朝の日差しを体全体で受け止め、俺はくぁ、と大きなあくびをひとつ漏らす。
 ――今日もいい天気になりそうだ。
 俺は頬に感じる風の爽やかさに満足し、軽快な足取りで進んでいた。
 ジジくさいと言われるかもしれないが俺の趣味は散歩だ。
 健康に良く、お金が掛からず、精神的な充足感も得られる。これほどまでに理に叶ったストレス解消法はないだろう。
 目覚めは悪くない癖に寝汚い妹に声をかけてはみたものの、返ってきたのは、お土産よろしくという寝ぼけ交じりの声――まぁ、コンビニでプリンぐらい買って帰ってやればいいか。



 本屋に寄って目当ての小説を手に入れた俺は、街をぶらぶらしていた。
 歩道の脇に植えられた街路樹が揺れ、聞こえる葉のさざめきが心地良い。昼に近づくにつれ、人通りも増え、街には活気が生まれる。その変化を見るのも早起きの醍醐味だろう。早起きは三文の徳とはよく言ったもんだ。
 コンビニの扉をくぐると、鼓膜を突き破るほど大きな声が上がった。
「ああっ! お前はアニじゃないかっ!」
 聞き覚えがある声だった。
 コンビニの中を見回し、声の主を探ると、一度見たら絶対に忘れられなさそうなイケメンが瞳を輝かせながらこちらに近づいてくる。
 花でも背負ってそうな華やかな彼の名前は桂木拓巳クン。
 どうやら妹に惚れているらしいが、その愛情表現は客観的にどうかと思うぐらい斜め四十五度だ。
 そして、その隣にはまたお馴染みの顔――妹曰く魔王の峰藤浩輝クン。
 俺の勘が正しければ、こちらも妹を憎からず思っている様なのだが、険のある態度を見ている限りでは、相当、不器用な子なんじゃないかと思う。
 俺の視線を受けた峰藤クンは、厳しい表情を崩さないながらも、軽く会釈をしてみせた。対して、桂木クンは俺の肩に手を掛け、至近距離で眩しいスマイルを披露する。とてつもなく顔が近い。会って二度目だとは思えないほどのフレンドリーさだ……俺は君の往年来の戦友か?
 妹に聞いた話だと、混血らしいからパーソナルスペースが狭いのだろう、と俺は好意的に解釈した。
「桂木クン……少し顔が近いんだが」
「おお! この俺の顔を覚えていたのか! 偉いぞ! アニ!」
 話を聞いていない。しかも結構な勢いで上から目線だ。というより、実際に俺より若干目線が高かった。
 イケメンで背が高いなんて嫌味以外の何ものでもないし、更に運動神経と頭が良いなんて事になったら、流石に妹には勿体無さ過ぎるんじゃないかと思うところだが、桂木クンは残念ながら長所を帳消しにできるぐらい素で無礼な子だ。妹が面食いじゃなくて良かった。こんな見目麗しい派手な弟、絶対に御免被りたいからな。
「桂木クンと峰藤クンは二人でお出かけか? 仲良いんだな」
 何も考えずにそう言うと、同時に二人が嫌な顔をした。
「アニ! お前の目は節穴かっ! こんな根暗男と俺が仲が良い訳があるかっ!」
「そのような気持ち悪い事は口に出さないで下さいませんか。反吐が出そうになるので」
 ドン引きだ。何だこの子等。俺の常識からいって、本人を目の前にそこまで否定する神経が解らない。しかも反論する表情から台詞までぴったりじゃないか。仲良しだろ普通に考えて。
 俺はその台詞を飲み込んで(大人だから)ああ、そうとだけ答えた。峰藤クンも冷静沈着です、なんていう顔しながら、結構、むきになりやすいらしい。だけど反吐が出るとかさらっと言わない方がいいと思う。人間性疑われるぞ。
「それでアニはなにをしているんだ! 徘徊か?」
 俺は老人か。素直に散歩でよくないか。それとも桂木クンの家では散歩の事を徘徊と呼んでいるのだろうか。湧き上がる疑問は腐るほどあったが、そこのところはあえて触れないことにする。
「ただの散歩。妹になんか買って帰ろうと思ってな」
 妹の名前を出すと、二者二様の反応を返してくれた。
 桂木クンは見ている俺が恥ずかしくなるほど、顔を喜色満面に染めあげ、峰藤クンは気にしてないように見えて、眉を跳ね上げてこちらを見据えている。
 なんだ峰藤クン、無言でメンチ切るのはやめてくれないか。番町皿屋敷のお岩さんを彷彿させる男子生徒なんてレアすぎるだろう。
「……病気で寝込んでいるのですか?」
 睨みをきかせながらも、彼の口から出てきたのはそんな言葉で、俺は少し感動した。
「いや、心配してくれるのは有難いんだが、ただ単にねぼすけで出不精なだけ」
 苦笑しながら言うと、峰藤クンの頬にはさっと朱がさす。なんとも解りやすい。頭をかきながらも微笑ましく思っていれば、ぎり、と親の仇を見るような眼で睨まれた。
「私はただ単に健康状態を伺っただけで、心配しているなど一言も口にしておりませんが。勝手な妄想で人の言葉を歪曲するのは――」
「わかった。わかったから、峰藤クン」
 俺は流れるような峰藤クンの言葉に降参だと両手を上げる。妙な迫力に圧倒されて目が点になったが、照れ隠しだというのは解かったから、思わず笑い出しそうになった。しかし、そうしてしまうと余計に睨まれることは予想できたのでぐっと我慢する。牙を剥きだしにして威嚇する峰藤クン、まさか妹に対してこんな態度を取っているんじゃないだろうな。まさかな。しかし、妹のびびりぶりを思い出すに、それも非常に疑わしい。
 ――あぁ、不憫な子だな。
 俺は可哀そうになって目の前の峰藤クンの真黒な頭をよしよしと撫でてみる。すると、ぐいと掴まれた腕が捻りあげられた。
「いでっ!」
 俺が声を上げると、息をのむ音が聞こえてすぐに腕は解放される。鈍く痛む腕をぶらぶらと振っていると、不機嫌そうな顔をした峰藤クンと視線が合った。確かに会って二度目の余所様の子を撫でるのはやりすぎだったかもしれない。
「峰藤クン、驚かせて悪かった。それにしても君、随分と手際がいいな。何か格闘技でもやってるのか?」
 峰藤クンはバツが悪そうに顔を背けると、こちらこそすみません、と素直に頭を下げ、格闘技はとりあえず一通りは嗜んでると答えてくれた。その歳で一通り嗜むって、家は古武術の道場かなんかを開いているのだろうか。つくづく、ミステリアスな子だ。
 それにしてもこんな濃い二人に好かれていて、はたして妹は大丈夫なのだろうか、と我が妹の身が改めて心配になった。事実、少しの時間しか相手をしていない俺でさえ、どっと消耗している。あの妹が喜んで付き合うような人種には見えないが、妹の交友関係にしゃしゃり出るなんて野暮な真似はしたくなかった。馬に蹴られるのも御免だ。
 まぁ、妹に泣きつかれたら、ぶん殴るぐらいの心積もりはあるが……本気で対決したら勝てる見込みはあるのか。がたいのいい桂木クンと、見た目に反して武闘派な峰藤クンを見比べてから息を吐く。
「――まぁ、俺にとってはかわいい妹だから、あんまり苛めないでやってくれよ」
 武士の情けだと、言い含めれば、二人ともばらばらな反応を返してくれた。

「俺にとっても可愛い奴だからなっ! 可愛い子ほど苛めろって言うだろう! これからもかまい倒すぞっ!」
「そもそも苛めた覚えなんてありませんが」

 桂木クンは正しい日本語を、峰藤クンは自分自身の振る舞いを客観的に見つめなおすことから始めてはどうかな。
 ――妹、不憫すぎるぞ。



 俺は精神的にどっと疲れて、辿り着いた喫茶店でお茶を飲んでいた。
 その喫茶店は住宅地の中にあり、落ち着いた雰囲気が心労を癒してくれる。手に入れたばかりの小説を広げながらコーヒーを飲めば、カフェインが疲れていた脳味噌を覚醒させる。俺はほっと息を吐いた。
「――学生さんですか?」
 柔らかな声に顔を上げれば、優しい印象のマスターがこちらを見て微笑んでいた。見渡すに、俺以外の客は居らず、必然的に俺に話しかけたことになる。
「一応、社会人なんですが、幼く見えますか?」
 自分では童顔だという意識もなかったが、怒りは沸いてこなかった。恐らく相手の声や表情に揶揄するようなものがなかったからだろう。
「そうでしたか。お若く見える――と言っても嬉しい歳ではないですよね。すみません」
「いえ、別に気にしてませんから。お気になさらず」
 ふわりと微笑むマスターの姿にしばし見惚れる。疚しい意味は無く、純粋にいい空気を持つ人だと思ったのだ。灰汁の強い若者達に接した後だったからこそ尚更に。
 俺は薫り高いコーヒーを一口飲み込んだ。
「……美味しいコーヒーですね、これ」
「ありがとうございます。実は、オリジナルでブレンドしているんですよ」
 押しつけがましくない態度で、マスターは豆の種類を教えてくれた。だからと言うわけでもないが、俺はお土産と称して、マスターオリジナルの豆を一袋買い込み、ディスプレイされていたケーキを二つ包んでもらう。コンビニのケーキよりは割高だろうが、このマスターのお手製ならば間違いは無いだろう。
 お釣りを受け取った俺は、じっと見られていることに気づき、見返して首を傾げた。するとマスターは申し訳なさそうに苦笑する。
「ああ、すみません。私の知っている子に似ているなと思いまして……失礼ですが、もしかして妹さんがいらっしゃいませんか?」
 もしかしなくても妹の知り合いのようだ。俺の知らないうちにこんな洒落た喫茶店の常連になっていたのだろうか。あいつめ高校生の身分で生意気だぞ。
 マスターは嬉しそうに顔を綻ばせて、手の前で掌を合わせる。乙女なポーズが似合う男の人ってなかなかお目にかかれないぞ。おそろしい。
「いつも、妹さんには息子がお世話になってるんですよ。桂木拓巳……っていう子なんですが、ご存知ですか?」
 桂木……桂木、拓巳? あの、イケメンがこのマスターの息子さん?
 まったく性格も外見も似て無さ過ぎて、驚きの余り心臓が止まりそうになった。俺は老人か。
 マスターは桂木拓巳の父、桂木結城です、と自己紹介をし、俺も名乗りながら、妹がお世話になってますと頭を下げる。まぁ、保護者同士の交流ってこんなものだろう。
 桂木クンに俺の妹がいじり倒されているみたいなんですが、と冗談交じりに訴えればマスターは、善処します、とさらりと答えた。その笑顔で麗しすぎて、俺の本能は囁き声を上げる。
 案外、マスターは見たままの人ではないのかもしれない。かえるのこはかえるなのか。やはり。



 お土産だとシュークリームを一つおまけしてくれたマスターの笑顔に見送られながら喫茶店を後にすると、空は既に茜色に変化していた。浮かんだ雲が透けて綺麗なグラデーションを描いている。俺は大きな伸びを一つしてから、家に向かって歩き出した。
 今日は本当にいろいろな出会いを経験したが、面白いのは、それがすべて妹に繋がっているという点だ。俺が家を離れていた間に、妹は俺の知らない人間関係を築き上げているんだな、と思えば中々に感慨深い。俺の手からとっくの昔に離れていた妹が、これからも誰かと関わりあって、誰かと繋がっていく。それは少しだけ寂しいようで誇らしい――願わくば、強く逞しく生きて欲しいもんだ。そうでないと、桂木クンや峰藤クンのエネルギーにぺしゃんこにされそうだしな。
 流れる雲を目線で追いかけながらそんなことを考えると、誰かと体がぶつかった。きゃ、という悲鳴が聞こえる。
 反射的に腕を掴み、引き寄せると、それは妹と同じくらいの年齢の女の子だった。
「悪い! 怪我してないか?」
「してないけど――気をつけてよね」
 鋭い物言いをする女の子だが、落ち着いていてきりっとした雰囲気が凛々しいなと思う。なかなかの美人だ。女の子は髪をかきあげていたかと思うと、地面に視線を移して叫び声をあげた。
「あぁあああああ! 私のコンタクトレンズが無いっ! あんた、そこから動くんじゃないわよっ!」
 俺は鋭い一喝に脊髄反射で硬直したが、ぴくりとも動かず地面を凝視する彼女を見ていれば、当然、手伝わないわけにもいかない。俺は地面にしゃがみ込んでコンタクトレンズを探した。

 三十分ぐらいかかったが、無事な状態で見つけることが出来て、俺は心のそこからほっとする。
「俺の不注意で迷惑掛けて、本当に悪かった」
「もう見つかったからいいわ。一緒に探してくれたし。服なんか汚してまでやる必要なかったのに……ありがとう」
 近頃はすれた若者が多くなってきたと思っていたが、俺は素直な反応に嬉しくなってしまった。そうそう、これが普通の高校生だよな。頷きながら自然と笑顔になる。
「そうだ、もし良かったら、お詫びにこれを貰ってくれるか? 近くの喫茶店で買ったばかりだから」
 女子供はケーキが好き、というお約束を思い出しながらも提案したが、彼女は俯き加減で首を振る。そうか、見ず知らずの他人から食べ物を貰うのにも抵抗があるのだろうな。
「あぁ、困らせたか、すまんな――じゃあ、そろそろ暗くなってきたし気をつけて帰るんだぞ」
 軽く手を振り踵を返そうとすると、後ろからぐい、と腕を掴まれた。
 振り返れば、肩に彼女がへばり付いている。文字通りべったりとへばり付いていたのだ。
 ほぼ初対面の女子高生に飛びつかれたことなんて生まれてこの方なかったから、もしかして彼女は妖怪か、物の怪か、というファンタジックに理論が飛躍しそうになったが、自分の下らない想像を蹴飛ばし、俺は至極冷静に彼女に問いかけた。
「まだ何か落し物でもあったのか?」
 彼女は問いには答えず、頬を染めながらも恨めしそうな目でこちらを捕らえる。それは結構な恐怖体験だった。
「名前を教えなさいよ……ついでに個人情報もっ!」
 個人情報ってついでに教えるものなのか? 最近の若い子の常識ってなんだろう。俺は身の危険を感じながら、当然の流れでお断りさせて頂くことにした。
「名乗るほどのものでもないから」
「いいから、つべこべ言わずに、教えろって言ってんでしょ!? 痴漢って叫ぶわよ!?」

 昨今の女子高生怖すぎるだろ。
 痴漢受けてるのは俺のほうじゃないのか。まさか金でもむしりとる気か。
 俺は命からがら逃げ出すことができたのだが、まさかこの女子高生まで妹の知り合いだとは知る由も無かったのだ。
 ――妹、本気で大丈夫か。



アニも歩けば変人に会う


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