スパイアイ大研究




 人が多ければ、それだけ流れ込んでくる情報量も多い。
 幸か不幸か高村の席は窓際の一番後ろで、授業中ともなれば、嫌でもクラスメイトたちの背中が目に入ってしまう。そのたびに詳細なプロフィールが提供され、始めのうちは膨大な情報を対処するのに精一杯だった。
 名前、年齢、生年月日はもとより、趣味や家族構成、はては恋愛遍歴まで。一年以上同じ教室で過ごしているというのに、知らないことだらけだったのだと実感させられる。まるでクラス替え初日か転入当日のように物珍しそうに辺りを見回すさまは、はたから見ればさぞ挙動不審だったことだろう。
「今日は22日か。それじゃあ……22番、高村。次のページから訳してみろ」
 高村はその言葉ではっと我に返った。
「は、はいっ。えーっと……」
 反射的に立ち上がってしまったものの、スパイアイでの情報収集に夢中でまったく話を聞いていなかった。黒板に羅列するアルファベットを見て、今になって英語の授業中だったことに気づいたくらいだ。
 高村が言葉に詰まっていると、教師はあきれたようにため息をついた。
「なんだぁ、昨日予習しておくように言ったじゃないか」
「すみません……」
 肩を落としつつ教師の顔を盗み見る。とたんに情報が流れ込んできた。
<牧野悠二。教師。担当教科、英語。趣味、映画鑑賞。最近、深夜映画にはまっている>
「さっきから全然授業に集中できていないようだし、どうした? 体調でも悪いのか?」
「いえ、少し寝不足なだけです。その……昨日夜遅くにやってた映画をずっと見てて、それで」
「ん?」
 牧野の表情が変わった。しまった、失言だっただろうか。
「深夜シアター『見ナイト寝られない』か! あれはなかなかいい映画をチョイスしてくるんだよな〜。先生もよく見てるぞ。昨日は何を放送したんだ?」
 予想外の反応に思わずたじろいでしまう。何を放送したのかと訊かれても、実際見ていないのだから答えようがない。
 またしても言葉に詰まってしまうと、助け舟を出してくれたのは斜め前の男子生徒だった。
「はーい、俺も見ましたー。昨日のは野球物でしたよ。なんか、幼馴染みが久しぶりに再開してチームを結成するやつです」
「野球? もしかして『ドリームピッチャー』か?」
「そうですそうです。途中までは面白かったのに、ラストがイマイチな感じでした」
「あ〜、確か夢オチなんだよな。先生それ映画館で見てえらくがっかりしたぞ」
「それならオレも映画館で見ましたよー。一人超人的な力を発揮する奴がいるかと思ったら、そいつが実は宇宙人だったって展開はあんまりだと思いました」
「ははは、だよなぁ」
 いつの間にか他の生徒まで混ざって盛り上がっている。話題を作り出した本人である高村は、次々と更新される情報を追いかけるのがやっとだった。なんとか話に入ろうとするものの、言葉を選んでいるうちに新しい情報が流れ込んできてしまう。まさに会話はリアルタイムで進行していた。
「先生ー、映画の話は休み時間にしてくださーい」
 委員長の一言により、ようやく雑談が終了する。牧野は悪い悪いと頭をかいて高村を見た。
「字幕映画だし、ヒアリングの勉強ってことにしといてやろう。高村、座っていいぞ」
 なぜだかものすごく疲れた気分になり、高村は着席と共に息をついた。タイミングも重要だが、臨機応変に対応する機転の早さも必要らしい。話題だけがあっても駄目ということか……。
 改めて会話の難しさを痛感したスパイアイデビュー日であった。



「さっきの牧野、すっげぇ生き生きしてたよな」
 休み時間、そう話しかけてきたのは、深夜映画の話題に真っ先に乗ってきた男子生徒だった。スパイアイの情報によると……
<倉本和馬。身長、172cm。体重、63kg。コンピューター部所属。ただし幽霊>
「でも高村が夜遅くまでテレビ見てるなんてちょっと意外だったかも。実はテレビ好きだったりする?」
「うん、まあ……ね」
 怪しげな通販番組で商品を買っちゃうくらい、と心の中でつけ加える。
 倉本はへぇ、と呟くと、どこか期待を込めた眼差しで尋ねた。
「なぁ、じゃあさ、ドラマとかも見てんのか?」
「ドラマ?」
 その言葉に反応するように、スパイアイが新たな情報を提供した。
<関心、テレビドラマ。月9『トップスッチー』を毎週欠かさず見ている>
 さっそくこの情報を……そう思ったがためらった。本当は見ていないのにそんなことを言ったら先程の二の舞だ。高村は少し考えてから答えた。
「……トップスッチーが気になってるんだけど、倉本は見てる?」
 その瞬間、倉本の表情がぱっと明るくなった。
「俺それ毎週見てるんだよ! 高村、今からでも遅くない。見ろ。絶対面白いから。俺が保証する」
 がっしりと両肩を掴まれ、力強く断言される。高村は戸惑いつつも頷いた。
「う、うん、わかった。見てみるよ」
「おう、見たら感想聞かせてくれよ。もしよかったら今まで放送したぶんも貸すぜ。一話から全部録画してあるから」
 倉本は嬉しそうに笑うと、友人たちの輪へ戻っていった。その後ろ姿を見送り、高村は倒れるように机に突っ伏した。
 どうやら会話は成功したようだ。「今度貸してやる」なんて、実に親しげなやり取りじゃないか。満足感、充実感……それから同時に疲労感もあった。みんな普段からこんなに気を使って会話をしているのだろうか。少々、研究の余地がありそうだ。



 半日経ち、スパイアイの使い勝手も掴めてきて、対象をしぼることくらいはできるようになってきた昼休み。高村は昼食を取るたかたわら、教室でクラスメイトたちの観察にいそしんだ。

 教壇の前にたむろしている女子生徒三名。
 先程からやたらと盛り上がっていて、嫌でも会話が耳に入ってしまう。目を向けると、すぐさまスパイアイから情報が提供された。
<吉川仁絵。バレーボール部所属。関心、アイドルグループ。WIN-LUCKの熱烈なファン>
<高澤あおい。所属部活動なし。趣味、特技ともにクラシックバレエ>
<小橋真子。文芸部所属。趣味、読書・創作活動。HPにて自作小説を公開中>
 外見、性格、趣味、すべてにおいて見事にばらばらの三人だ。
(一体どんな話題があるんだろう……)
「ねぇねぇ、昨日のミュージックターミナル見た? 新曲すっごいよかったよね! あたしさっそく予約しちゃった。ジャケットの彰二くんが超かっこいいんだよ〜!」
「仁絵の趣味ってよくわかんない。わたしは修くんのほうが絶対いいと思うけどなぁ……。それより来週の日曜日ひま? バレエコンサートのチケット貰ったんだけど、よかったら一緒にどう?」
「ごめん、私その日は用事ある。メッセ行ってくるから。何か買ってきて欲しいものがあるなら頼まれるけど」
「修×彰二!」
「イバラ道ね」
「不健全よ」
 会話のほうも見事にばらばらの三人だった。
(共通の話題がなくても会話は弾むものなのか……)

 廊下側の席でうなだれている男子生徒・岡。
 スパイアイによると、ごひいきの野球チームが負けてしまい落ち込んでいるらしい。そんな彼のもとに、友人・田原が得意げな表情で歩み寄った。
「見たかよ昨日の試合。九回裏で一気に五得点の逆転サヨナラ勝ち!」
 岡の肩がぴくりと動く。ちなみに田原の応援するチームこそ、岡のチームを敗北させた憎き敵だ。
(あああ、そんな地雷を踏むようなこと……)
 高村は冷や冷やしながら成り行きを見守っていたが、顔を上げた岡の表情は意外にも清々しいものだった。
「あー、完敗だよ完敗。あのホームランはすごかった。認めざるを得ない」
「だろ〜?」
「でもな、今シーズン優勝するのはうちだからな!」
「せいぜい頑張れよ。あんまりあっさり勝ちすぎてもつまんないからな」
 二人は互いに不敵な笑みを浮かべると、何事もなかったかのように別の話題へと移った。今はもう先日出た漫画の新刊がどうとかで馬鹿笑いしている。
(……仲がよければそういうのもありなのか)

 後ろのロッカーに並んで寄りかかっている男女。
 クラス公認のカップルだ。背中越しにデートの日取りを決めるやり取りが聞こえてくる。まともに会話する友達すらいない高村にとっては、恋人同士の愛の囁きなどレベル違いも甚だしい。受かる可能性のない大学周辺で物件探しをするようなものだ。
(まぁ、でも、もしもの時の参考までに……)
 と、誰も聞いていないのに心の中で言い訳を呟き、高村はそっと振り返った。
「潤子はどこ行きたい?」
「祐くんの連れてってくれる場所ならどこでもいいよっ」
<戸田祐。彼女、松本美弥・戸田潤子・藤浦あき、他数名。趣味、合コン>
<安井潤子。関心、黒木実(2-4)。悩み、戸田祐への別れの切り出し方>
 会話の内容と情報のギャップに唖然とする。思わず見てしまったことを後悔した。仲睦まじく見えるカップルも、スパイアイにかかれば裏事情までまるわかりだ。
(知りたくなくてもわかってしまうのか。これはちょっと問題だな……)

 改めて教室を見回すと、そこには本音と建前が溢れていた。
 相手に合わせ、好きでもないものを好きと言っている者。断りたいのに引き受けてしまっている者。本当は口も利きたくない相手と笑顔で話している者。
 自分だって見ていない映画を見たと言った。興味のないドラマを気になると言った。その程度の偽りなど、きっと誰にでもあるものだろう。けれど、それはやはり知って気分のいいものではなかった。
 なんでもわかる便利な情報収集眼鏡、スパイアイ。
 通販番組で連呼されていたうたい文句を思い出し、高村は冷たいフレームにそっと触れた。



 いつも以上に長く感じられた午後の授業が終わり、ようやく放課後になった。
 なんだかいいものなのか悪いものなのか、よくわからなくなってきたスパイアイ。しかし便利な道具であることに変わりはなく、ここから提供される情報のおかげで、今日一日だけで通常一ヶ月分以上の会話を交わすことができた気がする。同時に許容範囲ぎりぎりの情報量を流し込まれ、脳が飽和気味だ。
 軽いめまいを覚えながら教室を出ると、無意識のうちに足が向かった先は図書室だった。放課後はここで読書や課題をするのが高村の日課である。今日はもう帰ろうかと思っていたのだが、一年以上繰り返してきたその行為は、もう生活サイクルに組み込まれてしまっているらしい。

 立てつけの悪い木造のドアを開くと、先客は四人。高村を入れて五人だが、おそらくこれ以上増えることはないだろう。相変わらず繁盛していない。
 四階建て校舎の最上階という思わず足がためらってしまう場所にあるせいか、訪れる生徒は極端に少なかった。もしかしたら図書室という存在自体知らない生徒もいるかもしれない。利用しているのは常連ばかりで、それぞれの席も決まっている。海外文学コーナーの前にあるテーブルが高村の指定席だった。
 居心地のいい静けさの中、こうして小説を読んでいる間は本音も建前も気にする必要がない。この時だけは、通販番組で怪しげな眼鏡を購入する前となんら変わりのない時間が流れていた。
 しかし、ふとページをめくろうとしたその手が止まる。
 スパイアイをかけて以来、ずっと抱いていた違和感。その正体が今わかった。――フレームだ。
 視界の端に、黒縁のフレームがわずかに入り込んでいる。それはほんの些細なことだったが、眼鏡をかけ慣れていない高村にとっては、どうしても気になってしまうことだった。
 少し考えたあと、スパイアイを外してテーブルに置いた。なんとなくすっきりとした気分になる。度は入っていないとはいえ、レンズ越しに物を見続けて目に負担をかけていたのかもしれない。ついでに顔を洗ってこようと、高村は席を立った。

 洗面所から戻る途中、まだめまいが残っているような気がしてぼんやりと歩いていたせいだろう。軽い衝撃の次に何かが派手に割れる音を聞いた時には、すでに遅かった。
「わっ、あっ、えと」
 目の前にはおろおろする女子生徒。そして足元には散らばったガラスの破片。ほとんど原型をとどめていないが、それが元花瓶であることはすぐにわかった。女子生徒の手に、そこに生ける予定だったのだろうガーベラの花束が握られている。
「うわ、ごめん! ぼーっとしてて……!」
 高村は慌ててガラスの破片を拾い集めようとした。
「あっ、ダメです。危ないですよっ」
 またしても時すでに遅し。
 女子生徒が止めようとした時には、すでに右手の親指と中指の第一関節に赤い筋が走っていた。ワンテンポ遅れて血が流れ出し、それと同時に痛みが襲う。なかなかに勢いよくやってしまったらしく、思いのほか鮮やかな血液は、手首辺りにまで伝い流れた。
「わああ……。あのっ、これ、これで止血してください」
 あたふたしながら差し出されたのは、可愛らしい花柄のハンカチ。
「でも、汚れちゃうし……」
「ぎゅって押さえててくださいねっ。すぐ戻りますから!」
 女子生徒は半ば無理やり高村にハンカチを持たせると、そう言い残して図書室へと走っていった。廊下の途中で振り返り、すぐ戻りますから! と念を押す。せわしないその動きは、どこか小動物を連想させた。
 見覚えのある顔だった。いつも図書室のカウンターで本の貸し出しをしている図書委員の少女だ。確か名前は……そういえばなんというのだろう。放課後、毎日のように顔を合わせているのに、いまだに名前を知らなかった。校章の色を見るに、同学年であることは確かだ。
 そんなことを考えながら、一分も経たなかっただろう。女子生徒は本当にすぐ戻ってきた。ほうきとちり取りを持った司書を一人連れて。
「あの、これです。本当にごめんなさいっ」
 砕け散った花瓶を指差し、女子生徒は頭を下げた。けれど司書の女性は穏和な笑みで答える。
「いいからいいから。ここは片づけておくから、その子を早く保健室に連れてってあげな」
「あっ、はいっ。お願いします」
 女子生徒は高村に向き直ると、心配そうに顔を覗き込んだ。
「傷、痛みますか?」
「あ、いや、その」
「ごめんなさい……。私の前方不注意です」
 そう言って申し訳なさそうにうつむき、戸惑う高村の左手の裾を掴んで歩き出した。
「保健の先生、まだいるかなぁ……」
 そう呟く女子生徒の背中を見て、スパイアイを図書室に置いてきてしまったことを後悔する高村であった。

《続》


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作者/藍川 せぴあ