前髪がさらりと揺れ、俯いた彼女の目尻と口元が柔らかく弛む。
 それに反比例するかのように浩輝の眉間には深い渓谷が刻まれた――またあの人のことを考えてるのだろう。単純な彼女の頭の中など浩輝にとっては透明のアクリル板の向こう側を覗き込んでいるようなものだ。
 そのとろんとした表情は無防備で、仄かに上気した頬は暖かい喫茶店の中に居る所為だからかもしれなかったが、浩輝の視線を刹那、そこに留めさせるには十分な力を持っていた。そうして一瞬でも彼女に目を奪われていた己を自覚して、浩輝は猛烈に自身に腹をたてる。それは同時に小さな動揺を誤魔化してしまうためのものかもしれなかった。
 一気に不穏な空気を帯びた浩輝に気づいたのか、彼女は弛緩していた頬を引き攣らせ、はっと顔を上げる。訝しげな瞳に映し出される不機嫌そうな自分。彼女はいつしかお馴染みとなってしまった警戒態勢をとったようだった。

「……どうか、しましたでしょうか」

 堅く、こちらの機嫌を伺うような声色は、浩輝を更に苛立たせる―― 一度でも彼女はあの人に向けるような眼差しを浩輝に投げかけたことはあっただろうか?
 それは自分の態度にも原因があるということを浩輝は自覚していたし、それを望んでしまうほど自分は愚かではない筈だ。それでも絡み合った心は感情に波を立て、結果、浩輝と彼女との関係は一向に軟化することはなかった――否、それでもこうして自分の入れた紅茶を受け取るようになっただけでも、少しは変化しているのかもしれない。
 それに、用事ができた結城の代わりを浩輝が務めることがなければ、そして、彼女がこの喫茶店にやってこなければ。その二つの偶然がなかったのなら、カウンターを挟んで二人きり、という現在の状態は実現しなかった筈だ――だからといってなんという事はないが。
 そう心の中で呟いて、浩輝は意識的に眦を吊り上げた。

「いえ別に。ただ随分と崩れた顔をしているな、と思っていただけですが」
「……別にどんな顔してようと人の勝手じゃないですか」

 ぶすくれた顔で彼女は呟く。
 基本的に口答えされることがない浩輝にとって彼女の態度は常に酷く癇に障った。そしてそれは浩輝の氷のように冷えた理性を溶かす微かな刺激となる。そうして沸き起こる衝動は抑え難く、彼女を完膚無きほどに叩きのめすことを、浩輝はいつも止めることが出来ないのだ。
 今日も例に漏れず、浩輝は闘争本能に導かれるまま、皮肉たっぷりに頬で微笑を形作った。

「そうですね。貴方の仰る通りそれは個人の勝手です――人が折角入れた紅茶に口をつけることなく、貴方がカップを一生見つめ続けていようと、その結果、冷めた紅茶が永遠に美味しさを失ってしまうことになっても、それはあくまでも個人の勝手だと仰る貴方の素晴らしきご高説を、私は誰かに報告する義務があると思うのですが――さて、貴方はこの件についてどのような意見をお持ちですか」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、ほんっとうにごめんなさい」

 瞳に涙を滲ませながら謝罪した彼女に溜飲を下げながらも、浩輝は居心地の悪さを紛らわすかのように鼻を鳴らす――泣かせたかった訳ではない。
「……解ったのなら冷める前に飲んだらどうですか」
 ちらりと視線を落としながら言えば、彼女は弾かれたように立ち上がると、歯切れの良い返事をして、浩輝が止める隙もない間に紅茶をあおった。しかし、まだ十分な熱をとどめていた紅茶を彼女は勢いよく噴出すと、体をくの字にして大騒ぎし始める――浩輝は半眼になりながらも本当に心の底から呆れ果てた。
 至極冷静に浩輝が用意してあった新しい布巾を濡らし、顔を拭いてやれば、半泣き状態の彼女に平謝りされたが、謝るぐらいなら最初からやるなと声を大にして言いたい――彼女にあと少しでも落ち着きがあれば自分はどれだけ心安らかで居られることか。それに目の前で怪我なんてされたら寝覚めが悪くて仕方が無い。
 そんなことをねちねちと言い聞かせると、次第に彼女は塩の振ったなめくじに退化し始めた。それに気づいた浩輝は言葉につまり、その空白を埋めるかのごとく新しい紅茶を空色のマグカップへと注ぐ。

「――今度は静かに飲むのを心がけて下さい」

 そう言い含めると浩輝は彼女が深々と頷くのを確認してから席をはずすことにした。また彼女が嬉しそうにマグカップに見とれる姿は見たくない。しかし、それが指す意味と浩輝は向き合う気は無かった。
 あの人のマグカップを満たしている自分の紅茶が、彼女の心を少しでも捉えることが出来たらいいと――そんなことを浩輝が考えたかどうか、誰にも知る術は無いのである。


静かに紅茶を召し上がれ



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御礼&蛇足という名の後書き
ゆうきさんに頂いた「私」のイラスト! 外見描写がまったくといってほどないキャラクターなので描きにくかったと思うのですが、素晴らしくめんこく描いてくださって感激でした! 結城さんにもらった空色マグを見つめて何を思ってるんでしょうかね……それにしてもこんなにめんこかったら彼らがいじくりたくなる気持ちも解りますよね。上からアングルだったので峰藤視点で書いてみたら思った以上に甘ったるくなりました。とっても似非眼鏡! つまり伊達眼鏡! たぶん時間軸的には文化祭後、峰藤編前だと思います。それでは、ゆうきさん、本当に素敵なイラストをどうも有り難うございました!