「ここ、まだ埃が残ってるよ。マスターしっかり掃除したの?」
「”しっかり”掃除したわ――私的には」
まるで小姑のように駄目だしをしてくる使い魔にむかついて、リンは思いっきり屁理屈をこねくりまわした。ホンはその返事に不満そうに羽をばたつかせると、「やり直したほうがいいよ」と書架の上からためにならないアドバイスをする。
そんな事を言うくせに、まるっきり自分は手伝おうとはしないのだ。甘やかすのはマスターのためにはなら無いとか何とか言って。
普通は使い魔こそがやる仕事じゃない?
むかっぱらがたったので、リンはキジの羽でできたハタキでわざと埃を舞い散らせるようにして密かに嫌がらせをした。
「子供っぽい事しないでよ!」
自慢の漆黒の羽に埃がついたのが気に入らなかったか、ホンは飛び上がってリンの上で埃をはらった。
「どっちが!」
いつの間にか書庫の掃除がギャーギャーと埃をたてながらの大喧嘩に。――似たもの主従である。
年に一度の大掃除。
……というわけでもないが、本日、リンとホンは書庫に篭り、本の整理に精を出していた。普通の掃除なら魔法でなんとかできるのだが、書庫の中には師匠の代よりもっと古くから受け継がれている重要な文献が眠っていて、その上書物そのものが魔力を持っている場合もあるので、おいそれと魔法を使うわけにもいかなかった。
だからリンはぶーぶー言いながらも、自力で掃除するしかなかったのだ。もっと詳しく言えば、ホンがそろそろ掃除しないと書物が痛むでしょ? と言ったのがきっかけだったから、一人で掃除することをリンが不満に思うのも不思議は無い。
しかし書庫を掃除する時の常で、いざ始めてみると、ずっと探していた魔道書や面白そうな薬草図鑑が思いがけず見つかってしまうので、リンはその度に掃除の手を止めて、読むことに没頭してしてしまった。その度に、ホンが頭を突っつくのもお馴染みの光景。
リンの持っていたハタキがひょんな拍子で本を引っ掛けて、文字通りはたき落とした。それにホンが器用に眉間にしわをよせて「もっと丁寧にできないの?」と文句を言ったが、リンは軽く無視して、その本をひょいと拾い上げた。
「なんだろ、この本」
それは程よく厚みのある書物だった。見覚えが無いと言う事は多分、師匠の本なのだろう。ひっくり返してみてみるが、裏も表も真っ黒で、タイトルらしきものもまったく無い。リンが無視したことに対する怒りよりも、その本への好奇心が勝ったらしく、ホンは不機嫌だった事も忘れて、リンの肩に乗ってその本を覗き込んだ。
リンが開こうとすると力をこめると、バチバチと紫色の雷がそれを拒んだ。
「うわ。まさか封印付き? 一体、何が書いてると思う? 禁じられた術とかかな?」
火傷を負った指を舐めながらも、リンはこの本に対する好奇心を抑えられなかった。ホンが簡単な呪文を唱えて、リンの火傷を治すと「これからは充分注意してよ」と、小言を言ってから、その本をじっと見据えた。
「何重にも封印、されてるみたいだね」
「うーん。厳重だねぇ。封印解除は面倒臭いから嫌いなんだけど」
でも気になるよなぁ。
リンは手の中で本を弄んだ。好奇心をくすぐられた時のマスターは他のものをほっぽってもそれに走る事を、これまでの経験で嫌と言うほど知っていたホンは、今日の掃除も最後まで持たなかったね。と早々に諦める。
すると、案の定リンは書庫の出口へと足を運びながら、弾んだ声で言った。
「ホンも興味あるでしょ?解除手伝って!」
「勿論だよ。マスター」
ホンも興味は十二分にあったから、二つ返事で引き受けた。――しつこく言うが、似たもの主従なのである。
「んー流石師匠。封印に複雑な呪文の相殺理論もってくるなんて、いやらしくて最低だねぇ」
「それ褒めてるの? 貶してるの?」
封印をかけたのが腕のいい魔術師なら解くのも腕のいい魔術師である。嫌いと言ったのはただ単に面倒臭いからだけで、何重にも絡み合った封印を解いていく手元に狂いは無い。ホンが念のために周りに防御壁をはっているのも、万が一封印を解くのに失敗した時に小屋が吹っ飛ばさないようにするためだけで、それもこのままいけば必要なく終わりそうだった。
「はい、これでラストっと」
パン、と空気が弾けるような音がして、リンは最後の封印まで呆気なく解き、満足そうに笑った。ホンは不必要になった防御壁を消して、机の上に置かれた黒い書物の隣に立った。見るからに何の変哲もない本である。こんなに厳重に封印されてなければ、それほど重要だとは思わなかっただろう。
「本当に禁断の書だったらどうする?」
「どうせ、マスターはそれでも読むんでしょ?」
「もちろん!」
リンはニヤリと笑うと、黒い本に手を伸ばした。そして表紙をめくった所で、本が唐突に喋った。
「汝、名を我に示せ」
深みのあるテノールが部屋の中に響き渡り、それを耳にした瞬間、リンの笑顔が固まり、血の気が失せた。
「マスター?」
「名を我に示せ」
ホンはリンに声を掛けてみるが、それに被せる様に本が名を催促してくる。
「顔色悪いけど大丈」
「名を我に・・・」
「我が名は、リンシア、汝の命に従い名を示すもの! お願いだから黙って!」
我慢しきれずリンが叫んだとたん、ぴたりとその声が止んだ。ホンが呆気にとられていると、リンはぶるぶると頭を振って「恐怖の仕掛けだわ」と恐ろしげに呟いた。
ホンにとって見れば、なぜそこまでリンが怖がっていたのかが理解できず、不思議そうに首をかしげた。
気を取り直して開いた一ページ目には、じわじわとタイトルが浮き上がってきている。ホンはその文字を口に出してみたが、それはあまりにもアレだった。
「愛弟子日記」
ちらり、と視線を移してみれば、リンは明らかに青い顔をしている。つまりはこれは、リンの師匠による、リンの成長日記なわけだ。肩透かしもいい所で、ホンはあからさまに当てこすった。
「なんだ、マスターとマスターの師匠の愛の記録なの、どうりで厳重に封印されてたわけだ」
当然、怒りの言葉が聞こえてくると思っていたのに、リンは黙り込んでいる。この本が喋りだしてからどうも様子がおかしい。ホンはいよいよ心配になって、リンの肩に飛び乗った。
「マスター? いったいどうしたの? 僕の声、聞こえてる?」
「……この本、まさに禁断の書だわ」
「愛弟子日記」をなるべく視線にいれないようにして、リンはぼそりと呟いた。ホンが訝しげな視線をページに向けると、自動的にめくれたそこに、じわりとピンク色の文字が浮かび上がってきた。その悪趣味なショッキングピンクに眉を顰めながらも、ホンはそれを読み上げた。
十二月十一日 木星の影響が強かった日
今日も、私のリンはとても、愛らしい。
私がこれ見よがしに、ワライダケを焼いていると、食い意地がはっているリンは案の定、「シショ。それが食べたいです」と舌足らずに懇願した。
その時点で、こっ酷く断って、泣かせてやりたい所だったが、私はなんとかその衝動を抑える事ができた。
「十回まわってから、共感呪術と意志呪術の区切りを説明できたらあげよう」
私がにっこりしながらそういうと、リンは顔を輝かせながら回り始めた。リンが一生懸命回っているところで足を掛けたくなったが、それにも耐えなければならなかった。そしてぐるぐる眼を回しながらも、リンは懸命に説明し始めた。
……しかしリンよ。
共感呪術と意志呪術の間に明確な区切りはできるわけが無いんだよ?
そのうちに、お腹がすいてきたのか、上手く説明が出来ないのか、リンは涙目になった。
「しょうがない、食べなさい」
そういってワライダケを与えると「シショ、有難うございます!」と嬉しそうに笑って、リンは思い切りほうばった。
そして半日はずっと笑いっぱなしだった。
リンの泣き顔は可愛いが笑顔も甲乙つけがたいということに気付いたのが今日の収穫だ。これからリンの弾けるような笑顔が見たいときは、この手を使おうと思う。
これも簡単に他人を信用するなという教訓を織り込んだ修行だ。
愛のムチなのだ。
さて、明日は何をしようか。どちらにしろ、リンは愛らしいのだろう。
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ホンが憐れみの表情で見ると、耐え切れなくなったのかリンは背を向けて逃げ出した。その眼が光っていたような気もしたが、そこは悪魔の情けで、見ない振りをした。
ぺらぺらと自動的に新しいページがめくられるたびにどぎつい色が眼に染みる。そこには毎日のように、リンの師匠である男の屈折した愛情がありありと刻まれていた。
――マスターの胃が驚くほど強靭なのも、男曰く「愛のムチ」の賜物なのだろうか。
ホンは明日からは少しだけリンに優しくしてあげよう、と決心した。
そして黒く程よい厚さの「禁断の書」はまた何重にも封印を施され、書庫の中で眠りについたのであった。

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