スパイアイ大作戦




あれ、おかしいなぁ、という呟きが微かに聞こえた後、ドアをノックする音が響いた。
「高村さん、お届けものですよ〜」
「は……はいっ」
 思わずどもりながら立ち上がった。人が訪ねてきてチャイムを鳴らす、鳴らそうとするなんて久しぶりだ。チャイムがどうやら壊れているらしいということに、今初めて気づいた。
 せっかく有名進学校に合格して上京するも、人見知りする性格が災いして、二年になった今でも友達はゼロ。いつも一人で登校し、一人で昼食を食べ、体育の二人一組のストレッチは先生と組まされ、担任には登校拒否一歩手前の生徒として心配されていた。それがこの、高村葉太という人間だ。
「こちらにサインかハンコをお願いします。……はい、ありがとうございます。では、確かにお届けしました」
 高村とは流れている時間の早さが違うのかと思いたくなるほどきびきびと、宅配便の青年は作業を済ませて去っていった。
「少しくらい世間話していったって良いだろ……」
 ぼやいてみたが、言葉のキャッチボールが二往復以上続いたためしのない高村には、まず無理な芸当だ。会話に必要な話題というものが、決定的に欠けていたのだ、と自己分析していた。高村の予想が外れていなければ、この届け物が彼の目下の悩みを解決してくれるはずだ。
 届いたのは、重箱一段分くらいの大きさの包みだ。中身を取り出すと、衝撃吸収素材――いわゆるプチプチにこれでもかと言わんばかりに梱包された物体。それとは別に、説明書らしき冊子がでてきた。表紙にはこうある。
『情報収集眼鏡‐スパイアイ‐取り扱い説明書』
 頭の中で読み上げながら、つい口元に不気味な笑みが浮かんでしまう。よくもこんな怪しげなブツを買ってしまったものだ。
 深夜の通販番組を見ていて偶然見つけた。自分の為に開発されたものなんじゃないかと一人感動し、すぐさま電話した。電話にでたのが明らかに外人で、つたない日本語を操っていても全く気にならなかった。つまり、どうかしていたのだ。
 ぼったくりにしては良心的な値段だったから、良い勉強になったと先日泣き寝入りしていたところだ。まさか本当に届いてしまうとは。
「見る対象についてのあらゆる情報が、NASAが極秘開発した特殊な半透明眼鏡型モニターに表示される。外見的にはクラーク・ケント風の黒縁眼鏡であり目立たないが、最新技術を駆使しコンパクトで高性能なボディを実現。世にもまれな眼鏡である…」
 胡散臭いにもほどがある。SF小説にでも便乗したジョーク商品だろうか。
 操作法は簡単。というかほとんど自動で行ってくれるらしい。こちらがやることと言えば、起動スイッチを入れる、ただそれだけ。 ためしにかけてみた。別にチクッとしたりはしないし、そんなに重いわけでもない。
「……」
 一人四畳半の真ん中で眼鏡をかけたところで、ただのマニアじゃないか。眼鏡に何かが映る気配もない。
 猛烈な不安に襲われて、洗面台に走った。鏡をのぞき込む。訝しげに自分を見つめる自分が一人。名前は高村葉太。17歳。黒髪黒目。国籍、日本。職業、学生。身長、166cm。体重、58kg。趣味、鉱石の採集。目下の悩み、友達がいないこと……。
「なんだこれ……!」
 個人情報がこれでもかというほどにあふれてきた。さらに睨むと、<材質、ガラス>とどうやら鏡に焦点が移ったらしい。
「スパイアイ……すごい」
 高村は思わず後ずさった。足元に目を落とせば、
<マット。材質、化成繊維、ウール。使用年数、2年4ヶ月>
 壁に目をやれば
<壁。構造上の問題はなし。築12年>。
「これで、話題ができるはず…!」

 教室に入って早々、高村は皆の視線を集めることになった。ちらちらとこちらをうかがうものもいれば、あからさまに高村をじろじろと見るものもいる。スパイアイのことがバレたのかと一瞬青ざめたが、
「おーっす、高村。おまえって視力悪かったんだな」
 あわてて声の方を向くと、すぐに眼鏡から情報が提供された。
<湯島誠十郎。身長、174cm。体重、71kg。サッカー部所属。ポジション、ミッドフィルダー。関心、高村葉太が眼鏡をかけてきたこと>
「――うん。実は近眼で……。変、かな?」
 情報をもとに、しどろもどろになりながらも返答すると、
「いや、様になってるっつーか、なんか頭よさそうに見える」
 湯島はにやっと笑うと、仲間の元へ戻っていった。その後ろ姿をぼんやり眺めていると、彼に関する情報が不意に更新された。
<関心、今日2時間目が提出日の宿題(数学)。手をつけていない>
「あれ、湯島。宿題やってなかったのか」
 つぶやいたつもりが、バッチリ相手の耳にも届いていた。湯島はくるりと進路を変え、高村のもとへ戻ってくる。
「なんで、俺が宿題やってきてないって分かったんだ…?」
 声をひそめてあたりを気にしながら問う湯島に、だが一番焦っていたのは高村本人だ。
 ふつうに考えれば当たり前のことだ。口にも出してないことを、どうして知り得たのか。まさか眼鏡の秘密を打ち明けるわけにもいかない。となればごまかしきるしかない。
 高村はない知恵を絞って考えた。そして導き出された答えは、
「その……さ。ほら、湯島の背中が」
「俺の背中が?」
「ほら、男は背中で語るって言うじゃない。なんか哀愁漂わせてたっていうか……」
「そっか、俺の背中がいろいろ語ってたのかぁ」
 よりによってそんな……という言い訳だったが、湯島はそれ以上追及してこなかった。まさに九死に一生を得た思いだ。
「あー、話題ができたって言っても、そっか、」
 タイミングとかも大事なわけね、と心の中で続ける高村であった。

《続》


表紙 - 次項

作者/月村 翼