捺芽と棗




 あたしには、同じ名前の幼なじみがいる。憎たらしくてたまらない。

「あーだめだって、だめだめだめ!………あ〜っ! 負けちまった」
「棗……あんた人の部屋にあがりこんで勝手に何やってんのよ?」
「あ、捺芽帰ったのか? おかえり」
「ただいま、お兄ちゃん」
「俺にはー?」
「うるさいよ、ばか」
 部活が終わり家に帰ると、あたしの部屋にはお兄ちゃんと棗がいた。いつものことだけど、どうしてこいつがあたしの部屋にいて、お気に入りのRPGをやってるわけ? 何回言ってもきかないこいつには、ほとほと困り果てた。お兄ちゃんはいいとして、どうして棗があたしの部屋に…これじゃ、一瞬たりとも気が抜けないよ。

 捺芽(なつめ)と棗(なつめ)。お隣同士のこの一家…よく自分達の子供に同じ名前を付けてくれたよね。本城(ほんじょう)家と、黒田(くろだ)家。この一家は、家族ぐるみで仲がいい。そして同時期に生まれた二人の子供に…あろうことか同じ名前をつけた。信じられる? 幼なじみが同じ名前なんて…。よくこれをネタに、学校でいじられたっけ。あたしは棗と、4つ年上の聡(さとる)お兄ちゃんと、16歳になる今まで一緒に育った。
 いつからだろう。隣にいるこいつを男の子として意識しだしたのは。ずっと隣にいる男の子に、あたしはいつしか『幼なじみ』以上の感情を抱いていた。まぁ棗は、あたしのことなんかなんとも思ってないんだろうけど。あたしのこと少しでも異性として意識しているなら、こんなふうに毎日あたしの部屋に上がりこんでゲームしたりする? あたしに会いに来るならまだしも、あたしのゲームに会いにくるんだもん。なんとも思われてないのを、毎日確認させられる。

「ね、棗。あんたそれどこまでいったの?」
 すとん 何気に棗の隣に座って、問いかける。
「え? ほら、ウェスタリアに攻めてきた帝国軍を追い返して…今ドラゴン退治の途中。ってこの雑魚キャラマジでむかつく! なんで魔法通じないんだよっ」
「えっ帝国軍追い返したの!? あたしまだそこまでいってない! いますぐ交代しなさいよ! あたしのゲームなのになんであんたが先に進んじゃってるの!?」
「ちょ、こらさわんなって! あっやられるっ」
「うるさいっ! どきなさいってば!」
「あーっ無理っ! あっ」
 かしゃんっ
「ちょ、ちょっとタンマ! 捺芽、眼鏡落ちた」
「え?」
「俺の眼鏡、どこ? 壊すわけにはいかないんだって」
「あ、ごめん、ほら」
 コントローラの前にあった眼鏡を、棗に手渡す。一瞬だけ触れる手にどきっとする。
「あーよかった。フレームとか曲がってなくて」
「それ、お兄ちゃんの眼鏡でしょ? 大事にしてよ!」
「って、お前何言ってんだよ! お前が襲い掛かったくせに」
 棗はゲームのしすぎで目が悪い。いつもお兄ちゃんの眼鏡のお下がりを使っているんだ。なんでもお兄ちゃんの眼鏡をかけてると、頭良くなるらしい。絶対嘘だけど。だって棗、馬鹿だもん。お兄ちゃんの眼鏡使ってるの、どうせ眼科に行くのがめんどくさいとか、そんな理由だよ……
 でも、棗の眼鏡、すごく好き。お兄ちゃんは太いフレームが嫌いでいつも細いシルバーのフレームの眼鏡を買う。まるで棗にあげることを前提に選んでるかのように。だって棗、その眼鏡、すごく似合うんだもん。小さい頃から綺麗な顔立ちでもてていたけど、高校に入って眼鏡をかけるようになってから…女の子に騒がれることも多くなったと思う。あたしも……眼鏡かけてるほうがすきだ。馬鹿な棗が知的に見えるからじゃなくて、眼鏡越しの視線が誰にもない光を放っているから。裸眼のそれよりも、眼差しが好きなんだ。……面と向かって言えないけど。
「お前達、ホント仲良いなぁ」
「だろ? サト兄、うらやましい?」
「何がうらやましいよ! とにかく、いいからあたしに交代してよ! どうせずっとやってたんでしょ?」
「だったら悪いかよ?」
「悪いに決まってるでしょ! これ、あんたのじゃなくて、あ・た・し・の!」
「お前のものは、俺のもの。俺のものは、俺のもの。これって名言だとおもわねぇ?」
「うーるーさーいー!」
 ぎゃーぎゃー 棗と会話してると、いつの間にかいがみ合いになってる。こうなると誰にも止められない。……お兄ちゃん以外は。
「棗? 止めなよそろそろ。ゲームオーバーしてるぞ?」
「えっ!? うわ、マジで負けてるっ! うわ〜せっかく中ボス越したところだったのに! 捺芽の馬鹿!」
「ばかぁ? ふざけないで! さっさと交代しないあんたが悪いんでしょ?」
「捺芽? 女の子の言葉遣いじゃないだろ?」
「う…お兄ちゃん……」
「ほら、そろそろ止めたら? もうすぐご飯だよ。母さん呼びに来るだろうから、棗も食ってけよ」
「……サト兄にはかなわねぇよ」
 お兄ちゃんは優しく微笑んでいるだけだった。特別に強く言うわけじゃないんだけど、なぜかお兄ちゃんに制されるとそれ以上何も言えなくなる。
「な、今日くらいは食ってけよ、棗」
「いや、俺そろそろ帰るよ。うちの母さんも飯作ってるだろうし」
「あ、帰るの?」
 立ち上がった棗を見上げる。もう、帰るの?
「なんだよ捺芽? 俺に帰ってほしくないの?」
 キラン 眼鏡の奥で、切れ長の目が光る。うっ……思わず心臓が跳ね上がってしまう。
「は? 馬鹿じゃない? 早く帰れ」
 なるべく表には出さないように、そう言い放った。
「うわー、可愛くねぇっ! じゃあなサト兄、また来るよ」
「あぁ、おばさんたちによろしくな。」
 んしょ 棗がぺらぺらの学生かばんを持って立ち上がる。
「んじゃーお邪魔しました」
「あ、待って、下まで送るよ」
 慌てて立ち上がって、棗を追いかけた。

「お前さ、あの宿題やった?」
 きゅっ 棗が靴紐結びながら言う。
「え? あぁ、数学? 授業中に終わらせちゃった」
「うっそマジで! 貸して!」
「は? なんであんたに貸さなくちゃいけないのよ!」
「いいじゃん、俺とお前の仲だろ? 頼むよ〜」
 座ったまま振り返って、仁王立ちしているあたしを見上げる棗。こいつ…ものを頼む時だけこうやって甘い顔をする。あたしにこの顔をする機会はあまりない。でもこの顔……正直、あたしはめちゃくちゃ弱かったりする。眼鏡越しの視線なのに、直接心に刺さる。抜けなくなるんだ。
「…仕方ないな。今取ってくるから。明日返してよ?」
「やった! さすが捺芽! 今度埋め合わせする!」
「じゃ、今までの分全部合わせて、何かしてもらおうかな?」
「え? 今までの分?」
「そう。小学校・中学校・高校のぜーんぶあわせて!」
「無理ーっ! そんなの時効だろ?」
「残念でしたっ! 時効なんてありませんー」
 ははっ 笑いながら階段を駆け上がる。急いで鞄を取って玄関まで下りていくと……あれ?
「棗?」
 棗が玄関から消えてた。えっうそっ
「なつめー?」
「外だよ、馬鹿」
 がちゃ 大声を出したら、玄関の戸が開いた。どうやら靴を履き終えた棗は外に出ていたらしい。
「何よ、中で待ってればいいのに」
「いいじゃん。俺がどこで待っていようと」
「あーそうですね。はいこれ。宿題」
「おっ、ありがと。じゃー借りてくわ」
「うん。明日、朝一で返してよ?」
「わかったわかった。じゃあまた明日な」
「うん、ばいばい」
 キィ……カシャン 棗が黒田家へと吸い込まれていく。あたしは棗の姿が見えなくなるまで見送ってから、玄関を閉めた。棗は一度も振り向こうとはしない。
あたしはずっと見ているのに…あいつは決して振り向かない。それは当たり前のこと。棗にとって、あたしは『幼なじみ』……お兄ちゃんと同じなんだ。

 毎日がそうやって過ぎていく。あたしが部活から帰ってくると、あたしの部屋には棗とお兄ちゃんがいて。ひとしきり言い合いをしてから、あたしが玄関まで棗を送る。そして棗は一度も振り返ることもなく、自宅に帰るんだ。
 棗にとってあたしは『幼なじみ』。そんなのわかってる。少し前までは全然そんなこと気にしていなかった。幼なじみだってなんだって、棗に一番近い女の子はあたしなんだもん。それだけでよかった。でも、今は…それじゃ足りなくなってる。ねぇ、棗。あなたはあたしをどう思ってるの?眼鏡越しの意味ありげな視線に、一体どんな意味を込めてるの……?

「ただいまー」
 次の日も同じように部活を終えて、帰宅した。玄関には昨日と同じスニーカー。棗が来てる。
「ちょっと棗っ! あんたまたあたしのゲーム勝手にやってるの!?」
 バンッ 勢いよく扉を開けた。するとやっぱり予想通り、コントローラを握って真剣にテレビ画面を見つめる棗の姿があった。一つだけ、いつもと違うのは……お兄ちゃんが、その場にいないこと。
「あれ? お兄ちゃんは?」
「お前……サト兄の妹のクセして知らないのかよ」
「何よ」
「今日サークルの飲み会だって。昨日言ってただろ?」
 ピコピコ あたしには一瞥もくれず、まっすぐテレビを見ながら棗は言う。
「じゃあ、今日お兄ちゃんいないんだ……」
「いや、見りゃわかるだろ? お前どうしたの? 今日なんかおかしくない?」
 くる 急にあたしのほうに向き直る。眼鏡がずれた格好がおかしい。
「プッ…あんた眼鏡ずれてるってば! おっかしーマヌケッ」
「なっ、うるせーよ! 今そっち向いたときにずれたんだろ」
 そそくさと眼鏡を直す。一瞬気を抜いたその瞬間、主人公がやられた。

 ♪ タラタラタラ―ン ジャ、ジャジャーン ♪

 画面いっぱいに、『GAME OVER』の文字。
「うわーっ! なんで!? さっきまでHP満タンだったのに!」
「あはははっ! さいこーおもしろいっ! 残念だったねぇ棗」
「お前のせいだろ! 捺芽の馬鹿っ!」
「気を抜いたあんたが馬鹿だったのよ。あーあ、ルーラン可哀相っ」
「俺のはルーランじゃねぇ! コテツだよ!」
「ていうかあんたネーミングセンスおかしいよね? なんでこんな王子顔の主人公に『コテツ』なんて名前付けるの?」
「なんでもいいだろ〜? あー俺のコテツ……」
 チャッ 眼鏡をはずす。ぽいっと眼鏡を放り投げて、その場に寝転がった。おそらく帰ってきてからずっとこの部屋でゲームしてたんだろう。眉間を指でつまんで、目をしぱしぱさせてる。
「そんな眼精疲労がたまるなら、ゲームやらなきゃいいのに」
 ずい 棗の顔を見下ろす。いつ見ても整った顔………
「だって、やらなきゃお前に抜かされるじゃん。お前のことだからネタバレとかしてくるだろ? 俺ネタバレされんのマジで嫌なんだって」
「あのねー、これ誰のゲームか知ってますか?」
「俺の」
「違ーうっ! あたしの!」
「はいはい。お前さっきからパンツ丸見えだぞ?」
「え?」
 にや あたしの下でイヤミな笑いを浮かべる棗。
「うっ……うそぉっ!!!」
 がばっっっ 慌ててスカートを押さえて後退する。

 どんっ

「きゃあっ」
 ぼふっ 真後ろにベッドがあることも忘れて後退したあたしは、まもなくベッドにぶつかって倒れこんだ。
「なんで、何で早く言わないのよ!!」
「いや、言われる前に気付けよ。それに、今眼鏡なくて何も見えないし」
「うそつけ!!!」
 見えてないわけないでしょ!? あ、有り得ない………!
「にしても、これが捺芽じゃなければな〜! お色気お姉さんならよかったのに」
「ばっ馬鹿なこと言ってんじゃないわよ!」
「捺芽のなんか見たって全然嬉しくないって」
「うっうるさいっ!!! 早く帰れ!」
「やだ」
「え?」
 がば ベッドから体を起こす。いつの間にか棗も体を起こして、あたしを真っ直ぐ見ていた。何、どうしたの……? 棗は真っ直ぐ眼鏡に手を伸ばして、かけなおしながら微笑んだ。
 棗にとって、あたしは『幼なじみ』。だから、あの時聞いた言葉には、耳を疑ったんだ。


「なあ、今日泊まっていい?」

《続》


表紙 - 次項

作者/ことは