メガネサボテン。




 先輩は、メガネフェチだ。
 今流行りの、を付けてもいいだろう。
 とはいっても、先輩は流行が始まりかけたころからメガネフェチだった。むしろ、流行を作り始めた人たちのひとりだろう。
 なにしろ先輩はこの高校に入学したときからメガネフェチだった、らしい。ということは二年とすこし前。まだ眼鏡ブームはそんなに一般化してなかったはずだ。
 そんな先輩は、今のところ、僕の彼女である。
 去年のバレンタインに僕が告白して――そう、僕がだよ? だって先輩は「私がチョコなんか作るような可憐な少女に見える? まぁ貰ったら付き合ってあげるけどね」って言ったんだ。僕は言質をとったとばかりに手作りチョコをプレゼントした。いくら女顔だからってキモいと散々姉二人にからかわれながら作った甲斐があって、僕らは来週で三ヶ月目になるけど、いまだに手を繋いでデートすら出来ていない。
 なぜかというと、先輩が悪いんだ。
 先輩にしてみれば、僕と付き合うことになるなんてまったく想定外、しかもやや不本意だったらしい。でも言ってしまったものは仕方ない、女に二言はないと付き合うのを決めてくれたが、先輩は彼氏にする男の最低条件を、僕が満たしていないのがご不満なのだ。
 もうわかるだろう?
 つまり、眼鏡。
 僕の視力は1.2あるから眼鏡なんて必要ないし、伊達眼鏡も面倒くさいからイヤだと言った。
 そうしたら先輩はほぞを曲げてしまったわけだ。
 でも僕にしてみれば、いちおう恋人である以上、外面だけでなく内面を見てほしいわけで、眼鏡をかけてしまったら先輩はそこだけを注目するんじゃないかと思うから、眼鏡なんてなおさらイヤだ。
 そう言って僕が抵抗していたら、じゃあいいよと先輩も開き直ってしまい、僕らの関係は手すら握らない健全なデートでストップしている。まぁ、それでもいいんだけどね。どうせデートじゃなくても、放課後になれば二人きりでいることが多い。
 なぜかというと、
「ユタカ、遅い」
 第二科学教室のドアを開けると、窓側で先輩――川崎あさぎが購買の蒸しパンにかぶりついている。いつものチョコデニッシュじゃないところを見ると、放課後になってから買いに行ったな?
「先輩〜、先輩とちがって僕らは六時限目までちゃんと授業あるんですよ」
 先輩は三年生だから五時限目で授業は終わるのだ。その後は自習と補修だが、先輩はそのどちらも面倒くさいといって拒否してるらしい。
「授業終わってからもう二十分も経ってるじゃん」
「ノート提出したり、色々あるんです僕にも」
「はいはい。悪うございましたね」
 どうせ先輩はサボテン弄ってたんだからいいじゃん。口の中でボソボソ言うと、「ンぁ?」と眉を寄せて上目遣いに睨まれた。
 もちろん本気でやってるわけもないので、おろそかになっていた蒸しパンにかじりついてやると、パシッと頭をはたかれる。
「こら、私のおやつに何すんの」
「先輩は彼氏とおやつどっちが大事なんですか」
「おやつ」
 お約束といえばお約束だが、仕事と私どっちが云々以上に、酷いと思うのは僕が未熟だからだろうか。
 ヤケになって窓際に百数十個並んだ小さなサボテンたちに「あさぎさんが酷いんですぅ……」とボヤいたら、「いじけんなバカ」とまた頭をはたかれた。
 僕らがこんな呑気な夫婦漫才(と僕は思うことにした)を繰り広げていられるのは、ひとえにこの第二科学教室が僕らの部室であることと、科学部が部員自体は三十数名いるにもかかわらず、実質的に活動しているのが僕と先輩だけだからである。
 なにしろ科学部だ。色白でひょろっとした痩身のメガネオタクが集まるというイメージが世間的には強い科学部。僕と先輩のどちらもそのイメージに含まれないが(僕は痩身ではあるけど片道五十分の自転車通学で焼けている)、世間のイメージはぬぐわれず、しかも活動内容がサボテン栽培では、部員が集まらないのも当たり前だろう。
 本当はただの栽培じゃなくて、バイオテクノロジーなんだけどね。
 まぁ週に一度か二度、他の部員がやってきて、ビーカーでコーヒーを沸かして呑気にお喋りしていることもあるけど、そんな子たちはサボテンには興味ない。
「ユタカ〜、お茶かなんか持ってない?」
「もう飲んじゃいましたよ。コーヒー沸かしますか?」
「うん、お願い」
 僕がアルコールランプを取りに廊下側の棚へ行ったところで、ちょうど横のドアが開いた。
 雨宮先輩と、――なんだっけ、新しく入った一年生の。
「こんにちは」
「こんにちは、お久しぶりです」
「穣(ユタカ)、川崎さんは?」
 僕は三脚を持ったままの手で窓側を指す。先輩が振り向いて手を上げた。
「おー、雨宮、久しぶり」
「川崎は相変わらずサボテンやってるのか」
「そーだよ。見て雨宮、七回目の実生成功!」
 窓際のプランタへ手招きされて、雨宮先輩が一歩踏み出そうとした瞬間に、後ろにいた一年生が雨宮先輩を追い越してつかつかとあさぎさんに近づいていった。
「川崎部長! お話したいことがあります!」
 一年生――たしか小田だか小野田だかいう名前だった気がする――は、ぴしっと気を付けの姿勢で先輩の前に立つ。
 先輩は小首を傾げて、「どうぞ」と言うかと思いきや、
「きみ、誰だっけ」
とのたまった。
「先輩、小野田君です」
 僕が慌ててフォローしたら、
「おれは小野寺ですっ!!」
 一年生がばっと振り向いて叫んだ。
 隣の雨宮先輩が腹を抱えて笑っている。スイマセン雨宮先輩。だって小野寺君なんてそんなに部活に参加してなかったし。
「お、おれはっ。この科学部の体制はおかしいと思います!」
「なんで?」
「だって部活動なのに、実質参加しているのは川崎部長とそっちの……ホソカワ先輩だけなんですよ!」
「ユタカの名字ならホソカワじゃなくて追川だけどね」
 あさぎさんの冷静な訂正に、再び雨宮先輩が笑い声をあげる。どっちもどっちなので、僕も一緒に笑っておいた。
「そ、それはともかくっ。おれはっ。科学っていうのは、もっと多くの人が触れ合えるものであるべきだと思いますっ。少なくともサボテンを育てることだけではありませんっ!」
「まー、サボテンだけが科学でないのは確かだけど」
「だったらっ。おれに部長を譲ってください!」
「……なんで?」
「おれが科学部を改革します!」
 一瞬あさぎさんはぽかんとして、それからプッと噴出した。
「何を言い出すかと思えば」
「笑いごとじゃありません。科学部はもっとみんなが楽しめる実験をすべきだと思います。そしたらもっと部員もきちんと活動に出るし」
「別に出たくないってんだからいいでしょそれで」
「しかも聞くところによりますと、部長は自分のためだけに部費を使って電子顕微鏡を買ったとか! バイオテクノロジーだかなんだか知らないですけど、自分の理想とするサボテンを作るためだけに遺伝子組み換えして、それ育てて。そんなことだけに部費を使うなんておかしいと思います!」
「そぉ? だって主に活動してるの私とユタカしかいないし、ユタカもバイオやってるし。それに部費だってちゃんとみんなに還元してんだよ」
「どこがですか!」
「小野寺君は入ったばっかだからわかんないかもしんないけど、うちの部、学校祭にサボテン売るんだよね。その株分け作業はみんなに手伝ってもらって、手伝った人は最終日に部費で打ち上げするよ。しかもさ、そのサボテンの売り上げが半端じゃない儲けだから、学校側も容認してくれてんだよね」
 ふふんと先輩は窓際の棚にのけぞって意地悪な笑みを浮かべる。その表情と仕草が僕はすっごく好きなんだけど、まぁノロケてもしょうがないからそれは置いといて。
 小野寺君は顔を真っ赤にして、どうにかして反論を試みようとしているが、口をぱくぱくさせていてどうしようもない。
 たぶん雨宮先輩を応援として連れてきたんだろうけど、肝心の雨宮先輩は僕のそばで成り行きを見守ってるだけだし。
「あれ、応援してあげなくていいんですか」
 僕が小声で訊くと、
「だって俺、アイツ可愛いだけだから」
 意味不明な答えが返ってきた。
 小野寺君は途方に暮れているし、先輩はにやにや笑いを浮かべているだけだし、雨宮先輩はあてにならないしで、僕はすることもなくなったので、用具をとりあえず先輩のところへ持って行って、アルコールランプなどの道具を並べた。
 マッチを擦ろうとしたところで、先輩が突然立ち上がる。
「そうだ小野寺君、そんなに言うならサボテン見に行こっか」
「いいですよここにこれだけたくさんあるのに」
「ちがうんだって。ここじゃなくて、温室の方。あ、隣の小学校のね、温室借りてるんだ、実生させるのに。去年生まれのアレがそろそろ形になってきたんだけど」
 ユタカ、と先輩は僕を呼んだ。
 僕はもちろん、一回擦っただけでは火のつかなかったマッチを箱に戻して、先輩の後に続く。
 何だ、と雨宮先輩がドアを閉めながら訊いたから、行けばわかりますと僕は微笑った。
「可愛いですよすごく」
 僕が鍵を閉めながら言うと、
「川崎とどっちが可愛い?」
 お約束の選択を提示されたので、
「サボテンですね」
とさっきのおやつの仕返しをしてやった。してやったのに、先輩は小野寺君にサボテンのよさを滔々と語っていて僕の台詞には何も反応がなくて、雨宮先輩に笑われた。
 学校の裏門を出て、車通りゼロの道路を渡ると、すぐそこが小学校の校舎だ。僕は入学当初から、先輩と二人でここを通っていた。
 なぜ小学校の温室かというと、先輩は入学してすぐ、バイオテクノロジーについてのレポートを数十枚まとめ、それと共に科学部へ向かったらしい。その時の科学部は、それこそカルメ焼きやアイスを作って楽しんでただけの部だったから、顧問の先生は二つ返事で先輩の案を受け容れた。
 そしてすぐに先輩はサボテンの種を個人的に仕入れ、遺伝子組み換えと実生を行ったのだが、サボテンの実生(種から発芽させること)には三十度近い温度が必要だ。そんな場所、ふつうの高校にあるわけもなく、白羽の矢が立ったのが、この発泡スチロールとひなげししかない(なぜかひなげしだけは育ってるんだ)、隣の小学校の温室。
 育ったサボテンを、小学校の一クラスに一鉢ずつ寄付することを条件に、先輩はその場所を手に入れた。
 そして実生を繰り返すこと、四回目。
 先輩の目指していたソレは完成した。
「さぁ入って」
 先輩が南京錠を解いてドアを開くと、温室の蒸し暑い空気がむわっと押し寄せる。僕なんかはもう慣れたが、小野寺君はやや顔をしかめた。
「こっちだよこっち」
 先輩はたたっと中に駆けていく。小野寺君、雨宮先輩と続き、僕は後ろ手にドアを閉めた。
「じゃーん」
 何十年前かの効果音を口にしながら、先輩が一つのポットを目の前に差し出す。
 僕はみんなの後ろで、思わず口の端を大きく吊り上げた。
 ソレこそが先輩が入学当初から思い描いていたものであり、僕が初めて研究に参加した世代の実生で完成したもの。



















 その名も、メガネサボテンだ。
 捻りないとかいうツッコミはなし。僕も先輩も理系なんだ、国語は不得意に決まってる。
 小野寺君と雨宮先輩がぽかんと口を開けてメガネサボテンたちを見つめている。
 先輩がサボテンのポットを抱えたまま、僕に向かってウインクする。僕がしたときはキモイって言うくせに、自分がするのはいいらしい。僕もウインクを返すと、案の定あからさまに眉をしかめたが、すぐに笑顔を返してくる。
「ね、可愛いしょ?」
 先輩が小野寺君と雨宮先輩に言うと、二人とも同時に大きく首を縦に振った。言葉が出ないらしい。
「これぞメガネサボテン。私の三年間の集大成!」
「いや川崎、まだ俺たち、あと半年以上学校生活残ってるから」
 先輩のボケで冷静に戻った雨宮先輩がツッコんだが、先輩は得意そうにメガネサボテンの頭を撫でた。
 その前で、小野寺君の肩が震える。
「部長……! おれ、部長に付いていきます……!」
「ん?」
「惚れました!」
 小野寺君ががしっと先輩の手――正確にはメガネサボテンのポットを持っている方の手――を掴んだので、一瞬なんの告白だとびびったが、どうやら対象はそっちらしい。
「小野寺君も惚れた?」
「惚れました!」
「やっぱりね! 惚れるよねメガネサボテン!」
「はい!」
 内容が内容でなければ河原ですべきであるような青春劇は、敵と味方のシェイクハンドで幕を閉じた。
 あいだにメガネサボテンのポットを挟んでなかったら、僕がキレるけどね。
 なにしろ僕はまだ先輩の手なんか握ってない。



 そういったいきさつがあって、現在科学部は、幽霊部員二十数名、活動部員四名で毎日放課後活動中だ。学校祭を二ヶ月前に控えて、そろそろ学校祭での販売計画も立てなくてはならない。
 まぁ先輩と二人きりでなくなったのは多少残念だけど、小野寺君が現れたのをきっかけに、ひとつ進展したことがある。
 それというのも、新一年生らしく好奇心いっぱいで僕らのことに首を突っ込んできた小野寺君が、
「先輩たちって一緒に帰ってるけど、手繋がないですよね」
なんて言ってきたからである。
 僕がそれに弁明しようとしたところ、いち早く先輩が聞きつけて、
「それがねー。ユタカが眼鏡かけてくれないんだよ」
「どうしてですか?」
「だって僕、目悪くないし面倒だし、しかも僕が望んでることじゃないし」
「って言うしょ? 私はね、彼氏には絶対眼鏡、って決めてたんだよね昔から。だから眼鏡かけない奴はまだ彼氏認定してないんだ」
「でも部長は眼鏡してないですよね?」
「だって彼氏も彼女も眼鏡の眼鏡カップルって、何となくバランスが悪いと思うし」
「だったら部長のほうが眼鏡かければ、それで問題解決じゃないですか?」
 あんな複雑な遺伝子組み換えのできる先輩が、それを思いつかなかったというのも面白い話だけど、気づかなかった僕も同罪で、僕らは顔を見合わせてひとしきり笑った。
 そういったわけで、翌週から先輩は伊達眼鏡をかけるようになり、僕は先輩の手を握ってもいいことになったのである。
 ……メガネサボテンより、可愛いよ。

《了》


前項

作者/千草ゆぅ来
素材/Get Back .+