訴因は眼鏡




 もしかしたら眼鏡を掛けない人は知らないのだろうか。
 度数が高くなればなるほどレンズは高くつく。非球面だとか、極薄加工だとかしているうちにどんどん高くなる。しかも度数が高過ぎてもう在庫なし、特注扱いになることすらあるのだ。
 さて、僕の眼鏡は特注品だ。
 あまりに悪過ぎる眼球の所為だ。
 コンタクトレンズは邪道だ。というより好き好んで目に異物を入れる神経が分からない。だから僕は一貫して眼鏡だ。しかし医者にもコンタクトに換えろと言われているのでそろそろ別れの時かもしれない。
 そう、確かに別れの時を迎えつつあるのだ。
 しかし、決してこんな形ではないと僕は主張する。
 青みがかった銀色のフレームの、愛用の眼鏡が無残にひしゃげている。レンズには罅が入っている。
 僕は力任せにフレームを元に戻し(歪に過ぎるが)、それから掛けた。

 そして僕は、踊り場に屯するクソとボケに出来得る限りの冷静な口調で語りかけた。
 

 一分後、乱闘になった。



「つまり田代が君にぶつかって、眼鏡が落ちて、それを沖沼が踏んだ、と?」
「その通りです」
「そして喧嘩になったと」
「まさしくその通りです」
 生活指導担当の先生は深々と溜息を吐く。
「もうちょっと穏便なやり方はなかったのか…?」
「正当防衛ですよ?踊り場で、しかも彼らは複数です。囲まれましたし、逃げ道なんてありませんから逃げることは不可能ですし、まぁ殴りかかる素振りを見せられたからには窮鼠たる僕は猫を噛むしかなくなったわけです」
 逃げられるなら逃げなければならない。逃げられない状況であること、が正当防衛の要件だ、と法律を齧った兄に聞かされた。それから僕の正当防衛の認識は上がった。
 田代は気絶、沖沼は骨の一本でも折れているだろう。階段から叩き落としたのだし。一応重篤な、後遺症が残るような面倒なコトは御免なので、頭から落ちないようには配慮した。他の連中にしても全治一週間ぐらいだろう。そもそも田代と沖沼にだけ用があったというのに手を出してくる彼らが悪い。全く、タイマン勝負は全ての勝負における至高のものだ。聖域だ。一対多など溝の鼠にでもやる餌だ。…あぁ、彼らは溝の鼠だったんだ…僕の失策だ、過大評価だった。
「…榊、お前は大人しそうに見えるのに、どうしてこうも問題児なんだ…」
「失礼な、先生。僕はあくまで被害者ですよ?」
「過剰防衛って、知ってるか?榊」
「知ってますよ、存じていますとも。ほら、僕は神経が細かいんで、あんなに大勢でこられるとちょっとした恐慌状態になっちゃうんですよね」
「これで五件目だ」
 そう、その度に僕は放課後を先生方からの事情聴取と説教に費やす羽目になる。
 …兄さん、正当防衛ってやっぱり難しいよ。あんまり認められないんだっけ…?ドラマ的な展開は望めないんだね…。というか、兄さん、この間まで博徒だったよね?賭博って違法なの知ってる?
「榊の兄貴にも手を焼いたのに、また弟にも手を焼かされるたぁ思ってなかったぜ…」
「あぁ、兄さんは賭け麻雀やらかしたんですよね」
「お前がちっさい頃は、兄貴に似てないなぁと思ったのにな…」
 似てるのだろうか、僕と兄は。まぁ良いけれど。
 あぁ、でも先生、ここは譲れない。

「先生、田代と沖沼に眼鏡の弁償、請求したいんですけど」

 あの青みがかったフレームは気に入ってるんだ。

《了》


※ この作品はイラストとセットになっています。

前項
作者 / 今野些慈