眼鏡戦隊・グラスレンジャー!




「アレルギー性結膜炎ですね。コンタクトは使用しないでください」
「はぁ?」


 橋場沙希(はしばさき)は朝から不機嫌だった。さっきから視界の隅をちらちらと横切るのはチョコレート色のフレームである。
 目障りだっつーの。
 そう悪態をつきながら開けた教室の扉の向こうに、友人の田口博美(たぐちひろみ)の姿が見えた。博美は沙希の姿をみとめると、あんぐりと口を開ける。その反応に沙希はますます不機嫌になった。
「さ、沙希。なにそれ?」
「何って、これが眼鏡以外のものにみえる?」
 ぷるぷると茶色い縁の眼鏡を指した博美の指が震えている。そして、一拍おいてから博美は、はじかれたように笑い出した。
「ださーっ! 超似合わないよ! どっかの学級委員みたいっ!」
「……うるさいなぁ」
 沙希は通学鞄を乱暴に机の上におくと椅子の上に腰掛けた。似合わないことは百も承知なのだ。しかし、病気が理由で医者にコンタクト使用をとめられたのだから仕方がない。沙希は友達の馬鹿笑いが聞こえないふりをした。
 沙希はおしゃれには人一倍気を使うタイプだ。最新の雑誌を読み漁り、いつも身に付けるのは流行最先端のものばかりで、色の抜いた髪はかなり明るめで長く、すらりと伸びる手足は朝夕続けているヨガの賜物である。それなのに今現在、自分の顔の中心に居座るガラスでできた物体は、沙希のお洒落度を大幅に下げたばかりか、博美のいったように沙希はまるでどこかの学級委員のようだ。
 あーあ。最低の気分。
 沙希はだらしなく机の上に頬杖をつきながらぼやいた。そんな時、チャイムが「残念賞!」とばかりに鳴いた。ホームルームの開始である。



 じろじろと視線が沙希に突き刺さる。沙希は眉をひくりとあげ、自分の茶色がかった眼鏡を指差した。
「あのさ、そんなにおかしい、コレ?」
「うん」
 うどんをすすりながら、博美はあっさりと沙希の問いを肯定する。
「だってさぁ、沙希はおっしゃれー! って感じの格好してるのに、眼鏡だけ浮いて見えるんだもん! 今の時代、断然コンタクトでしょー!」
 ここが食堂だと言う事も忘れたぐらいの大声で博美は叫んだ。
「あのね、そう言われても、私、これからこれかけて生活しなきゃなんだけど」
「まっ、ご・愁・傷・サ・マ! ——あ、あっくんからメールだ!」
 憎たらしく指をふっていた博美は携帯に飛びついた。博美の彼氏である篤からのメールのようだ。博美はおさき! と沙希を置き去りに学食を飛び出していった。友達の薄情さにぶつくさと文句を言いながらも、沙希は食器ののっているトレーを片付けようと立ち上がる。開け放しの扉をくぐり、教室へと戻ろうとした沙希の背中にかけられたのは無駄に雄雄しい声だった。
「おい! そこの女子生徒っ!」
「は?」
 ぶしつけな言葉に振り向いてみれば四人組が廊下に立ちつくし、沙希に対峙していた——それも妙なポージングで。
 まず中央にどどーんと腰に手を当てながら立っているのはネクタイの色から言って先輩。右隣にいる先輩その二は、なんだか四十五度で身体を斜めにし腕を組んでいる。その向かい側には哀愁を感じさせる背中を向けた長身の男子生徒が。そして端っこにはカレーパンをもしゃもしゃと頬張っている小太りの男がたっている。個性も体型もてんでばらばらの四人組は皆が眼鏡をみにつけていた。それも色は赤、青、黒、黄色とカラフルなことこの上ない。
 沙希がうさん臭いという表情をすれば、真ん中に立っていた男がぴしっと沙希に向かって指を突きつける。
「お前っ! 今、胡散臭そうだと思っただろう! わはは! このレッドアイズにかかれば、お前の心の中はお見通しだっ!」
 (電波だっっ!)
 高笑いをはじめた男に背を向けると沙希は一目散に逃げ出した。
「まてまてまてぃ! お前っ! 敵前逃亡かっ!? 背中に受ける傷は武士の恥なんだぞっ!」
「レッド。訳わからないと思いますよそれ。それに彼女はお前じゃなくて——橋場沙希。2年B組、結膜炎で今日から眼鏡を使用。趣味はオシャレとショッピング……うーんベタ過ぎて面白くないですね」
 ぎょっとして沙希は振り向いた。すると斜に構えていた男が青色をしたノートを覗き込んでつらつらとそれを読み上げているではないか。
「な、ななな、なんなのよあんた達! まさかストーカー!?」
「すとーかーらないよー。はむはむ」
 ぼろぼろとパンの食べかすを零しながら小太りの男が答えた。たらたらと汗をかきながらであるから非常に見苦しい。
「じゃあ、何よっ!」
「よくぞ聞いたなっっっ!」
 にやりとレッドと呼ばれた男が笑った。そして手を眼鏡に添えると男は声を張り上げる。
「この世の平和を守るため!」
「ついでに視力も守るため!」
「きょうも——はむはむ。僕らは頑張るよ!」
「眼鏡戦隊っっ!」
「「「グラスレンジャー!!!!」」」

 完璧なポージングを決めている四人を前に沙希は思った。
 
 あぁ、この人らアホなんだ。


 ——説明しよう!
 眼鏡戦隊・グラスレンジャーとは、熱血漢(ちょっと頭弱い)レッド・天道光(てんどうひかり)を筆頭に集まった眼鏡四人組である。沈着冷静(でもナルシスト入ってる)ブルーの吉川芳樹(きつかわよしき)、無口な(たったまま寝てる)ブラック・飯沢春樹(いいざわはるき)。そして食いしん坊(拾い食いが趣味)イエロー・星野勝(ほしのまさる)で構成されている。
 主な活動内容は不明だが、眼鏡をひとたび貶すような台詞を吐けば、ブルーの薀蓄とレッドの説教を受ける羽目になるぞ! 気をつけろ! 


「——眼鏡は中世において知識と教養の象徴だったんです。それゆえ聖人の肖像には、たとえ眼鏡発明以前の人物であっても、眼鏡がしばしば描き入れられた、というわけですね。その上、眼鏡は視力を矯正する目的を果たすと同時に、眼球を保護することもできるのです。あぁ、優れた先人の知恵! なんて素晴らしいものなんでしょう、この『MEGANE☆』ってものはっ! 橋場さんもそう思いませんか?」
「はぁ」
 正座して小一時間はたっただろうか、連中のアジトである第二準備室に拉致された沙希は延々と吉川ブルーの話を聞かされ続けていた。しかも話題はすべて眼鏡! 眼鏡の起源がイタリアというのは沙希にとってほんっとうにどうでもいい知識だった。流石に疲れて投げやりになってきた沙希が適当に相槌を打てば、吉川ブルーは満足そうに頷き続けようとする。そこに瞳をうるませた天道レッドがずずずいと身を乗り出してきた。
「お前にもようやく眼鏡の素晴らしさが解ったらしいな。俺は知っていた! お前はやればできる奴だって! ここに立派な眼鏡ウーマンを誕生させる事ができて、俺はっ! 俺はっ……くっっっ!」
 どんびきしている沙希を前に、天道レッドは目を腕で覆いながら、おいおいと漢泣きし始めた。
「レッドー。これたべるぅ? レッドの好きな眼鏡だよぉ?」
 星野イエローがドーナツを二個、目の前に重ねている。眼鏡のつもりなんだろうが、つまらないうえにわけがわからない。天道レッドは鼻水をすすりながらドーナツに視線を移した。
「馬鹿者ぉ! 眼鏡はかけるもので食べるものじゃないだろうっっ!」
「あーえー、そっかぁ。じゃあ、これはタイヤねぇ」
「それならよしっ!」
 いい顔で親指を立てている天道レッドを見つめる沙希の瞳は魚の腐った目のようであった。
「私、もう帰っていい?」
「あ、ちょっとまって」
 吉川ブルーがなにかをそっと沙希の手に握らせた。沙希が訝しげな視線を向けると、吉川ブルーは涼やかな笑みを浮かべた。
「これ、素敵な眼鏡レディへと転進した橋場さんへのプレゼントです」

 『眼鏡ふきシート・お徳用・40枚入り』
 ——どうしよう微妙に嬉しくない。


 一夜明けて、沙希は博美へ昨日の出来事を愚痴っていた。博美は興味がなさそうに、爪にピンク色のマニュキュアを塗っている。
「あーあの変態四人組ねぇ。沙希ってば凄いのに目付けられたね」
「……っていうか、悪く言ってたの博美じゃない。なんで私が」
「沙希さぁん!」
「げっ!」
 教室の扉から顔を除かせたのは星野イエローであった。だらだらと汗をたらしながら懸命に手を振っていたが、沙希は当然とばかりに聞こえてない振りをした。
「沙希さぁん! いっしょにごはんたべよ!」
「何を聞こえない振りしているんだっ! 耳が遠くなる年でもなかろうにっ! 俺はっ、お前がこちらを振り向くまでお前の名を呼び続ける事を誓うッッッ!」
「橋場さん、レッドはすっぽん並みにしつこいですから、言う事聞いたほうがいいですよ」
「……」
 居心地悪いにも程がある。
 沙希にはクラスメイトの視線が容赦なく突き刺さっていた。
「沙希、いってらっしゃ〜い!」
 博美の投げやりな一言に沙希はようやく席を立つ。
「……なんか用ですか?」
 もう容赦はしねぇとばかりに沙希は仁王立ちで四人組を睨みつけた。天道レッドは相変わらずの暑苦しさだし、吉川ブルーのおかまのようなポージングが癇に障る。星野イエローは名前に恥じることなくカレーパンを頬張っているし、沙希はこれまでブラックが声を発するのを聞いた記憶が無い事にようやく思い当たった。
「何か用か? どころではないっ! このたび、俺達はお前をグラスレンジャーの一員として迎える事を決定した!」
「はぁっっっ? 何勝手に決定してるのよ。誰がそんなもんなるって……」
「まだまだ未熟な事には変わりないが、昨日の眼鏡話にも音を上げず頑張ったお前は非常に見込みがあるっっっ! 眼鏡を愛し、眼鏡を慈しみ、眼鏡を讃え仕る、眼鏡レンジャーとしての素質がッッ!」
「ちょっと……」
 一人で盛り上がっている天道レッドに声をかけるが、完全にいっちゃっている彼には届きそうにも無かった。ぽん、と肩におかれた手の主に沙希が視線をうつせば、それは吉川ブルー。ちらりと沙希の眼鏡を見てから爽やかな笑みをひとつ。
「ヨロシクね、橋場ブラウン」
「っていうか、茶色っっ!?」
 ツッコミどころがずれていることにさえ、気付かないほど沙希は混乱していた。



「眼鏡トーク! うざっっっ!!!!!」
「うるさいよ。沙希」
 白い目で冷たい事を言った博美を見つめてみるも、博美は雑誌のダイエットコーナーにかじりついている。友達甲斐ないやつだ。
「まいにち、まいにち、まいにち、あのどぐされ変態どもに付きまとわれてっ! 眼鏡薀蓄を長々と聞かされてるのよっ! 気ぃ狂うわっ!」
「うわぁ、大変だねぇ。これでもう十日だっけ?」
 そう、もう十日がたっていた。
 あの眼鏡変態・グラスレンジャーたちの新隊員教育の熱の入りようは半端じゃなかった。天道レッドからはポージングの猛特訓をほぼ強制的に受けさせられ、吉川ブルーからは「古今東西、眼鏡の歴史」「眼鏡の加工技術」という本を微笑と共に渡された(捨てたら恥ずかしい秘密ばらしますと脅された)。星野イエローからは毎日のように、ドーナツが差し入れられたが、沙希は当然のように男子生徒へと横流ししていた。そして相変わらず飯沢ブラックは一言も喋らず。
 ほんっとうにあのひとたちわけわからない。
 博美はため息を付いていた沙希にちらりと視線を移す。
「でも、ほんっとうに眼鏡っていけてないよねぇ」
「あ、うん——そんなにダサいダサいって言う事ないじゃない。眼鏡は装飾品としての側面も持つんだから……」
 俯いてぼそぼそ言っている沙希を博美は怪訝そうに覗き込んだ。
「どしたの沙希?」
「……はっ、なんでもないわよっ!」
 沙希は眼鏡をフォローするような台詞を吐いた自分に愕然とする。声は混乱の余り裏返っていた。そんな沙希を影から見つめるストーカーが四人。

「……そうですよブラウン! 眼鏡は顔面の中でも目立つ場所にある目の周りに身に着けることから、眼鏡の装飾具としての可能性は高いのです! そのうえ、視力矯正としての役割も持つことから、ピアスと違って装飾しないように求められる事がまったくと言っていいほど無いッ! 一石二鳥のアイテムなのですよ! この『MEGANE☆』ってものはっ!」
「ブルー……はなしながいよぉ。もぐもぐ」
「イエロー、廊下にかりんとうを零すなと何度言ったらわかるのだっっ! ——ったく。しかしブラウンの教育はおおむね成功しているな! あとはポージングだけか……」
「まぁまぁ、レッド、それはおいおいやっていくということで」
「ねぇ、お腹すいたよぉ。帰りに駄菓子屋よっていっていい?」
「……」



 こうして、橋場ブラウンの洗脳作戦はちゃくちゃくと進んでいくのであった。

 頑張れ、グラスレンジャー!
 お前らが、悪の組織みたいだぞ、グラスレンジャー!
 っていうか、使命はどこへいったんだ、グラスレンジャー!

《了》


表紙 / 次項
作者 / 佐東汐