麗らかなある日の午後、アリス(仮)は退屈していました。
 しかし退屈である事がとりだてて嫌いでもなかったアリスはまったりと木の下に寝そべって、ぽりぽりとスナック菓子を貪り食っていました。
 青いヘアバンドに、その身に纏うのはアリスの名に恥じぬ青い服に重ねられた白の乙女チックナプキン。靴下が三つ折りだった時には、アリスは三回ぐらい死のうかと思いました。だって似合わなさ過ぎたからです。しかしそのうちにまったく平気になったのですから、いやはやまったく慣れというものは恐ろしいものですね。
 そこに満を持して慌てうさぎが登場しました。
 慌てうさぎというポジションの癖して、慌てるどころか落ち着き払っている様は憎らしいほどです。はっきり言って看板に偽りありでした。
 そのうさぎは一風変わっていました。なぜなら人間に耳が生えていたのですから。これを読んだ大人の皆さんなら、どこがおかしいの? と思ったかもしれません。バニーガールだって居るし、それどころかもっとマニアックなうさ耳プレ――げふんげふん。失礼。
 問題は、それを生やしているのがどこから見ても不機嫌そうな、それどころかその視線一つで人を殺しそうなぐらい凶悪な表情をした青年だったのです。
 青年――うさぎの名前は峰藤といいました。
 峰藤は懐から取り出した時計に目を落としながらすたすたと早足で歩いていました。
「ああ、たいへんたいへん遅れちまう!」
 なんて可愛げのある台詞なんて吐くわけがありません。だって彼はいつも十分前行動でしたから。
 その峰藤が自分の横を通り過ぎるのをアリスは寝転がりながらぼーっと見ていました。
 うわぁ、性格の悪そうなうさぎがいるなぁ、とアリスは素直な感想を心の中でこぼします――否、口に出してました。
 流石は腐ってもうさぎ。その鋭敏な聴力はしっかりとその言葉を拾っていました。峰藤はぴたりと立ち止まると、アリスの方に向かってきました。

「そこの。何か言いましたか?」
「いえ、まったく」
 アリスはしらをきりました。
「そうですか。ところで貴方はご存知ではないでしょうけど、寝て食べてばかりだと豚になりますよ? ――ああ、もう手遅れでしたか」

 峰藤は冷笑を一つ残すと、くるりと踵を返します。乙女のハートを抉る言葉に、アリスは大ダメージを受けました。そういえば最近は運動不足で身体が重たくなった気がする。だけど、あの言葉は酷すぎる! 今流行のセクハラじゃないの? アリスは憤慨しながら素早く立ち上がると、峰藤に一言文句を言ってやろうと彼を追いかけました。走ってきてみれば峰藤は大きな穴の前に立ちすくんでいました。そして底が知れない穴の中をじっと見つめています。怒っていたアリスですがその異様な光景に不安を抱きました。
「もしかして自殺志願者、とか?」
 そうするとあの殺伐とした雰囲気にも、世の中を呪って生きてそうな凶相にも納得できるし同情さえわいてきます。アリスはあんがいお人よしでした。
 アリスはなるべく優しい声で峰藤に話しかけます。
「あの、ね。うさぎさん」
「なんですか気持ち悪い。私の名前は峰藤です」
 峰藤は振り返り、心底、嫌そうな顔でアリスの言葉をはねつけました。アリスのこめかみはぴくりとしましたが、これで怒ってはいけません。自殺志願者は刺激しないように優しい言葉で諭すのが大事だとどこかで読んだ事がありましたから。
「生きていれば、いい事なんて一杯ありますよ。だから早まらないで下さい」
「……何の話ですか一体」
「ほら、こっちに戻って来て下さいよ。なんなら人参ぐらいは奢りますから」
「いりません。生憎、貴方と話している時間はありませんので。失礼します」
 うざったそうにアリスを切り捨てると、峰藤は背中を向けました。アリスは焦りながら手を伸ばして、峰藤の腕を掴もうとしました。しかしぴょんと穴の中へ飛びこんだ峰藤には届かず、アリスの手は宙をかきます。その上、アリスは勢い込んで前のめりにバランスを崩しました。

 落ちるっ!

 そうしてアリスは穴の中へ真っ逆さま。さてさて、哀れアリスの運命やいかに。




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