王の従者、トムの一日は、まだ日が昇り始めないところから始まる。
 室内漂う冷気に体を震わせながらも、寝台から飛び出すと、まずは身支度である。毎日変わり映えしない色と形の胴着を身につけると、少し伸びた髭を剃刀で器用に剃り落とし、髪を撫でつける。肩についていた藁屑を指先でつまみ上げてから、トムは自室を飛び出した。
 長い螺旋廊下をくだり、中庭にある井戸へと足を伸ばせば、ささくれだった縄を引き上げ釣瓶で水を汲む。水差しにそれを注いでしまえば、次の目的地は厨房である。
 かまどの前に陣取る料理長と言葉を交わしながら、焼きたてのパンと蜂蜜色のチーズ、そして果物が乗った盆の上に水差しを置く。持ち上げてみるとかなりの重量があったが、トムは料理長に礼を言うと確かな足取りで、階段を上っていった。
 階段を登り切り、廊下を進んでいれば、王であるダルメシアンの寝室へとたどり着く。廊下の窓からのぞく空は白み始めていた。細工が施された樫の扉をコツコツと叩いてみたが、中からは物音一つ聞こえてこない。トムは勝手知ったる様子で、扉に手を掛け、王の寝室へと足を踏み入れた。
 厚いカーテンで光が遮断された部屋の中は薄暗い。トムは迷い無い足取りで窓に近づくと、カーテンに繋がる紐を引っ張った。すると、陽光が部屋の中へと差し込み、天蓋付きの寝台に埋もれていたダルメシアンの顔を優しく撫でていった。
 トムは残る涎の跡を、従者の鏡のような態度で見ないふりをしたが、その顔に刻まれたのは駄目な子供を見守る母親の表情である。
 夢の中で何かに接吻しようとしているダルメシアンの横を通り過ぎ盆をテーブルに預けると、トムは水差しを傾け、銀のたらいへと水を注ぐ。それを寝台の脇に置くと、トムは胸いっぱいに息を吸い込んだ。
「ダルメシアン様、おはようございます!」
 しかし、朝の挨拶を受けたダルメシアンはぴくりとも動かない。いつものことだったが、トムは失礼しますとひとつ頭を下げ、ダルメシアンの体を揺り動かした。断続的に振動を与えれば、伏せられていた睫毛が震え、ダルメシアンはまどろみから覚醒する。
「ん……トム?」
「はい、トムです! 今日は謁見だってあるんですから、ぼやぼやしてる暇はありませんよ!」
 ダルメシアンがふらつきながらも立ち上がるのを見届けると、トムは遠慮なしに寝間着をはぎ取った。目が覚めきっていないダルメシアンをせっつき、銀のたらいで顔を洗わせると、力なくたれる腕に質の良い衣服の袖を通してゆく。コマネズミのように動き回るトムにされるがままに、ダルメシアンの支度は整った。
 意識がはっきりしてきたのだろう、正装したダルメシアンはテーブルにつくと、トムに向かって緩やかに微笑む。
「トム、おはよう。今日も清々しい朝だね」
「おはようございます。謁見は間もなく始まりますよ」
「謁見……む、そうであったな」
「ダルメシアン様、言っておきますが、済むまではホン様のところなんて行かせませんからね!」
 先手を打ってしっかりと釘を刺せば、ダルメシアンは口にしていた果物を頬に詰め込みながら動きを止める。ちらりとトムの様子を伺っているのが感じ取れたが、トムは意図的に視線を合わせないようにした。見たが最後、絆される可能性は限りなく高い。鬼のような心でもって対峙するべきなのだ。
「トム……わかっている。わかっているのだ。しかし、昨日の邂逅は一瞬のものであったし、私はホン殿欠乏症という重い病を患っている。ホン殿に会わなければ、私は焦がれ死にしてしまうかもしれない」
「一瞬なのはいつものことじゃないですか! きちんと王としての義務を果されるなら、ホン様のところにお出かけになられるのだって止めませんから!」
「トム……!」
「私もお付き合いしますから。効率よく謁見終わらせちゃいましょうね」
 励ますように声をかければ、感動に肩を震わせたダルメシアンは、穏やかな笑みを刻む。王族の血筋を感じさせる、彫の深い少し甘めの顔立ちが微笑めば、ダルメシアンを良く知らない家来ならいちころである。
「お前のような主人思いの従者に恵まれ、私は誠に果報者だな」
 無自覚で家来殺しの台詞を吐く王を見返して、トムは深い溜息を吐いた。
「ダルメシアン様、勿体ない言葉、恐縮ですけど、本当に時間ないんですから!」
「む、そうだな」
 お尻を叩きかねない勢いでトムはダルメシアンを急かし、謁見が行われる広間へと主人を送り出した。



 ダルメシアンが治める国は辺境の小国だが、謁見には遥々やってきた民が訪れ、思いを申し立てる……のだが、それは世間話に限りなく近いものも多く、一段高い所に設置された王座に腰掛けながら、ダルメシアンは相槌を打ち、顔を輝かせたり、民の悲しみに同調したりと忙しかった。傍に控えた大臣は、おひとよしな王が、民の要求をまるのみしないように手綱を取るのに必死である。
 今も怪しい髭面の商人が満足したように顔を下げたのを見送って、トムはダルメシアンだけに聞こえる声で囁いた。
「ダルメシアン様、いくらなんでも、王が直々に胡散臭いフェロモン薬を認可するのって問題じゃないですか?」
「大丈夫だ、問題ない」
 その自信満々な口調が既に怪しい。
 嫌な予感に襲われ、トムが続く言葉に身構えていると、ダルメシアンは力強く頷きながら、トムに目配せした。
「実際に私も飲んで、人体に害が無いことは確認済みだからね!」
「はっ、はぁ? いっ、いつの間に、飲んだんですかぁっっ!」
「我が民のために、国の長たる王が率先して試してみることが大事だと思わないか?」
 嘘っぱちだ、トムは確信した。現に自由自在に泳いでいる目が果てしなく疑わしい。どうせ、ホン殿に利くかどうか試したかっただけだろう、とトムが疑惑の目で睨むと、ダルメシアンは慌てて弁解した。
「お陰でおかげでホン殿と、いつもより三秒ぐらい長く話すことができたんだ! 素晴らしい効果ではないか!」
 それってつまり効果なしってことじゃ、というトムの率直な意見は、顔を紅潮させるダルメシアンを前に出てこなかった。相変わらず不憫すぎる王である。
 そんなこんなで、城の窓から西日がさしこんできた頃、謁見を切り上げようと大臣が提案した。
 ダルメシアンが立ち上がり、謁見の間を去ろうとすれば、そこへ騒々しい足音が聞こえてくる。それにダルメシアンは歩みを止め、なにごとかと首を傾げた。
「王様っ! ダルメシアン王っ! お待ちくださいっ!」
 広間に飛び込んできたのは二人の女で、その鬼の形相に兵士は王を守る様に取り囲んだ。勢いのままに倒れこんだ女達は息も絶え絶えだ。
「もう謁見は終わりであるぞ! ひかえよ!」
 髭を蓄えた大臣が鋭い声で叫んだが、ダルメシアンは兵士を退けると、緩やかな足取りで女たちに近づいた。稲穂のような色をした片方の女は、息を切らしながらもダルメシアンをみつめる目に涙を浮かべ、もう一人の赤毛の女はきっと顔を上げ、手にしている毛布のようなものをかき抱いた。
 どうするのだろう、とはらはらしながら主を見守っていると、ダルメシアンは緊迫する空気にそぐわない、柔らかな笑みを浮かべた。
「我が民よ。私でよければ話を聞こうではないか」
 ダルメシアンの口から零れたのはいつもと変わらぬ柔い音色だ。そして、躊躇することなく、二人に手を差し伸べると、引っ張り上げるように体を起こさせた。トムはほっと息を吐き出し、知らず固まっていた緊張がほぐれたが、多少、気さく過ぎる振る舞いには思わず頭を抑える。女達もびっくりしたように目を見開いていたが、ダルメシアンは王座に再び腰掛け、女達の訴えに耳を傾け始めたのだった。



 面倒なことになったな、とトムは、自然に眉間へと寄る皺を意識した。
 女が抱いていた毛布には生まれたばかりの赤ん坊が包まれており、金茶の髪をした女と、赤毛の女は、互いにその子供は自分のものだと主張していた。
 二人の女は互いに夫を亡くした身で、同時期に子供を出産したという。金茶は涙を流しながら、赤毛に手を伸ばした。
「私の可愛い子を返してっ!」
「なにさ、あんたがあたしんとこの子供と死んだ子を取り換えたんだろう!」
 赤毛は金茶が死んだ赤子と自分の赤子を取り換えたというし、金茶はそれは言いがかりだと叫ぶ。目撃者はおらず、やったやってないの水かけ論でお手上げだった。
 いったいどうやってこの騒動を収拾するつもりだろう、とトムがダルメシアンの様子を伺えば、真剣に話を聞いていたダルメシアンは、じいと二人の女を見つめてから、ぽん、と手を打った。
「二人の言い分、あいわかった。私に良い考えがある」
 戸惑いながら目で問い返したトムを尻目に、ダルメシアンは確信を持った風に頷く。それにやっぱり嫌な予感を抱きながら、トムは言葉を飲み込んだのだった。



 不機嫌さを前面に押し出した黒い集団を前に、トムはごくりと喉を鳴らす。
 黒いローブを纏った小柄な人物は大きな欠伸をしながら目を擦っているし、その肩に乗った黒翼の使い魔は、マスターを呼び出すなんて何様なわけ? ほんと死ねばいいのに、とダルメシアンに対する呪詛を延々と紡いでいる。そして、黒魔術師の頭を肘かけにしている銀髪の麗人は、観る者を虜にする人外の美貌をこれでもかというほど見せつけていた。
 もともと、権威だとか、威厳にいま一つ欠ける王ではあるが、ここまで傲岸不遜な態度を取る者も稀だった。それでも、背後に控える、リンの黒魔術の師―― 確か、セルゲイという名前だった――は、そんな態度を取るに相応しい迫力を備えているとトムも認めざるを得なかった。
 へらへら、でれでれと、怒っているホンに釘付けなダルメシアンと見比べて、トムはため息を吐く。"高貴"という言葉が似合うのはどちらか一目瞭然である。
「それで、一体何の用なの」
 面倒臭い、という感情を隠すことなくリンは、王座に腰かけたダルメシアンをねめつける。
 そもそも黒魔術師が森から出てくることは滅多になく、拝み倒して、宥めすかして、ようやくいつもの報酬の三倍の値で呼び出すことができたが、一体、王はなにをやらせるつもりだろうかとトムにはとんと想像がつかなかった。
 ダルメシアンは、漸くホンに貼りついてた視線をひきはがすことに成功し、さっきから恐れとともに黒魔術師一行を見つめていた女二人を指差した。
「あぁ、リン殿、申し訳ない。この赤ん坊なのだが、二人とも自分の子だと主張しているのだ」
 ダルメシアンは女達から預かり傍らに寝かせておいた赤ん坊をおもむろに揺り籠から取り出し、リンの目前に掲げて見せた。きょとん、と目を丸くしていた赤ん坊は、リンの肩に止まっていたホンをみつけると、だぁだぁ、と嬉しそうに手を伸ばし始める。迷惑そうにホンは眉を顰めたが、嫉妬の炎を燃え上がらせたダルメシアンにより、赤子は揺り籠へと再び転がされた。幼児にまでやきもちを焼く王の器の小ささにトムは思わず涙が出そうになる。
 ダルメシアンはホンの非難の視線に怯みながらも、ひとつ咳払いをして続けた。
「こちらにも、どちらが本当の母親か知る術はない。そこで、リン殿! 高名な黒魔術師である、貴方の出番だ」
 名前を呼ばれたリンは訝しげに首を傾げたが、ダルメシアンにその温度差が感じられるはずがない。ダルメシアンは真面目な面持ちで言い放った。

「リン殿、ここにいる赤子を二つにわける事は可能かな?」

 ダルメシアン様を信じた私が馬鹿でした、トムはそう強く思った。



「ふたつに、わける?」
 謁見の間のに満ちていた静寂を破ったのは、リンの至極冷静な声だった。その問いかけにダルメシアンは力強く頷くと、赤子を指差す。
「そうだ。一つしかないものを二つに分ければ、双方、満足して家路につくことができる。どうだろう、黒魔術師殿、できるかな?」
「まぁ、やろうと思えば、できるけど」
 あっさりと答えたリンに慌てたのは女達である。赤毛の女がダルメシアンの目前に飛び出した。
「王様っ! 子供を分けるなんてこと、やめとくれっ! そんなことするぐらいなら、この子はこの女にやっとくれ!」
 切羽詰まった表情で訴える赤毛の女を見下ろし、ダルメシアンが困ったように微笑むのがトムの目に入った。そこでトムはダルメシアンの思惑に気付く。
 まさか、ダルメシアン様はこれを見越して、リン殿に声をかけたのだろうか。本当に赤子を切断する気などなく、真の母親が飛び出してくるのを見越して、あんな事を言い出したのだ。主に対する認識を大幅に改め、尊敬の念を抱いていると、そんなトムにダルメシアンは軽く頷き、母親の方へと軽く一歩踏み出した。
「それでは、貴方は子供がいらないのかな。本当に二つに分けなくても満足すると? ここに居る、黒魔術師殿は有能だ。心配せずとも、命に別状はないと思うが」
 聞き分けのない子を諭す口調で、ダルメシアンは女に問いかけた。そんな業とらしい言葉で責めを与えなくても良いのに、とトムはやきもきする。しかし、ダルメシアンも何か考えがあってのことだろうとぐっと我慢した――え、考え、ありますよね? これも、すべて、演技ですよね?
 ダルメシアンはじいと赤毛の女を見ていたが、その意思に揺らぎがないのを確認すると、渋々といった風を(恐らく)装いながら、手を打った。
「わかった。そこまで言うのならばしかたがない。この赤子は――――あァ、ここかラの、全権ハ、リン殿の師であル、セルゲイ殿にまか、ス」
 力強く宣言していたダルメシアンの瞳は途中から輝きを無くし、とろんとした目つきで機械的に言葉を紡ぐ。そして、臣下を仰天させるような命を下したところで、急に体の均衡を崩し、階段をごろんごろんと転がりはじめた。その大胆な転がりっぷりといえば、ドングリも嫉妬するほどだった。
 騒然となった謁見の間で、トムはいち早くダルメシアンへと駆け寄る。
 仰向けで横たわるダルメシアンは白目を剥いて気絶していたが、どうやら命に別条は無いようだった。それに安堵したトムが階段の上を見上げると、視線があったのは氷の美貌を湛える黒魔術師――セルゲイだった。
 セルゲイは優美な所作で王座に歩み寄り、それに当たり前のように腰を下ろす。長い足を交差させながら、肘置きにもたせかかる様は堂々たるもので、さすがに不敬だと大臣が泡を喰ったが、セルゲイは眼差しでそれを黙らせる。初めて零れた気怠い美声は冷え冷えとしていた。
「恐れ敬うべき黒魔術師に椅子の一つも勧めんとは流石は辺境の芋王族、といったところか。世にもみすぼらしい椅子だが、これで我慢してやろうと、私が申しておるのだ。喜びに泣き咽ぶのがそれ相応の礼儀というものだろう。私の足が草臥れ果てて使い物にならなくなったら、その薄汚い足を差し出すのか。まぁ、貴様らの四肢を全てもぎ取ろうと、私の足どころか、我が弟子・リンの髪の毛一筋ほどの価値もないがな」
 セルゲイは、さっと顔を背ける大臣に嘲笑を浴びせた。それを眺めていたリンは、あくまでも無表情で、改めて師匠の性格の悪さに感心する――椅子を勧めでもしたら、この私を年寄り扱いするつもりか良い度胸だな。愚民どもめ。とかなんとか難癖をつけるんだろうなぁ。流石は天性の鬼畜。
 リンの心の声が聞こえていたのか、セルゲイは手慰みにリンの柔らかい頬を抓りあげる。
「ひひょう……ひたひのへふが」
「ほう、この程度で苦痛を訴えるとは、随分と打たれ弱くなったではないか。嘆かわしいな。私としたことが弟子の退化を許すとは――取り敢えず吊るしておくか」
 セルゲイは見せ掛けの憂いを浮かべながら首を振り、もう片方の掌を一閃する。すると、天上から落ちてきた白い糸がホンとリンの胴体に絡みつき、首を残してぐるぐる巻きにした。バランスを崩して顔面から転倒した主従は、徐々に逆さまに釣り上げられると巨大な蓑虫と化する。謁見の間の高い天井から吊るされたホンは、体をくねらせながら、セルゲイに噛みつかんばかりに激高した。
「このっ、腐れ魔術師! どういうつもりなのさ!」
「声高に喚けば求めるものが与えられるという思い上がり。そこが鳥畜生たる所以だな。現状把握と相手の心理を読む、それが自己保存の大前提だ。リンを見習え」
 ぷらんぷらんと重力に体を任せ、逆さになったリンは、悟りを開いたかの如く穏やかな表情をしている。それは諦めの極地という言葉が相応しいことは、誰の目から見ても明らかだった。
 セルゲイは、その趣味の悪い装飾品に少しだけ溜飲を下げる。艶やかな唇には満足そうな笑みが刻まれた。
 つまり、人類にとって不幸なことに、セルゲイは非常に退屈していたようだった。
 聖母のような顔(かんばせ)を持ち、しかし、その鬼畜な言葉と振る舞いに、場にいる人間は恐怖する。リンもホンも、全面的に善良な人間とは言い難かったが(なにせ黒魔術師と悪魔だ)、程ほどに親しみは持てたし、それを抜きにしてもセルゲイの傍若無人さは郡を抜いている。
 セルゲイは花も見とれる程の麗しい微笑を浮かべると、静かな声で宣告した。

「――それでは、君命により、赤子を二等分する施術を始めようではないか」

 野原にピクニックに行こうではないか、と同じ程度の軽さと朗らかさである。
 トムは戦慄したが、不快そうに口を挟んだのは、簀巻き状態から抜け出そうと苦心していたホンだった。リンは既に逆さま状態にも慣れたのか、振り子のように揺れながら船を漕いでいる。
「腐れ黒魔術師、いい加減にその嗜虐趣味をひっこめたらどうなのさ。悪趣味だし、吐き気がするほど不愉快だね」
「囀るな鳥畜生。これは歴とした依頼主の意志で、我らはそれを為すのが義務であろう」
「お、おそれながら、黒魔術師殿!」
 トムはがくがくと震える足を抑えつけながら一歩前に進み出た。その視線にさらされるだけで、心臓が縮み上がる。
「主からの命を忠実に果たそうというお言葉、非常に頼もしく感じますが、しかし、倒れる前の王は既に答えを手にしていたように思います。はたして王は、本当に赤子を二分割させるつもりだったのでしょうか?」
 ほう、と息を漏らし、セルゲイは面白がるような表情で顎をひとなでした。その威圧的な雰囲気にトムは生唾を飲み込む。
「下がれ下郎。臣下が主君の心の内を語るとはな。余程、慣れ合っているとみえる」
 あからさまな嘲りにトムは言葉に詰まり赤面した。セルゲイは鬱蒼とした笑い声を上げる。
「その方、王が本当は赤子を切断させるつもりはなかったと申すが。では、何故我らは態々呼び出され、このような下らぬ場に馳せせんじたのであろうな――まさか、とは思うが、黒魔術師を用無く呼び付けたなどという侮りであらば、今度は階段から転がり落ちるぐらいでは済まぬ」
 見るものが、ぞっとするほど凄みを帯びた美しさは、その場の人間の心を恐怖で支配する。
 トムはとんでもなくやっかいなものを気安く呼び出してしまったダルメシアンを心から呪った。
 セルゲイは王座に腰掛けながら両手を弄んでいたが、鼻ちょうちんをふくらましていたリンに視線をやると、その柔らかな頬を問答無用で貼り付けた。ぱちん、と弾けた鼻ちょうちんに驚いたのか、リンは寝ぼけ眼を瞬かせる。両頬を飾るのは綺麗な形の紅葉だ。
「ししょう……おはよう、ございます」
「リン、水臭いではないか。そんなに睡眠を取りたかったのであれば、私、直々に永眠させてやるものを」
「ししょうがおはなしちゅうにねむってしまい、もうしわけございませんでした。このようなあやまちは、もうにどとおこしません。ごめんなさい」
 無表情で呪文のように謝罪の言葉を紡ぐ弟子を前にして、よかろう、とセルゲイは鼻を鳴らす。主を虐待するとは何事だ! とぎゃあぎゃあ騒ぐホンには視線もやろうとしない。
「さて、リンよ。赤子を二等分するにはどのような術が有効であるか述べよ」
 セルゲイから投げかけられた物騒な台詞に、リンは顔色を変えるでもなく、僅かの間逡巡してから口を開いた。
「えぇと、そうですね。まず半分に割って、そこに泥をくっつけて半ゴーレム人間にするのが無難ですけど、材質的にはスライムでも応用できますし、はたまた死霊術との混合ってのもありですかねぇ。まぁ、多少、半ゴーレムよりはやんちゃに育ちそうですけど」
「ふむ、死霊術か……悪くない。物のついでだ、魔界の生物を召喚して、悪魔と合いの子にしてしまおうか。呪殺に強く、耐久性に優れた丈夫な赤子となるだろうからな」
 セルゲイは弟子の返答に会心の笑みを浮かべ、赤子をゆりかごから取り上げた。黒いローブを纏いながら、赤子を鷲掴みにするセルゲイはいまや血肉を啜る魔王にしか見えない。猫の子でも掴むような抱き方に、恐慌を起こしたのは女達で、金茶の女は泣き出したし、赤毛の女はセルゲイに食って掛かった。
「そ、そそ、そその子を化け物にするつもりかいっ! このっ、恐ろしい悪魔めっ!」
 セルゲイは喚く女を蔑みの視線で見つめた。隣ではこんな人格破綻人間と悪魔を一緒にするな、とホンが顔をゆがめている。
「崇高なる黒魔術師を愚劣な悪魔如きと混同するな。黒魔術の何たるかを貴様等のような能無しに説明する義理などないが、魔の森を統べる黒魔術師は、強気を挫き弱気を助く、自己満足の塊如き聖人君子とでも思っていたのか。そもそも、貴様等が斯様な猿芝居を画策せねば、私が煩わされることなぞなかったのだ。子供を守りたいなら相手の喉笛に食らいつけ、己の爪で敵を斬り裂け。それぐらい自然界に生きる動物でも知っている。つまり貴様等はその畜生以下だということだ――まぁ、そもそも畜生は虚言を弄さぬか」
 びくりと女は肩を震わせたが、セルゲイはそれを無視して、不満を含んだ溜息を吐き出した。僅かに顰められた眉が、不機嫌な弧を描いている。
「私としたことが畜生以下と口をきき、あまつさえ愚にもつかん時を過ごすとはな」
 興が殺がれた、と一言呟くとセルゲイは赤子を元の位置へと戻し、掌をひらりと返した。
 へぶっ、という鈍い音がして、天井から伸びていた糸を切られた主従は地面に激突する。その糸の端を持ち、セルゲイは軽い足取りで階段を降り始めた。ざりざりと重たいものを引き摺る音、そしてホンが声高にセルゲイを罵っているが、縦板に水である。リンといえば、遠い目をしながらも無言を貫くという徹底ぶりで、その諦めっぷりはいっそ見事だった。
 セルゲイが失神したままで横たわっていたダルメシアンの腹を当たり前のように踏みつければ、蛙が潰れた様な音と共にダルメシアンが息を吹き返す。セルゲイはぼんやりとしているダルメシアンに鋭い舌打ちを漏らした。
「王、この鳥畜生に読心術を使わせろ。さすればこの茶番劇も終結する。後は煮るなり焼くなり、切り刻んで腸引きずり出すなり、生きたまま猛獣の餌するなり、好きにしろ」
 つまらなさそうに言葉を吐き捨てたセルゲイに、ダルメシアンは穏やかな声を返す。
「セルゲイ殿、御心遣い痛み入るが、その必要もないと私は思う。過分の働き、心からお礼申し上げる」
 にこりと笑った王につられるようにトムが視線をやると、二人の女が顔を青ざめているのが目に入った。セルゲイは僅かばかり眉を跳ね上げたが、何も言わずに踵を返す。がつがつ、と引き摺られたリンが、階段にこめかみを打ちつけている音が聞こえた。
「手緩過ぎて二の句を告げる気にもならんな。いいか、今度瑣末な依頼で呼び出したら、その時が貴様の命日になるだろう。ゆめゆめ忘れるなよ」
 不吉な言葉を吐き捨てたセルゲイと、蓑虫化した人間と烏を見送り、トムは深い息を吐く。あまりの緊張感に息をするのさえ忘れていたようだ。
「王……! 大丈夫ですかっ! なにか変な術かけられてないでしょうね!」
 王の頭に掴みかかりながら質問を浴びせると、王は苦笑しながらも大丈夫だと言う。周りにいた大臣もほっと安堵の息を吐いて和やかな雰囲気になっていれば、視界の端で赤子を抱き、こそこそと逃げ出そうとしていたのは二人の女たちである。トムが何か言う前に、ダルメシアンが声をかけた。
「ふたりとも、少し待たれよ」
 セルゲイの台詞から、この女達がどうやら嘘を吐いていたらしいことはトムでもわかった。おひとよしの王につけこんで金でもせびろうという魂胆だったのだろう。睨みつけるトムを制して、ダルメシアンはのほほんとした雰囲気で女たちをみつめた。
「力になれずに申し訳なかった。また困ったことがあればいつでも相談しに来るといい」
 ダルメシアンが鷹揚に頷くと、毒気を抜かれた女達は蜘蛛の子を散らすように出て行く。トムは釈然としない気持ちでにこにこと笑みを浮かべるダルメシアンに問いかけた。
「あの、王。本当にいいんですか?」
「また問題があればやってくるだろう……これで漸くホン殿に会いに行けるな」
 えー、まさか、気付いてないって事はないよなぁ、と疑いを抱きながらもトムは頷いた。ついさっきホンに会ったくせに、また懲りずに小屋に行こうとしているところが非常にダルメシアンらしい。
 広間を出たダルメシアンの背中を追いかけながら、トムは気になっていたことをもう一つだけ聞いてみた。
「王、まさか、本当に赤ん坊を半分にしようとは、考えてませんでしたよね?」
 質問を投げかけられたダルメシアンは、ぴたりと歩みを止め、驚いたように振り返る。そしてそんなこと聞かれるとは思わなかった、と言わんばかりに目を丸くした。

「トム、あたりまえだろう! 私がリン殿、ホン殿の仕事振りに疑いを挟むとでも思うのか! リン殿であれば、綺麗にふたつぶんにして、彼女達の感謝の念を一身に受けていたことであろうよ! あれ、どうしたんだトム。たちくらみかい? トム?」



 どうやら、トムがダルメシアンの心の内を語るのは、百億年早かったようである。





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