眼鏡屋




昭和30年代。
眼鏡は今と違い貴重品であった。
昔の眼鏡はガラスで出来ており、とてもデリケートな商品であった。もちろん今よりも高価であった。
また当時は眼鏡専門店はあまりなく、たいていは眼鏡・時計・宝石などの貴金属と一緒に販売していた。
今でも地方の小さい町に行けば「時計・眼鏡・宝石の何某堂」という看板を掲げた店を見つけるはずである。
まあ、今と違って視力の悪い人がそれほどいなく、デザインも単純なものが多い時代。眼鏡だけでは商売が成り立たないこともその要因であろう。

そんな貴重品な眼鏡だから庶民は大切にしていたという。
なにしろガラス製だったので割れたらそれでおしまいである。使わない時は必ず専用のケースに入れていたし、また人によっては本当に使う時でなければしまっていたものであった。
そういう時代だからまして子供は眼鏡を掛けている人は少なかったといえる。
確かに当時は今と違ってTVもない、ゲーム機もない、携帯電話もない、パソコンもない時代だったので日頃から目を酷使する機会がないことと、夜遅くまで屋外で遊ぶことが多かったので眼鏡が必要でない人のほうが多かった。
むしろ目を酷使するといったら暗い灯りの中で本を読んだり勉強したりする位である。(当時は電球のワット数が少なくどの部屋も今よりも暗いのが常であった)
だから当時の子供としたら、眼鏡を掛けること=頭がいいと短絡的に考えてしまうのであった。

とある町の眼鏡店。この店も眼鏡のほかに時計も扱っていた。
当時のことだから眼鏡を買うのはたいていは中年の人や高齢の人が中心であった。
そんなある日、この店に親子連れがやってきた。子供は見た目から小学生位の女の子だ。
店主は一瞬物珍しそうな顔つきだった。けどすぐに平静を取り戻し、
「いらっしゃいませ、何をお探しで。」と形式的な挨拶をした。
30代後半くらいの女性(女の子の母親)が「この子に合うような眼鏡はありますか?」と聞いてきた。
けどこの店には女の子向きのかわいい感じの眼鏡は売っていない。それ以前に子供用の眼鏡自体あまりなかった時代である。
眼鏡を掛けた子供が少なかったので、たいていの場合は大人用の眼鏡を少し小さくしたタイプでしか作られてなかったのである。
けどこのような業界の事情を知らない親子は店主が示した眼鏡には不満そうであった。
「もっとかわいいのが欲しい!」ぐずる女の子に大人二人はたじたじであった。けどないものは仕方ないのである。
最終的には泣き始めた女の子に何とか機嫌をとろうと、店主が赤い色で花柄の付いた眼鏡ケースをサービスに差し上げる始末であった。
そして「勉強する時だけこの眼鏡を取り出して使って、勉強し終わったらここにしまっておけば大丈夫だよ。」と必死に説得し、女の子は渋々ながら納得した様子であった。
親子が納得し店を後にした。店主は「何とか最後は機嫌をとってうまく片付いたけど・・・あの子も大変だな。」と何と無く複雑な気持ちになった。
それもそのはず、子供というものは他人とは違うちょっとした変化に敏感であり、同じクラスメイトがひとたび眼鏡を掛けるだけで「にわか秀才」というレッテルを貼ってしまわれるのである。
その子が女の子だったり気弱な子だったらなおさら好奇の矛先が眼鏡に集中し、いじめにまで発展するものである。
さらに大人のような地味なデザインの眼鏡ということもさらに拍車を掛けたのか、人前では眼鏡を掛ける子供が少なかったらしい。

時代は変わり日本もめまぐるしく発展しビジュアル媒体全盛の時代になると、大人はもちろん子供ですら視力が悪くなり、眼鏡やコンタクトレンズをする人が増えていった。
今となっては子供用の眼鏡も登場し、小さい子供の眼鏡姿も全く違和感を感じなくなった。
子供は元来元気に外で遊ぶのが仕事だったのであるが、これも時代の流れなのだろうか。

《了》


前項

作者/K.S