妄想と現実




 いつものように探してしまった。あっ、今日は居た。
 社員が多いから毎月十五分ずつシフトして行くし、しかもカフェテリアは複数あるので見かけないことも多い。今日はラッキーと言うべきかな。
 細身の眼鏡を掛けたサラサラの明るい茶色い髪の彼。色白だから余計に髪が茶色く見える。大抵いつもスーツではないジャケットを着ていて、シャツの袖口のボタンは留めていない。
 遠目から見ているだけだから、残念ながら顔はよく分からない。顔は悪いよりはいい方がいいに決まっているけど、間近で会うわけでもないから、この場合あんまり重要視していない。
 イマドキの青年に見えるけど、いくつ位なんだろう? うちの会社、若者はとっても少ない。まあ、きっと私より年下だろうな。

 私は、辻 紗希子(つじ さきこ)。入社四年目で、総務課に在籍している。コピーだのプリンターが故障したり、トナーが切れたりすると、内線で連絡が入る。その内容を判断して、業者さんを手配する。そんなことをしてる。これは例えよ。課自体が何でも屋さんなので、困ったことがあれば、総務に電話って感じ。人のために働くって、もの凄く疲れる。どんなに苦労しても、報われないことも多いし。それに、総務課は若手が少ない。今だに私が最年少だから、周りにも気を使わないとならない。昼休みに一人でぼーっとするのも貴重なリフレッシュタイム。

 という訳で、どんな訳でも構わないけど、会えると嬉しい。
 顔がよく分からないといっている割には細部をチェックしたりして。キレイな手をしている。細くて長い指。ゴツゴツしている風ではないけど、男の人って感じの手。
 斜め後ろから見た、首から顎のラインに色っぽさを感じるんだよね。
 あー、変態かな……これで声が良かったら完璧なんだけど、残念ながら声を知ることはないだろうな。なんか、自分の好みが分かり過ぎて恥ずかしかも。

 自分がどう見られているかを意識しているだろう彼。学生時代、今も、かもしれないけど、モテただろうな。髪を掻き上げるしぐさとか、様になりすぎ。あ、左利きなんだ。うーん、出来すぎ。

 やばっ、あんまり見てると気づかれるかもしれない。

 どこの誰だか分からないけど、知る積もりは毛頭ない。知ったところで、どうって事も起きないだろうしね。お昼時の密かな楽しみとして残して置きたいな。

 そんな風に思っていたのだが、甘かった。

 何に気をとられていたのか、それすらも覚えていないが、廊下のど真ん中で人と激突した。普通、こんな何もない所でぶつからないって。
「痛っ」
「痛て」
 激突したら体重の軽い方が飛ばされるでしょう? 飛ばなかったのは、私が重いから、ではなくて、相手が私の腕を掴んだから。咄嗟に手が出るって運動神経がいいのか何なのか。
 それでも、相手の首から提げていたピクチャーケースの中身が散らばった。ピクチャーバッチは入館証と電子キーも兼ねているのだけど、大抵の人は、そのケースにパスモやスイカ、カフェのプリペイドカードなんかを一緒に入れている。更に私は自転車の鍵まで入れている。忘れ物をしなくて便利なんだけど、袋状のケースだから一枚抜こうとしたり、下を向いたりすると散乱しちゃうのよね。要注意はトイレ。結構落す人が多い。拾う勇気はないよね。
「すいません」
 私は慌てて、散乱したカードを拾い集めた。『杉原 瑞樹(すぎはら みずき)』。ぶつかった人の名前をチェックしてしまった。ピクチャーバッチなのに、写真に全然目がいかなかったのは一生の不覚だった。
「あの、これ」
 相手の顔を見て、もの凄く変な声を上げてしまった。
「うげっ!」
「うげっ?」
 怪訝そうな声で、私の奇声をオウム返しした。しなくていいのに。
「いえ、何でもないです。すいませんでした」
「いや、俺も余所見してたし」
 そう言って髪をかきあげた。少しだけ低めでよく通る声。声も好みかも。近くで見ると結構、綺麗な顔立ちしてる。あんまり、近すぎると直視できないタイプかも。顔は良すぎない方がいいな、と勝手な感想。でも、なんか違和感。
「あのさ、悪いけど眼鏡探してくれない? 俺、目が悪いからよく見えない」
「はい」
 あ、なるほど眼鏡か。どうりで。しっかし、タメ口かい? この人。キョロキョロと辺りを見回した。あ、あった。私は拾うと彼に手渡した。やっぱり、きれいな指と手なんだ。見とれてしまった。いけない。
「これですか」
「ああ、どうも」
 彼は受け取ると、拭きもせずにそのまま眼鏡を掛けた。そして、なんだか私をまじまじと見て、ふっと笑った。ドキッとするような笑顔。
「新人さん? 気をつけなね。君くらい可愛ければ、ぶつかられて嫌がるおじさんはいないと思うけど」
 止めて! それ以上話さないで! イメージを壊さないで! そして、そして、私のピクチャーバッチを見たんだと思うこの発言。
「辻さんって言うんだ。細身なのに、結構胸あるんだね」
 開いた口が塞がらん。しかし、ここで黙っているわけにはいかないでしょう!
「セ、セクハラで訴えますよ! それに私は新人じゃ、ありません。入社四年目です」
「嘘……」
 背が高いからと言って、見下したように言わないでよ。私は手にしていた筈のクリアファイルを探して拾い上げると、彼の顔を見ずに言った。
「失礼します」
 彼が来た方向に早足で歩いた。最悪!

《続》


表紙 / 次項
作者 / 音和 奏