お嬢さん、お茶しない――ってお嬢さんって私のことですか。
 はぁ。
 ため息も付きたくなりますよ。
 貴方、眼科でも行った方が良いんじゃないですか?
 私のどこを見て「お嬢さん」なんて言葉をひねり出してるんですか?
 お世辞にしても上滑りしすぎて寒いというか、鳥肌を通り越して嫌悪感まで湧いてきますけど。
 ――これだけ言っても立ち去らないなんて根性ありますね。貴方、マゾなんですか? 誰かを思い出……いえ、なんでもないです。
 ずっと待っているのを見ていて寒そうだった? 放っておいて下さい、私が万が一風邪をひいても貴方に迷惑はかけないでしょう?
 座ってもいいかと聞かれても、別に私の所有しているベンチじゃないのでご自由にどうぞ。
 くしゅん。
 ――あぁ、どうも。
 ご丁寧に有難うございます。ティッシュを常備しているなんてなかなかマメですね。これが噂に聞く、女心をぎゅっと掴む巧妙な手口、ですか。ところでこのティッシュ、キャバクラのやつじゃないですか。御用達ですか。へぇ。
 は? 何をしているのか、とは? 貴方、急に話を逸らしましたね。まぁ、いいですけど。
 見て解るでしょう、このツリーの下で待ってるんです。
 夫が来るのを。
 吃驚してますね。 ええ、これでも一応は既婚者なんです。信じられないって顔に書いてますよ? 詐欺師としては失格ですね。
 自分はナンパはするけど人は騙さない? どう違うんですか。人をうわっつらだけの言葉で引っ掛けるのには違いはないでしょう。
 ……へこまないでくださいませんか。私が傷つけたみたいじゃないですか。あぁ、少し言い過ぎました。御免なさい。こんな程度で涙目になるなんて、子供じゃないんだし――これでも立派な二十四歳の男盛りだ? ハイハイ。戯言は結構ですから。涙腺が人よりも緩いんだ、と。まったくどうでもいい情報ですね。え、何ですか、年? ――女性に年齢を聞くのは失礼に当たるって、幼稚園で習いませんでした?

 ふぅ。
 今日から二十八になりました。――ええ、そうです。誕生日なんです。
 あぁ、どうも有難うございます。ナンパをライフワークとしてそうな貴方に祝われてもこれっぽっちも嬉しくないですが。一応は社交辞令でお礼を言っておきます――本当にあなた変な所で打たれ強いですね。ここまで言われたら怒って帰るでしょう普通。うちの夫といい勝負かもしれませんね。
 なんですか急に。私の夫ですか? ただの変態です。聞いても楽しい気分になるとは思えませんけど――それでも聞きたいんですか?
 まぁ、ティッシュを頂いた義理もありますし。どうしてもと言うのなら。


 私と夫との出会いは大学生――辛い受験期を乗り越え、麗らかな陽気と匂い立つような桜並木の下を歩いている時に訪れたんです。
 それはまさに運命の出会いでしたね――ってなんですかその表情は。別にのろけで言っているわけじゃないんです。まぁ、夫は何かあるごとに、その単語を使いたがるんですけど、私の脳裏には「あの変態と出会った後悔の日」と克明に刻まれているわけですから、まさに運命の出会いとしか言いようが無いでしょう?
 夫は私の方向をちらりと一瞥すると、一度 興味なさそうに視線をそらした後、再び凄い勢いで私を凝視したわけです。そして次の瞬間――私は、凄い勢いで走ってきた夫にアメフト並みのタックルをかまされました。
 まさか初対面の男が自分めがけて飛びついてくるなんて想像もしないでしょう普通。私を下敷きにしながらあの男は、こうのたまったわけです。

『君の遺伝子に惚れたっっ!』

 ふざけるなと。
 私が思い切り頬をぶん殴ったのはしょうがない事でしょう? ――それが悪夢の始まりだったんです。
 それから私の視線の先には、常にあの男が待機――そう、待機ですよ。そして眼が合うと、あの男は純日本人には有るまじき行為――つまりはウインクをかました挙句に、ピストルの形にした手で心臓をバキューンと……。―― 一時期、本当に刺してやろうと思いましたね。
 何でそんな男と結婚したのか、ですか? ――私が聞きたいですよ。まぁ、夫の言葉を借りるとこれはなるべくしてなった運命、ってことらしいですけど、私の母はよく「結婚にはある程度妥協も必要だ」って言ってましたから。そっちの方がリアリティあるんじゃないですか? ――まぁ、百歩どころか一億歩ぐらい譲ってる気分ですけどね。
 そのうち夫の過剰な変態行為も慣れれば、うざったい愛情表現として寛大に許す事が出来るようになりました。人間、やればできるものなんですね。――どうでもいいですけど、その憐れみの篭った眼、やめてもらえません?
 イベントが好きで、ここぞとばかりに勘違いをした愛情を押し付けてくるので、特に――誕生日の日は酷かったですね。私と夫が出会って初めての誕生日には、真夜中、日付が変わった十二時きっかりに尋ねてきて、開口一番。

『ハッピーバースデー! 僕の身も心も既に君のものだけど……僕がプレゼントだよ!』

 ――そう、ご丁寧に体に赤いリボンを巻きつけてですよ。その時の私の表情も、今の貴方みたいだったと思います。……あぁ、安心してください、一応、着衣でした。一応ね。
 勿論、即行で扉を閉めましたよ。あの時の私のマンションの扉は天の岩戸より堅く閉ざされてました。あぁ、踊ってたみたいですね彼。扉の前で。
 結果的に、ご近所様の目が痛くて一ヶ月間ぐらいは外歩けませんでした。――今となってはいい思い出ですね、多分。
 一度目の来襲で懲りていた私は、二度目の誕生日、絶対に居留守を使おうと決心しました。十二時が近づいていくにつれて、私の緊張も徐々に高まっていったわけです。自分の誕生日にあれ程の緊張感を味わっている人間って私だけだったと思います。――でも、彼は来なかったんですよ。
 勿論、私は拍子抜けました――正直に言いますと、どこか肩透かしを食らったような気持ちになったんです。が、私はとりあえず眠ることにしました。

 その日の深夜、あれは三時ぐらいでしたか。丑三つ時と呼ばれる時間。私はまどろみの中でずるりと何かを引きずる音を聞いたんです。――あぁ、怪談話ではないので安心してください。ある意味、怖い話かもしれませんが。
 ずるり、ずるぅりと何かが近づいてきて、私のマンションのドアの前でぴたりと止まったんです。私は幽霊は信じていない性質でしたけど、流石に怖かったですね。
 そして『……ピンポーン』チャイムが鳴ったんです。私は恐々と覗き穴から外を確認しました。
 そこには――誰も居なかったんですよ。
 ぞっとしましたけど、眼で確かめないと余計に気持ち悪いので、チェーンを付けたままドアをゆっくりと開けました。するとドンッと言う鈍い音で何かにドアが引っ掛かったんです。恐々と視線を下に落としてみると。

『ハッ……ピィ……バァス……ディ』

そこには血まみれの彼が――。

 ……急に叫ばないで下さい。鼓膜痛いです。
 別に死んでいたわけじゃないんです。ただ私のマンションに来る途中で交通事故にあったらしくて、血まみれのまま這って来たんです――馬鹿でしょう?
 その後に直ぐに救急車呼んで、病院に連れて行ったんですけど、出血の割には怪我は大したこと無かったらしくって大事には至りませんでした。
 その時の誕生日プレゼントですか? ――血染めの赤い薔薇ですよ。祝いっていうより、もはや呪いですね。
 私に付き添ってもらえた事が嬉しかったのか、病院で満身創痍なのにニコニコ笑っている彼を見て、ああ、この人は本当に馬鹿なんだなと。改めて思いまして、なにかがふっと抜けちゃったんです。――その時からかもしれません、私が彼とまともに喋るようになったのは。
 そうすると、今まで見ようともしてなかったことも見えてくるようになりました。彼が思いのほか理知的で成績がいい所とか、女友達の間ではミステリアスでかっこいいって評判だったみたいです――いい感じに皆、目が曇ってたんですね。
 まぁ、結局、結婚した私も私ですけど――どうしたんですか?
 え、「夫が来るのが遅くないか」?
 ……あぁ、ご心配なく。来るわけが無いんです。

 夫は、一ヶ月前に、交通事故で亡くなりましたから。

 なんて顔してるんですか?
 大丈夫ですよ。私は正気ですから。霊の存在なんて信じてませんし、この手で納骨までしたんですよ。死んだ人間が蘇るなんてこと非科学的でしょう?
 
 今年の誕生日にはビッグなプレゼントを用意するって大見得切ってたのに、本当に馬鹿ですよね。一ヶ月前からこのツリーの下に八時待ち合わせって彼がしつこいほど何度も念を押してたのに、自分が約束破ってどうするんでしょうね――私を待たせるなんて百万年早いんです。
 もしかしたら。
 もしかしたら、心の中では、すこしだけ期待していたのかもしれません。血だらけになりながらも、あの日、誕生日に私の会いに来た彼だから、ひょっこりなんでもない顔で現れるんじゃないかって――。
 あぁ、馬鹿な事言いました。忘れてください。

 ――あの。
 私はもう少しだけこのツリーを見てますけど、貴方は付き合う義理はないんですよ。寒くなってきましたし。
「自分は雪国生まれだから、寒いのは好きだ」? ……そうですか。
 さっきから言おうと思ってましたけど、鼻水、出てますよ。
 いいえ、笑ってませんってば――――有難うございます。
 え?どうかしましたか。私の顔色? あぁ、ちょっと前から風邪っぽかっただけですから大丈夫です。青い、ですか。そういえば、少しふらふらするか――も――。




 ――ここは、病院ですか?
 ああ、私、倒れたんですね。迷惑をかけてしまってすいません。まさかナンパしに声をかけた女を病院に運び込む事になるなんて貴方、予想もつかなかったでしょうね。お陰で助かりました。有難うございます。
 ってなんて変な顔をしてるんですか。私が素直にお礼を言ってるのに――。

「おめでとう」?

 何ですか、もうさっき誕生日のお祝いの言葉は貰った――。
 ――ああ、そうでしたか。……私。

 彼、やっぱり約束、破らなかったみたいです。
 これまでで一番気が利いてるビッグなプレゼント、ちゃんと貰えましたから。
 お祝いもかねて、奥さんお茶しない――ですか?
 これが噂に聞く、女心をぎゅっと掴む巧妙な手口ですね。

 ――貴方の奢りなら、ご一緒させていただきますけど?



HAPPY BIRTHDAY




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