とある眼鏡の半生




人間のような生物と違い、道具など非生物は寿命の概念が無いので、壊れない限り半永久的に使える事が出来る。
これは眼鏡にしても同じ事である。

……私は眼鏡フレーム。工場で大量生産されているので、品質は一定を保っている。日本一の眼鏡フレーム生産量を誇る福井県鯖江市出身のれっきとした本場生まれ・生粋のメイドインジャパンである。
眼鏡フレームは使用条件にもよるが多少の変色や変形があるが、破損する事はそれほど無い。そのため使用者の度が同じである限りなら何年も使用できる事ができる。

私はレンズ部分に普通のプラスチックをはめ込まれ、検査の後、晴れて【商品】として人間の前に出る事を認められた。
私は多数の同期と共に箱に詰められ、トラックに載せられた。何時間トラックで運ばれただろうか……。箱の中に入っているので外の様子は勿論見えない。
知らないうちに眠ってしまったみたいだ。
ふと気づくと綺麗な眼鏡店の中にいて仲間と一緒に陳列台に並んでいた。
(ここはどこだろう……)さすがに店内からだと、ここが日本のどこなのか分からない。
(とりあえず情報を集めないと……)と思い、店内に入る客を観察してみた。
しかし客の服装からでは何となくしか分らない。それもそのはず。私がここに来た時期が春なので服装は極端ではなく、この地域が暑いとか寒いとかの判断も付かない。しかも店内は空調が管理されているので外の気温も分らない。
やはり仲間もこの手の情報は分らないようで、あいまいな答えしか返ってこない。私たちは同じ眼鏡同士なら話が通ずるのである。
眼鏡屋なので新しく眼鏡を買う人よりも新しく買い換える人や2本目を希望する客が多い。
だから客も眼鏡をしている人が多く、そういう先輩から情報を少しずつ手に入れる事が出来た。少しずつ情報を集めた結果、ここが日本である事が分った。そして具体的には福島県の太平洋寄りの地域という事だ。そして周辺は人口がそう多くない地方の小さい町で、この店は国道沿いにあるショッピングモール内の眼鏡店だと。
ここまで情報が揃った時点で、
「ショッピングモールって何?」と隣の仲間に質問した。
すると色々な答えが返って来た。
「一箇所の敷地内にスーパーマーケットやファッションセンター、ホームセンター、更には書店やレストランなどを揃えた大型ショッピングセンターだ」
「要するにここに行けば衣食住一通り揃えられ、なおかつ一日中過ごせる場所かな」
「車でここに来る人が多く、地域住民にとって大切な買い物施設」
「この地域に一箇所しか無い大型商店」
私は何となく分ってきた。要するにここは大型のショッピングセンターで、この地域には大型店舗はここしか無い、と言う事だ。とするとこの辺は私が生まれてきた工場地帯でもなければ住宅地でも都会でも無い、ごくありふれた田舎なのだ。
となると自然はたくさんあるし、住民も温和な人が多いのだろう。そう感じた。

この町で一軒の眼鏡屋と言う事なので、地元にとってなくてはならない店である。しかも私達の眼鏡は比較的安い値段で売られているため、ペースは遅いものの確実に売られていく。私もこの眼鏡屋に来て3ヵ月後、近くに住む40代の男性が私を選んでくれた。
早速店員が、始めから付いてたプラスチックを外し、代わりに客の度数に合ったレンズをはめ込んだ。レンズが入った眼鏡を店員から受け取ると早速その男性は眼鏡をかけて嬉しそうに店から出た。その時点で客の男性は私にとってのご主人様に昇格した。
(これからはご主人様の視覚を支援する事を誓い、ご主人様にお役に立ちたい)私はそう思った。
私にとって初めての下界だ。私がいた眼鏡屋はどうやら大きなショッピングセンター内のワンフロアで、通路を挟んで色々な店が建物の中に入っている。私は生まれて初めて見る、いろいろな店を眺めた。私は〔見る〕能力に長けているのでフレーム全体から情報が入ってくる。どうやらこのショッピングセンターは最近オープンしたばかりのようでまだ新しい。
ご主人様はショッピングセンターから出た。広い駐車場が見え、その遥か先には緑色の山並が見える。
(ここはなんて自然が美しいのだろう)外気に触れた第一印象だ。ご主人様は自転車で自宅へと向かう。ショッピングセンターを離れると辺りは山と田んぼが広がる田園風景に変わった。(本当にいい所に来た)そう思った。

それから三ヶ月。私もこの地域の事が大体分ってきた。綺麗な海と山に挟まれた狭い平地に農地があり、ぽつぽつと民家が建っている、日本のありふれた田園地帯だ。ご主人様は農業を営んでるのでたいていは家の近くの田んぼや畑で作業をしている。時折自転車で以前私がいたショッピングセンターや海岸沿いの道を進んだ所にある病院や駅を行ききしている。それほど多く無いので、時折私の同期や先輩にすれ違う事もある。その折々に仲間にテレパシーで近況を伝え合っている。他の仲間もこの地域に来て良かったというものや、刺激が足りないとほざくものもいて様々だ。中には眼鏡を買われた客によっては眼鏡を粗雑に扱われ、生傷が絶えないものもあったが、【物】である以上不平不満も漏らす事が出来ず耐え忍んでいるらしい。まあこう言った事は多かれ少なかれ人間での生活の上で起こりうるものなので仕方ないのであるが。

ご主人様と共に生活を送るようになって早くも2年経った。時代の流れは早いけれど、私の身体はさほど変化しない。私を選んでくれたご主人様が優しそうな人だからと言う事もあってか、若者のように乱暴な扱いをしてくれなかったし、使わない時はきちんと寝床(眼鏡ケース)に入れてくれた。つまり私を労わってくれる使い方をしてくれたのだ。まあ2年と言う時の流れによって生じた小さい傷や汚れ(経年劣化)はしょうがないけれど。
それからまた1年過ぎた。私のような道具にはいくら時間が進んでも自身の不調を来たすことはよほどの突発的事故が無い限り余り無いが、人間の場合は年齢を重ねるにつれ所々不調な箇所が出てきて当然である。ご主人様も人間である以上こういった現象は起こるもので、50歳の壁を越したあたりで体の不調を訴え始めている。私の仕事に関わる【目】も然りで、老眼になってきているのだ。そうなっていると眼鏡も老眼に対応した物で無いと、かえって視力を悪くする事はもちろん、眼の疾病の発生にもなり兼ねない。
ご主人様も老眼をはっきり自覚するようになり、ある日電車に乗って隣町の眼科に行き診察を受けた。医師の指導により、老眼なので適した老眼鏡をかけるように言われたので、その帰りの足で眼鏡屋に向かった。
私にとって3年ぶりの眼鏡屋だ。新顔をたくさん見る中、いまだに売れていない同期の姿もちらほらあった。そしてご主人様は新たに老眼鏡を買う事にした。
私の役目はこの瞬間に終わった。新しい老眼鏡をかけたご主人様を見て、私の後釜である後輩の老眼鏡にご主人様の未来を託すしかなかった。
私が用無しになったご主人様は、私を家に持ち帰ってくれなかった。
個人的に眼鏡ケースに入れられたままずっとご主人様の家の片隅でひっそりと余生を過ごすのかな、と思っていた。
しかし物を大切にするご主人様の考えで、私をリサイクルして眼鏡を必要として居る方々に差し上げようと考えたのであった。
ある意味私にとってのふるさとである眼鏡屋のカウンターに大切に置かれた私は、今まで3年間大切に使ってくれたご主人様の姿を十分に脳裏に焼き付けた。そしてご主人様は眼鏡屋を後にした。私にとって惜別の思いがしたのは言うまでも無い。
この眼鏡屋は販売やアフターサービスの他にリサイクル事業に賛同していて、世界の発展途上国で眼鏡を必要としている人々に不要となった眼鏡を回収し団体に寄付しているそうだ。その中の一つとして私も第二の人生を送る事になった。
眼鏡屋の奥の部屋に、すでにリサイクル眼鏡として寄付するために保管している棚がある。良く見ると私のようにまだまだ現役で十分働ける仲間がたくさんいる。そしてその中に私と同期もいくつかいた。
「お久しぶり」
「こんなところでまた逢えるなんて……」それは私がこの眼鏡屋に来た当初、ここがどんな所なのか質問した同期であった。私が売れる少し前に別れてから一度も音沙汰がなかっただけに嬉しさもひとしおだ。
「どうやら僕たちは東南アジアの人々のために再び使われるみたいだよ」
(東南アジアか……)ご主人様と一緒に過ごしていた時、何回か東南アジアに関するテレビ番組を見た事があるが、日本よりも自然豊かで活気がある国らしい。
私はまだ見ぬ異国の地で再び活躍する日を想った。
一ヵ月後。私たちは全体を消毒され部品を交換し磨きをかけてもらった後、東京のボランティア団体に引き渡された。この団体の職員も今までずっと一緒だったご主人様のように優しそうな人だった。東京に運ばれ彼らによって選別梱包された。
その結果晴れて私は東南アジアの国・ベトナムへ行く事になった。
私の他に10個の仲間と一緒に箱に入れられ国際線の飛行機の貨物コンテナに入れられた。
さあ、メイドインジャパンの私も異国の地のタイで再び活躍する時が地がづいてきた。
定刻どおり成田空港を離陸した。
(私の第二の人生もきっと素晴らしいものになるに違いない)と思った。
ベトナムでの第二の人生の報告はまた別の機会という事で……。

《了》


前項
作者 / K.S

参考サイト
鯖江メガネファクトリー
老眼予防と回復
ライオンズクラブ・メガネリサイクル