新学期が始まった。
 相変わらずの寝ぼけ眼で拓巳は家を出る。家から学校までは歩いて二十分ほどはかかる筈なのに、拓巳の手首にまかれた時計の長針は始業ベルより十五分ほど前のところを指し示していた。焦る様子などまったくない拓巳は、漏れる欠伸をかみ殺し、その日本人離れした長いコンパスでだるだると歩いている。
 太陽はいまだに夏の面影を残し、にまりにまりと性質の悪い笑みを浮かべている。寝足り無いように感じるのは熱かった所為だろうと拓巳は思った。そういえば、なにか愉快な夢を見たような気もする。それは多分、最近お気に入りの2Cで遊んでいた夢だ。甘いものを食べながら新技コブラツイストを披露していたような――普通に考えて支離滅裂だが、本来夢にはつじつまなんて必要ないし、拓巳はそんなのを気にする性格でもない。
 あぁ、楽しかった。
 とつまり桂木はすこぶる上機嫌で目を覚ましたわけだ。
 商店街のタバコ屋の角を過ぎたところで桂木は一度大きく伸びをする。ううーんと思わず漏れる声に玄関先を掃いていた井口文具店の店主、井口陽海(いぐちようかい)が顔をあげ、からからと笑いながら拓巳に話しかけてきた。
「よっ。拓ちゃん、オッハー!」
「イグジイ、オッハーは古いぞ! 下らなさ過ぎて殴る気も失せたっ!」
 イグジイ、もとい陽海は拓巳の暴言に腹式呼吸で笑った。その爽やかさ、胡散臭いほどである。
 陽海と拓巳の付き合いは幼稚園までさかのぼる。
 拓巳は幼稚園の頃から天使のような愛らしい容姿と小生意気な態度がオジサマオバサマにうけて、商店街をぐるりと循環すればポケットが貰ったものでぱんぱんに膨れ上がるぐらいの人気ものだった。陽海は愛想のいい四十過ぎの親父で、その頃は子供もいなかったから、まるで拓巳を息子のように可愛がっていたのだ。
「あっはは! 相変わらず生意気な小僧だな、拓ちゃんは。まぁ、またうちにもきてよ。サービスするからさ」
「んー、《井口文具店限定ねりけし》をくれるなら、考えてもいい」
「俺の娘、嫁に貰ってくれるならイイヨー! 俺も未来の婿には甘いからさぁ」
「馬鹿め! よっちゃんは5歳だろう!」
「愛があれば、年の差なんて、ノンノン!」
「悪いが今はイグジイと遊んでいる暇はない! 俺は行くぞ!」
 そう叫ぶと拓巳は背中にイグジイの「いってらっしゃい」の声を受けながら走り出した。
 チャイムが鳴るまであと五分。

 周りの景色が飛ぶように変わっていく。拓巳は生き生きとした表情で、前だけを見据えて足を動かしていた。バイパスを越えればそのうち校門へと続く坂が見えてくる。学校へ近づくほど、制服を身に着けた生徒が増えた。しかも大体がみな遅刻常習犯だ。そんな連中を拓巳はあっさりとその俊足で抜き去った。坂を上りかけたら、予鈴が鳴り始める。
 この瞬間が拓巳は最高に好きだった。間に合うか間に合わないかその瀬戸際。自分でも本気で走らないとアウトだという絶妙なタイミングだ。それが最高にスリリングで、顔は楽しさの余りにやけてしまう。拓巳はぐっと足に力を入れ、コンクリートを蹴った。
 ふと前方に見慣れた背中を見つけた。ふらふらよろよろと、それは不恰好に迷走している。その様子であったら、絶対に遅刻になることは明らかであった。恐ろしいスピードで爆走していた拓巳にそれが誰であるかと考えている暇はなかった。「これは拾っておこう」と本能が身体を動かしたのである。
 拓巳はその人物の腰を抱え、よいしょと肩に担ぎ上げた。ぐえとつぶれる様な声が聞こえたが、そんなの気にするような細やかな性格はしていない。その身体から生えていた足を右手でしっかりと掴むと、桂木は校門を目指した。風にぱたぱたとなびく制服のスカートから水玉パンツがちらりと見えたのはちょっとした不可抗力であり事故である。
 それでも。
 ――色気がないな。
 ふと、拓巳が率直に思った事は、彼女にとっては知らぬが仏。


王子、俵を担ぎ上げる




お礼&蛇足という名の後書き
ゆやさんに頂いてしまったワタシトカレラ。12話の担がれシーン! めちゃんこ可愛いんですけど! まさにこんな感じだったんだろうな! とうんうんと頷いてしまいました。笑っている桂木とたすけて〜! と言っている「私」がとっても愛しいです。今回はオマケSSとして拓巳側の12話を書いてみました。また新キャラ出ちゃってますけど気にしない(笑)ゆやさん、本当に素敵なイラストをどうも有り難うございました!


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