ユリウス




「私はリーザ様に仕えるアンドロイドのユリウス。リーザ様が不自由に思われることのないよう、徹底しております」

      ◆

 今日も新聞に目を通す。ユリウスがアイロンをかけてくれたおかげで、手をインクで汚す心配をせずに読める。一面記事、社会欄、政治欄、そして経済欄。最近新たにできたのは、世界情勢の欄。といっても、単なる情勢ではない。国境が変わるとか国が消えるといった、そういった問題を扱うページだ。目の奥に鈍痛が走り、リーザは顔をしかめた。あまり健康的とはいえない白い肌がますます白くなる。目の使いすぎで、時折このような痛みを生じる。どれだけ目を酷使してきたかを思い知らされる瞬間だ。眼鏡の下から指をいれ、少しずつ上へずらしつつ、目頭の辺りを指圧した。
 と、視界の端を青いものが通り過ぎた。ユリウスの綺麗な青い髪だ。人間ではありえない色だが、アンドロイドの彼には驚くほど似合っていた。彼を購入した当初は一般的な茶色の髪だったのを、リーザが特注のアンドロイド用頭髪に変えたのだ。綺麗なストレートの青い髪は、まるで海原に見える波のようにたゆたう。彼の青い目ともあいまって、とても調和が取れていて美しい。ストイックな燕尾服も、これ以上ないほど似合っている。
 先ほどまでの眼痛も忘れ、リーザはユリウスに目配せした。ユリウスはすぐに気付いてリーザに向き直る。
「ユリウス、洗濯物は干してくれたね。ちょうど良かった。そこのカーテンのすそがほつれていたのだけど、直しておいてくれるかな」
 出窓を指差すと、ユリウスは無駄な音一つ立てず窓へと近寄り、カーテンのすそを持って補修箇所を確かめた。
「かしこまりました。すぐにいたします」
 ユリウスは深々とお辞儀をする。おそらく、今彼の頭の中――集積回路では、針と糸のありかや縫い方のデータを引き出しているに違いない。彼が瞬きをしたのを確認し、
「それから、書簡が届いたようだけど、書斎において来てくれた?」
 リーザは、この憂鬱な世界に憂うようにくすんだ灰金の髪をさらりとかきあげた。
「はい、机の上においてございます」
「ありがとう。じゃあ私は書斎にいるから、終わったらまた声をかけて」
「かしこまりました」
 ふたたびユリウスがお辞儀をするのを、リーザの声が遮った。
「ああ、ちょっと待って。お願いがある」
「なんでございましょう」
「新聞を読むのに、髪が邪魔なんだ。適当に結わえて」
「かしこまりました」
 ユリウスは慌てた様子もなく、燕尾服のポケットから髪用のゴムを取り出し、恭しく彼女の背後へと回る。
「では、失礼いたします」
 アンドロイド特有の精密な目と指の動き、そしてかすかに聞こえるモーター音。リーザはそっと目を閉じて、それらの感覚を楽しんでいた。
 ただ一つに結わえればいいものを、このアンドロイドはいったいどこで覚えてきたのか、さまざまなバリエーションに富んだ結わえ方をしてくれる。頼む側としても飽きない。アンドロイドではなくて実は人間だといわれても、驚かないかもしれない。それだけ完璧でありながら、人間味も持ち合わせたアンドロイドであった。型でいえば数年前のものになるが、最新のものとなんら遜色はない。リーザがメンテナンスを行っているからだ。今日は高い位置にゆるくまとめてくれた。
「ありがとう」
「いいえ、これが務めでございますから」
 慇懃無礼にお辞儀をするユリウスを、リーザは時折抱きしめたくなる。彼は人間ではないのに。
 抱きしめる代わりににっこりと笑いかけ、リーザは新聞を片手に書斎へと入っていった。
「……どんな反応をするのかな」
 アンドロイドたる彼を抱きしめる。それは、彼の頭脳ではどう判断されるのだろう。やってみたいと思うが、
「回線がショートされても、困るしね」
 リーザは新聞の残りの記事にざっと目を通し、次いで机の上に綺麗にまとめて置かれていた書簡に目を落とした。内容は大体見なくてもわかる。
 差出人はどれも違う。「ローグセアリング研究所」だとか「アレグリア商会」だとか「キルトン平和教会」だとか、「メルトセス王国下 国立研究所」というのもあった。そして、内容はどれも同じなのだ。
『ぜひわが組織にいらっしゃいませんか、最高の待遇をお約束しましょう』
 お決まりの台詞に、リーザはため息をついた。
「私はどこにもつく気はないと、いったいどれだけいえば分かるんだ、彼らは……」
 そばにおいてあった小さな箱に手をかざす。個人を識別し、マスターであるリーザだと認めた機械が起動する。
「いつもの返答を、各方面へ」
 その黒い箱へと司令を伝え、リーザは重たいため息をつくと漆黒の皮の椅子へと深々と腰掛けた。壁に沿っておいてあるチェストに目を向ければ、彼女のこれまでの経歴がすぐに見て取れる。
 ハルム大学主席卒業、博士号取得、真空環境下におけるFシステムの基本的構造論文にてFoG学会賞を受賞、Fシステムの構造の応用とその危険性論文にて同賞受賞、実践的Fシステムの試運転、実用化、普及に甚大なる協力をしたとして、ハルム大学名誉教授、およびセント・キャサリング名誉市民に就任。
「肩書きばかり無駄に長いな」
 それぞれの賞状や盾のそばには、受賞の際にとった写真も添えられている。最初は満面の笑みで、次は少し戸惑った微笑、段々笑顔は消えていき、表情は硬くなる。
『返答を送信終了しました』
「ありがとう。もういい」
 リーザはふたたび黒い小箱へと手をかざし、システムを終了させた。と同時に、書斎のドアがノックされた。
「入りなさい」
「失礼いたします」
 入ってきたユリウスは、どことなく楽しげに見えた。
「何かあった?」
「いいえ、繕い物をしたのは久しぶりで、懐かしく感じておりました」
「縫い物は好き?」
「そういった判断は、私には任されては……」
 ユリウスは困ったような表情を見せた。いくら人間に近くても、アンドロイドはロボットだ。人間が定めた範囲の外の動きは取れない。データベースにないことを聞かれたときには、このように困った表情を見せるようにプログラムされている。
「そう――。あなたは縫い物が好き。編み物も、手芸といわれるものはどれも好き。どう?」
「はい、心得ました」
 こうして、彼らアンドロイドの擬似人格が育っていく。

      ◆

「私はリーザ様に仕えるアンドロイド。主の命令とあらば、どんなことも承ります。ですが、あなたは主ではない。あなたのおっしゃることは、私には何の拘束力もありません」

      ◆

 リーザに来客など、実に三年ぶりのことだった。それまで、人も物も限られたものしか屋敷に通していなかったが、今回は門前払いをすることが出来なかった。
 リーザが安らぐためだけに使われいた応接間に、2人の男が座っていた。ともに国家機関たるメルトセス研究所の徽章を淡い雪色の礼服の襟につけている。
「遠いところからはるばる、ご苦労様です」
「こちらこそ、Fシステムの第一人者たるアウエンミュラー博士にこうしてお会いすることが出来て光栄です」
 男の一人がリーザに握手を求めたが、彼女はそれを見えない振りをして無視した。男は苦笑しながら手を引っ込める。
「このような偏狭の地で暮らすのは、何かと不便ではございませんか?」
「いいえ。あちらの無駄にうるさくにぎやかな町よりは、私に合っているようです。あなた方こそ、ここにいるのがお辛いならば一刻も早く脱出することをおすすめするが」
「ご冗談を。数日は滞在するつもりです」
 簡単には引き下がらない男たちだ。リーザはため息をついた。
「――何か飲み物をお持ちしよう。ユリウス」
 リーザがドアの向こうへと声をかける。しばらくしてユリウスが、ティーセットを持ちながら現れた。
「どうぞ、こちらでございます」
 ユリウスがお茶の準備をしていると、リーザが口を開いた。
「偏狭の地の安っぽい葉だけれど、お口に合わなくても飲んでもらおう」
 とげとげしい言葉のみで勧められた紅茶を、男たちは受け取る。
「彼が、あなたの一番のお気に入りのアンドロイドですか」
 男はめげずに、ユリウスに視線を移す。ユリウスは、プログラムされていたとおり、男と目が合うと軽く会釈をした。
「彼がいるから、全く不便も退屈も感じない。あなた方に心配される筋合いはない」
「取り付く島もない、という感じですね」
「けれど、そういう態度をいつまでも許していられるような状況では、もはやなくなったのです」
 それまで黙っていた、色黒の男が初めて口を開いた。紅茶にはまだ手をつけていない。何度も息を吹きかけているところを見ると、猫舌なのだろう。
「隣国マノア・セノアがこちら側の隙をついて侵攻してきました。油断をしていたとはいえ、町を一つ奪われ、一中隊がやつらの餌食となった。これ以上は、話し合いだの平和てき解決だのとのんきなことは言っていられないのです」
「その事件ならば読んだ。原因は、メルトセスの兵士が相手を挑発したことにあるとあったけれど」
「その新聞はマノア派ですか? それならばそのように書かれていても仕方のないこと。真実は常に捻じ曲げられる運命にある」
「それならば、あなた方の持ち込んだ真実とやらにも、歪曲が存在しているということになる」
 リーザは立ち上がった。
「どうぞお帰りください」
「話はこれからなのですが?」
 男がからかうように問いかける。リーザは人差し指と中指で、めがねのブリッジを押し上げて、
「私はどこにも加担しない。もうこれ以上研究を進めるつもりもない。争いを加速させて喜ぶ趣味もない。私はただ、平和な時代に生きたいだけだ。よって、あなた方はこれ以上ここにいても無意味だ。有用な時間の使い方をおすすめする」
 リーザはそれ以上何も話を聞かず、部屋を後にした。
「ユリウス、ロックをかけて」
「かしこまりました」
 男たちがこれ以上部屋の奥へと入れないように。やがて諦めて外へと勝手に出て行くように、紅茶にも仕掛けをさせておいた。
 最初からぺらぺらと喋っていた方の男が、不意に顔色を変えた。辺りをきょろきょろと見回し、立ち上がってドアが開かないことを知るとさらに血の気が引いていく。もう一人の男を引きずるようにして、屋敷を飛び出していった。
 キッチンで、リーザは先日送られてきた錠剤を眺め、微笑んでいた。
「なかなか効くみたいだ、この『ダイエット用下剤』というのは」

      ◆

「リーザ様は誰よりも平和を望んでおられます。リーザ様が望んでおられるのはほんのささやかなことなのです。朝起きたときに、太陽の光を眩しく思える、そのような」

      ◆

 ここ数日、リーザは地下の研究室にこもりっきりだ。しばらく使っていなかった地下室は、埃だらけでくもの巣は張っているという状態で、最初の1日は掃除をするだけで終わってしまった。けれど次の日からは、プログラム作業を始めることが出来た。必要な部品も届いたため、溶接作業も平行して行われていた。
「私はただ、平和な時代に生きたいだけなのにな」
 昼食を持ってきたユリウスに、リーザはそう漏らした。額から汗がにじみ出ている。ユリウスは、胸ポケットに入っていたハンカチでそれを拭った。
「あまり根を詰めすぎませんように。お体が心配です」
「大丈夫だよ、私は。問題はこれからだ」
 リーザは、地下室で徐々に形をなしつつあるそれを見つめた。やがて視線は、それを通して遥か未来へと移動していくのだった。
「私はね、ユリウス。最初は好奇心だった。Fシステムをつくったのは、自分の技術でどこまでのことが出来るのか、それを試したかっただけ。その技術がどこにどう生かされるかなんて、少しも考えてなかった」
 リーザの指は軽やかにキーボードを叩き、見る見るうちに複雑なプログラムが組みあがっていく。
「自分の才能が怖い、なんてうぬぼれたことを言う気はない。けれど、自分の作ってしまったFシステムが、私の手を離れていくのは少し、ね」
 地下のこの部屋には音を出すものが置いていない分、キーを打つ音だけが響いた。ユリウスはその様子をただ静かに見ていた。待機モードであるだけかもしれない。
「もう、私のつくったシステムが、人々の争いを加速させるところを見たくないんだ。これは私のわがままだろうか」
「――いいえ」
 ユリウスが返事をすると、リーザはやけくそのように笑った。
「お前は意味を理解していて返事をしたのかな? たかが私のプログラムしたアンドロイドのくせに、主人のご機嫌取りとはすばらしすぎて涙が出る。下がって良いよ。しばらくここに来るな」
「……かしこまりました」
 ユリウスの顔が少し悲しそうだったように見えたのも、おそらくプログラムどおりの行動だろう。
 階段を上がっていき、ドアを閉める音が聞こえたとき、リーザは鉄製のテーブルをこぶしで叩いた。
「八つ当たり、か。最低だな、私は」

 そして、リーザの組み立てていた最後のシステムが完成した。
「専門外だけどね、設計図どおりに出来た。あとは、設計図の方が間違っていないことを祈るばかりだよ」
 久しぶりに地下から出てきた。リビングルームには軽食が用意してあった。日の光がこんなに眩しいものだとは思わなかった。モグラのような気分である。しばらく又日の光を浴びることが出来ない。めがねをはずし、まるでシャワーでも浴びるように首をそらせて、まんべんなく太陽を浴びた。
「リーザ様、シナモンクッキーでございます。もしよろしければ、どうぞ」
「ありがとう」
 シナモンクッキーは、以前リーザが好きなものとしてユリウスに教えたものだ。
「後ほど紅茶をお持ちします」
 ユリウスは、リーザの思考を先回りして動く。ずっとリーザが自分の行動パターンを覚えさせていた結果だ。おいしいティータイムは、お茶とお菓子とが揃わなくては成り立たない。
 小腹を満たし、リーザは食器を洗おうとするユリウスを呼び止めた。
「なんでございましょう」
「謝らせてほしい。この間は、八つ当たりをしてしまって」
「いいえ、とんでもないことでございます。私こそ、出すぎたまねをしました」
「いいんだ、お前はそのままで」
 リーザはユリウスをかがませて髪を撫でた。ユリウスが戸惑っているのを見て取り、思わず笑ってしまう。ユリウスに自分の髪を結わせたことはあっても、自分がユリウスの髪を触ることなどほとんどといって良いほどなかった。
「この髪も、見納めになる。――お前とも、しばらくお別れだ」
 名残惜しそうにユリウスの髪をしばらくもてあそんでいたが、時計が2時を告げるのをきっかけに立ち上がった。
「――じっとしていて」
 短く命じると、リーザはゆっくりとユリウスと距離を縮めていく。おそるおそる、右手をアンドロイドの背中に回した。続いて、左手も。
「リーザ様……?」
「慌てなくていい。しばらく、そのままでいて……」
「かしこまりました」
 相手はアンドロイドだ。ただの金属と電子回路のかたまり。感情も何もない、プログラムどおりに動く無機物。それなのに、なぜこんなにも胸が締め付けられるのだろう。
 ああ、そうか。リーザは思った。アンドロイドが金属と電子回路の塊なら、人間はなんだというのか。微量の金属、有機物、脳神経には微量の電流が流れている。そう変わらないではないか。
「ありがとう……ユリウス」
 リーザはそっと、アンドロイドから離れた。青く澄み切った目を見つめていると、自分まで無機物になってしまったかのように感じられた。
 屋敷中のカーテンを閉めていく。薄暗くなった室内で、ユリウスは部屋の明かりをつけるか迷っていた。
「いかがいたしましょうか」
「つけなくていい。しばらく要らない」
「さようでございますか」
 すべての部屋の戸締りを確認する。と同時に、セキュリティーシステムを作動させる。
「私もお手伝いいたします」
 なかなか自分に命令をしないリーザに、ユリウスは少しじれたように一歩前へ出た。が、
「心配ない。ユリウスには、最後にとても大きな任務を与えるから」
 クローゼットへ寄ったリーザは、いくつか服を見繕った。が、結局古風なワンピースを一つ取り出す。
「これは、なくなったお父様が私のために買ってくださったワンピースでね。研究者だったころは、こんな女々しい服なんて着られるかと思っていたものだけど……」
 鏡に映った自分を見て、リーザは肩をすくめた。着慣れない服、見慣れない自分。
 戯れに訊ねてみる。
「ユリウス、この服は似合っている?」
 すると、ユリウスは、困ったように微笑んだ。データにない、というわけだ。リーザもまた同じような微笑を返し、地下室へと向かった。
 装置には、人一人が横たわれる空間が作ってあり、太さのさまざまなコードがあちこちに伸びている。
 リーザは、装置の端に腰掛けた。
「私はしばらく眠る。ユリウス、お前は私が目覚めるまで、この屋敷を守っていて。いいね」
「かしこまりました」
 いつものとおり、生真面目な声音で返事をするユリウスだ。リーザはユリウスに、自分が中に入ったあとに装置をどう操作するかを教えた。人間と違い、どんなに複雑な作業でも一度言えば覚える。
「かしこまりました、そのようにいたします」
 お辞儀をするユリウスに、リーザはふたたび声をかけた。
「そうだ、もう一つ大事なことを忘れていた」
 リーザは、機械の操作パネルに移動していたユリウスを手招きした。
「お願いなのだが、これを預かっていてほしい。しばらくは使わないから。大切に持っていて」
 言いながら、銀のふちの眼鏡をそっとはずし、ユリウスへ手渡す。ふと思い立って、リーザはユリウスにしゃがむように命じた。青い髪を耳にかけてやり、それから眼鏡をユリウスへとかけさせた。ユリウスは何度か目をしばたかせた。おそらく視力を矯正したのだろう。
「私の代わりに、かけていて」
「かしこまりました、お預かりいたします」
 銀のふちの眼鏡は、まるでこのアンドロイドのために作られたかのようにぴったりと、そこに収まった。リーザの顔に自然と笑みが浮かぶ。自分の眼鏡をかけたアンドロイドの顔を、しっかりと焼き付けておこうとするが、視力が悪くぼやけて見える。
 ユリウスの方に手をかけ、引き寄せ気味にして相手の顔を凝視した。はたから見れば、恋人同士が今にもキスをしようとしているところに見えただろう。
「頼んだからね」
 リーザは、スカートのすそを気にしながら装置へと入っていった。胸の前でゆるく手を組み、目を閉じる。
「ユリウス――、目覚めたときに、一番最初にお前に会いたいな。これは命令ではなくて、願望だけど。きっと次に目覚めたときには、平和な世の中が実現していると信じているよ」
「かしこまりました。――お休みなさいませ。良い夢を」
 ユリウスは、装置のふたを閉めた。リーザの最後の笑顔が、ユリウスのメモリに記憶された。カプセルが完全に閉じたことを確認すると、ユリウスは言われたとおりに装置を動かしていく。複雑な操作の手順も、うろたえることはない。
 電源が入って、装置が目覚めていく。
 最後のボタンを押した。機械音声が告げる。
『システム、オールグリーン。オートモード設定、オン。冷凍睡眠(コールドスリープ)、作動』

      ◆

「私は、リーザ様が目覚めるまでこちらの番を頼まれたのです。命令に背くことはどうあっても許されません。リーザ様には、私がついていなくてはいけないのです」
「随分と、独占欲の強い発言をするアンドロイドだな」
「しかも、眼鏡をかけたアンドロイドなんて初めて見たよ。持ち主の趣味かな」
 アンドロイド回収業者の2人は、この頑固なアンドロイドに手を焼いていた。何しろ、屋敷は空襲で燃えてなくなってしまったというのに、焼け残った部分から離れず、家を守った気でいるのである。
 2人が最初にこのアンドロイドを見つけたときも、門があったと思われるところにいて待ち構えていた。いきなり「なんのようでしょうか。私がうかがってもよろしいですか」ときたものだ。あくまで主人に取り次ぐ気はないらしい。廃墟どころか壁が一面程度しか残っていない屋敷跡のいったいどこに、彼の主がいるというのか。
「いい加減にしろ! ――って言っても、こいつらには聞かないんだっけ」
「見た目が人間だからな、説得に応じてくれるような錯覚に陥っちまう」
「つーか、このアンドロイド、結構中身は最新のものだよな。家が崩壊したことに気付かないはずがないと思うんだけど」
「さぁな、何かの衝撃で回路が一部壊れることもあるだろうさ」
 年上の男は苦笑した。男のかもし出す雰囲気は人間のそれとなんら変わらなく感じられる。髪の色だけは突飛だが。
「この家、誰が住んでたんだっけ?」
「確か、あれですよ。Fシステムの第一人者の、リーザ・アウエンミュラー博士」
「へぇ……戦争に一役買ったあのFシステムの、ねえ」
「本人は、平和的利用しか想定していなかったそうだがな」
「平和なのは博士の頭だよ、全く」
「結構な美人だったらしいがな。もったいない」
「空襲で死んじゃったんだ? 自業自得だよ」
「遺体はまだ出てないから、どこかで生きてるかもわからんよ」
 2人はなんとはなしに、頑固なアンドロイドが守る土地を見た。
「ん、ここには地下室もあったんだな」
 瓦礫だらけの土地を凝視していた男がふと呟いた。
「みるも無残にボロボロだけどね」
「Fシステム搭載のロボットがここを襲ったって話だが、本当かね。何でも、博士が国の恨みを買ったとかで」
「しらないよそんなこと」
 若い男は肩をすくめ、改めて青い髪のアンドロイドに向き直った。アンドロイドはは、人間の視線を感知するとにっこりと微笑を浮かべた。
「さぁ、アンドロイドさんよ、ここから出て行く気はないのかい? あんたのご主人様は亡くなったんだ。死んだ。もういない」
 男の説得に、アンドロイドは笑顔を浮かべて首を振る。銀のふちの眼鏡をすっと撫でて、
「あの方は命令ではなく、私に『お願い』をしました。私は、リーザ様のお願いを、守るのです。目覚めたときに、おはようといって差し上げ、この眼鏡をお渡しするまで、私はここに」
 アンドロイドは、どこか遠くを見据えて微笑んだ。

《了》


前項

作者/月村翼