魔法の眼鏡




祭りと言うものはそもそもが【非日常の世界】である。いつもの町並みに山車や御輿が出る事自体日常からかけ離れている。たとえ小さな盆踊り程度でも露店が出る事によって非日常の空間が出来上がる。
露店の中でも特に子供たちが目を引くものはくじ引きやおもちゃの類であろう。
確実にお金を捨てるような存在といっても過言ではないくじ類、子供たちは【看板】の特等景品に目をくらんでくじを引いてもほとんどが外れ。けどそれはそれで独特の雰囲気を楽しんでいる。こういったくじ引きは絶対に一等が当たらない様に仕掛けてあるのだが、それでも子供は怒らない。
そして今では余り見かけなくなったが、昔は露店で売られるおもちゃも結構子供だましのものが多かった。
どんなに小さいおもちゃでもIC制御されている現代のおもちゃに比べて、祭りの夜店で売られているものは香具師が仕掛けを加えているものや独特の口上で子供たちを半ば騙して売っていた物も少なくなかった。けどこれも祭りの魔力によって誰一人騙されたと思わなかったらしい。

山梨県の小さい町。
今日は年の一度の夏祭り。これと言った娯楽が少ない町なので、祭りとなると付近の住民をはじめ、家族連れや子供たちが集まって来る。普段は閑散としている寺の境内が祭になると露店が所狭しと並び賑やかになる。
定番の食べ物や菓子の露店のほかおもちゃや骨董を売る店も出ている。
その中の一つ、テーブルの上に眼鏡が入った箱が重ねて置いている小さな露店に人だかりが出来ている。
初老の香具師が黒縁の眼鏡を手にしながら、
「不思議な不思議な眼鏡だよ、さあとくと御覧あれ。見た目は何とも無い黒縁眼鏡、かけてみたらこれまた凄い。木箱の中に入っている物が開けなくても分かってしまう。何でも透けて見える不思議な眼鏡、こんな夢の商品日本中どこを探しても売っていない。今日この祭りに来たお客様だけに特別に販売するよ!ほらそこの坊や実際にかけてみないか。眼鏡をかけて箱の中を見るだけならお金は要らないよ。中身を見て気に入って、買ってくれればそれでいい……」
さすがに熟練の香具師であり、物売りの口上も独特の節回しで一度聞いたら忘れないくらい歯切れのいい口調だ。
好奇心のかたまりが服を着ているかのような男の子が大きな目をさらにまん丸にして、
「本当に何でも見えるの?」と質問してきた。
「早速この坊ちゃんが試してみるよ」と特徴のある口調で話すと男の子に眼鏡を渡した。
 男の子は黒縁の眼鏡をかけて木の箱を覗いた。
「凄い!箱の中にクッキーが入っているのがよく見える!」
 そう言うや否や香具師が箱を開ける。本当にクッキーが一枚入っている。それを聞いて客は驚くや感心するやの大騒ぎ。「まるで魔術だ!」と叫ぶ子供たち。子供に混じって大人も興味深そうに見入っている。
いいタイミングで香具師が、
「本当に透けて見える魔法の眼鏡。ここで買わないと絶対に損をするよ。だけど絶対に女の人を見てはいけないよ。服が透けてしまう不思議な眼鏡。そこのおじさん気をつけな。裸に見とれると骨まで見えてしまうからご用心。さあすばらしい魔法の眼鏡。子供に限り1500円で大安売りだ。さあ買った買った……」
さすがに最近の子供は裕福なのか、1500円と言う高値で売っているにもかかわらずこの眼鏡は飛ぶように売れる。中には子供限定という言葉を真に受けて、「特別に小遣いを出すから代わりに買ってきてくれないか」と子供にせがむスケベ心丸出しな大人もいた。

10分もしないうちに在庫が全部なくなり、早々と店を畳む香具師。
「意外と売れたな。あの眼鏡」
「そうだね。何でも透けて見えるという宣伝文句が良かったね」
 香具師とサクラ役の息子はこんな会話を交わした後、初老の香具師は折りたたみのテーブルが乗った台車を引きずりながら賑わう境内から消えていった。
実はこの眼鏡は本当の魔法がかかった眼鏡であり、例の香具師は商品に魔力を持たせる事が出来ると言う特殊な能力を持っている。この眼鏡は子供の目からだと木と繊維だけは透けて見えるように魔法がかけられている。だから子供であれば木の箱の中身は見えるし、服を着て歩いている人は全員裸に見える。もちろんポケットの中に入っている品物やブラジャーのホックやネックレスなどはそのまま残るが。勿論「見とれると骨まで見える」と言うのは単なる宣伝文句に過ぎない。
 しかし【子供だけ使える】と云う魔法がかけられている以上大人が見ても何も透けて見えず、ただの伊達眼鏡でしかならない。どう目を凝らしても木箱の中に入っている物は分からないし、服の中は絶対に透けて見えない。よって大人たちのスケベ心は全く満たされす、ほとんどの客にとっては単なるいんちき商品で終わってしまった。
 男なら誰もが一度は夢に見る憧れの【めくるめく禁断の世界】が手軽に見られると喜び勇んで眼鏡をかけた大人たちは予想と裏腹の現実を見て一斉に「騙された」と愚痴をこぼしながら次々とゴミ箱に捨てる。
 それを遠巻きにして見ていた香具師の息子は、大人たちが立ち去るのを確認後捨てたゴミ箱から黒縁眼鏡を回収した。
 売る側が一枚も二枚も上手だ。香具師は【魔法の眼鏡】をスケベな大人が買う事を重々承知で、騙されたと感じた大人がすぐにゴミ箱に捨てる事も計算済みだ。捨てられた眼鏡はきちんと回収して新しい紙の箱に仕舞い、別の町で露店を開き同じ眼鏡を販売すると言う悪どい商売をしているのだ。
 香具師の息子は捨てられた眼鏡を紙袋の中に入れると山門の入り口へ向かった。
そこでは初老の香具師がタバコを吸いながら息子が来るのを待っていた。息子は紙袋を手渡すと、
「……何個か回収できなかった……」
「あの眼鏡、結構子供が買っていたからな。まあいいだろう。どうせ500円で買った伊達眼鏡だから十分元は取れている」
そう会話を交わすと2人は駐車場に停めていた軽トラックに乗り込み別の町へと向かった……。

 寺の近くに住む小学4年生の男の子。ありったけの貯金を使い果たし祭りの露店で魔法の眼鏡を買い今でも愛用している。何しろ木や繊維なら透けて見えるのだから楽しいにこの上ない。
 木造住宅なら家の中は見えるし、何よりも町行く人が女性も男性も子供も大人もみんな裸で歩いて見える。学校に行ったら好きな女の子も、クラスの同級生も眼鏡をかけると皆裸に見える。10歳の男子の脳を刺激するに最高の商品であった。尤も彼はまだまだ子供なのでそれ以上の妄想は思いすらもしなかった。
彼は黒縁眼鏡を【最高の宝物】と称し、片時も離す事はなかった。

 不思議な眼鏡の魔法は更に巧妙にかけてあったのだ。
 数ヵ月後、男の子が11歳の誕生日を迎えた朝。男の子は日課のように黒縁眼鏡をかけて学校に向かった。……いつもと違う。他人の家の中はいつもと変わらず見えるが、町行く人が裸ではない。普通に服を着ている。
 誕生日を境に彼にとっての大きな楽しみが一瞬にしてなくなってしまったのだ。
 実は眼鏡の魔法には「11歳になったら繊維は透けて見えなくなる」という設定がされていたのだ。現在東京の銭湯では子供の混浴が許されるは10歳までとなっている。香具師も常識を持つ人間であり、子供の健全な発育に配慮したのであろう。
男の子も服が透けて見えないなら必要が無いと思い、何のためらいもなく眼鏡を投げ捨てた。

 この不思議な眼鏡。今でもどこかの町の縁日で売られているとかいないとか……。
 あなたも一度魔法の眼鏡に騙されてみてはいかがですか?

《了》


前項
作者 / K.S