ゆがむしかい




 え、なぁに。この写真のこと? 美人でしょう? その真ん中にいるのは私よ。なによ、その目。私以外に、こんな美人いるはずないでしょ。今は、そりゃあ、ちょっとだけ歳はとったけどね。だから、その目はなによ。失礼しちゃうわね。まぁ変わっても仕方ないわよね。なによ五十年くらい前の写真なんだし。そうよ、だからモノクロなんじゃない。私、カラーの写真も好きよ。けど、モノクロの写真はそれで味があっていいでしょう?
 ああ、右にいるのは、私の良人よ。この頃は恋人だったけどね。そうよ、学生のときから恋人だったの。親には内緒よ。まだまだ手を繋ぐのだって恥ずかしいって考えられていたときだったからね。私と彼はよく手を繋いだわよ。ああん、手を繋いだだけじゃあ、妊娠しないわねぇっていうのが私のはじめての感想だったわね。やぁね、なによ、その目は。え、左にいる人。嗚呼、彼は修一郎さんね。
 私たち三人は幼馴染だったのよ。とっても仲がよかったわ。といっても、修一郎さんと祐二さん、私の未来の良人ね、この人は私よりも一つ上よ。だからかしら、とても憧れていたわ。三人になにかあったかって、そりゃあ、いろいろね。
 そうね、あなたと私の中だし、すべて話してもいいかもね。本当は墓場まで持っていくつもりだったけど、絶対に内緒にしてくれるでしょ、あなたなら。それに……一人で抱えるには私は歳をとりすぎたし。
 そうね、場所を移しましょう。あそこがいいわ。ほら、私の大好きな窓辺。太陽の日差しがはいってきらきらはいってあたたかくて、ソファはいつもふかふかよ。ほら、見つからないようにね。あの子たちに見つかると煩いじゃない? 私の誕生日って、自分たちが楽しんじゃってさ、だから私は抜け出すの。主役不在の誕生日なんてのもオツよね。

 よっこいしょ、ふぅ。
 ああ、どこまて話したっけ? ああ、そうね。修一郎さんはね、祐二さんが好きだったの。あら、なぁによ、その顔。ぶっさいくよ。そんなのだからもてないのよ。ふふ。私はもてもてだったわよ、このときからね。
 修一郎さんが、どうして祐二さんのことが好きだったのかわかったかって? 見たのよ。三人で遊んでいたとき……今見たいのじゃないよ。私の家で、三人で私の父が買った洋書を見ていたの。あの頃、祐二さんも修一郎さんもそういうものに夢中だったの。私の洋風かぶれは、あの二人のせいね。
私が紅茶を持ってくるというのに、祐二さんはトイレに行くと言ったの。それでね、私は部屋に戻ったの。そしたら、部屋の中で修一郎さんが祐二さんの服の上着にキスを落としていたの。顔を埋めてそっと落すキスに私は目を丸めたわ。修一郎さんも、私の視線に気がついたのね。驚いた顔をして慌てて祐二さんの上着をソファに置いて、震えていたわ。
「お願いだから、このことは言わないでくれ」
「修一郎さん、あなた」
「頼むから」
 言われてしまうと私は何もいえなくなったわ。そうこうしていると祐二さんが帰ってきてね、私たちは何もなかったように振舞うしかなかったわ。だって、そのころは私は祐二さんと付き合っていたし、修一郎さんは祐二さんの親友だったんだもの。私たちは、互いに協力するしかなかったのよ。
 だって、こんなこと知れてしまったら大変じゃないの。
 私はね、そう、ずるい女だったのね、あの頃、魔性が備わっていたわけよ。だって、二人ともすきだったの。そうね、泣きたくなるくらいに、私は修一郎さんと祐二さんの二人がいるのが好きだった。そして、それを壊してしまう自分がいやだった。なにより秘密を互いに作ると親密になるものね。私は怖がりながらも修一郎さんと向き合って、秘密にするから、あなたの祐二さんを私に少しだけちょうだいとお願いしたの。私はね、修一郎さんしか知らない祐二さんの表情とか言葉とか、男同士の秘密を知りたかったの。かわりに私は男女の秘密を修一郎さんに教えてあげたわ。
 図書館とか、私たちはいつも二人で会って、祐二さんのことばかり話したわ。
「ねぇ、シュウちゃん、あなたは、男が好きなの?」
「綾子は不躾だな」
「あら、いけない?」
「嫁の貰い手がなくなってしまうよ」
「大丈夫。ユウちゃんが貰ってくれるから」
「はん、なんて傲慢な女だ。祐二に言いつけてやる……そうだな、ほら、あそこの子、可愛いじゃないか」
「まぁ、確かに」
「けどね、祐二のほうが可愛い」
「まぁ、確かに」
 私たちは、よくふざけてそんなこと言っては笑いあっていたわ。
 思えば、修一郎さんは心が広い人だったから、私の不躾な問いもすべて笑って許してくれる人だったのよ。
 けど、そうして修一郎さんとばかりいるせいか、祐二さんが焼餅を妬いてしまったのよ。
「綾子さん、最近修一郎さんとばかりですが、僕はつまらない男ですか」
「なによ、突然」
「あなたは修一郎さんといるときはいつも笑顔だ」
「そんなことないですよ」
「そんなこと、ありますよ……僕は、綾子さん、あなたが好きですよ」
 そっと手をとって祐二さんは言ってくれたわ。
 私は嬉しかった。けど、同時に胸がひどく痛くなったわ。祐二さんにはどうあっても修一郎さんは同性以外のものではないのよ。
 修一郎さんがどれだけ焦がれてもね。
 私は、あのころ修一郎さんの見た祐二さんに恋をしていたのよ。実物の祐二さんも素敵よ。けどね、修一郎さんの語る祐二さんはいつもきらきらしていた。私もいつもきらきらしているように見ていた。けど、修一郎さんはに叶わなかった。
 図書館で修一郎さんはね、本を読むふりをしていつも私と話していた。話すとき、ふっとね、唇に触れるの。
「笑った顔は無邪気で、怒った顔は真剣で、我慢する顔は大人びた色気があって、唇がそう、ときどき舌で嘗めているのはたまらなく、きれいなんだ。あれは癖だけどね、可愛いね、祐二は」
 祐二さんの真似ね。自分の下唇をなぞって、ぺろりと嘗めるの。
「……本当に好きなのね」
「そうだよ、綾子」
「私のこと嫌い?」
「……」
「教えて、ねぇ」
「教えない」
 下から視線を向けられて、どきりとしたわ。色ぽい流し目だった。それで口元だけ笑っていて、目だけは真剣で。
 私は、あのとき、本当にどっちが好きだったのかしらね。
 そうして一年が過ぎたとき、修一郎さんね、目の中に異変を感じるようになったの。私は心配して、すぐにお医者様に連れていったわ。そうしたら、なんとかという病気でね、修一郎さんの目は見えなくなるというの。私はその話聞いたとき、ヒステリックに叫びたかった。叫べなかったの。そんなことも忘れてただ呆然としていたの。けど、不思議ね、気がついたら私、病院のベッドに寝ていたのよ。
 総一郎さんが
「叫んで、泣いて、暴れて、鎮静剤をうたれんだよ」
 って
 どうして笑えるの? そんな風に笑っている暇なんてあなたにはないでしょうって。詰ったわ。詰って、また泣いたわ。あなたの視界は消えてしまうのよ。ねぇどうしてそんなにも平気な顔をして笑えるの。
 そうしたら修一郎さん、笑って
「綾子がそんな風に泣いてくれるから、平気だよ。俺は」
 笑ったあと、とたんに泣き出して、ぎゅううと、初めてだった。そんな風に抱きしめられるのは。本当に窒息してしまいそうなほどにぎゅうううっと抱きしめられて二人で泣いたわ。だって、修一郎さん、もうすぐ二十歳くらいなのよ。その前には目を失うというのよ。神様は理不尽だと私はどれだけ神様ってものを憎んだかしらね。
 二人でさんざん泣いたあと、これは祐二さんにだけは言わないでおこうって二人で決めたの。祐二さんね、そのころ大学の受験で忙しかったから。修一郎さんはどんなときも祐二さんのことを考えていたのよ。それから修一郎さんが祐二さんと二人きりでいられるように私はいつも一歩後ろを歩いてたわね。これって同情なかしらって考えたわ。そうね、そういうのを修一郎さんはすぐに見抜いて。
 同情は嫌いだといい捨てられてしまったわ。あんなにも怒った修一郎さんははじめてだったかも。
 木枯らしの日だった。
 祐二さんから呼び出されたのよ
「今度、ロンドンに行くんだ。そこで学ぶんだ」
「そう」
「一年か、二年か、少しの間、帰れない」
「祐二さん、それでいいの」
「綾子は僕のことを待っていてくれないかい?」
「いいえ。待つわ。待つけど」
 修一郎さんは、そのころ目が見えないのよ。
 とは言えなかった。約束だものね。
私だって可憐に悩む女の子の時代があったのよ。そのすこしして修一郎さんの目は完全に見えなくなってしまったわ。そう、冬の降る日だった。胸騒ぎがしていたの、窓をこっつん、こっつん叩く小石が当たるのに慌てて外に出たわ。そうしたら修一郎さんがいてね
 二人で少しだけ歩いたの。庭の中よ。私の家の庭、大きいからね。
「綾子、前に君のことが嫌いかと尋ねたね」
「ええ」
「嫌いだよ」
「シュウちゃん」
 私はね、そのとき何か悟ったみたいに泣きながら修一郎さんにしがみついたわ
「シュウちゃん、いやよ。いや、ねぇ、私ね、あなたを絶対に一人にしないから。なにがあっても、独りぼっちになんてさせないからね! だって、あなたがいて祐二さんはいろいろなことを真っ直ぐ似見えてる、支えられて、だからね、だから、そんなこと言わないで」
「綾子、ありがとう」
 笑っていたわ。
 最後まで。
 そのときね、目が見えなくなったの。視界が歪んでゆくけども、大丈夫、一人ぼっちじゃない。だって私がいるものね。
 祐二さんは私のことなんてほったらかしてロンドンに留学するし、修一郎さんは目が見えないから私は付き添いつづけたわ。それから二年ね、戻ってきた祐二さんが眼鏡をくれたの。留学いると言っていた日と同じ道で、金色の棒のついたやつで、そうよ、私の愛用のあの眼鏡よ
「この眼鏡の似合う女性になってください」
「……私が目が悪いの知っているの?」
「修一郎さんに付き合っていりゃあ、目が悪くなるよ」
「ゆうちゃん……祐二さん」
「君たちのこと俺が知らなかったと思っているのかい。……この広い世界で、二人ぼっちになんてさせないよ。世界は、うんと広いんだよ……結婚してほしい。君も、修一郎さんも二人ぼっちになんてさせないよ」
 いい男だったわ。私はね、祐二さん以上のいい男なんて知らないわね。だから結婚したんだけどね。私たち。修一郎さんは女中の一人と結婚したし。けど、そのあと、祐二さんも死んで、修一郎さんも死んで、私だけ生き残るなんてね。女は本当にしぶといわね。
「綾子さん、あれ、あなたは、こんにちは。二人でいなくなるから探しましたよ……二人で内緒話ですか?」
「あら、シュウちゃん。かわいいでしょう。修一郎さんの孫なのよ。ちょっとだけ似てるでしょ」
「じぃさんの話をしていたんですか」
「そうそう、いい男だったて話よ」
「あやこちゃま」
「あら、うるさいのがまたきた」
「あ、こんにちは! え、ああ、これですか。最近、眼鏡なんですよ。あ、ほら、ケーキあるんだよ。食べたいよ。二人がいないから、食べられないよ」
「やれやれ、仕方ないわね。行きましょうか」

《了》


前項
作者 / カホリ