昔々、江戸の下町に、三人娘とその兄の営む茶屋がありました。
 かつては両親が切り盛りしていたのですが、悲しいことに流行り病に倒れ、残された子どもたちがその跡を継ぐことになったのです。
「へぃらっしゃーい!」
 威勢のいい掛け声は、次女のお汐です。そろそろ妙齢のお嬢さんなのですが、佐東家ではもっとも男前と言われる彼女は、一家のおふくろさん的存在です。
「おぅ、お汐ちゃん、今日も元気さね」
「おばちゃんも元気パチパチね」
「そりゃ元気パチパチ腹はペコペコよ」
 元気いっぱいのおばちゃんとも対等に会話できる、若女将を兼任する看板娘のお汐は、常連たちの人気者でした。
「あらおばちゃん、いらっしゃい」
 中から顔を出したのは、長女のお冬です。佐東家ではもっとも美人で、彼女を目当てにこの店に通う男も少なくないと言われています。
「おやお冬ちゃん、今日もべっぴんさんで」
「ありがと、おばちゃん」
 その笑みに、店内にいた数人の男性客が思わず見とれましたが、お冬は来年隣町の旅籠に嫁ぐことが決まっていることを思い出し、そそくさと視線をそらしました。
「あれ、もうひとりの看板娘ちゃんはおらんのかい」
 おばちゃんと連れ立って来た、明らかに尻に敷かれている風のご主人が、店内を見回して首を傾げました。
「ゆうなら、今買い出しに行ってますよ。もうすぐ戻ってくるんじゃないかな」
 お冬がお冷やを卓に並べながら、言ったそのとき。
「ただいまぁ! 兄上! あのね向こうの橋で……」
 言いかけて、少女は自分が店じゅうから視線を集めていることに気づき、あわてて口をつぐみました。
「えっと……みなさんいらっしゃいませ」
 ぺこりとおじぎする佐東家の三女・おゆうを、この通りですとお冬が指差して見せ、おばちゃんは腹を抱えて笑いました。
「お帰り、ゆう。ちゃんと買えたかい」
 厨から、長男の愛之助が顔を出します。
「兄上! うん、はい」
 風呂敷を抱え上げて得意そうにするおゆうの頭をひと撫でして、愛之助はまた厨に引っ込みました。
「相変わらず愛之助君はおゆうちゃんが可愛いんだね」
「これだから嫁が来ないってのに」
 嫁が来ないのは小姑が怖いからだろうと客の半分くらいが思いましたが、お汐にそんな口をきけるような人はひとりもいませんでした。
「じゃ、ゆうも前掛けして、給仕入って」
「はい!」
 そんな感じで、今日も佐東の茶屋は繁盛していたのでした。


 ある日のことです。
 茶屋は相変わらず賑わっておりました。
 お冬は客席の間を走り回ります。愛之助は蕎麦をゆでたり薬味を切ったり、団子を蒸したりと息つく暇もありません。そしてお汐はその間で、より忙しいほうに手を貸し、会計になるとそのお客のところまですっ飛んでいきます。
 昼の忙しい時間になっても、寺にお遣いに行ったきりおゆうが帰ってきませんが、寄り道をしているか、それとも話好きの若僧に引き止められているかのどちらかでしょう。
 半時(約一時間)ほどそんな忙しさが続き、ようやく客席に空きが見えてきたときでした。
「オラてめぇ出て来いやァ!」
 やけに低い大きな声がのれんの下から響きました。
 客の目がいっせいにそちらを向きます。お汐もそばつゆを注ごうとしていた手を止めて、入り口を振り返りました。
 立っていたのは、腰に脇差を差した、でぶ……もとい、体格の良い男たちでした。二人は確実にでぶなのですが、もう一人は筋肉でできているようなでかさです。もしかしたら三人のほかにも仲間がいたかもしれませんが、でぶが三人並んだだけで外の通りはまったく見えませんでした。
「おめぇら何さまよ!」
 真っ先に叫んだのはお汐でした。
「あァ? 儂らにどの口叩けっと思ってやがんのかよ?」
 巻き舌で怒鳴り、男は懐から一枚の紙を取り出しました。
「この店ァ今日から儂らのもんだぜ!」
「うそ!」
 お汐を庇おうと出てきたはいいものの結局お汐の背中に隠れている真冬が悲鳴をあげました。よく見るとその紙は、
「権利書! なんでよこの店の権利書が!」
 もう一人、お汐を庇おうと出てきたはいいが片手に持っているのは菜箸、というバカな愛之助がぽかんと口を開けて見ています。
「儂らは親切かよら、あと一週間だけ待ってやらァ。そのうちに出てきな!」
 言いたいことだけ言い終わると、でぶ三人組はそれ以上暴れることもなく、きびすを返してとっとと帰って行きました。
 あとに残された客と、お汐たちはしばし呆然としていましたが、やはりというべきか、真っ先に立ち直ったのはお汐でした。
「……さ! とりあえず今日は美味いもん作るよ!」
「……お、おう」
 愛之助もお汐に促されて厨に戻り、なんとか長男の面目を保つことが出来ました。お冬は常連客につつかれてようやく目を覚まし、お冷をくれだのおかわりだのの注文を受け、ようやく動き出しました。


 その日の夜。佐東家では家族会議が行われました。
「やつら、どっかで見たことあると思ったら、佐東の親戚だ」
 お汐は吐き捨てました。
「おっとうとおっかあが死んだときにも現れた」
「……あぁ。俺が佐東の茶屋を継ぐのが気に食わなかったらしいね」
 愛之助もため息をつきます。
 昼間の出来事を知らないおゆうだけがきょとんとしていましたが、次第に話が飲み込めてくると、こんなことを言い出しました。
「ねぇ、夜中に忍び込んで奪い返しちゃえば?」
 今度は三人がきょとんとする番でした。
「あのねぇゆう。そんなことができたら汐も兄上も困ってないのよ」
「でも冬姉さま、江戸の町には忍者がいるんでしょ? あたしたちも忍者になったら、親戚のお屋敷に忍び込めると思うの」
「……それ、いいかもな」
 意外にも同意の台詞が出たのはお汐からでした。
「汐?」
「兄上はお屋敷ん中、入ったことあるんだよな?」
「あぁ、あるよ。目をつぶっても歩けるほどではないけど、だいたいならわかる」
「決まりだ。――明後日の夜、忍び込む」
「汐姉さま!」
 浮かれた声はもちろんおゆうから。お冬はやや躊躇っていましたが、お汐の決意が固いことを見ると、真面目な顔になってしっかり頷きました。愛之助は、妹たちが言うならそれに従うまでです。なにしろ長男ですから、妹たちを護らなくてはならないのです。
「じゃ、計画を考えるよ」
 家族会議は夜更けまで続きました。


 そして決戦当夜。
 お汐たち四人は背丈の倍ほどもある塀の前に並んで、斜め上を見上げていました。いちおうお屋敷ではありますが、堀があるわけでもなく、この向こうには松や楓の木が見えるだけです。
 まず四人は、お汐とお冬、愛之助とおゆうの二手に分かれて塀を上ります。砂壁作りですが、縄をかければ簡単によじ登ることができました。
「冬姉さん! 急いで!」
 うまく塀から下りられなくてあたふたしているお冬に、お汐は手を差し伸べます。
「ありがとう、汐」
 なるべく足音を立てないように、慎重に屋敷に近づきます。昨夜、愛之助とお汐の二人で偵察に来たときに見たところでは、この屋敷には見張りは門番が二人いるだけのようです。経費削減でもしているのでしょうか。
 少しうろうろして、お汐は開いたままの縁側を見つけました。お冬の着物を引っぱると、雪駄がからんとひとつ音を立てましたが、慌てて周りを見回したものの、特に誰かが駆けつけてくる気配はありません。
 ほっと胸を撫で下ろして、雪駄を脱ぎました。袖の下に隠し、奥へと進んでいきます。お冬は物珍しそうに部屋を眺めていましたが、お汐は興味のないふりでずんずん廊下を渡っていきました。
 時折人の寝息が聞こえて、存在を教えてくれます。そのような部屋は一人ずつ手分けして捜すことにして、お汐とお冬は着実に奥へ向かっていました。
 そして、最奥と思われる広い部屋へたどり着いたとき。
 部屋の真ん中からやや東寄りの畳の上で、この屋敷の主が寝ていました。いびきがとてもうるさく、多少足音を出しても気づかれないと思いましたが、もちろん慎重に歩を進めます。
 ところがそのとき。
「何者だ!」
 ばん、と襖の開く音がして、誰かが飛び込んできました。聞き覚えのある声。照らされた提灯の明かりで浮かび上がったのは、あの時のでぶ――もとい、体格のいい大男でした。しかも一番筋肉もりもりだったあの男です。
 その声に、主が目を覚まします。
 目をぱちくりさせる主と、お汐の目が合って。
「うわぁぁぁ幽鬼!!」
 腰を抜かして叫ぶ主。お汐は一瞬拍子抜けしましたが、ゆらりと揺れた影に、大男の存在を思い出しました。
(――ここは冬姉さんを護らなければ。しかし兄上たちに勘付かれず、こちらに引き付けておいて、隙を見て逃げ出そう)
 お汐はゆっくりと後ずさります。それに併せて、大男が一歩前へ。お冬が踵を返します。大男がお冬に気を取られた隙に、お汐は傍にあった壷を手に取り、大男のうなじに打撃を食らわせました。大男は多少よろめいただけで倒れはしませんでしたが、それでも隙にはなります。
 お汐もお冬の後を追って廊下に飛び出しました。近道をして行こうと、別の部屋へ飛び込みます。するとそこには、愛之助とおゆうがいました。
「たぶんこの部屋だ」
 お汐を確認した愛之助は、小声でしかしはっきりと言いました。
「借用書などが見つかった。ということは、おそらくうちの権利書もここにある」
 四人はしばらく無言で、手分けして茶箱や千両箱を広げていました。出てくる出てくる、膨大な紙切れ。しかしこれだけの書類があったとしても、うちの権利書を手に入れたのはごく最近だから、わかりやすい場所にあるだろうとお汐は考えました。
(――もしかして、こっちの箱の上にあるのは――)
「あった!」
 思わず小声で叫んだそのときです。ばん、と再び襖が開いて、今度はでぶ三人集と、ようやく腰のなおったらしい主がそこに立っていました。
「……見つけたか」
 くくく、と主は薄気味悪い笑い声を出しました。さっき腰の抜けたところを見ているお汐は冷めた目で見返しますが、おゆうは驚いているようです。まぁ無理もありません。
「そいつぁ渡しゃしねぇよ。おめぇたち、返り討ちにしてやれぇぜ」
 でぶ三人が脇差を構えました。月明かりが刃に反射します。
 お汐は権利書をおゆうに手渡し、懐から小刀を取り出しました。お冬も同様に。愛之助は、でぶ三人にも劣らない脇差を突きつけます。
 一触即発。
 まさに空気が張り詰めて、今にも割れそうです。
「えぇ〜?」
 その空気を破ったのは、おゆうの間抜けな叫びでした。みんなの顔がいっせいにおゆうに向きます。おゆうはそれに臆することなく、ひらひらと権利書を振って見せました。
「これ、あたいの」
「んぁ?」
「姉さん、この間、橋のところでやってた浮世絵くじのハズレだよ。ハズレは浮世絵じゃなくてこういうお遊びなの。ほら、ここの証文、江戸幕府じゃなくて大江戸座って書いてる」
「……は??」
「それでね、おたまちゃんに佐東の名前書いてもらったの。兄上たちがまちがえるかなぁって」
 おたまちゃんは近所で有名な書家ですが。
「嘘!」
「ほんと」
 思わず叫んだお汐に、おゆうはえへへへと照れ笑いを浮かべました。
 だんだんとお汐の顔が凍っていきます。もちろん凍りついたのはお汐だけではありませんでした。でぶ三人組は襖のところで目を丸くしています。お冬も愛之助も、ぽかんとおゆうを見下ろしました。そして。
「てめぇら出てけ!! ぶっ殺す!」
 沸騰してしまった主が怒鳴りました。
 お汐はすばやくお冬の着物を引っぱります。愛之助はおゆうの手をとり、四人は一目散に廊下を走り縁側から飛び出しました。
 来るときに使った縄の場所がわからなかったので正門から出ましたが、門番が眠っていたので特に支障はありませんでした。


 こうして事件はめでたく幕を閉じました。
 今日も江戸の下町で、佐東の茶屋は繁盛しているとのことです。


 おしまい。


佐東の茶屋物語




蛇足という名の感謝の叫び
 千草ゆぅ来さんの所で9999リクエストに「時代物で茶屋の娘さんの一日」を願い出た所、こんな素敵な小説を頂いてしまいました! まず使われている名前で大爆笑。まさか佐東茶屋って(笑)千草さんのセンスに脱帽です。物語の盛り上がりもすばらしく、お屋敷に忍び込む所にはどきどきわくわくしてました。オチもちゃんとある素晴らしい時代物でした! 千草さん、本当にありがとうございました!

千草ゆぅ来さんの創作サイト「Bitter Glace」はこちら!


戻る