テレビから聞こえてくる音が、台風の接近を伝えている。
 こんな天気にも関わらず、繁華街でも評判のラーメン屋は盛況な様子で、索子(そうこ)たちの他にも、仕事帰りのサラリーマンや作業服姿の若者の姿がちらほらとみえた。
 皆はビールを注いだグラスを握りしめながら、談笑をし、ラーメンや餃子をつついている。アルコールやニンニクの匂いが漂う店内は、外よりも数段に暖かかったが、それは、おそらく単純に温度だけの問題ではないのだ。
 索子は小さい頃から父親ときていたこのラーメン屋が大好きだった。
 今でも酒の臭いがしない時がないといった典型的な駄目親父だが、幼い索子の皿の上に自分の餃子を分け与えてくれるぐらいの男気はあったのだ。たぶん。恐らく。願わくば。

 がたがたと、強風と雨粒がぶつかった窓ガラスが音を立てる。
 索子は熱いスープの中につかったラーメンを啜りながら、そういえばこの少年と一緒の時はよく雨が降るなと思った。出会いも雨の日であったし、少年が、索子の父親がオーナーを務める雀荘を訪れるときも高確率で雨だ。
「もしかして、少年って雨男?」
「なに、索子さん、唐突に」
 少年は喉で笑いながら、そっと目を細める。その大物然とした態度が、雀荘の常連客から年齢不詳だと言われる原因になっているのだと索子は思う。最近冬服に替わったばかりの学生服は、巷で有名な進学校の生徒らしいのだが、未成年ながらに雀荘に入り浸っているところや、こういう年にそぐわない笑いかたといい、索子はいつもアンバランスな印象を受けていた。
 大きな声を上げてバカ笑いでもすれば、少しは年相応に見えるかもしれないのに。可愛くない。
 その嫌味なほどに張りのある肌を抓ってやろうかとも索子は思ったが、それさえも一笑に伏す少年の態度が思い浮かんで、余計に腹が立った。自分の想像に怒るなんてナンセンスだが、日々、小生意気な少年と接していれば、だいたい少年がどんな反応をとるかなんてわかってしまうようになる。つまり、索子がそれだけ言い様にからかわれているということなのだが。
「索子さんは、晴れ女っぽいな」
「……それは私が脳天気だといいたいわけね」
「索子さん、卑屈になりすぎ」
 索子が穿ち過ぎなのかもしれないが、少年の瞳に宿るからかうような色を見る限り、考えすぎだとも言い切れない。索子が疑いの眼を向けると、更に面白そうに少年は喉を鳴らした。
「だけど、晴れ女のほうが雨男よりはいいだろ――つまりさっきの質問についてだけど」
 とりあえず、質問に答える気はあったらしい。索子は真面目くさった表情をとりつくろった。
「少年は辛気くさい顔をしてるから駄目なのよ。もっと朗らかに笑えば……逆に雨が降るかもしれないけど」
「酷いな。年頃の少年は些細なことでも傷つきやすいって聞いたことない?」
「傷ついた少年は自分から"傷ついた"なんて申告するもんですか。ナイロンザイルみたいな神経してるくせによく言うわ」
 ふん、と鼻をならせば、なるほど、と少年は大人びた表情で笑う。
 そういう時の少年の表情が索子はあまり好きではなかった。
 硝子を一枚通した向こう側から世の中を傍観しているような、そんな余所余所しさを感じるからだ。
 あの雨の日に出会ってから、索子にとって少年は弟のような存在で、ついお節介を焼いてしまうようになっていた。
 妙な告白を受けたこともあったが、青少年の知恵熱だということでとりあえずは片付けている。正直、子供に欲情するわけがないし、後ろに手が回るようなことまっぴら御免だ。
 索子はひとつ息をついてから箸をおき、緩んできた髪をゴムで結びなおした。ラーメン類を食べるときは髪の毛をくくるのが索子のジャスティスである。
「まぁ、別に雨男ってのも悪くないわよ……お百姓さんが喜ぶと思うし、しいてはおいしいご飯が食べられるんだから」
 索子は深く考えずにそう言って餃子を頬張る。噛んだ皮の間から熱い肉汁がじわりと染み出してきて、いつも通りの美味しさに索子の顔は綻ろんだ。すると、何故か黙り込んでいた少年が唐突に破顔し、その柔らかい表情に索子はあっけにとられる。
 少年は掌で顔を隠しながら、くつくつと喉を鳴らした。人を愉快にするような事を言った覚えもなかった索子は少し憮然としたが、そのじとりとした視線に気づいた少年は、ようやく笑いを引っ込める。
「ごめん……やっぱ、索子さんはいいね。シンプルで」
 そうして耐えきれないと言った風にまた笑うから、索子はその足を踏んづけてやろうかと思ったのだが、その表情はさっきよりは幾分かましだと思い直す。
「――まぁ、いいけど。ところで、少年、あんた全然食べてないんじゃないの?」
 既に完食しかけていた索子と比べ、少年の手元のどんぶりは殆ど手つかずといった状態だ。ここのラーメンの味は索子のお墨付きだが、まさか体調でも悪いのだろうか、と疑ったが、少年は相変わらずの飄々とした態度で、熱があるようにも見えない。
 少年はその質問に、何でもないようにさらりと答えた。
「あぁ……人と一緒にご飯食べるの久しぶりだから、なんか勝手が違うというか。それに、あまりお腹が空かない性質だから俺」
「はぁ? 何ふざけたこと言ってんのよ。人間の基本は飲む打つ買う――じゃなくて、衣食住でしょ? あんた、もやしっ子みたいな体してると思ったらやっぱり……ちょっと待って、今なんて言った?」
「あまりお腹が空かない性質?」
「そこじゃなくて、その前。人と一緒にご飯を食べるのが久しぶりって、あんたまだ高校生でしょうが」
「それが?」
 なんて事がないように聞き返した少年に索子はしばし言葉を失った。絶句している索子の様子に少年は首を傾げ、酷く滑稽なものを見たときのように、そんなに珍しいことでもないと思うけど、と言う。
「そうだな……もし、仮に俺が、政治家の愛人の私生児で、しかも母親からも疎まれてて、家では存在しないものだと扱われてるとしたら――索子さんはどうする?」
 その黒い瞳が鈍く光り、索子をじいと見つめる。
 その心の中をのぞき込むような視線が不快だった。
 索子のささいな感情まで引きずり出して飲み込んでやるという空っぽの目――不健康極まりないな、と索子は思う。
 索子は少年の値踏みするような視線を無視して、ラーメンの汁を一気に飲み干した。そして餃子を口の中に放り込むと数回咀嚼して体に取り込む。そうすると体の奥底から湧き上がってくるような怒りが少しだけ緩和されて、索子は真っ直ぐと少年を見つめ返した。
「私はそういう人の気持ちを試すような態度は大嫌いだから。寂しくてかまって欲しかったら、ストレートにそう言えば?」
 少し驚いたように瞳を数回瞬かせてから、少年は面白そうに瞳を細める。口元に刻まれた微笑は挑戦的に索子に向けられていた。一筋縄ではいかない雰囲気に索子は上等だと、顔を引き締める。
「じゃあ、かまってよ索子さん。俺、寂しいから」
「断るに決まってんでしょう。ばぁか」
「索子さん、さっきと言っていること違うよ」
 呆れたようにふぅと肩を竦めた少年に、索子は少しだけ気分がすっとする。いつもは口が達者な少年にやり込められていたから、仕返しするチャンスを虎視眈々と狙っていたのだ。索子は不敵な笑みを浮かべた。
「欲しいって言えばなんでも手に入れられると思ってるのがお子様なのよ。世間はそんなに甘くないって、私、散々言ってるわよね、少年」
「――なるほど、確かに世知辛い」
 少年は得心がいったように頷いたが、そのおどけるような態度は全く懲りていない。
 嫌な予感がして索子が身を引くと、それを追いかけるように少年のほっそりとした腕が追いかけてくる。索子の耳をさらりと撫ぜるようにして冷たい手が頭の横を通り、気づいたときには索子の長い髪は重力にしたがって落ちていた。はっと気づいて頭に手をやれば、索子の髪のゴムは無くなっている。
 舌打ちをしながら少年を睨みつけると、彼は索子から視線を動かすことなく、手に入れた戦利品に口付けていた。そういう年上をおちょくる様な悠然とした態度が、索子の癪に障るのだ。
 少年は索子を真っ直ぐと見据え、挑発的な笑みを頬に刻む。それに負けないように索子も睨み返した。
「だけど俺は、今、一つのもの以外は要らないから。それを手に入れるために必死なんだけど、これでも」
「あ、そう――その為には嘘も吐くってことね」
「目的のためなら手段を選んでもいられない」
 こういう時にだけ、無邪気さを装う少年の頬をはたいてやりたい衝動を索子は耐えたが、その腹いせに財布の中から野口英世を二枚取り出すと、机の上に叩き付けた。そして索子は立ち上がり、ラーメン屋の入り口へと足を向ける。
 その一連の索子の雄雄しい態度を、少年は頬杖つきながら眺めていたが、店から出て行こうとする索子の名前を静かな声で呼んだ。不機嫌さを隠そうともしないで振り返った索子に、少年は作り物のような笑みを送る。
「索子さん、俺、実は、来週が誕生日なんだけど。またラーメンご馳走してよ」
 その倣岸不遜な物言いに、ふつふつと静かな怒りが湧き上がる。
「少年、あんたの誕生日は今日だって聞いてたのは私の気のせい?」
「だから"実は"って言っただろ。それとも、俺、実は二回誕生日があるんだ、っていう答えのほうが索子さんは好き?」
 質問に質問で返すな、と索子は怒鳴りたかったが、大人の余裕を見せ付けるためだけに虚勢をはる。しかし、引き攣る笑顔で振り向いた時に、少年の瞳に少しだけ憂いが過ぎったような気がしたから、その一瞬が命取りだった。
 頭を掻き毟りながら索子は後悔したが、目撃してしまったものはしょうがない。
 ――こういうところが本当に甘いって馬鹿にされるのだろう。誰に。知るか。
 臓腑から溜息を搾り出して、索子は、顔を伏せている少年に向かってとげとげした声をかけた。バツが悪いから、普段よりさらにぶっきらぼうになる。
「だから……ふっつーに一緒にご飯食べようって言えっていってるでしょ? 回りくどい言い方とか、嘘つかなくていいから」
 そう言った索子を、少年は笑みを消し去った顔でじっと見つめていた。何を考えているか良くわからない表情で、必死に索子の姿をその瞳に焼き付けでもしているように。そして少年は、まいったというふうに首を振る。
「俺の多面張が、索子さんの単騎待ちに負けた気分だな」
 少し残念そうに、同時にどこか楽しそうな顔で笑って、少年はするっと立ち上がった。索子の低い身長と双方に歩み寄って、目線は僅かに少年が上だ。
 少年は索子を見下ろしながら、さらりと言う。
「じゃあ、索子さん、一緒にご飯食べてよ」
 そのストレートでシンプルな言葉に、索子はにやりと意地の悪い笑みを浮かべた。

「いいよ――ただし、ちゃんと残りのラーメンを平らげてから。さらに、少年が麻雀で勝ったらの話だけどね」


 その後、索子は少年の誕生日を三日とあけず祝わされる羽目になるのだが、それはまたの機会にとっておこう。


ラーメン屋にて嘘時々、愛のプレゼント






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