“確定”




 革貼りのソファを軋ませながら、俺は亜矢のそばに移動した。白い顔に両手を当てて嗚咽を漏らしている女の子のそばに、だ。彼女の肩に手を伸ばそうとして、いやいや待て待てと思い留まる。俺は所在なさげに視線を巡らせた。テーブルの上には灰皿の代わりに、ミルキーが積み上げられたカゴが一つ。包み紙の中のペコちゃんと目が合って、俺は思わず彼女に助けを求めた。……ペコちゃん、なんかオモロいギャグ一つ頼むわ。
「政司」
涙で真っ赤になった目を向けながら、亜矢が顔を上げた。
「助けて。わたし……もう、どうしたらいいか分かんない」
助けて、か。俺は眼鏡を押し上げながら彼女の瞳をしっかりと見つめる。地球上に、こんなシチュエーションでノーと言えることができる男は一人もいないんじゃないかと思う。俺は目で、先を促した。
「わたしはプロメテウスになってしまったの。もうみんなを止めることが出来なくて──」
「は?」
思わず、口から言葉が漏れた。ナニ?
「プロテインって何?」
「プロメテウス!」
亜矢はムッとした様子で言い返す。「人類に炎を与えたとされるギリシャ神話の神様よ」
「あ、それなら知っとるわ。頑張っとる日本のオッサンに夢を与える番組やろ、NHKの」
「それは“プロジェクトX”よ!」
「すまん、すまん。そうやったわ」
「……もう。何言ってるのよ、政司」
と言いながら、思わず笑い出してしまう亜矢。俺はニヤリと笑う。作戦成功。
「笑った方がええで。泣いてたら始まらん」
「政司」
「もう変な言葉は使わんといてくれ。俺に分かるように、きちんと一から話してくれんか」
ごそごそとポケットからハンカチを出して渡そうとしながら俺。亜矢は静かにそれを断ると、自分のハンカチを使って涙を拭いた。何で俺のを使ってくれへんの、という俺の心のつぶやきと裏腹に。亜矢は真剣な眼差しを俺に向けると、姿勢を正した。

 そんなわけで、何のツッコミも入れずに聞いた亜矢の話は以下のようなものだった。
 そもそもは重なりあって存在する多次元宇宙の中の一つ、ある世界の日本から始まったことなのだそうだ。きっかけは、「電脳ゲーム、漫画等の影響による犯罪の防止に関する法律」──通称、ゲー防法の施行。増え続ける青少年犯罪への特効薬として期待されたが、その実態はゲームや漫画のみならず、全ての芸術・文化活動を制限する悪法だった。
 クリエイターたちが次々に処罰を受け投獄されていく中で、特別者の一人(!)である亜矢が立ち上がった。彼女は自分の能力を使って電脳空間から物理的な力を引き出し、クリエイターたちに与えた。──それは「空想を具現化する力」、すなわちゲームやファンタジーで出てくるような「魔法」であった。

「わたしの能力は“転送”。様々な世界のものを自由に持ち運ぶことができるの」
 スゴイことを、亜矢はさらりと言った。
「でも、わたしが彼らに力を与えたせいで、似て非なる世界だったはずの二つの世界が完全につながってしまった。わたしが転送させた力が暴走して境界線を壊してしまったのよ。──だからこの世界で、魔法はどんどん浸透して、誰もが魔法を使えるようになってしまった。このままでは、他の世界との境界線もみな次々に壊れていって……」
俺に顔を近づけ、語尾を強める。「やがて世界は一つになり、そしてゼロになって終わってしまう。だから、あなたを探したの。政司。特別者の中でもあなただけが、真実を見つけ、世界をもう一度“定義”できる力を持ってるから」
「うーん」
俺は頭を捻った。そりゃそうだろう。ハイそうですかと、聞いてすぐ理解できるような話じゃない。「俺のことはともかくとして……いつくかツッコむで?」
「いいわ」
「友則たちのことや。あいつらは、政府の役人たちと戦うレジスタンスやと言うとった。確かに魔法で戦っとった。何をしたいのかは分からんかったけど、自分たちの力で勝利を勝ち取ろうとはしとった。それは良くないことなんか? 元々は亜矢が魔法を使えるようにしてやったんやろ?」
「そうだけど……」
亜矢は悲しそうな顔をした。
「言わしてもらうけどな、亜矢。お前は友則たちに武器を与えておきながら、あいつらが使いづらくなりよったから、俺に後始末させようなんて思ってるんとちゃうか?」
「政司!」
俺は亜矢の講義の声を無視した。
「お前が何と言おうと、俺はあいつらに危害を加えるようなことはできん」
さきほどの戦闘のとき、俺は同級生のうち何人かが敵の炎に焼かれたのを見た。死人が出てるんだ。許せないものは許せない。
「政司、どうして分からないの!」
拳を握り、立ち上がる亜矢。「あれは異常な状態なのよ、この宇宙はこんな状態であってはいけないの! あなただって特別者なのに、どうしてそれが分からないの」
「分からへん。亜矢が転送すればええやん? また、元通りに」
俺は落ち着いたまま、目の前のミルキーに手を伸ばし飴玉を口に放り込み、言う。
「……!」
亜矢は拳を握り締め、強い目で俺を睨みつけた。かなり怒らせてしまったようだ。ちょっと言い過ぎたかな、と罪悪感も感じたが、もう遅い。
「俺、戻るわ」
のそりと俺は立ち上がる。
「ここを出られると思ってるの?」
まるで悪の秘密結社の女幹部みたいなセリフ。俺はちらりと亜矢を振り返る。
「亜矢に俺を止める権利はないやろ?」
そう言った途端、彼女は目を見開き、呆けたように俺の顔を見た。鳩が豆鉄砲を食らったようなっていうアレだ。俺がこんな強い口調でものを言うのを初めて聞いたからか。
「もう少し考えさせてくれへんか、な?」
数歩戻って、亜矢の肩にぽんぽんと手を置くと、俺はそのままテーブルの上のミルキーをひとつかみ失敬して、ゆっくりとその部屋を後にした。


 戦闘はまだ続いていた。しかも俺が通ってた高校の校庭でだ。下駄箱には箒のバリケード。ホースを構えた女子たちの前に、水の魔法を使いこなす男子たちが勢ぞろい。そこに警察やら機動隊やら背中にSATと書いてある連中やらが押し寄せている。
 圧倒的多数の中、同級生たちもやられるばかりじゃない。バリケードの中から爆弾を投げる奴、学校の屋上からピンポイントで狙い撃ちする奴。機動隊はバリケードを崩すことが出来ず、一進一退、戦闘は膠着状態に陥っていた。
 そんな中、俺たちは校舎の三階廊下の窓から下の様子を見下ろしていた。
「あと二時間ぐらいしか持たないな。この学校も制圧されて終わりだ。ますます俺たちに後がなくなる」
一緒にいた友則が、ぽつりと言った。俺は驚いて振り返る。
「なんか、ええ方法はないんか? 地下通路を使って逃げるとか」
そう言うと、友則が返してきたのは鋭い視線。

「いい方法を考えるのはお前の仕事だろ、特別者」

「──え?」
「そうだよ」
いつの間にか、回りのほかの生徒たちが集まってきていた。げげっ、と思う間もなく。俺は取り囲まれていた。
「ちょっ、ちよっと待てや、お前ら。俺はまだよく分からんっつーか……」
「特別者なんだから、早くこの戦いを終わらせてくれよ」
「そのためにここに来たんだろ?」
俺を見つめるたくさんの目、目、目。頭がくらくらしてきた。俺だって友則たちのために何かをしてやりたい。そうは思うが、どうすればいいのかそれが分からな──
 ──あれっ?
 俺は、同級生の一人に気付いて、そいつを指さした。
「お前、なんで? さっき炎に焼かれて死んどらんかった?」
「え? 俺のこと」
そいつはきょとんとして俺を見る。
「うん、まあ確かに死んだけど。……大変だったよー。所持金半分になっちゃうしさ、みんなに“死んでしまうとは何事じゃ”って怒られちゃったしさー。殺され損ってやつ?」

 俺は絶句した。

 あはは、馬鹿だなー死んじゃうなんて。そうだよね、ちょっとうっかりー。……なんてみんなが笑っている。俺は自分が大きな勘違いをしていたことに、今さら気付いた。
「待てや、お前ら」
我ながら低く冷たい声だった。みな笑うのをピタリとやめ、こちらを見る。
「お前ら何のために戦っとるんや?」
「俺たちの自由を勝ち取るためだよ」
即答したのは友則だ。
「自由って何や? 国の役人をやっつけたら、お前ら何を得るんや?」
「何って……」
困ったように友則は仲間たちを振り返った。みな、顔を見合わせる。やがて一人が、勉強しなくてもいい世の中なんてどう? と声を上げた。いいねいいね。夜遅く帰っても怒られない世の中は? 毎日好きなことして暮らしてもいい世の中は? いいねいいね……。
「何やそれ」
ふつり、と笑い声がやんだ。
「人を殺してまで、必要なモンなんかそれ」
今度は、俺以外の全員が絶句した。俺は同級生たちの顔を見回し、大きく息を吐いた。どうやらここも俺の居場所ではないらしい。
「俺、行くわ」
立ち尽くしている同級生たちをかき分けて、俺は彼らから離れて歩いていく。
「……だ、だって、連中だって死なないんだぜ?」
階段を降りようと足を踏み出したとき、廊下の響いたのは友則の声だった。「死なないんだから、殺したっていいじゃん?」
 俺は答えなかった。

 ──ドンッ!

 その時、下で大きな音がした。俺も友則たちも慌てて、階段を駆け下りた。もう展開待ったなし、だ。
 一階まで降りきると、入口のバリケードが燃え上がっている。敵襲か、と思う間もなく、もう一発、大きな爆発! 何人かがフッ飛ばされて下駄箱に叩きつけられている。
「破られたぞ!」
 叫んだのは友則だ。「ここはもう駄目だ! みんな固まれ! 強行突破だ」
飛ぶように友則の周りに集まる同級生たち。そこへ防御魔法の得意な女子が、水のバリアを張る。……って、あ。俺、入れてもらえませんでした。やっぱりハブか、俺。
 友則たちは、まさに最終決戦といった迫力で、雄叫びを上げながら校庭へと飛び出した。下駄箱の中にも、ものすごい土煙が入り込み、俺はゴホゴホとひどく咳き込んだ。これはたまらん、と、俺もおぼつかない足取りで外へと足を踏み出していく。

 しかし、そこに広がっていたのは、目を覆いたくなるような光景だった。
 俺はあまりのことに、足を止め、その場に立ち尽くした。……確かに血は出ないし、死んだらジュッと消えるだけ。それには違いないが、連中が校庭で繰り広げているのは、紛れも無く、殺し合いだった。
 有り得なかった。こんなことが、俺の存在する世界の中にあるなんて。見てもどうしても信じられない。俺はようやく亜矢の言った言葉の意味を理解し始めていた。
「藤原政司! 見つけたぞ」
 その時突然、男の声がして、俺は後ろから羽交い絞めにされ腕をひねり上げられた。
「手荒な真似をして済まないが、見ての通り非常事態だ」
間宮だ。間宮優一。名刺の総務省ナントカ局指導管理課という文字を思い出す。「君は口だけでも能力を使えるはずだ。早くこの戦いを終わらせろ。さもなくば……」
ギリ、と俺の腕が悲鳴を上げた。
「イタタ、ちょ、ちょっと待てや、オッサン」
「お・兄・さ・ん・だ!」
間宮は不服そうにしつつも、力を緩めた。
「力づくは良くないで。あんた役人さんやろ、口で決着つけるのが役人の仕事やろ?」
と、憎まれ口を叩いたつもりだった。しかし間宮はサッと俺の身体を離した。そのあまりの聞き分けの良さに、驚いて相手を見る。エリート役人は悔しそうに俺を見下ろしていた。
「クソ、こんなことより早く戦場に手を打ったらどうだ!?」

 ──! 
 その時、俺の脳裏を稲妻のように光が走った。俺は……やっと気付いた。俺の力。俺が特別者といわれる所以を。

「あんた間宮さんって言うたな。魔法も使えるやろ?」
俺は校庭を見渡しながら、今自分が持っているものを確認した。ハンカチ、ケータイ、ミルキー……、これだ! ミルキーをいくつか握り締め、戦いを続ける連中を見据える。
「今から、あの中へ行く。あんたの仕事は俺の援護や」
間宮の「了解」という声を聞いてから、俺はゆっくりとドンパチの中に入っていく。まず目指すのは友則だ。
 魔法を使いまくる高校生の間をすり抜け、俺は後ろから友則の肩を叩く。
「おい、友則」
「何だよ、邪魔だよ特別者!」
迷惑そうに振り返る友則。俺はサッと手を伸ばし、奴の頬っぺたを指でつねった。
「なんやその態度は。お前、今日俺らとカラオケ行くゆーてたやないか? なんで約束すっぽかすんや」
「え?」
友則は俺につねられた頬に手をやり、呆然と俺を見る。そこへ飛んできた火の玉は、間宮が左手を一閃して消した。
「あれやってくれ、裏声・平井堅。お前、歌へったくそやけど、平井堅だけ認めたるわ」
「マジで?」
嬉しそうになって笑う友則。もう一息!
「このあと、裏声・平井堅でモー娘の新曲、歌ってくれたら、これやるわ」
ピッと出したのは、ミルキー。それを見た友則は、呆れたような目で俺を見た。
「なんで、あめちゃん1コだけなんや、アホ。普通、ジュース一本とか言うで? 政司はケチや」

 友則が──“戻った”。
 そうだ。これが俺の見つけた『真実』だ。

 俺は間宮を振り返る。役人はニヤと笑って頷いた。眉を上げて答えた俺は、周りの同級生たちに片っ端から声をかけ始める。
 「これから家帰るところやろ、お疲れさん」、「野球の試合やるんやろ。がんばりやー」、「掃除当番、大変やね」。機動隊や警察の連中には「皆さん演習、お疲れさまです!」の一声で完了。

 そして。
 阿鼻叫喚の地獄絵図が、いつの間にか和やかな放課後の校庭に戻っていた。少年少女たちと、物騒な大人たちが引き上げていったあとは、あの混乱が嘘のよう。ただ、静かな空間がそこに広がっている。
 謎の電車なんかに乗らなくたって、俺はいつでも自分の世界に“居る”ことができる。この平凡な俺がスタンダードであり、俺が基準。だから俺は特別者なんだ。
 間宮もいつの間にか居なくなっていた。俺は一人、オレンジ色の夕日に目を細めて立っている。ふと、視界の端に一人の少女の姿が現れる。──亜矢だ。

 「ルールなの」
 亜矢が言った。「何も言わないでごめんなさい。あなたは自分で自分の力に気付かないといけなかったの」
「まあ、理由はなんとなく分かるわ」
苦笑いする俺。「こんなに強力やったら、いろいろ理解する前に悪用するかもしれんしな」
「──お別れよ、政司」
えっ、とその言葉に驚く俺。彼女は触れれば届く距離に立っている。口を開こうとした時、スッと手が伸びてきて指で唇を押さえられた。
「駄目。わたしの魔法は解かないで」
「……本当にもう会えへんのか?」
俺は彼女の手を取って話しかけた。しかし、思いがけないその柔らかさに、俺の心臓がドキと跳ね上がる。
「ありがとう、政司。全部あなたのおかげよ」
にっこりと微笑む亜矢。俺の手を両手でギュッと握ったあと、ゆっくりと手を離す。
「わたしは少し離れた場所に帰るけど、探しにきて。あなたなら、わたしがどんな姿をしていても、きっと分かるはずだから」
うん、と頷く俺。恥ずかしくなってポケットに手を突っ込んだら、手の先に当たるものがあった。……そうだ。俺は無言で、ポケットのミルキーを出し、彼女に差し出す。
「なあ、これ何やと思う?」
「え? 飴?」
亜矢は虚をつかれたように俺を見た。
「これはあめちゃんや。──やっぱりそうや。亜矢は関東人やな」
「もう、ずるいわ」
むくれたような顔をする亜矢。しかし何だか嬉しそうだ。
 と、突然、視界がボヤけた。
 俺の眼鏡が──ない!
「お返しよ。政司の眼鏡、もらっていくね」
 亜矢がぼやけた視界の中で笑った。跳ねるように俺の周りを舞う。
 初めて見た。屈託のない亜矢の、素の笑顔。
「ずるいで! そんなことに能力使いおって」
笑う彼女をもっと近くで見たくて。自然と頬がほころんだ。俺も手を伸ばし、待てやと笑いながら彼女の姿を追いかける。

 キャッキャッと心の底から笑う俺たち。特別者なんて関係ない。そして俺たちは日が暮れるまで追いかけっこを楽しんだ。二人のしばしの別れ、最後の夜を。

《了》


表紙 - 前項

作者/ 冬城カナエ