っているのだろうか――そうでなくても面白すぎる。
 耐え切れない衝動に、拓巳は少女を抱きしめたままで思いっきり笑いだした。ずうっと笑ったままで、それ以上は仕掛けてこない拓巳にようやく落ち着きを取り戻したらしい。もぞり、と身じろぎをしながら、少女は困ったように拓巳を見つめている。いつもなら比較的早くに解放される腕に捕らわれたまま、居心地が悪くなってきたのか拓巳を見上げながら少し大きな声を出した。
「あの会長! 反省はもうしてるんで、そろそろ離してくれませんか?」
 嫌だ、と答えた――と同時に、ごつり、と頭に感じる鈍痛。
「ゆっ、結城さん!」
「こらこら、いい加減離しなさいな。彼女が嫌がってるじゃない」
 拓巳の腕から解放した少女に、結城は大き目のタオルを渡した。姿が見えなかったのはそれを取りにいっていたからだろう。じとりとした視線を向ければ、結城は首をかしげて笑う。そういう余裕たっぷりの態度が拓巳の癪に障るのだ。
 ずざざざざと音が聞こえてくるほど勢い良く体を引いた少女は、結城の後ろにそっと隠れて拓巳の様子を伺っている――結城の袖を掴む手が視界に入り、それに無性にムカリとした。
 やっと持ち直した拓巳の機嫌は、再び斜めに傾き始める。自分が不機嫌である事を自覚した拓巳は、ますます不機嫌になった。少女を引き寄せようと手を伸ばすが、それはやんわりと結城にはばまれる。睨みつけた桂木に注がれるのは結城の笑みを含んだ視線――俺はこいつの人の食った態度が大嫌いだと拓巳は改めて自覚した。
「拓巳、その位にしときなさい。君も早くタオルで頭を拭いて? 風邪引いちゃうからね」
 少女に優しい声を掛ける結城から視線を外して、拓巳は少し乱暴に椅子に腰掛けた。それにふっと笑みを零しながら結城はお茶の用意をし始める。体が冷えてしまった少女のために入れるのだろう――その少女の心を捕らえて離さぬ手管にもうんざりだ。

 一息をついて美味しいですと、少女が笑う声が聞こえた。結城の入れたカモミールティーが視界の端で湯気を上げている。ご丁寧に結城は拓巳の分まで入れてくれたのだ。どこまでも嫌味な奴だ、と思ってしまうのは少し穿ちすぎているだろうか。
 ぶすくれている拓巳を気にしているのか、ちらちらと少女の視線が注がれている事には気づいていた。なんとなく自分から声を掛けるのも悔しかったから、拓巳は漫画を読んでいる振りをしてそれを無視していれば、おずおずと近づいていた少女が声を掛けてきた。
「なんだ2C。また噛み付いて欲しいのか? お前も懲りない奴だな」
 無表情を装って言ってやると、少女はひくりと顔を引き攣らせた。しかし、逃げ出したいのをかろうじて踏みとどまったようだ。
「あのぉ、あのですね」
 少女は言いよどむと、労わるような申し訳なさそうな視線を向けた。その視線に微妙な違和感を感じながら先を促すと、少女はとんちんかんなことを言い出した。
「もしかして会長、一人で留守番するのが寂しかったんですか?」
 ぶっと噴出す音が聞こえて拓巳がそちらに視線をやれば聞き耳を立てていたのか、結城が肩を震わせている。拓巳が見ているのに気がつくと、にやけた表情に手を当てながら、白々しい態度でラジオに手を伸ばした。気の無いそぶりをしているようだが、拓巳がどんな反応を返すのか興味津々なのだろう――相変わらず悪趣味な奴だ。
 少女はおろおろと二人の反応に戸惑っている。奇妙な雰囲気の中、喋りだしたのはさっきの関西弁のDJ。聞こえてきた関西弁特有の単語は、その時の拓巳の気持ちにぴたりと当てはまっていて、ああ、こういう時に使うものなのか、と拓巳は納得する。
 そして、拓巳は第一声を発するために息を胸いっぱいに吸い込んだ――とりあえず言っておくべきだろう。



「なんでやねん!」




読んだよ!(拍手)

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