たかが眼鏡、されど眼鏡




「おはようございます……」
 ぐったりと肩を落として井上 優貴(いのうえ ゆうき)はオフィスに着いた。実年齢二十五才より若く見られるのを気にしている優貴は色の白い優しい顔立ちをしている。染めているわけではない自然な茶色掛かった髪、瞳も茶目で、美少年が年とともに若干太りましたといった感じだった。目が悪いので眼鏡をかけているのだが、その眼鏡が野暮ったいというか、おじいさんがかけてもおかしくない黒い縁の眼鏡だった。そのせいでイジラレキャラになってしまうのを本人は気づいていなかった。
「おはようございます。井上さんが私より遅いの珍しいですね」
 桜井 薫子(さくらい ゆきこ)は優貴の異変に気がついた。
「あれ? 井上さん眼鏡は?」
「さっき、壊れてしまいました」
「壊れたというと?」
「ラッシュで眼鏡が飛んでいって、レンズが割れて、フレームは曲がってしまいました」
 光景を頭に浮かべたのか薫子は身震いをした。
「それで見えるんですか?」
「あんまり見えないですね」



 早朝会議があったらしい藤崎 圭(ふじさき けい)が戻ってきた。
「井上、眼鏡どうした?」
「壊れました」
「裸眼だとほとんど見えないって言ってたよな? コンタクトレンズなんて使わないだろうから、見えてるのか?」
「いえ、全然見えません」
 優貴の自信溢れる言い方に、薫子が隣の優貴の顔をまじまじと見つめていた。圭は呆れて眉を吊り上げた。
「仕事になんないな。俺の知り合いに眼鏡屋がいるから、これから行け。大至急で仕上げてくれるように頼んでやる」
 優貴は顔を顰めた。
「でも、勤務時間中ですよ」
「見えなくて仕事にならないんだから同じだ。さっさと行って作ってこい。それから仕事した方が効率がいい」
「でも……」
「上司の命令だ」
「はい……」
 そう言われれば優貴は大人しく従うしかない。圭は駄目押しに一言付け加えた。
「危なっかしいから、タクシーで行けよ。ああ、桜井さん、悪いけどタクシー呼んでやってくれる?」
 タクシーに乗って眼鏡屋に行くことになるなんて……。でも、見えないと階段から落ちたり、危険なんだよな……と優貴は思った。



 店の眼の前でタクシーを降りた。
「いらっしゃいませ」
 ダンディーなチョイ悪オヤジ風の店主が迎えてくれた。
「藤崎さんの紹介できたのですが」
「ああ、圭ちゃんから聞いてるよ」
 圭ちゃんって呼ばれているんだと優貴は顔を引き攣らせた。
「超特急でお願いします」
「はいはい、先に視力測らせてもらえる?」
 奥の部屋で自動で視力を測り、こうすると見え方はどう? などと色々聞かれて検査用の眼鏡にレンズが挿された。それからさらに細かい検査を受けた。
「見え方は、こんな感じでどうかな? 色んなところ見てみて」
「いい感じです」
「これ以上見えるようにすると疲れるからね。それじゃ、フレームを選ぼうか」
 店内に戻ると店主は優貴にフレームを手渡した。
「僕のお奨めは、これだね」
 細めの黒のフレームでレンズ部分も小さい。なんとかというタレントが掛けてるやつに似てると優貴は思いながらかけた。
「いいじゃない」
「似合ってますか?」
 優貴は自分のセンスに自信を持てないので、似合うと言われればそれでいいと思った。
「いいよ、絶対」
「じゃ、これにします」
「ちょっと待っててね。その辺の本を読んでいいからね」
 三十分くらい待っただろうか?
「できたよ」
 優貴は店主に渡された眼鏡を掛けて鏡を覗いた。別人のようだと優貴は思った。
「どう?」
 店主が探るような目でみていた。
「自分じゃないみたいですね。カッコ良過ぎですね」
「はは、いいじゃない。カッコ良くいこうよ!」
 まじまじと店主を見ると、チョイ悪オヤジ風なんかじゃなくて、韓国の俳優、誰だっけ? 名前を思い出せないけど、のような優しい風貌の人だった。多分、藤崎さんと同じ年なんだよな。優貴は礼を言った。
「無理を言ってすいませんでした。とっても助かりました」
「圭ちゃんの部下なんだよね……見た目厳しそうだけど、悪いやつじゃないから、よろしくね」
「藤崎さんは、いい人だと思ってます」
「そう? 嬉しいから、従業員割引にしてあげるね」



 帰りは問題ないので電車で戻った。
「只今戻りました」
 薫子は顔を上げて目を見開いた。
「井上さん、かっこいい!」
「そうですか?」
 優貴は照れくさそうな困った顔をした。圭は妖しげな笑みを浮かべた。
「眼鏡一つでこうも変わるんだな。井上、ついでにダイエットしたらどうだ?」
 やっぱり藤崎さんだ。簡単には褒めてくれないと優貴は苦笑いした。

《了》


表紙
作者 / 音和 奏