愛と涙の眼鏡あわせ 〜純粋少女の冒険〜




 突然ですが―――早川詩音はやかわしおん、告白します。
 実は、私……
 眼科が怖くて仕方ないんです……!



 みーんみんみんみーん………
 抜けるような青空、浮かぶ白雲。
 窓の外ではひっきりなしに蝉が大合唱している。
 ……一体君達は誰と争ってるの?
 そんなに頑張らなくても、もう誰も君たちには勝てないよ。
 窓の外から教室に視線を戻すと……
「ん〜?」
 ……あれ?
 ちょっと目を放した隙に……
「黒板が消えてる…?」
「当たり前だろ、いつまでも残しておいたら次の授業始まんねぇよ」
「! 颯くん!」
 気がついたら、隣にはやてくんがいた。
 彼は、、相田あいだ颯くん。
 私の彼氏です。
 背が高くて、端正な顔立ちで、運動神経が良くて。
 そして、そんな彼の趣味は………私を手の上で転がす事。
「で? なんで詩音はこんなに書くのが遅いんでしょうねぇ?」
 ギク
「え? 私、もともと書くの遅いから……」
 ふい
 颯くんから視線を逸らす。
「……ふーん?」
 うっ
 顔は見えないけど、颯くんの声から何を考えているかが読み取れる。
 ……ヤバイ。
 これはヤバイ。
 颯くん、気付いてる……!
「なぁ詩音」
 ずい
 颯くんの綺麗な顔が迫ってくる。
「な、何…?」
「おまえ、最近視力落ちたよな?」
 ギクギクッ
「そ、そんなことないヨ?」
「へぇ? そんな陳家な嘘、俺に通用するとでも?」
「だ、だから、なにも悪くないヨ?」
「声裏返ってるけど。それに俺、多美子ちゃんから聞いてんだ。お前の、『眼科恐怖症』」
「ヒッ……!」
「なぁ、詩音」
「や、やだ……」
「眼科行くか」
「いやぁぁぁぁああああああ!」
 今日ほど…この笑顔が怖かった事はない。



 その日の放課後―――自宅リビングにて。
 私はお母さんと颯君に囲まれていた。
 颯君とお母さんは、何故か異様に仲がいい。
 お互いに、『多美子ちゃん』、『颯』って名前で呼び合ってるし。
 あれだ、私をからかうって言う趣味が一致してるからなんだ、きっと。
 そして今まさに、その状態で……
 一人一人にだって勝てないのに、タッグになってかかられたら絶対に無理だよ……!


 眼科に、行かされる!


 やだ……眼科だけは絶対にいや……
 だって、眼科怖いもん…行きたくないもん!

 えぐっ
 えっ
 うぅ…っ
「……で、こんなに泣いちゃってるわけね」
 あぅー
「そうなんだよ。学校でも泣きそうだったからなぁ……そんなに眼科怖いの?」
 ひっく
「さぁ…?」
 ぅっ
「さぁって、多美子ちゃん……」
 うぅ
「なんか、気付いたら眼科嫌いになってたのよね」
 えっ
「………」
 ひぃっく
「………」
 ぅうー
「……詩音、そろそろ泣くの止めろ、な?」
「だ、だっ…て、こあいも……っく」
 ぽんぽん
 颯くんは小さい子をあやすみたいに、あたしをきゅっと抱きしめて、頭を撫でてくれた。
「べしょべしょ泣かないの、詩音。たかが眼科でしょ?」
 お母さんの冷たい視線が突き刺さる。
「い、きたくないもん」
「そんなこと言ったって、目が悪くなったら視力矯正しなきゃだめでしょ? 颯がいいところ紹介してくれるから、行ってきなさい。颯、はいこれ保険証とお金。ついでに眼鏡も作ってきて。こんなに眼科怖がってるなら、コンタクトなんか無理でしょ」
「わかった。ていうかもともと眼鏡作るつもりだったしな」
 颯くんはお母さんから素直に保険証と5万円を受け取った。
「なんで、勝手に進めちゃうのぉ?」
「あんたが駄々こねるからよ」
「颯くん……?」
 ……颯くんは、最後は私の味方だよね?
 泣き顔で見上げたら。
「俺から逃げられるとでも思ってんの?」
 にや
 不適な笑みで見つめ返された。
「ヒッ」
 ……や、やだっ…
「さ、行くか」
 ぐいっ
「やだぁぁあああっ」
 無理矢理引っ張られながら、あたしは自宅を後にした。



「……颯、たしか連れてくるのは同い年の彼女って言ってたよな?」
「……あぁ」
「……じゃあ、あそこで縮こまって泣いてる女の子が、お前の彼女?」
「そうだよ。早川詩音、現在高校二年生」
「………マジで?」

 …ぐすん
 何、話してるんだろう……?

 颯くんに引きずられて来たのは、眼科にしてはありえない規模の、めちゃくちゃ大きい東眼科病院というところだった。
 ……もう、いじめとしか思えない。
 眼科怖いって言ってるのに……
 こんなの、悪魔の巣じゃないか―――っ!!!

「お前、女の趣味変わったよな?」
「あんたに言われたくねぇよ。女なら何でもいいくせに」
「なんだと? 叔父に向かって失礼な奴だなお前は」
「うるせぇ」

 颯くんの知り合いの先生がいるって言ってここに連れてきてくれたんだけど。
 さっきから、こっちをちらちら見ながら、何か話してる。
 ……?

「なぁ、それにしても詩音ちゃんさ、あんなに泣いてたんじゃ目が腫れて診察できないんだけど」
「でもあいつ、今日連れて帰ったらもう眼科来ないぜ? 相当の眼科嫌いだからな」
「原因は?」
「さぁ……母親も不明らしい。どうせ眼球触られたとかそんなのだろ? 臆病だからな」
「ちょ、おまっ……それだけであれだけ泣くほど眼科嫌いになるか? マジで可愛いな」
「死ねよ、この艶男アデオス
「ごめんなさい、その悪口だけは勘弁してください」
「いいから、今日中に眼鏡あわせだけしてくれよ。目の腫れならコンビニかなんかでアイマスク買ってきて冷やすよ」
「や、それくらいこっちで出すから。詩音ちゃん呼んできて」

「詩音」
 ピク
 ふと顔を上げると、さっきまで向こうにいた颯くんが目の前にいた。
「先生が呼んでる」
「ひっ……く、怖くない…?」
「怖くないって。エロいけどな」
「え?」
「あっと……何でもない。まず目を冷やすって」
「ぅん」
 ぽて、ぽて
 重い足取りで、診察室に向かった。

「詩音ちゃん、こんにちは」
「こんにちは」
「もう落ち着いたかな?」
「……はい。すみません……」
「あぁいいよいいよ。気にしないで」
 にっこり
 さわやかな笑顔を向けてくれた。
 それに釣られて、私も笑い返す。
 そしたら。
「………颯ぇ、お前には美人看護婦紹介してやるよ」
 ほにゃ
 先生は一気に破顔した。
「死ねよ、この艶男アデオス
「すみません。許してください」
 ぺこぺこ
 颯くんの発言に、先生はひたすら頭を下げた。
「あ、あの……?」
「あぁ、ごめんなんでもないんだ。さ、これで目を冷やして。ずっと当ててると目に悪いから、冷やして、離して、冷やして、離して、を繰り返してね」
 はい
 青い色の、ブヨブヨした冷たいアイマスクを渡してもらった。
「じゃあ俺たちは外に出てるよ。東院長は忙しいからなぁ?」
「おうおう、颯くん目つき悪いよ」
「気のせいだよ」
「いや、悪いから」
「じゃ、また腫れが引いたらくるよ」
 キィ……パタン
 颯くんに手を引かれて、診察室を出た。



「…ねぇ、颯くん」
「ん?」
「あの先生が、颯くんの知り合いの先生なんだよね?」
「あぁ、そうだよ」
 ……。
 いつも以上の低音に、不機嫌さが混じる。
「……颯くん、怒ってる?」
「へぇ? 何でそう思うの?」
 にや
 颯くんはいつもの、私をからかう時の笑い方になる。
 ……それでも。
「……眉間のシワ、すごいもん」
 深く深く刻まれた、三本の線。
 颯くん、滅多にこんな顔しないのに。
「……あの人俺の叔父なんだけど、あれほどろくでもない人間見たことないね」
 ぶっきらぼうに、でもかなりの悪意を込めて。
 あ、あの、颯くん……かなり怖いんですけど……?
「でも医療の腕は確かだから。ここの院長だし」
「院長先生!? えーっ、すごいねー! かっこいい!」
「詩音、あいつには診察以外で近づくなよ」
 私がはしゃいでいると、颯くんが釘を刺した。
「へ? なんで?」
「あいつ、無類の女好きだから」
「……え?」



「あー、綺麗に腫れ引いたねえ。よかった、これで診察できるよ」
 しばらくして、私達はまた診察室に戻っていた。
「じゃあ、ここに座ってね」
「……はい」
 すとん
 用意された椅子に座る。
 その後ろで、颯くんは腕を組んで院長先生を見ていた。
「……そんなに睨まなくても、ナニもしないよー?」
「先生は信用なりませんからねー」
 けらけら
 先生の後ろで看護婦さんが笑う。
「ブルータス、お前もか……! あ、詩音ちゃんジュリアス=シーザー知ってる?」
 笑って先生が首を傾げると。
「いいから早く始めろよ」
 後ろから、颯くんのイライラした声が飛んできた。
「はいはい。じゃあちょっと顔前に出して」
 ぐいっ
 下まぶたを押し下げられる。
「ん、異常ないね。綺麗な瞳だ」
「先生、患者さん口説いちゃダメですよー」
 看護婦さんがつっこむ。
 ……へ?
 患者さんを、口説く…?
「……え?」
「あぁ、ごめんごめん、あんまり綺麗だったもんでね。……後ろの君、目つき悪すぎ」
「え、あの……?」
「あぁ、混乱してる詩音ちゃんも可愛いよねー」
「死ねよ、この艶男アデオス
「ごめんなさい、もうしません。だから許して、颯くん……!」
「いいから。お前仕事遅いんだよ」
「はいはい。じゃあ詩音ちゃん、次は光当てるよー」
 ビクッ
 看護婦さんの手から、ペンライトを渡される。
 ツゥ
 背中を冷や汗が流れる。
 かた
 かた、かたかたかた
「ちょーっと眩しいけど、一瞬だからね……って、あれ?」
「……詩音?」
「やだ、これやりたくない…」
 ぎゅっ
 目を、開けられない……
 震えが、止まらない……!
「……詩音、お前これが嫌でずっと行きたくないって言ってたのか?」
「……ぅん」
 じわ……
 涙がにじんできた。
 そう。
 私が、頑なに眼科を拒み続けた理由―――それは。
 この、ペンライトが怖いんだ………!
「詩音ちゃん、何でこれが怖いの? ただ光を当てるだけだよ?」
 きょとんとした、先生の顔。
 先生、知らないの………?

「……だって、その光で目が溶けちゃうんでしょ?」

「……は?」
 しー……ん
 私の発言に、一瞬その場の空気が固まった。
「だ、だってお母さん言ってたもん! あの光当てると目の玉溶けちゃうんだよ! ひ、光を当てた後に見える緑色のものは、目が溶けちゃった後なんでしょぉ」
 べしょ……
 また涙声になってきた……うぅっ

 おそるおそる、顔を上げたら………
「………くくくっ」
「せ、先生……?」
 先生はおなかを抱えて笑っていた。
「な、何笑ってるんですかぁ!」
「い、いや……あの、なんて言ったらいいのかな…っく、いいお母さんを持ってるね」
「……諸悪の根源は、多美子ちゃんだったのか」
「は、颯くんまで! ひどいよ!」
 颯くんは呆れ顔。
 ほんとだよ!
 溶けちゃうんだもん!!!
「だって、だってぇ!」
「……っく、あのね、それ…ほんとに目が溶けるなら、僕らこんなことしないから…っくく」
 先生は涙目。
 ……私、もしかして馬鹿にされてる!?
「詩音、これは多美子ちゃんがからかっただけだよ。詩音があんまり素直だったから、つい嘘ついてみただけだよ」
「……お母さんの嘘? だって、お母さん……溶けちゃったって言ってたよ?」
「だからね、…っく、ひーっ、ちょっと待って、しゃ、しゃべれな……ひっく」
「……あのな、詩音。マジで大丈夫だから。なんなら俺が証明してやるよ」
 がた
 そこで初めて、颯くんが動いた。
「ちょっとペンライト貸せよ」
「……っく、へ?」
 バッ
 颯くんが、院長先生の手から、ペンライトを奪う。
「……颯? おい、お前まさか」
「可愛い詩音のために実験台になってくれよ、正嗣まさつぐ
「……ちょっと待て、お前素人のクセに…!」
「詩音見てろよ? 今からライト当てるからな」
 ……あの、颯くん。
 確かに、証明してくれるのは嬉しいんだけど……
 ……やたら、楽しそうだね。
「ちょ、やめ……っ、うわっ眩しっ!」
「はい、これでペンライトを直接眼球に当てた。さて? 目は溶けたか、馬鹿」
「叔父に向かって馬鹿とはなんだ! ……眼球は溶けてません。その証拠に、詩音ちゃんも颯も、はっきり見えるよ」
「……でも、緑色の変なの飛んでるでしょ…?」
「あぁ、これはね、強い光を当てられたことで、網膜に残像が残ってるんだよ。しばらくしたら消えるだろ? これ自体に問題なんてないんだよ」
 にっこり
 颯くんに、院長先生。
 二人とも、優しい笑顔を向けてくれる。
「これでわかったかな? この光は無害だよ。さ、詩音ちゃんもやってみようか?」
「……ほんとに、大丈夫?」
「あれ? 僕が信じられない?」
「そりゃ信じらんねぇだろ」
「……颯くーん、ちょっと黙ってなさい?」
「詩音、絶対大丈夫だから。俺もやったし」
「……じゃあ、やる」
「あれー、詩音ちゃん、颯くんのことは信じちゃうのね?」
「いいから。乗り気になってるんだから早くしろよ」
「うるさい颯くんですねー、さぁ詩音ちゃん、一瞬だからねー、後ろの看護婦さん見ててね?」
 カチ
 カチ
 ペンライトが光る。
 ………大丈夫、怖くない。
 颯くんも院長先生も大丈夫だって言ってるし。
 目を開けろ、詩音!

 キラッ

「ハイ、終わりだよ。異常なし、と……」
 キラッと、一瞬だけ光が走った。
 ……へ?
「……お、終わり……?」
 一瞬、ほんの一瞬光を当てられただけで、終わってしまった。
「? うん、終わりだよ。ね、一瞬だったでしょ?」
 にこっ
 院長先生は、そう言って優しく笑ってくれた。
 なんだ。
 終わってみれば全然怖くないんだね。
 ……今のところ、目が溶けちゃった感じもしないし。
 よかったー、苦手一つ解消かも☆
「さて、あとはこっちに来てくれる? 清水くん、最後やってあげて」
「わかりました。さ、詩音ちゃんこっちよ」
 あれ?
「もう終わりじゃないんですか?」
「あと一つあるのよ。さ、この二つの穴を覗き込んでくれる?」
 視線を向けた先には、大きな黄緑色の機械が一つ。
 真ん中に、顕微鏡みたいな覗き穴が二つ付いてる。
 これを、覗けばいいの?
 機械の前に置かれた丸椅子に腰掛けて、二つの穴を覗き込む。
「真ん中に絵があるのが見える?」
「はい」
「それ、ずっと見ててねー」
 きゅー
 機械から何か音がする……
 ほんの少しの間、絵を眺めてると――
「はい、結構ですよ」
「へ?」
 わけのわからないうちに、検査が終わってしまった。
 ……今の、何の検査だったんだろう?

「詩音ちゃん、覗き穴終わったー?」
「覗き……? あ、はい終わりました」
「じゃああと視力を測ったら眼鏡あわせは終わりだから、颯と一緒に隣の部屋に移動してくれる?」
「颯くんと?」
「颯も眼鏡あわせしてるから。前に測ったのがだいぶ昔だったから、やり直させてるんだよ。」
「そうなの?」
 つい
 颯くんを見上げる。
「最後に合わせたの、一年位前だったからなぁ。だいぶ度も進んでるし、ちょうどいいと思って」
「じゃ二人とも、視力検査が終わったら、待合室で待っててくれるかな?」
「はいっ。先生、今日はどうもありがとうございました」
「え? やだなー、そんなにいいことしてないよ?」
「社交辞令だって」
「颯、いつのまにお前はこんなにひねくれちゃったの? おじちゃん寂しいよー」
「……こんな変態ほったらかして、行くぞ詩音」
「へっ? まっ待ってよ颯くん! あ、先生ありがとうございましたーっ」
 バタン
 颯くんを追いかけて、診察室を後にした。

「あぁ……詩音ちゃんほしいなぁ」
「……先生、警察呼んでいいですか?」
「へっ!? ちょ、君それは厳しすぎるんじゃないか!?」
「じゃあ颯くん呼びましょうか?」
「……それもやだ」



 それから後の視力検査は難なく進み、私達は東眼科病院をあとにした。
「あーよかった、溶けなくて☆」
 るんるん気分で、眼鏡屋さんに向かう私と颯くん。
「……そりゃお前、たかがペンライトで眼球解けたらえらい惨事だよ」
 スキップしそうな私の隣で、颯くんは軽い溜め息。
「……でも、お母さんかなり本気で言ってたんだよ?」
「詩音は何でも多美子ちゃんの言う事信じすぎ」
「えー?」
「まぁ、詩音はそこが可愛いんだけど」
「……へっ!?」
 ぐるんっ
 な、なんてなんてなんて!?
 私、もしかしなくてもとっても恥ずかしいこと言われたんじゃ!?
 ものすごい勢いで、隣を向いたら。
 妖艶な笑みを浮かべた颯くんがいた。
「あ、あの……?」
「聞こえなかった? もう一度言おうか?」
「いっ、いやっ、いいですっ」
「へぇ? あ、そう。じゃあ続きは眼鏡が出来てから言うよ」
「……なんで、眼鏡が出来てから?」
「それはな」
 え、あの………
 颯くんは極限まで顔を近づけてつぶやいた。


「眼鏡出来てからのほうが、俺の顔がよく見えるだろ?」


「!」
 ボンッ
 一気に顔が赤くなる。
「わ、わわわ……」
「俺の表情までよく見えるほうが、お前も嬉しいだろ? どんな顔で俺が甘い言葉吐くか……見てみたくない?」
 か、かぁぁああああ
「詩音お前、首まで真っ赤だけど。可愛い」
「や、やめ……!」
 も、もう十分です……!
 十分言ってます、キザなこと……!
 あ、あれ?
 キザと甘いは違うんだっけ?


「あー、それ見てみたいかも。旦那の代わりにあんたが吐いてよ、颯」


 びくぅっ
 その時後ろから聞き慣れた声がした。
「なーんだ、多美子ちゃんいたの」
 おそるおそる振り向いた先には、ちょんまげにジャージというなんとも女の人らしくない格好をしたお母さんが、道の真ん中で仁王立ちしていたんだ。
 うわっ、びっくりした!
「何だはないでしょ、何だは。道端でイチャリングしてるあんたたちが悪いのよ」
「……イチャリングって何?」
「いちゃいちゃすんなって言ってんの! ま、詩音が可愛いからいいけどねー」
「うわ親ばか」
 ハァ
 颯くんが溜め息をつく。

 その横で、私は一つ、小さく深呼吸した。
 お母さんにはいつも言いたいこと言えずに泣き寝入りしていたけど……
 今回は、い、いい、言うんだ、詩音!
「お、お母さん! わ、私言いたい事があって!」
「ん? 言ってみな?」
「……ペンライト当てられても、目の玉溶けないって言われたよ! お母さんのうそつき!」
「………は?」
「……多美子ちゃんさ、眼科で詩音をからかったの覚えてない? ペンライト当てられると眼球溶けるとか、何とか」
「えー? そんなこと………あ!」
「……やっぱりからかったんだ」
「からかったからかった! でも、あれは詩音が小四の時だけど?」
「……え?」
「え、何、詩音あんたもしかして未だにメンタマ溶けるとか思ってたの!? ブフー、あんた馬鹿ねーっ、ひっ、ひぃーっ」
 あははははははっ
 お母さんは、弾けるように笑い出した。
「ちょ、お母さん! 笑いすぎーっ! 酷いよぉ!!!」
「あ、あは、あはははっ、お、おなか痛いーっ」
「もーっ、やめてぇ!」
「ね、ねぇ颯、あんたの彼女こんなのでいいの?」
「ちょ、ちょちょちょちょ、ちょっとお母さん!?」
 な、何てこと言い出すのよこの人!
 かっ
 顔が赤くなる。
 は、颯くん……
 隣の彼を見上げると。
「は? いいに決まってんだろ」
 ぐいっ
「わっ」
 颯くんはそう言って、勢い良く私を引き寄せた。
 ドキッ
 な、何、何何何!?
 これ以上真っ赤になりようがないってくらい、赤くなった頃。
「こんなに面白いおもちゃ、他にないだろ?」
 わしゃ
 颯くんはそう言って、私の頭をぐしゃぐしゃかき回した。
「! ちょ、ちょっともぅ! 二人とも!?」
 か、からかってたの!?
「あはは、やっぱ詩音可愛いよ」
「可愛いって……馬鹿にしないでぇーっ! 私のトキメキを返して!」
「はいはい、詩音ちゃん、お母さんの言うこと聞きましょうね。大人しく眼鏡屋さん行きましょう! 颯と御揃いの眼鏡買ってあげるよ」
「マジで? やった、詩音とお揃いだー。よかったなぁ、詩音?」
「もう、子供扱いしないで!」
 あはははは


 そして眼鏡屋さんに着くまでも、着いてからも、私は二人にからかわれ続けたのでした。
 ……もう、二人とも大ッ嫌い!

《了》


前項

作者/ことは