カメレオン・グラス




 彼はまるで、無色透明のカメレオンだ。


 窓際から二列目、後ろから数えて三番目の席。彼の定位置はいつもそこ。
 体育祭実行委員の集まりがある度に、気づくと彼はいつもその席にいる。高等部一年の学年色である濃紺のネクタイをしているからきっと今年の新入生だろう。
 細いフレームの縁なし眼鏡をかけた、まだあどけない顔立ち。すっきりとした襟足はどことなく色気があるけれど、でもそれだけ。
 ”どこにでもいそうな”いたって普通の少年それが彼だ。

 その彼がなぜよく目にとまるようになったのか。原因はきっとあれに違いない。
 いまだ発展途上のさほどごつくもない手が伸びて、眼鏡のフレームに触れる。無造作に眼鏡を外して机の上に置きそのまま窓の外へと横顔を向けた。その姿がとても絵になった。
 その様子が一度目についてから目が離せなくなってしまった。そこからヤボな興味がどんどんと沸いてきて、今では彼は私のお気に入りの観察対象である。



「透子先輩?」
 委員会終わってますよ。そう呼ばれてその声にハッと我に返る。
 顔を上げれば観察対象の彼―――高谷翔(たかやしょう)が真上から私を覗き込んでいた。……って、びっくりするじゃないのよ。
「ちょ、もう。その真上から覗き込むくせ止めてよね」
「だって、びっくりしてくれるのが面白いし。それに透子先輩の頭の形ってきれいだから見てて飽きないんだよね」
 そっちが慣れてよと少年は無邪気に笑う。今年三年の私より二学年も年下のくせに、翔の態度はとても自然だ。敬語と丁寧語とタメ口を併せたような言葉使い。でも口調がキツくないせいかちっとも気にならない。
 少し馴れ馴れしいんじゃないの、そう思わないではないのだが、こっちも観察対象にしていることを知られているのでソレはソレ、お相子というものだ。
「今日はもう予定ない? じゃあ一緒に帰ろうか」
「おーけー、トオコさん」
 翔がふざけてトオコさんと呼んで、レンズ越しにニコッと笑った。
 何が面白いのか翔はよく笑う。
 彼はいつも私を透子先輩と呼ぶが、たまに面白がって“トオコさん”と呼ぶときがある。ただの気まぐれに付き合うのも面倒なので呼ばれてもほっといているけれど。
 “トオコさん”と呼ぶとき、決まって彼はニコッと笑う。
 ……何が楽しいのかは不明だ。一度聞いてみたことはあるが理解が及ばなかった。つまるところ彼の笑いのツボってことらしい。
 彼は少し、いや結構、知り合ってみれば変わった少年だった。
 実行委員会が終われば放課後の教室に用はない。翔と連れ立ってそのまま学校を後にした。



「ねえその眼鏡、ずいぶんレンズ薄いけどさ、度は入ってるんでしょう。でも視力って確か悪くないよね。前に眼鏡してなかったとき普通に見えてたじゃない?」
「んー、ごく薄っすら入ってるよ。眼鏡かけたほうが視界がくっきり視えて便利だから」
「顔に物のっけてるほうが不便!」
 眼鏡なんか無くったってすっきり良好な視界のくせに。そりゃ便利アイテムだし、必要ないとは言いませんがね。わざわざするのはムダじゃないかと。
「その躊躇しない言い方が、ほんと透子先輩だよね」
 たまらずと翔が笑い声をあげる。何ともまあ愉快そうな様子だこと、どこにツボったのか説明くらいしなさいっての。ちょっとムカつくわ――。
「でもほら、眼鏡かけてると色々とお得でしょ。それに周りに馴染むっていうか、意識されなくなるのって楽じゃない」
「へえ」
「ついでに真面目な秀才オプションも付いてきて、カッコもつくというか」
「ほう」
 無愛想な私の受け答えにも翔はにこにこと笑う。その様子はいたって人畜無害。
 薄いレンズで擬態するまるでカメレオン。一癖も二癖もついでに毒だってトゲだってあるくせに、すっと溶け込んで周囲と見分けがつかなくなる。なんと変わった特技だろうか。


「透子先輩には、メガネなんてかけてほしくないけどね」
「へ?」


「こっちの話、聞き返しちゃだめだよトオコさん」
「はあ? なによそれ……」
 や、まあ、バッチリ聞こえたわけなんですが。……きっと翔は言葉の意味を聞き返しちゃだめだよと言っているんだろうなぁ、と思うので黙っておく。

 ――頬、赤くなってないわよね。

 まったくこれだから天然カメレオンには困ってしまう。自由自在に色を変える少年は、しかもわかってやっているのだから性質が悪い。
 隣をチラ見すれば、涼しい顔した翔がまるで気にする様子もないのだから……拍子抜けするなと言うのが無理というものだ。

「ホント、飽きない観察対象よね」
「そうかな?」
「そうよー。興味なんて尽きないかんじ」
「そんなこと言うのって、透子先輩だけなんだけどな」
 翔が可笑しそうにクスクスと笑った。
 ああほら。また色が変わる。


 彼は無色透明のカメレオン。果たして本当に人畜無害であるのか、それとも擬態であるのか。趣味となってしまった観察はまだまだ続きそうである。

《了》


前項
作者 / 日向 逢

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