スパイになる方法




 広々としたリビングダイニング。白いレースのカーテン越しに穏やかな日差しが差込み、カントリー調に統一された家具がゆったりとした空間を作り上げている。木製フレームに入れられたぼんやりした印象の絵画、小さな人形の家、薄型の大型テレビ。その手前には八人がけのソファ。奥には大きなダイニングテーブルと、システムキッチン。
「モデルルームみたいだ」
 思わず漏らした声に桂はくすりと笑い、
「ただいま、博士」
 ダイニングテーブルで熱心に雑誌を読んでる『ダンディー』という言葉が服を着たような男に声を掛ける。
「おかえり」
 男は見た目通りの渋い声をあげると、雑誌を畳みつつ、お茶を飲み干し立ち上がる。
「君は――あぁ、噂の高村君か」
<小倉久嗣。スパイグッズ開発総合責任者。桂の父。関心、スパイアイを掛けた少年>
 開発総合責任者? そういえば桂も『博士』と男を呼んでいた。
 後ろに流した髪、白いワイシャツには複雑な柄のバックルと、紐ネクタイ、灰色のスラックス。家と同じ雰囲気のスリッパ。ただ、違和感はその白衣。
「いや、本当に桂の言っていた通り、」
 え? と高村は耳を向ける。
「どこまでも平凡。どこまでも普通。特徴も個性もなさそうな実にスパイに向いた容姿。すばらしいねぇ」
 がっくりと肩を落とす。桂が自分のことを家族に話していたことは嬉しいが――それだけ注目していてくれたと言うことだし、でも、だからって無個性だと言われても嬉しくない。
「さ、高村君。こちらに来たまえ」
「博士、その前にお茶にしません? 水内さんからいただいた羊羹よばれません?」
「おぉ、忘れていたよ」
<関心、京都土産の羊羹と宇治玉露>
 スパイアイに表示された情報が変わる。博士は再び座りなす。
 気づかなかったがシステムキッチン内には優しそうな女性の姿。ふんわり揺れるナチュラルカラーの髪がおばさんなんて呼ぶのをはばかられる。白い大き目のレースのついたエプロンに、ベージュのスカート。パステルカラーのシャツ、耳には大きめのイヤリング。
「ただいま、ママ」
「おかえりなさい」
「桂、お茶にするからみんなも呼んできて。高村君、そちらに座って。羊羹、お好き?」
「え、えぇ」
 ダイニングテーブルは八人用の大きなもの。高村は女性に言われた席に座る。忙しそうに桂はどこかに消えてしまう。お茶の良い香りと、穏やかな空間。にもかかわらず、高村はどうして自分はこんなところにいるのだろうと不安になった。



 湯島、大原にそそのかされ、放課後、図書館で桂に告白しようとした高村だったが、桂からスパイであると指摘される。身に覚えの無いことに愕然とする高村だったが、
「何も言えないところをみると、どうやらズバリだったみたいですね」
 桂は可愛らしい顔に怪しい笑みを浮かべる。そんな笑みにさえ見惚れ、口篭もる高村に桂は、
「高村君、付き合って下さい」
「え? 付き合う??」
 思わず尋ね返した高村にかまわず、桂は歩き始める。高村があとをついてこないことに気づくと、立ち止まり、
「ついて来て下さい」
「あぁ、付き合うってそういう意味……」
 がっくりと肩を落とし桂の後を歩く。電車に乗り、バスにのり、ついたのは住宅街の一角。大きな一軒屋。桂はスタスタと歩いていくので、高村もおっかなびっくり後に続く。大きなお屋敷、豪邸と言っても過言じゃない。洋風モダンたたずまい。庭は狭いが、真白な植木鉢に色とりどりの花が咲き乱れ、バサリと白い鳩がタイミングよく空を舞う。まるで映画か、ドラマの世界。
「高村君、何してるんですか」
「いや、」
「スパイ活動ですか? スパイアイ以外にもグッズをもたれてる様子は無かったのに」
 常々行動を観察されていたのだろうか。桂に見られていたという嬉しさ半分、言い知れぬ気持ち半分。桂はオーク材の分厚い扉を開ける。
「ただいま」
 中に声を掛け、スリッパに履き替える。来客用のスリッパを出され、
「お、おじゃまします」
 高村も後に続く。
「ここ、どこ? 小倉さん家?」
 あまりに生活観の無い綺麗さ。人が暮らしているとは思えない。きょろきょろと無遠慮に周囲を見回す高村。スパイアイには洪水のようにデータが写し出される。
「こっちよ、高村君」
 桂に強い口調で呼ばれ、高村は慌てて向かう。桂がガラスの引き戸をあけると、そこはリビング。奥にはダイニング。

 八人がけのダイニングテーブルは人が溢れていた。桂、博士、桂の母、桂が呼んできた姉の貞子と兄の誠人、そして貞子の婚約者である水内良仁。お土産に羊羹を持ってきた人だ。
 桂同様、博士以外の情報はスパイアイには何も表示されない。スパイアイ断絶チップとやらを持っているのだろう。
「いや、本物のスパイと同じ食卓を囲めるとは光栄だね」
 博士は感慨深そうに言い、羊羹を一口食べる。羊羹は二切れずつ皿に載せられているが、一切れが他のメンバーより明らかに大きい。
 高村は自分がスパイではないと言い出すタイミングがつかめない。それどこかますますチャンスがなくなる。
「桂のスパイごっこと違ってやはり本物のスパイは違うわね」
 桂をちょっと大人っぽくした感じの貞子に誉められ、高村は照れる。
「いままでどんなスパイ活動を?」
 桂の母に尋ねられ、高村は慌てる。活動も何も、スパイではない。
「活動内容を言えるわけ無いよな」
 助け舟を出してくれたのは誠人。この場合、船は泥で出来てるのだが。
「本物のスパイは拷問受けても絶対に内容をしゃべらないんだよ」
「えぇ、まぁ」
 高村は適当にうなづく。スパイについて脳をフル回転させるが、『スパイキッズ』くらいしか見たことが無い。スパイがどんなものなのかまったくわからない。
「それで、君が使ってるスパイグッズはスパイアイだけかね?」
「いえ、あの……」
 口篭もる高村に、
「他にも持ってるみたいです」
 なぜか確信に満ちた桂の声。
「庭でも何かしてましたし、玄関入ってからも何かしてましたよね?」
「え?」
 何もしてない。
「ほぅほぅ。パッと見た目にわからないと言うことは他社製品かね? それとも自分で改造してるのか?」
「すごいな、まったくわからないね。その校章がカメラになってるとか?」
「すごい技術力だな。いや、見せてくれなくていいよ。同じものを作ったって仕方が無いからね」
 高村を置いて、食卓は盛り上がる。高村が開放されたのは家に上がりこんで二時間も経っての事だった。
「いや、今日は本当に楽しかったよ」
 博士は席を立ちながら言うが、高村を置いて、みんなでディープなスパイ関連の話題とスパイグッズについての話題で盛り上がっていただけだ。
「それは良かったです」
 高村はあいまいに微笑む。ついていけなかったスパイの話に疲れきっていた。何度も頭を下げ、手を振りつつ路上に出て彼らの視界に入らないところまで歩き、大きく息をつく。
「高村君、」
 後ろから声を掛けられ、慌てて姿勢を正して振り向く。走ってきたのだろう。息を乱した桂がそこに立っていた。
「ごめんね高村君、明日、暇?」
「……まぁ」
 明日は祝日だ。友達もいない高村にとって休日はゲームをして、雑誌を読んで、テレビをだらだらみて過ごすだけ。
「じゃ、センター前に十時ね」
「え?」
「待ってるから」
 言うだけ言って、帰ってしまう。なんだろうと思いつつ、高村は帰途についた。スパイに関してもっと勉強しないと桂の話題についていけそうにない。

 約束の場所にやってきた高村はたたずむ桂の姿に心の中で絶叫した。可愛い。制服姿も似合っていたが、普段着はもっと可愛い。
 淡いピンクのワンピース、白いビーズのアクセサリー、編み上げのサンダル。ぱっと顔を上げ、高村に気がつくと桂はにっこりと微笑む。
「良かった、来ていただけないかと思ってました」
 ポーっと桂を見ていた高村はその後につついた桂の言葉に適当にうなづいた後で我に返った。
「良かった! じゃ、早速私に高村君の持ってるスパイの技術を伝授して下さい」
 何やってんだ僕は。ますます小倉さんの勘違いに拍車をかけただけだ。
 困りきった高村は町に向かって歩き出す。隣には桂。逃げ出したいが、それは無理な話。
 しばらく歩くと、テレビで紹介されてたおしゃれなオープンカフェ。屋外に広げられた真鍮のテーブルセットに落ち着いた緑色の傘。桂とデートできればぜひここでお茶をしたいと思っていたことを思い出し、感慨に浸っていると、
「ここですか?」
「え?」
「さっそくスパイ技術の伝授ですね」
 期待に満ちたまなざしの桂。ここまできて暴露するのは気が引ける。高村は言葉を濁しつつ、適当に腰をおろす。暑くないよう日当たりの良すぎる場所は避け、壁を見るのは嫌なので行き交う人が見渡せる場所に。桂は高村の行動に小さく感嘆の声を上げる。
「なるほど、こういう場所の席は見晴らしの良い場所を避け、けれど、見通せる場所のほうがいいんですね。さすがは高村君。とっても行動が自然です」
 近づいてきた店員に高村は不自然なほど挙動不審気味にケーキセットを二つ頼む。慣れないことはやりにくい。
「なるほど、あえて挙動不審な動きを見せることによって、印象付けるんですね」
 妙に好意的に受け取られている。
「それより、小倉さん」
「はい?」
「あの、スパイのことなんだけど」
「はい」
 素直にうなづく様子が実に可愛い。自分がスパイでないと否定しにくい。
「えーっと……」
 答えを探すように周囲を見渡す。目に付いたのは、映画の広告。007の新シリーズ。
「映画、見ますか?」
「はい」

 翌日、登校した高村は湯島・大原にさっそく捕まった。
「お前、やったな。昨日見たぞ」
<関心、高村が噂の小倉桂とデートしていたこと>
 スパイアイにうつされた二人のデータには太字、二重線付き。興味津々と言うことらしい。
「小倉とデートしてただろ」
「デ、デデデデ……」
 あれを傍から見ればそう見えるのかと高村は驚いた。確かに、カフェでお茶を飲んで、映画を見て、食事して、川沿いを散歩して――デートだ。夢に見ていたデートだ。桂にひたすら自分の行動をスパイの行動として観察されていたものだから気づかなかったが、あれはデートだったのだ。
「おめでとう!」
 湯島に言われ、高村は微妙な笑みを浮かべる。デートだとわかっていればもっとやりたいことがあったのに。
 そういえば、桂に別れ際「また来週、付き合ってくださいね」と言われたのだった。あの時は、また来週スパイ観察されるのかとどっと疲れに襲われたのだが、それって、
「また来週――」
「何々、次のお約束?」
「いいなぁ、彼女もちは」
 湯島と大原の言葉に、
「違うんだ」
 高村がアンニュイな表情で呟いたが、二人の耳には入らなかった。本物のスパイではないとばれた時、桂には嫌われてしまうかもしれない。本物のスパイになるにはどうすればいいんだろう。高村は大きくため息をついた。
「どしたんだ? 高村」
 答えない高村にかわって湯島が答える。
「青春ってやつでしょう」
 二人の笑い声を背に、高村は席につき、スパイアイをはずし、目頭をもんだ。
 スパイも楽じゃない。

《了》


表紙 - 前項

作者/ 青野優子