「どうすんのさっ!」
 攻撃的に突っ込んでくるホンの嘴をすんでのところで避けながら、さっとリンは鼻を両手で隠した。怒りで理性が吹っ飛んでいるホンに、顔面を血だらけにされるのだけは御免こうむりたい。今にも鼻の穴から炎を吹き出しそうなホンをリンは宥めにかかった。
「まぁまぁホン、落ち着いてよ。まだ負けたわけじゃないでしょ?」
「――マスターを信じた僕が馬鹿だった!」
 リンの肩の上でばっさばさと羽を広げながらホンは、まったく腹の虫が収まらないといった感じで毒づく。リンはカチンと来たのか、眉を吊り上げ咎めた。
「……何よ、それ。どういう意味?」
「いっつも読みが甘いんだよ、マスターはっ! 僕は料理は最初から駄目だって言ってたでしょ? それを『大丈夫』って押し切ったのはマスターなんだからね!」
「私が全部悪いって言うの? ホンも私の料理が駄目だと思ったら『僕が鳥鍋になろうか?』ぐらいの自己犠牲精神を見せてくれたら良かったのに!」
「僕に死ねって言うわけ? 人の所為にしないでよ!」
「――残念でしたぁ。ホンは人じゃなくて悪魔ですぅ」
 リンは 小憎らしく唇の端を吊り上げて鼻でふふんと笑い飛ばした。
 主君の幼稚な挑発にまんまと乗ってしまうのが齢211歳の悪魔、ホンレヴィアスである。
 ホンの紅玉のような双眸が鮮やかさを増し、急激に高まった魔力が、ぎしぎしと周りの空間を歪ませた。

「……その悪魔の恐ろしさ、思い知らせなきゃ解らないみたいだね」
「へぇえ、それは是非思い知ってみたいものだわ!」
 リンも漆黒の瞳を好戦的に輝かせ、ホンを睨み付けた。胸の前で合わせられた掌の間では、球体になった紫電が弾けんばかりにバリバリと鳴る。
 一瞬即発。
 そんな雰囲気に水をさしたのは、嬉々としたマーグリと、恍惚としたダルメシアンの声だ。

「あらぁん、仲間割れですのぉん? 対戦相手があんな様子では次の勝負やるまでもないですわねぇん! 皆様ぁん、私の勝ちってことで宜しいかしらぁん?」
「あの視線をこの身に受けることが叶うのならば、私は命を失ってもかまわない。いや、さらされた瞬間に、私の心は溶けてしまうだろう。それほどまでに熱いルビーの瞳――」
「「変態共、煩いっ!」」

 マーグリが反射的に魔法で防御をしたと同時に、衝撃波と電撃が音をたててぶつかった。隣ではダルメシアンが黒焦げになって倒れていたが、マーグリはさり気無く見ない振りをする。死んではいないだろう――多分。
 八つ当たりのように魔力を発散させた状態から、リンはゆらりと体を起こす。そしてたった今まで喧嘩していた相手にすっと手を差し出した。小さめなリンの掌に、ホンの漆黒の翼が添えられる。
「ホン、喧嘩している場合じゃないわ」
「マスター、言わなくても解ってるよ」
 主従はがしっと音が出るほど強く握り締めあった。
 先ほどまでの剣呑な雰囲気をまったく感じさせない結束ぶりである。強大な魔力をストレスと共に発散できたというのもあるが。要するにとても単純な二人なのだ。
「あのオカマーグリを、めったんめったんのぎったんぎったんにしてくるから」
 ようやくやる気を出したマスターに、血の様な眼をした使い魔は満足そうに微笑んだ。
「――むしろ血まつりに、でしょ?」
 二人の平穏でない会話に、舞台上の人間は震え上がったが、村人達は仲直りをした二人に暖かな拍手を送っている。この温度差にトムはひとり絶望を感じて帰りたくなったが、黒焦げになって転がっている主君を置いていくわけにもいくまい。オカマよばわりされたマーグリは舞台の袖でいじけていた。
「というわけで、はいっ!」
 リンが勢い良く手を空に伸ばす。それにびくつきながらもトムは先を促した。
 リンは一度だけもったいぶったように咳払いをすると、挑戦的な光を点した瞳で嬉しそうに言った。

「第二の勝負の内容は――魔力による決闘!」


 ひとつ、どちらかが参ったというか、戦闘不能になるまで戦う。
 ふたつ、一対一の決闘であるから、他者の手出しは一切不要である。
 そう即席でルールを定めて、村人や大臣への考慮からか、リンはホンに大きなドームのような防御壁を築く事を指示した。それに渋々ながらも従ったホンが立ち去り際に「沈黙魔法をかけてなぶるのは基本中の基本だからね」と耳打ちしていたのをトムは見た――それに神妙そうに頷いているリンの様子も。
 そんな不穏な雰囲気の中での第二の勝負。
 リンとマーグリは大またで十歩ほど離れた所で、向かい合い立っていた。
緊張の面持ちでキラキラした杖を握り締めるマーグリに反して、リンは手を組み伸びをしたりとリラックスしている。なんとなく嫌な予感にかられながらも、トムはごくりと唾を飲み込むと、薄い透明の膜のような魔力の壁の外側から、勝負開始の合図を震える声で宣言した。

「ハマリタッ☆」
 最初に戦いの火蓋を切って落としたのは、誰でもないマーグリである。
 金粉でコーティングされた杖をビシッとリンに突きつけると、気持ち悪い声色でクルリと一回転。妙に笑いを誘うポージングと共に、白いスモークのような煙の中から現れたのは紫色の水晶で形作られた悪趣味なマーグリの巨像だ。それは太陽の光を受け不気味にてらてらと輝いた。
 そしてマーグリがパチンと指を鳴らすと、像の髪の毛は禍々しい毒蛇へと変化し、何本も枝分かれした蛇たちは鎌首をもたげると牙を剥いた。
 リンは慌てる様子も無く組んでいた手を解き、前に伸ばした腕の先で掌をすっと広げる。

「聞け、自然の理を統べし精霊王エルフィーロ、我はリンシア。かの契約者であり、汝を使役する者。その命に従い、我の手足となり、我の敵を滅せよ!」


 白刃となり現れた竜巻が蛇の鎌首を切り落とす。ぼとりと落ちた蛇の生首は、一瞬で灰となり風に溶けた。
 勢いを殺した風は、まるで身震いでもするように空中で一回転した後 薄緑色の靄となり、リンの傍らにふわりと浮かんだ。それは不機嫌そうな顔をした痩躯の老人である。白の見事な髭をかすかにゆらしながら、威厳に溢れる精霊王はリンを、その老木の緑を思い起こさせる瞳でギロリと睨んだ。
《お主か。また使い魔とのくだらぬ喧嘩で呼び出したのではあるまいな?》
「嫌だなフィーロ様。なわけないですよ。今回はアレをちゃっちゃっとやっつけたら帰ってくれていいですから。ね?」
 リンが指差した方向を興味なさそうに一瞥してから、エルフィーロはやれやれと深い諦めのため息を付いた。
《――まったく、お主ら師弟は……まぁ良い。――小賢しくも愉快な魔術師殿との契約により同族の恩を返そうではないか》
 老人が言葉を言い終えると同時に、体を形作っていた緑色の靄は大きく膨れ上がり、弾けると同時に、総てを焼き尽くす紅蓮の炎と変化した。
 灼熱の炎がマーグリご自慢の紫色の髪をひとふさ、ちりちりに焦げつかせる。ぱちりぱちりと、悪戯好きで攻撃的な火の精霊が、お互い手を叩き、踊り狂いながら飛び跳ね、すきあらば飛びついてやろうとマーグリをとり囲む。マーグリはそれを追い払いながらも、指を鳴らした。ぱちん。
 像の口からは、白い吐息が凄い勢いで吐き出され、炎は一瞬にして凍りつく。マーグリが指をもひとつ鳴らせば、像の眼から発生した紫色の光線が出来上がっていた炎のオブジェを破壊した。その破片からボロボロになった炎の精が我先にと逃げ出している。
 リンはそれに表情を変えること無く天を指差すと、どこからともなく現れた黒い雨雲が空を覆い、ごろごろと不穏な音を鳴らす。
 そしてリンはニヤリと不吉な笑みを浮かべると、続く呪文を紡いだ。

「天を駆けめぐしり雷光よ、己が力を今ここで示すがいい――閃!」

 無数の雷が天を割り、爆音と共に大地をしたたかに打ちつけた。その強烈な光と音に、民衆達は思わずうずくまり頭を抱える。トムは頭を低くしながらも、つまらなさそうに防御壁を張っているホンに近づいた。
「ホン殿っ、この対決、危険なのではっ?」
「僕が防御壁張ってるんだから大丈夫だよ――民衆はね。それにしてもマスターの攻撃魔法って、相変わらず無駄に派手だね」
 もう派手というレベルではなくデストロイ。破壊である。木でできていた舞台のあちこちは電撃によって黒焦げになっているし、先ほどの炎の精の活躍によってところどころ火の手が上がっている。高らかな笑い声を上げながら、電撃を落とし続けているリンにホンは呆れを含むため息を付いた――完璧に破壊行動で目的を見失ってる。
 そのうち一つの雷光がマーグリの像の頭に直撃。ごとりと重たい音を立てて、取れた首が地面に穴を開ける。魔法で作り出したゴムの膜を被ってたマーグリは絶望的な叫び声をあげた。
「ア、アタクシの首がぁん!」
「自分の首の心配した方がいいと思うけど?」
悪役のような台詞を吐いて、リンは続く電撃を落とすために、再び天を指した。
「よ、よくもやってくれたわねぇん――最後の手段よっ!」
 マーグリは怒りでぶるぶると震え、その巨体で紫色の靴を履いた踵を打ち鳴らしながら、ぐるりと杖を空中でひらめかせた。

「ドレドレ・ドーラ☆」

 突然、マーグリの体は溶け出し、ぐんにゃりとした紫色の液体があるものを着々と形作っていく。それは背の高い人の形をとり、暗い色のローブを纏った人物の銀色の髪がしゅるしゅると腰の所まで伸びる。透き通るほどに白い肌と魔性の美貌をそなえた容姿は人間離れしており、まるでエルフのようだ。細やかに再現された男がゆっくりと眼を開くと、深い海の底を思わせる蒼い瞳がリンを捕らえた。薄く、色が無い唇が動き、静かな声がリンの耳朶を打つ。にっこりとその男は顔を嬉しそうに綻ばせた。

「――リン、久しぶりだな」

 リンは瞬間、天を指したままの姿勢で固まり、眼をこれ以上は無いというほど見開いた。震える唇は「……シショウ」と動いたように見える。
 師匠は滑らかな動作で手を掲げる。そこから発生した衝撃波が仁王立ちになっていたリンを襲った。ごうっと音がして、エルフィーロが作り出した風がそれを間一髪のところで阻んだ。
《何をぼうっとしておる、あれはお主の師匠ではない。偽者だ》
「だって、だってフィーロ様! もしもの場合、ホンモノだったらどうするの!?」
 完璧に混乱したリンは涙声で訴えた。召還された精霊の力は術師の精神力に左右される。動揺しているリンの影響を受けて、エルフィーロの風の壁はだんだんと衝撃波に押され始めた。
《このままでは、我も守りきれん。何とかならぬのか?》
「あの師匠がいなくなったら大丈夫そうですけどっ!」
 無茶だとエルフィーロが答えた瞬間、耐え切れなくなった風の防御壁は崩れ、リンは衝撃に体を吹っ飛ばされた。ごろごろと木の舞台の上を転がり、リンは数メートル先で止まる。黒いローブは埃塗れになり、体全体にはしる鈍痛にリンは呻いた。
 ぱきり、ぱきりと木を踏みしめながら、お揃いの黒いローブを着た師匠が近づいてくる。リンは地面に座り込みながら、恐ろしげに師匠を見上げる。
 師匠はリンの前まで来ると、その冷たい美貌に穏やかな笑みを浮かべた。
「……師匠」
「リン、まだ私に歯向かうつもりか?」
 その柔らかいながらも威圧的な声にリンは――あっさりと頭を垂れた。
「御免なさい。逆らいません。許してください」
 そのマスターの情けない言葉にホンは失望と共に怒りを抱く。
 師匠はそれに軽く頷くと満足そうな笑みを浮かべた。
「――もう、負けはみえている。ギブアップしたらどうだ?」
 そう諭す声にトム、ホン、見ている観衆はごくりと息を飲んだ。
 リンはゆっくりと口を開く。
 ホンがリンのギブアップ負けを覚悟した時、顔を上げたリンの瞳がきらりと光った。

「縛!」

 師匠――の偽者は後方に吹き飛ばされ、まるで虫の標本のように呪文で地面に縫いとめられた。リンはローブについた埃を払いながらゆっくりと立ち上がる。
「オカマーグリ。師匠に化けるなんて粋な事してくれるわ。危うく負けちゃうところだった――でも失敗したわね」
 ふっふっふと不敵に笑うリンは師匠に化けたマーグリの体を取り囲むように、どこから取り出したのか白墨で大きな魔法陣を描き始めた。
「ひとぉつ、師匠だったら、私があっさり謝ったら反撃を狙ってるって疑うはずだし。ふたぁつ、ギブアップ? させるわけが無いわ――逆らう奴は徹底的に叩き潰すが師匠の美学でしょ」
 次第に出来上がっていく魔方陣に恐れをなして、師匠の姿をしたマーグリは焦ったような声を上げる。
「でっでも、姿かたちは貴方の師匠よぉん? 攻撃なんてできないでしょぉん?」
 必死のマーグリの言葉をふっとリンは鼻で笑い飛ばす。
「――いくら見た目が師匠でも中身が師匠でないものなんて、おそるるに足りないわ!」
 リンはそうはっきりと言い切った――割には偽者の師匠と目線を合わせないようにあさっての方向を見ていたが。そしてとうとう書きあがった魔方陣に、たらりと血を一滴たらすとリンはにっこりと笑った。それは彼女の師匠の笑い方と酷似していたのだ。

破壊は我が母、混沌は我が父。我はリンシア、かの扉を解き放つ者――開!

 白墨で書かれた魔方陣の中から濃厚な闇が手を伸ばす。蝶のように貼り付けられたマーグリはもがいていたが、そのうちに吸い込まれるように――消えた。
 リンはそれをしばらくの間、見守っていたが、マーグリの姿が完璧に見えなくなると、ひとつ息をついてからホン達のほうに向き直った。
「対戦相手、戦闘不能――そして三回戦も対戦相手不在だから私の勝ちじゃない?」
 マーグリが吸い込まれていった魔方陣をトムが恐る恐る調べてみたが、マーグリの姿は隠されていたり見えなくなったわけではない――完璧にいなくなったのだ。
 ダルメシアンは黒焦げのままのびているし、大臣の方を振り返ってみて指示を仰いでみても、目の前の黒魔術師に怯えて口も利けないらしい。トムは腹を決めた。
「魔術対決、勝者、黒の魔術師、リン殿!」
 高らかに宣言された言葉に、何が起こったのかいまひとつ解らなかった民衆は、とりあえず間の抜けた拍手をしたのであった。


「あんな幻術に惑わされちゃって馬鹿じゃないの――痛い?」
 肩に乗った重みと傷がふわりと癒える感覚にリンは笑う。そしていつものような軽口を叩いた。
「まーね。ちょっとやばかったけど。まぁ、勝てたからいいんじゃない? ほら、終わりよければすべてよしっていうでしょ?」
 能天気なその言葉に使い魔は深いため息を付いたが、反論はなかったらしく話をかえた。
「マスター。あの男、いったいどこに飛ばしたわけ?」
「んー? 聞きたい?」
 マスターの含み笑いにホンは嫌な予感を抱く。ぱちんと珍しくもウインクをしながら、リンは悪戯を成功させた子供のように笑った。
「――ホンの生まれ故郷よ。いまごろ”彼女”追っかけまわされてモテモテなんじゃない?」
 しっかりと勝利の美学は引き継がれているらしいとホンは思った――悪い方向に。

 こんど里帰りした時に拾って帰ってきてやらなきゃね。
 ホンは少しだけ同情しながら、魔界で逃げ回っているだろう魔女を思ったのである。