では無かった模様です。




 振り返った生徒――少年は、そのぶ厚い瓶底眼鏡の向こう側から、俺を冷めた眼で見ていた。
 その少年は俺よりも年は若そうだったが、胸の前で組んだ腕や、くっとひいた顎が威圧的で、どう考えても友好的な態度とはいえそうもない。そして、ださい眼鏡に気をとられていたが、よく観察してみると、少年はとても奇妙な制服を着ていた。
 俺の高校の制服は一律ブレザーだったはずだが、少年が身にまとっているのは古めかしい詰襟の学ランで、しかも、これまたアンティーク調のマントを羽織っている――確かに変わったやつだが、これが眼鏡の神様なのだろうか?

「厳密に言うと違うな」

 透き通った、しかし温度の低い声に思考をさえぎられて、俺はぎょっとした。
 まるで俺の心の声が聞こえたかのように、少年が返事をしたのだ。もしかして無意識に言葉を発していたのだろうか、とも思ったが、祥一の表情を見れば、その可能性は否定される。
「眼鏡の神様じゃないってんなら、お前は誰だよ」
「厳密には違うと言ったが、完全否定はしていない」
「だぁっ! 俺、そういう歯にモノが挟まったみてーないいかた、苦手なんだよ! 祥一、パス!」
 隣に立っていた祥一にいつものようにまるなげすると、祥一は一瞬たじろいだが、溜息をつくと諦めたように口を開く。よしよし、流石は俺のブレインだ。
「……急にとっつかまえて質問攻めして悪いけど、その掛けてる眼鏡、校舎の裏の社に飾ってるのだろ?」
 落ち着いた声で問いかけた祥一を見ていた少年は、ふんと鼻を鳴らした。
「――そうだ。そこの彼よりは、礼儀を弁えているようだな」
 その偉そうな物言いに俺は腹を立てたが、相手は文句を言う俺を蔑みの視線で一瞥する。
「まともな口の利き方も知らない若造の問いになんて、答える義理は無い」
 つん、とそっぽを向いた動作に明らかにお前のほうが幼稚だろ、と思ったが、その口調と年若な容姿は明らかに不釣合いだ。このままでは埒が明かないと思ったのか、祥一は彼には珍しく、ためらいがちに口を開いた。
「やっぱり、あの噂は本当だったんだな……この眼鏡には"なにか"がついてるって」
 俺はそんな話聞いたこと無いぞ、という意味をこめて祥一を見ると、祥一は、お前は信じないから話しても無駄だろ、と肩をすくめる。俺の性格を完璧に読みきった判断だが、仲間外れにされたみたいでなんだかむかつく。
 その"なにか"は確かな質量を伴って俺の目の前に存在していた。その少年が持つ雰囲気は清廉で、到底、幽霊やら化け物の類には見えないが、俺と祥一の食い入るような視線を受けて、少年はふっと皮肉をはらんだ笑みを浮かべる。

「――いいだろう。人の子ら、聞くといい」

 そうして、淡々と紡がれた昔話に、俺らはどっぷりと引き込まれてしまったのだ。



 少年はどうやらずっと昔から――それこそ俺の親父が生まれる遥か昔から――この高校に住み憑いていて、どうやら世間一般では座敷童子と呼ばれる存在らしい(俺は妖怪じゃねぇの? と聞いたがどうやら祥一曰く精霊的なものだということだ)。
 本人も、自分がいつから、そして、どうしてここに居るのかはっきりは覚えていないと言うことだったが、昔は普通に生徒に混じって学校生活を送っていた時もあったというのだから驚きだ。
 しかし、時代が流れるにつれて、少年を見ることの出来る人間は減っていった。
 そして、少年の存在が完璧に忘れられようとしたとき、少年は彼を見ることの出来る一人の生徒に出会ったのだ。
 野暮ったい眼鏡を掛けていた彼は、少年の退屈を紛らわせ、同時に少年も彼の良い相談相手になったが、その関係も永遠には続かない。彼は卒業しなければならなかったし、少年はここを離れることはできなかった。しかし、彼はこの高校を出て行くときに少年の為に自ら作った社を建て、その中に贈り物だと自分がずっと掛けていた眼鏡を置いていったのだ。
 ――また絶対に君に会いに来る、と彼は言ったが、少年は危惧した。
 若いころは少年の姿を見ることが出来た人間でも、年をとると自分の存在が見えなくなるからだ。
 だから、少年は約束する。もし、彼が少年のことが見えなくなったとしても、困っていたり、力になって欲しい時があったら、眼鏡を手にとれば絶対に助けてやると。
 彼ははにかみ、礼を言ったが――それは、少年が彼を見た最後の瞬間だった。



「それがどう伝わったか知らないが、私の姿を見えもしない愚かな人間の子らが、一方的に願い事を叶えて欲しいとやってくる――自分は口にした約束を守ることもせずにだ」
 守らなかったのはそいつだけで、俺たち関係ねーじゃん、とは思ったが、少年の荒んだ表情と、そういえば自分も願い事をしていたことを思いだし、賢く口をつぐむ。
「しかも、殆どは耳を傾けるに値しない実に利己的な願いごとばかり……人間の子は、かくもつまらなくなったものだな」
 軽蔑している、という態度を崩すことなく、少年は首を振った。
「なぁ、だけど、俺の願い事はなんで聞いてくれたんだ?」
 ぽつりと疑問に思ったことをこぼすと、少年は一瞬、言葉に詰まったように見えたが、直ぐに馬鹿にするような表情になる。
「勘違いしてくれたら困る。別に叶えた、といえるほどのことでもない――昔ならば清らかな心をもつ人間ならあたりまえに見えたのだからな。君は面白半分、興味本位で、しかも、最初から私の存在を疑って掛かっていたろう……それが腹に据えかねただけだ」
 あぁ、だから『気付かなかった君が悪い』ってことか。
 ぽん、と合点がいって拳をうつと、隣の祥一の視線が突き刺さった。
 言いたいことはよくわかるぜ、祥一。だが、俺は清らかな心を持つ人間だと言うほど厚顔無恥じゃあないぞ。
「まぁ、とりあえず、現れてくれて嬉しいよ。いいもん見れたし」
 俺の中で話が一段落してしまえば、急に時間が気になってきた。腕時計を見るに、もう授業は始まっているし、この時限はサボるしかないが、流石にこのまま渡り廊下にいるのも気詰まりだ。もう話のネタになりそうな情報はゲットしたし、眼鏡の神様の正体もはっきりすれば興味も失せる。
「お前、だからその態度は……」
「自ら呼び出しておいて、自分の気が済んだらさようなら、そんなに簡単にいくと思ってるのか」
 咎めるような祥一の声に被さって、少年が含みのある声で言った。どういう意味だよ、と俺が顔を上げると、少年の妙に冷たい目とかち合う。
「その昔、神と呼ばれる存在に願う時は、それなりの対価が必要だった、というが?」
 つまり、こいつは何かよこせといっているのか、と俺は話半ばで納得した。
 俺様のエアーリーディングスキル舐めんなってとこだな。しっかし、神様のくせに――じゃねぇけど、案外けちだなこいつ。
 しょーがねぇなぁ、と俺は制服のズボンに手をつっこんで、その指先に触れたなにかを引っ張り出す。そして、ぺったんこになったガム一枚を、少年にむかって突き出した。

「ほれ、これやるよ。ちょっと古いけど、まだ食えるだろ……それに、神様みてぇなもんなら腹だってくだすってこともねーだろ?」

 祥一は絶句し、少年のこめかみが不吉に蠢いたが、俺なりに最大の譲歩を示したつもりである。少年は、大きく息を吸い込んで、深呼吸を繰り返していたが――そういうとこは妙に人間らしい――再びこちらを見据えた少年の顔は能面のように無表情だった。

「私を呼びつけ、そしてその舐めきった態度は万死に値するが、その命、奪うほどの価値もない――光栄に思うといい。今日から君は僕(しもべ)として、私に誠心誠意仕えることを許してやろう」
「はぁー!? 意味わかんねぇ! 嫌に決まってんだろ、そんなん!」

 全力で抗議すると、何かが天から降ってきて、俺の足下数十センチのところで砕け散った。それをまじまじと観察すれば、それは大きなプランターで、あと少しでもずれていれば、俺の脳味噌はスイカのように割れていただろう。ぞっとしながら少年を見上げれば、冷え冷えとした表情で少年はせせら笑った。

「ならば、私を怒らせた代償として、その塵芥より軽い命をさっさと捧げろ。贄として即刻、ハラワタかっさばいて死ね」

 いやいやいや、普通にこえーし、選択肢、これっぽっちもなくねー?
 俺は助けを求めるように祥一を見たが、祥一は心底呆れたような目をしてこちらを見返している。
 まて、みなまで言うな、お前の言いたいことはよく解る――もしかしなくても、まるきり俺の自業自得ってやつか?

 そうして、俺は眼鏡の神様的なやつに憑かれてしまったわけなのだ――嗚呼、超可哀想な俺!

《続》


表紙 / 次項
作者 / 佐東 汐