ダルメシアンはある日、剣を拾った。
 それは深く入り組んだ森に守られるように、おどろおどろしい呪術の掛けられた石の台座に鎮座してあった。お付のトムが必死で止めたが、それでやめるようならば、それはダルメシアンの姿をした偽者である。そのうかつさは仮にも一国の王とは思えない。
 刀身は短めで、短剣と言ってもいいぐらいだ。なにかの儀式に使われているような美しい剣である。柄頭には水晶がはめ込まれており、透明なそれはつややかに光を反射している。美しい剣を、思い人に送ろうと決めたダルメシアンは、それをハンカチで包み込み、懐に入れた。

 城から森は比較的遠い。しかし、歩いてでもいけなくはない距離であったし、どうせ魔の森と呼ばれているそこへ入るのを馬が嫌がったから、結局最後は徒歩になるのだ。そんな理由で毎日の運動もかねてか、ダルメシアンは自分の足で行く事を習慣付けていた。
 今日は、手に入れた短剣をもっての訪問である、つい先日贈った「鳥用クラッカー」は見事に外してしまったらしく、ホンに嫌悪の表情で一瞥された後、気付けば城の自分の寝台の中だった。――どうやら呪いで倒されてしまったらしい。
 「鳥まっしぐら」は誇大広告だったのだろうと、ダルメシアンは反省した。――根本的なところで外している事に、ダルメシアンが気付くはずもない。
 しかし今日の贈り物は一味違うのだ。トムは気味悪がっていたが、十人中十人が綺麗だと評価するであろう美しい短剣だ。もしかして、もしかすると初めてのお礼の言葉を微笑とともに貰う事ができるかもしれないね。
 ふふふ、と頭の中で脳内麻薬が過剰分泌されてそうな主君をトムは、気の毒そうな目で見た。
 鳥に剣を贈ってどうするつもりですか? とは、流石の彼も突っ込めなかったようである。

「……ダルメシアン様」
「なんだいトム」
 王様らしく悠々と歩くダルメシアンに、トムは後ろから恐る恐る声をかけた。先刻からずっと自分の気のせいかと思いこむようにしてた。しかし、自分の泥まみれの体を見まわしてから、トムは勇気を出して口に出した。
「今日は、なんだか変に嫌な事が続きませんか?」
「そうかい?」
 意を決して言ったトムの台詞は、ご機嫌なダルメシアンにあっさりと流された。そりゃあ、さっきも勢いよく走ってきた馬車をあわや、というところで避けて、その勢いで畑に落ちて泥だらけになったのはトムだけだ。ダルメシアンは、ひらりとマントを翻してあっさりと横に飛びのくと、トムが畑に落ち込んでいるのに眼を丸くしていたし。突き抜けるような晴れ空が、外に出たとたんどしゃ降りになったり、朝食に出た果物にほぼ城中の者があたったにも関わらず、運よくダルメシアンだけが口にしていなかったり。そういう”死にはしないけど嫌な感じ”の不幸が目白押しである。ただでさえ平和な毎日だから、そういう小さなことがたて続けに起こると流石に変だと思うのが普通だ。しかし、ダルメシアンはその悪運の強さでことごとく危険を回避しているから、気付きようもないのである。
 にぶ……大らかなご主人様を持つと困るもんだな。
 つい本音が出そうになって、慌てて心の中で言い直す。
 この主人にはぶっちゃけ迷惑を掛けらるのが日常茶飯事であるが、それでも一応は主を尊敬しているし、毎日のように魔の森と恐れられている所を散歩をしようが、その度にラッパを吹かされようが、まぁ我慢できる。しかし流石にそこで鳥に求愛しているしていると知ったときにはどうしようかと思ったが。今の所は相手側(と言っても鳥)が完璧に拒否しているから実る事は無いようだが、万が一に実りでもしたら大臣達が泡を食うだろう。
 密かにトムはつれなく毎日のように追っ払われている王を見るたび不憫に思い、一回ぐらいはその思いが届くといいなと思っている。――薄々、完璧に脈なしだとも気付きもしているが。
 その思い人に贈るために森で手に入れた短剣は、見るからに怪しかった。確かに、見事な剣であったが、素人のトムから見ても厳重に封印されているような短剣がただ綺麗なだけのものであるはずが無い。
 台座から取る時に一応は制止してみたものの、一度きめたら猪突猛進なダルメシアンといえば、あっさりとそれを手にし、トムはやはり諦めるしかなかった。
 しかし今日、立て続けにおこっている出来事も、もしかしたらこの剣の所為なのかもしれないし、どんなに悪運が強かろうと、まがりなりにも王が怪我を負うようなことがあってはならない。ダルメシアンの思い人であるホンの飼い主――実際は契約主なのだが――であるリンは巷でも有名な魔術師であるし、呪い云々というのはまさに彼女の分野である事は間違いない。

「あぁ、トム」
 ダルメシアンに声をかけられて顔を上げると、何かに躓いてトムは見事に地面に接吻をする事になった。頭の上から気の毒そうな主人の声が降って来た。
「足元に石があると言おうと思ったんだが……遅かったみたいだね」
 ――むしろこの主人の傍にいる僕のほうが危ない。
 トムは気のせいか低くなったような鼻を撫でながら、今日はダルメシアンを引きずるようにして魔の森に入っていった。


 絡みつくような木々を押し分け、湿った大地に蜘蛛のように網を張り巡らす根を踏みながら彼らは歩いている。
 闇が光を喰らう場所。
 一度足を踏み入れれば、昼間といえど暗くうっそうと茂った木々が方向感覚を奪い惑わす魔の森。毎日のように同じ道を通っているのだから、そこに通り道が出来てもいいはずなのに、まるで森は意思を持っているかのように、人の痕跡を消す。ダルメシアンたちも王家に伝わる守りの護符が無ければ、とうの昔に魔物の餌食になっているだろう。
 鳥と思われる動物が飛び立った音に、トムは明らかに怯えた仕草で肩をすくめた。ダルメシアンとは言えば、余り気にしていないようだ。普段なら入ってから三十分足らずで、小屋が見えてくる筈なのに、今日は行けども行けども森の木々がどこまでも続いている。もしかしたらまたあの短剣の所為なのだろうか、とトムは主に視線を移してみると、流石にダルメシアンも気付いたのか、怪訝そうな表情をしていた。
「トム、先ほどから聞こうと思っていたのだが」
「……! は、はい。僕もそう思います! 変ですよ」
「ああ! やはりお前もそう思うか?」
 漸く気付いてくれたとトムもほっとして、その問題の短剣を捨てるかどうするか口に出そうとした。ダルメシアンは、不安そうな顔をして、トムに詰め寄った。

この美しい宝物は君のために……。の文句ではいまいちエレガントさが足りなかったかい? そうだな……これは世界で一番美しいあなたに相応しい。――これでどうだろうか?」
「いいんじゃないでしょうかっっ!」
 トムは最初にどうでも! と心の中で付け加えた。しかし、トムの投げやりな態度にも気付かず、胸のつかえが取れたみたいに幸わせそうな顔をしている主にトムは諦めのため息を付いた。
「ああ、流石にトムだ。相談してよかったよ」
 ここまで、両手離しに喜ばれると、逆に適当に答えた事に罪悪感まで湧いてくる始末。ダルメシアンが人を惹きつけるのはこういった天真爛漫なところだ。
 じゃあさっさと参りましょう。とトムが歩き出したとき、黒い影がすべる様に飛び込んできた。
 黒い毛に覆われ、がっしりとした体躯、肉を切り裂く鋭い牙と爪。人語を解する知性を持ちながらも残酷で血を好む獣。四本足で歩くそれは――。
 トムは恐怖の余り叫び声を上げた。
「ウォーウルフ!」
「魔ノ匂イニ、誘ワレテ来テミタラ……人間カ」
 ウォーウルフは低く唸り笑った。残忍さを宿し金色に光る眼はダルメシアンを見据えている。
「何カ持ッテイルナ? 極上ナ、魔力ヲ持ツ、何カダ」
 がくがくと笑う膝を押さえながらも、すぐにその”魔を持つもの”の存在に気付いたトムは、ダルメシアンの腕にすがりながら、叫んだ。
「ダルメシアン様! あの剣です!」
「剣?」
 流石にウォーウルフの存在に警戒していたダルメシアンも、その一言にはっとし、短剣の入っている懐を押さえる。
「まさかこの短剣を狙っているのか? それだけは一国の主としても、一人の恋する男としても、盗みを見逃す事はできないな――ホン殿の心をさらう、恋の盗人には喜んでなりたいがね!」
「そんな事、言ってる場合ですかぁー!」
 怒りが恐怖を突き抜けて、トムはこの世で最後になるかもしれない切れ味のいい突込みを入れた。ウォーウルフはその訳のわからないダルメシアンの態度に馬鹿にされたと思ったらしい、凶悪な顔にぎらぎらと危険な怒りを貼り付けて牙を剥き、飛び掛ろうと状態を低くした。

「――ちょっと、待ちなよ」
 張り詰めた緊張が切れるかというところで、冷静な声が水をさした。それにはこんな緊迫した場にそぐわない渋々といった響きが含まれていた。聞き覚えの在るその声は――。
 トムが視線を滑らせた木の上。そこには漆黒の翼を持つ、ダルメシアンの思い鳥、ホンがやはり不本意そうに、むっつりとこちらを見下ろしていた。
「ホン殿! 私の愛が届いたのかな? 今、君の事を考えていた所だ」
「――やっぱり帰る」
「待ってください! 後生ですから!」
 翼を広げ飛び立とうとしたホンに、トムはつい縋り付くような声で懇願した。ちらりと肩越しにトムを見たホンは、はっきりと哀れむような表情をしてから、思い直してくれたらしく枝に座りなおした。そしてダルメシアンを一瞥さえする事も無く、ホンはウォーウルフにむかって言葉を投げた。
「悪いけど今回は引いてくれる? こんなんでもうちのマスターの顧客でね ――もっとも、そうでなかったら積極的に知らん振りをしてるところだけど。お互いに運が悪かったとしか言いようが無いね」
「貴様、邪魔スルツモリカ!」
 ウォーウルフは突然の参入者に、余計に怒りを煽られたのか、大地を揺るがすように吼えた。それにホンは一瞬、驚いたみたいだった。まるでウォーウルフがそう反応するのを予想もしていなかったという顔で。そして一瞬後には、嘴をうっすらと開け、まるで人間が微笑むような柔らかな表情をした。

「キサマ?」

 紅玉のような赤い瞳が、酷薄に光る。
「へぇ、下等生物が過ぎた口聞くじゃないか? こっちが穏便に事を済ませてやろうとしてる所を――そんなに死に急ぎたいの?」
 影がぞろりと動いた気がした。トムが瞬き一つする間に、魔獣の巨体は吹っ飛び、木に叩きつけられていた。何が起こったかわからずに、トムは呆気にとられてしまい、逆に「痛そうだな」と素直に魔獣の心配までしてしまった。


「へぇ、それは大変だったわね」
 中身が何なのか解らないヘドロのような緑色のお茶を飲みながらリンは言った。それに、まったく嘆かわしいとでも言いたげに、ホンは首を二、三度横に振った。
「まったく最近の若い奴らは、礼儀がなってないね」
「自分だって魔族の中ではまだ若造じゃない」
「その減らず口、縫い付けられたい?」
 その口調から本気を感じ取ったのか、リンは珍しく口をつぐんで、お茶をすすった。それにしても不味そうな液体だと、トムは改めて思う。
「ホンの事だから、どうせ徹底的にやり込めてきたんでしょう?」
「教育的指導は必要でしょ」
 教育的指導の名の下にぼっこぼこにやられたウォーウルフはまだ森の中に転がっているに違いない。ボロ雑巾の様にこてんぱんに叩きのめされた後、体中の毛をつるっつるに剃られたウォーウルフを見て、流石にトムも同情を禁じえなかった。それでも殺さずにおいた所が優しさなのだと思ったが、彼曰く。
「殺すのは簡単だけど、毛が生えてくるまでは外は歩けないだろうし、より屈辱でしょ?」
 鬼だ。――正確には悪魔だったが。
 そんな極悪非道な振る舞いを見れば、普通なら百年の恋も冷める所だろうが、トムの親愛なる主人は流石に一般常識とはかけ離れていたらしい。熱っぽい瞳をさっきからずうっとホンに向けている。しかし、ホンは視界に絶対入れようともせず、完璧に居ないものとされていたが。
「名誉を穢され、その為に徹底的に戦う。誇り高きホン殿の瞳は、ルビーのように輝いていた」
「相変わらず吟遊詩人的、かつ絶好調ですねぇ」
 揶揄るようなリンの言葉もダルメシアンには通用しないらしい。その通りだ。と胸を張られてしまったら、それ以上はもう言葉が出てこなかったらしく、リンははぁ、とため息を付いた。ふと、トムは違和感を感じた。いつもなら、ダルメシアンが愛の言葉を吐く前に即、術が飛んでくるのに。トムの視線に気付いたのか、リンはゴホンと咳をすると、ところでと話を切り出した。
「その懐に在るモノ、何ですか」
「――よくぞ聞いてくれたね。これは私が森で見つけた世にも美しい剣だ。これは世界で一番美しいホン殿に捧げようと持ってきたのだよ」
 ダルメシアンは嬉しそうに懐から件の剣を取り出した。机の上に置かれ、包まれていたハンカチから現れた刀身に「うわ、やっぱり」とリンが嫌そうな声を上げた。そして、皆の視線を受けて、とつとつと語りだした。
「この剣は魔剣ですねぇ。私の師匠が錬金術の時に使っていたものだと思います。柄の部分、水晶がはめ込まれているでしょう? そこに悪魔が居るんですよ。今はがっちり封印されてて出て来れないみたいですけど。悪魔との契約っていうのは、ふつうは、相互理解の下に成り立ってるんですけど、うちの師匠、ちょっとアレだったんで強制的に閉じ込められてるみたいです。――凄く親近感を感じるとこなんですが」
「で、マスターの師匠が森の中に封印した、ってわけ?」
 補足するように聞いたホンにリンはその通り、と頷いた。ホンはこの日初めて、ダルメシアンのほうを向いて、冷たく言った。
「それをご丁寧にも、わざわざ持ってきてくれたんだね」
「そんなに感謝しないでくれたまえ」
「嫌味ですから」
 照れるように言ったダルメシアンに、リンの冷たい突込みが入る。そんなリンの様子にも気にせずに、ダルメシアンは期待に満ち満ちた声でホンに語りかけた。
「ホン殿、受け取ってくれるかい?」
「悪魔が閉じ込められている短剣なんて欲しいわけないでしょ?」
 ホンはすっぱりと、断った。
「嗚呼、何たる絶望! ホン殿の冷たい仕打ちに私の心は張り裂けそうだ! 神よ、もしそれが許されるのならば、私の心を消したまえ! これ以上、痛みを感じる事がないように!」
「煩い」
 演技じみたダルメシアンについに堪忍袋の緒が切れたのか、ホンはあっさりと黙らせた。机の上に勢いよく突っ伏した拍子に、緑色のお茶を引っ繰り返し、ダルメシアンの顔には藻のような薬草がくっついている。その様子を呆れた風に眺めながら、リンは短剣を手に取った。
「それにしても、よく持っていて死ななかったねぇ。師匠が召還した悪魔だけに、それなりに力が強いはずなのに」
「鈍感だから気付かなかったんじゃないの? さっきは何かが、力を弱めてたみたいだけど」
「ああ、多分それ、王家のお守り」
 一国の王に酷い言い草である。しかしトムはホンの言ったとおりだと解っていたから、咎める事もできなかった。リンは検分するように見ていた短剣から手を離し、その美しさに感嘆のため息を吐く。
「儀式用の短剣としては素晴らしい作りだし、私でも使えそうなんだけど。師匠作の上に、怒れる悪魔付きってところがねぇ」
「僕も悪魔だって事、忘れないでくれると嬉しいんだけど?」
 ホンが少し拗ねたように言う。その様子にリンは少し笑うと、無言でするりとホンの翼を撫でた。「ペットじゃないだから」とホンは嫌がったが、それは照れ隠しだ。
「どうしよっかなぁ。錬金術の時に使う媒体が欲しいって言ったら欲しかったし……でもなぁ」
 見れば見るほど見事な剣に、リンは勿体無い。と思ったらしく、決断を渋っている。その様子にホンは、いい解決策を見つけたらしく、リンを促した。
「悪魔の封印を解けばいいでしょ? いくら、マスターの師匠作とはいえ剣自体には罪は無いんだし。僕も手伝ってあげるから」


 ダルメシアンがホンのために持ってきた短剣は、元をただせばリンの師のものであり、最終的にリンの手に収まったみたいである。二人が仲良く歓談しているのを尻目に、ぺこりとお辞儀をしてから、トムはダルメシアンの体を担ぎ上げ扉をくぐる。主の表情は世にも幸せそうであり、いい夢でも見ているのだろう。やっぱり報われてないけど図太い所がダルメシアン様だよな。と、変な安心感を胸に抱き、自分が明日もここにやってくることを、トムはすでに予感していた。

 扉を閉める寸前に見えた短剣は炎を反射して赤く光っていた。