眼鏡になった日




 初めて訪れた眼鏡店で、僕は品定めされていた。僕が眼鏡を品定めするのではない、僕が、されているのだ。
 僕をこの店に引っ張り込んだ職場の後輩に、店員の親子。計3人が、勝手気ままに、自分たちの好みのフレームを、次から次へと僕に掛けさせていた。
 視力の悪い人は知っているだろう。矯正されていない現在の僕の視界は、薄らぼんやりしている。
「ホラ、園田さんはどう思う?」
と聞かれたって、鏡に映った自分の顔すらぼやけているのだ、無茶は言わないで欲しい。
「これがやっぱりシャープで良いと思うんだけど」
 ゴマ塩頭の丸眼鏡親父が主張した。この親父はさっきから、目の大きさと同じくらいの小振りのフレームばかりを出して来る。今はそれが流行り、なんだそうだ。
「こんなのもありますよv」
 その横の、全く親父に似ていない、長髪を後ろで一括りにした息子はというと、この店オリジナルの、映画で俳優が掛けていた眼鏡のレプリカ・フレームを薦めてくる。
「これもちょっと掛けてみて下さい。・・・。うーん、今イチだなあ・・・」
 基準はさっぱりわからないが、店内のドコからともなく様々なタイプのフレームを取って来て、端から掛けさせている女が、僕の後輩だ。正確には、職場ではなくて、職場の組合の役員仲間。一応断っておくが、全く親しくはない。諸々の事情により、僕は彼女の見立てで眼鏡を作ることになってしまったのだ。


「よし、決定!どうでしょう、園田さん?」
 確認してはくるが、そこに僕が何かを言う隙は全くないだろう。半ば投げ槍に、僕は頷いた。さんざん弄られて、疲れてもいた。
 今まで使っていた眼鏡は、十年来のビン底眼鏡で、愛着は全くないから、変えるのは別に構わない。しかし基本的にコンタクトを着用している僕にとっては、眼鏡は就寝時の予備に過ぎないから、わざわざ新調する必要も、彼女お勧めのこの店で高価なあつらえをする必要も、本来なかった。正直イタい出費だ。
 まあ、銀行の外回り営業としては、今回のようにコンタクトの備蓄が予想外に切れた時に、ある程度サマになる眼鏡は必要、と・・・そうでも思い込まないとやり切れなかった。
 後輩・萩原の常連割引を適用してもらっても、廉価店の数倍の値段はした。クラクラしながら、カードでボーナス引き落としにしてもらった。
「大丈夫、元は取れます!まあ騙されたと思って一度試して下さい。人生変わりますから!」
 何故にそこまで断言できるんだ萩原メガネ女。
 僕には、君の人生が眼鏡で変わったようにはとても思えないんだが?


 だが、変わった。確かに、変わったのだ。

 その後、同じく諸々の事情により、おせっかい女2号3号に髪だの服だの弄られ、僕の外見はやや改善された。やや、という違いだったと、自他ともに認めよう。
 そして、1週間後に再び例の店を訪れ、新しい眼鏡を受け取った。眼鏡オタクな店らしく、量販店ではしないような、微に入り細にわたっての「眼鏡を愛して大切に扱って下さいね」的指導を受けた(月に1回は調整に「来い」とも言われた)。
 そして掛けた眼鏡は・・・・・・・・・・・・・・。

 正直、眼鏡掛けてスッキリ良い気分になったのは、初めてだった。コンタクトよりもずっとずっと楽で、一体僕の今までの視力矯正人生はなんだったんだと、愕然とした。
 萩原の言う通りだった。
 気のせいか、慢性の肩こりまで軽くなったようだ。
 外回り中はバイクに乗るので、ヘルメットを脱ぎかぶりする関係上コンタクトを続けたが、それ以外はすっかり眼鏡を愛用するようになってしまった。
 ちょっと違和感が生じても、店まで行けば、いつでもタダで調整してくれて、あのフィット感が蘇る。
 そのうち僕はすっかりハマり込んで、次のボーナスではスペアの眼鏡を作り、常連の仲間入りをしてしまった。

 ちなみに変わったのは、僕の感覚だけではなかった。
 眼鏡を掛けると、真面目で頭が良さそうに見える、と誰が言ったんだっけ。眼鏡を掛けた僕もまた、その恩恵を受けた。
 中味は変わらないはずなのに、何だか以前よりも周りから一目置かれている気がした。自惚れかもしれないが、女性から愛想の良い対応をされる頻度は、絶対に増えたと思う。
 信じられなかった。


 眼鏡のご利益を感じる度に、僕は萩原の姿を思い浮かべた。
 人生変わりますよ、と言ってのけた、彼女の笑顔。
 諸々の事情があったにせよ、彼女は言わば、僕のしょぼい人生の救世主だった。

 御礼をしたいと思った。
 僕も何か、彼女の役に立ちたかった。
 そんな、感謝の気持ちの暴走が、やがて思わぬ結果を生み落とすことになるのだが、それはまた、別のお話。

《了》


前項

作者/oki