若き魔術師達の登竜門でもあるツァオバクス魔術学校の図書室には、古今東西から集められた多種多様な蔵書が並ぶ。
 その危険性から禁書へと指定された魔術書、戦火を経て消失し、通常では入手困難となった歴史書などが、整然と棚に並んでいる。その本の壁は天に届くかというほど高く、知識を求める魔術師にとってそれは宝の山に他ならなかった。
 大人の都合により無理やり魔術学校にぶち込まれた少女にとって、貴重な書物を好きなだけ貪り読むことが出来たのは不幸中の幸いと言って良いだろう。



 ゆっくりと廊下を歩く少女の腕には大量の書物が抱えられていた。
 魔術学校の廊下には大きなステンドグラスが嵌めこまれ、陽光は冷たい石造りの床に複雑な色彩を描く。その自然の美術品に感嘆することも無く、少女は歩を進めていた。癖一つ無い黒髪が背中を覆い、少女が身体を傾けるにつれ、右へ、左へと揺れる。
「ラズトキン!」
 後方から聞こえてきた声に少女は反応せず、あくまでも悠然と歩いていた。すると荒い足跡が近づき、少女を追い越した少年が――恐らく叫んでいたのは彼だろう――目の前に立ち塞がった。
 少女――リンは流石に歩みを止め、その人物をまじまじと見上げる。
 透明感のある銀髪と、顎の高さで一直線に切り揃えられた特徴的な髪型。一見、少女と見まごう様な中性的な造詣だが、その深い海を思わせる双眸の鋭さは彼の性別を雄弁に語る。きつく睨まれたが、リンはその程度の威嚇に気圧されるような殊勝な性格はしていなかった。
 少年にはそれとなく見覚えはあったが名前が今ひとつ思い出せない。恐らくシュトレーゼンクラスの同門生だろうと当たりをつけて、リンは首を傾げた。
「何か用でもあるの? えっと――」
 リンが名前を忘れているのを察した相手は、こめかみにぴしりと青筋を立てた。
 血の気が多そうだけど、魔術師の血肉が必要な呪術用に分けてもらえるかな、と小さな期待を込めてリンは少年を見返す。今度、実際に交渉してみても罰は当たらないだろう。
 少年は唇を真一文字に引き結び、眉を引くつかせながらも、自分を律するのに成功したようだ。
「ルーヴェ・ロガ・アールトネンだ。リン・ラズトキン、俺の声が聞こえていなかったのか?」
「あぁ、そのファミリーネーム、聴き慣れてないの」
 ラズトキンというのは、この魔術学校に入学する際に、セルゲイがリンに与えたファミリーネームだったが、未だに自分のことだと認識できていない。授業中は教授の視線で自分が指名されたと勝手に解釈して発言するが、背後から呼ばれた場合はどうにも仕方がないのだ。
 ルーヴェはきゅっと眉根を寄せ、ひとつ溜息を吐いた。
「まぁいい――ところで、少し話がある。時間とれるか」
「えっと、今は無理。これ読みたいから」
 リンが軽く肩をすくめると、まさか断られるとは思っていなかったのだろう、ルーヴェの身体は一瞬爆発するかのように膨れる。しかし、ルーヴェは自制心で感情を押さえつけたようだった。流石に自分よりも頭ひとつ小さい少女を怒鳴りつけるのは、プライドが許さなかったのかもしれない。
 二人は廊下のど真ん中で見詰め合う形で突っ立っており、通り過ぎる生徒の歩行を阻害していた。張り詰める空気に生徒も訝しげな視線をやるが、基より気にする性格でもない二人には何の問題にもならない。
 立ち竦んでいたリンが両手で抱えた本の重みでよろめけば、ルーヴェは睨むのを止め、咄嗟に手を伸ばした。
「ラズトキン、その本を俺に寄越すといい。運んでやる」
 その紳士的な行動は幼い頃からルーヴェの身に染み付いたものだ。多くの少女は厳しさと優しさの落差に感激を覚えるのが常だが、この人、使ってもいいのか、と認識したリンは、あっさりとすべての本をルーヴェに手渡した。
「はい、これ、教室まで運んで」
「誰がすべての本を持つと言った! 貴様は遠慮という言葉を知らないのか!」
「えー、重くて持てないならいいけど」
「俺が言ってるのはそういう意味じゃない! 貴様は人としての常識をだな」
 あぁ、使ったら使ったで色々と面倒くさいタイプか。
 クドクドと人道を解くルーヴェを眺めながらリンは今は部屋で退屈そうにしているであろう使い魔を思い出す。この本だって三分の一はホンの為に借りた書物で、持っていくのが遅れたらどこで道草食ってたのか等、散々小言を吐かれるに違いない。
 別に持ってもらえないのならいい、と本を受け取ろうとすれば、ルーヴェは心外だと言いたげに鼻を鳴らす。
「馬鹿にするな! この程度の重さが、苦になるものか」
「じゃあ、それ終わったらあと二往復あるから、運ぶのお願い」
「――貴様、俺の助言を全く聞いていなかったようだな」
「代わりに、えっと、貴方は、アールトネンだっけ。貴方と話する時間を作る――これでどう?」
 リンが交換条件を提示すると、ルーヴェは呆れたように口を開けたが、頷き、了承の意を表した。
 ルーヴェを荷物持ち替わりにして廊下を闊歩するリンに、すれ違う生徒が驚いたように視線を向けたが、不機嫌そうなルーヴェに気づき、それはすぐに散開する。
「しかし、これだけの本を一度に借りて、期間中に読みきれるのか? なんだこれは、『相手を恐怖で支配する拷問のやり方』『世界猛毒大全』『悪魔って殺せますか?』――だと。ラズトキン、貴様の趣味を疑うな」
 不快感を顕にしたルーヴェを見つめ、リンは邪気無く首をかたむける。
「魔術師たるもの、数多の知を求め、我が物とすべし……ってのが、師匠受け売りの哲学なんだけど、貴方はそうじゃないの?」
 皮肉ではなく、そういう物なのかとリンは思った事を口にしただけだったが、ルーヴェは息を呑み、かっと頬を赤らめた。そして重々しく口を閉ざしてから、噛んで含めるように慎重に言葉を紡ぐ。
「――魔術師として恥ずべき狭量な発言だった。謝罪する」
 急に真剣な表情をして詫びを入れたルーヴェにリンは瞬きをした。
 いまいち、何に対して謝っているのか解からないが、ここでそれを問いただすのも面倒くさい。それに十中八九聞き返したら、無粋だと怒りだしそうな性格だということは予想がつく。
 リンはとりあえず、気にしていないと、鷹揚に頷いておいた。
「それで話って?」
 気を逸らすように話題を振ると、ルーヴェの顔つきはぱっと変わる。関心があるのを懸命に抑えようとはしているが、その目に宿る光を見れば、興味津々なのは隠し切れていない。
「ラズトキン、貴様の師が、あの、セルゲイ・ラズトキンだったというのは本当か?」
「あぁ、えぇと。なんのことでしょうか。そんなセルほにゃらら師匠なんて人のことは見たことも聞いたこともないけど。じゃあ、さよなら」
「急に饒舌になったな。嘘か」
 直截的に断言したルーヴェにリンは視線を泳がせる。ルーヴェはその態度に合点がいったと頷いた。
「あれだけ高名で力の強い魔術師だ。先の大戦での偉業を歴史書で目にすることはあるが、その存在は畏怖とともに未だ尚、霧に包まれたままだ。無論、おいそれと人の口に登らせるべきでは無いと承知している――しかし、俺は希世の魔術師だったセルゲイ・ラズトキンについて、どんなことでもいいから知りたいと思っているんだ」
 あぁ、この人、もしかしてセルゲイ師匠を崇めちゃってる系か、とリンはげんなりとする。
 勿論、セルゲイ本人が面倒臭がりだということもあるが、性格がどぎつすぎて御触り厳禁。結果、表舞台に出てこないという考えは、英雄に憧れる少年の頭には思い浮かびもしなかったらしい。
 正直、リンは師がこれまでに何を成したかをはっきりとは知らなかったし興味も無かった。一度、何か弱みでも発掘できないかと思って調べかけたことはあるが、爪先から摩り下ろされそうになって以降、その可能性を考えたこともない。
 それに過去を知ったからといってセルゲイ師匠が根っからの平和主義者にでもなるのか? 否!
 無駄なことには労力を使わないに限る。これがリンの言い分である。
「プロフェッサーシュトレーゼンに聞けばいいでしょ。そっちのほうが話が早い」
「既に聞いた。満足する情報が得られてたら、貴様に聞くわけないだろう」
「それが純然たる答えだってなんで気づかないかなぁ」
「なんだと?」
「いいえ、べっつにー」
 業とらしく口笛を吹く勢いでリンは視線を逸らす。
 隣で眉を寄せるおかっぱ少年は、彼の人物の危険性に気づいていないのだ。リンが下手なこと言ったら吊るされるし、変に情報を与えすぎてもすり潰されるだろう……嗚呼、めんどくさい。このおかっぱ男が代わりに生贄になってくれるってんなら話は別だが。
 リンはちらりと不可解そうに口を曲げるルーヴェの様子を伺った。
 白い抜けるような肌と、調和のとれた部位。その中でも、意志の強そうな蒼い瞳と、それを覆うように隙間なく生える睫毛が印象的だ。そして、極めつけが光に透ける銀色の髪。ステンドグラスの光に溶けそうになる銀糸にリンは思わず手を伸ばした。
「……なっ!!!」
 まさか突然髪に触れられるとは思わなかったのだろう。驚きに硬直し、ルーヴェは抱えていた本を手放し、落ちた書物が足を強打する。反射的にルーヴェは蹲ったが、リンはそのまま髪の毛を掴んでいたため、手元には何本か銀色の髪が残った。ぶち、と鈍い音が手から伝わる。ルーヴェは憤慨した表情で上を向いたが、その涙の滲んだ目をリンは平然と見返した。
「――同じ色」
「は」
「アールトネンは、セルゲイ師匠と同じ色をしてる。性格は似てないみたいだけど」
「何を言っているのか解らない。ラズトキン、少しはまともな言葉を喋れ」
 戸惑っているルーヴェに答えるつもりはなかった。これだって確りとした情報だ。
 それよりも、偶然ながらも手に入った髪の毛の使い道を考えるのに夢中になった。銀色の魔力の強い魔術師の髪の毛。これは先日借りた禁書の実験にさっそく取り掛かれるかもしれない。
 思い込んだら一直線。頭の中を駆け巡るのは難解な数式と呪文、そして実験の手順である。
「おい! ラズトキン! この本はどうするんだっ! 貴様、聞いているのかっ!?」
 ぶつぶつと自分の世界にのめりこみながらリンはルーヴェに背を向け廊下を進む。
 部屋に戻り、自分の所望の本を与えられなかった使い魔にこってりと絞られたのは後の話である。



さあ、英雄の話をしよう



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御礼&蛇足という名の後書き
 余々さんに頂いたリンちゃんイン魔術学校のイラスト! 今度、こんなの書きたいんです! とお話してたらなんとかいていただきました! なんたる望外の幸せ! 設定はもう決まってるんですけど本編差し置いて、番外編から書くという邪道感。リンちゃんがちょっと大人っぽくてどきどきします。相変わらずな感じですが、おかっぱ男子も出せて満足です。銀髪碧眼は正義。ホンちゃん出せなくてしょぼんですが、すっっごく創作脳を刺激されました。また本編もつらつらと書けたらいいなぁ。
 余々さん、本当に素敵なイラストをありがとうございました! 感謝!


余々さんのサイトはこちら!
Rosmeralda.