運命の卒業式




 まばゆい光が、あたしを包んでいた。そして、それがいつの間にか見慣れた景色に変わっていた。校庭の片隅。学校にはお約束の桜の木の下。咲くには、いささかの時間が必要だろうけど、目を開けるとあたしはそこにいた。
 いくら変わり者の先生でも、卒業式には出ていたと思う。目を閉じて記憶をたどる。先生たちの中にいた記憶が、おぼろげだがあった。後ろから三番目。だから、多分、体育館にいるだろう。
 早春とは言っても、春と呼ぶには早過ぎる。あたしの初夏の装いは、どうみても場違いで浮いている。こんな格好の、しかも外部の人間がいたら、目立ち過ぎるだろう。さっさと、化学準備室に逃げ込むことに決めた。

 様子を伺いながら、体育館の前を通り過ぎる。『卒業式 二〇〇七年二月二十八日』と書いてあった。夢かもしれないという線は残っているが、卒業式当日のようだ。
 隠れるようして校舎に入った。さっきまで学校にいたはずなのに、デジャブを思わせる、ほんの少しの違和感。それは時間的なものなのだろうか。
 そうだ、失くしてもいけないし、アラレちゃん眼鏡は外しておこう。あたしは眼鏡を外すとポケットにしまった。

 三階に上がると廊下の窓から体育館が見えた。あの日のあたしが、あそこにいるのだろうか。柴崎先生を信じない訳じゃないけれど――間違い、柴崎先生の『発明』を信じない訳じゃないけれど、自分の目で見ないと信じられそうもなかった。

 この学校で過ごした三年間は、今思うと幸せだった。未来はだれにでも平等にあると思えたし、大人は先生方だけだったけど、意地悪だったり、ちょっと嫌いであったりしても、悪い人と思える人はいなかった。その中で護られていたのだと痛感した。

 あたしには好きな人がいた。過去形。いや、今、高校の卒業式にいるとしたら、好きな人がいる、と現在形か。
 覚えていて欲しくて、勉強も頑張った。最初は聞きに行くことすら出来なかったから、クラスの出来のよい子を捕まえて、質問攻めにした。多少、基礎が出来てから、それとなく近づいた。お陰で、理数系はバッチリ。成績は見る見る上がっていった。
 ただし、あたしは文系志望だったので、学校推薦、もしくは、センター試験に役立ったくらいで、努力の割には得はなかった。それでも、好きな人のそばにいられたのだから、毎日がハッピーだった。
 告白は、考えなかったわけじゃない。でも……言えなかった。好きという気持ちだけ、それ以上の望みはなく、伝えたいという気持ちにはならなかった。
 そういう意味では、卒業式は待ち遠しいものではなくて、むしろ来て欲しくなかった。卒業したら、土日を除いて、ほぼ毎日会えたのに、それが無くなってしまう。その方が辛かった。
「やだ。もう、終わったことじゃない」
 涙で景色が歪んでいた。あたしの中では決着がついていなかったのが露呈した。誰も見ていないことをいいことに、あたしは外を見ながら泣いた。

「そろそろ、移動するか」
 涙を拭って歩き出した。

 はたと心配になった。
「化学準備室の鍵は開いているかな?」
 廊下の突き当たりにある引き戸に手をかけた。グッと横に引くと簡単に開いた。主のいない間に入るのは、いい気がしないけれども、仕方あるまい。事情を知れば、柴崎先生も許してくれるだろうと勝手に判断した。
「お邪魔しま〜す」
 一応、お断りしてから入ろう。

 笑ってしまうほと、変わりがなかった。あの大きなデータ計算機――って言ったかな? ――それはなかったが、さっきいた三年後の部屋と寸分たがわぬと言っていいくらい変わり映えのない部屋だった。

 一つの心配があった。それは、何かの本で読んだ『過去が変わると、未来が変わる』と言うこと。あたしが来たことで、あたしの過去が、過去から未来が変わってしまうのだろうか。大丈夫かな?
 はじめの予定では、柴崎先生がタイムトリップする予定だった。それとも、すでに三年前にこんなことが起きていたのだろうか。

「そろそろ、戻って来るころかな」

 そう呟いたと同時に、ドアが開いた。見慣れた柴崎先生だ。顔だけ。なぜならば、卒業式というハレの日、さすがに白衣ではなかったから。こんな格好してたんだ。へー。確かに、スーツ姿の柴崎先生は、まともに見える。黙っていれば、いい男に違いない。お見合いだったら、一発OK貰えそうな雰囲気だ。――なんてことを考えているんだ、あたし。

 柴崎先生は、あたしをみて目をしばたたかせた。
「春日君のお姉さんですか?」
 まあ、そう思えなくもないか。多少、大人になっているし、化粧もしてる。髪も伸びてる。
「いえ、あたしは春日、本人です」
 ひゅるる〜と枯葉が舞った気がした。しつこいようだが、今は春だけど。それくらい柴崎先生は引いた。
「今さっき、体育館で見かけたが、春日君はきちんと制服を着ていた。歌舞伎役者の早賛りでもあるまいし、私をからかっているだろう」
「違います。からかってなどいません。大真面目です」
 あたしは睨むように柴崎先生を見つめた。柴崎先生は自分の眼鏡の細身のフレームを指で触って、あたしをじっと見つめ返した。見つめ合ったまま時間が流れた。モチロン、数分。
「……ただ、あたしは三年先の、未来から来ました」
「何を馬鹿なことを言っている。君は気でも違ったか」
 その言い方ないんじゃない? あんたの発明のせいだろうが。
「あたしの気は確かです。それを言うなら、せんせーの方が相当ヤバイですから」
「ヤバイなんて、そんな言葉使うんじゃない。頭が悪そうに聞こえるぞ。私のどこが、ヤバイんだ」
 使うなって言ったくせに、自分で使っているじゃない。
「自分の発明の成果を目の当たりにしたというのに、信じないんですね」

 柴崎先生は目を見張った。そして、たっぷり一分以上の間が空いてから、言葉が返ってきた。

「えっ? そうか! とうとう完成したのか! 三年と言ったか。随分と時間が掛かったな」
 ひとごとですか。その言い方。あたしってば、本当に帰れるんだろうか。一抹の不安がよぎった。
「それで、タイムマシンはどこにあるんだ」
 柴崎先生は嬉々とした様子で、あたしの肩を掴んで揺らした。
「わっ、止めてください。見せますから。揺らさないでください。あたし、揺れるのダメなんですよ。車だって酔いやすいのに。止めてください」
 興奮気味の柴崎先生は、はっとして、手を止めた。
「ああ、すまなかった。つい、興奮してしまった」
 いえ、分かっていただけたら、それでいいです。
「タイムマシンはこれです」
 あたしは、ポケットにしまっておいた黒ぶちのアラレちゃん眼鏡を取り出した。
「これが……」
 驚愕の顔の柴崎先生は、おずおずと、アラレちゃん眼鏡に手を伸ばした。
「素晴らしい。我ながら凄いことをしているな。これで、空間と時間を移動できるとは――」
 あや? 柴崎先生ってば、泣いてる? えー、嬉し泣きですか? ちょっと。
 あたしの困惑を余所目に、柴崎先生は細いフレームの眼鏡を外すと、目頭を押さえて、涙を拭っていた。
「せんせー? 大丈夫ですか」
 あたしの問いかけに、柴崎先生が顔を向けた。
 うわっ。初めて眼鏡なしのせんせーを見たけど、うわっ、相当いいです。かなりの童顔だと思っていたけど、眼鏡を外すと大学生と言っても通用しそうです。あ、ダメっ。なんか胸が苦しい。思わず、胸を押さえて、下を向いてしまった。
「ああ、別に何でもない。春日君こそ、具合が悪そうに見えるが」
 そう言って、こともあろうに柴崎先生は、あたしに顔を近づけた。どうも眼鏡を外したことを忘れているようで、よく見えなかったらしい。
「ぐ、具合は悪くありませんったら。せんせー、眼鏡掛けてくださいって。見えないからって、近づかなくていいですから」
 あたしは慌てて、柴崎先生を押し返した。
「ああ、そうか。そのせいか。急に見えなくなったのは……」
 もう、焦らさないでください。つうか、なんであたしってば、こんなにドキドキなの? もう過去のことでしょうが――うん? 現在? ああ、もう、分からないよ。

 柴崎先生は、何を思ったのか、両手でアラレちゃん眼鏡を持つと、顔の前に掲げた。実際にかけたわけじゃないけど、私の位置からだと、掛けたようにみえる。
 あ、ダメですったら。そんな眼鏡……大学生を通り越して、高校生って言っても通用してしまいますから。さすがに笑ってしまった。
「見た目通り、なんの変哲もない眼鏡だな」
 すっかり、自己陶酔しているようで、あたしのことなんて眼中にないらしい。仕方がないので、あたしはさっきまで外を見ていた窓辺の椅子に座って、柴崎先生を観察することに決めた。
 一通り眼鏡を改めて興奮は収まったらしい。

「それで、なぜ春日君はここへ来たんだ?」
 うわー、そういう発言しますか。
「せんせーのせいですからねっ」
 あたしは思い切り拗ねた口調でそう言って、柴崎先生を睨んだ。
「私のせい?」
「そうですよ。せんせーがイスに躓いて、あたしに倒れ掛かったから、誤って眼鏡がかかちゃったんですから。せんせーって時々、おちゃめなドジ踏みますよね」
 柴崎先生は、豆鉄砲食らったように、呆然としていた。無視して、話してしまおう。
「せんせーが、『私をたずねるんだ』って言うから、ここに来たんです。あんまり過去の人と話すのも良くないでしょうから。せんせー?」
 おーい、柴崎先生! トリップしてないで、戻ってきてくださいよ! ダメだ、返事がない。二度目の観察タイム。

「そうか。では、予定では私が来るはずだったんだな」
「そうです。ハプニングです。多分」
「多分?」
 あたしは、疑問を口にしていた。
「ええ、予定では、柴崎先生がタイムトリップするはずだった。それとも、もうこれ自体、組み込まれていたのでしょうか? それに、あたしが来たことで、あたしの過去が、そして引いては未来が変わってしまいませんか? 大丈夫なんですかね」
 上手く言えないけれど、あたしの不安、言いたいことは伝わっただろうか。
「ふむ」
 柴崎先生は腕を組んだまま考えていた。そして言った。
「私にも分からない。君の未来が変わってしまった可能性も否定できない。だから、最善の策を探さなくてはならないだろう」

「やっぱり、変わってしまうんだ」

 あたしの声は自分でもハッキリと分かるくらい、不安で消えてしまいそうだった。
「春日君、大丈夫だ。私がついている」
 無理だよ、せんせーは当てにならないもの。そう思ったら、どうしようもない不安感で、胸が押しつぶされそうだった。
 つーっと涙が伝っていた。
「か、春日君――」
 柴崎先生が慌てているのが目に入ったが、今のあたしには人を気遣う余裕なんてなかった。涙を拭うことすら忘れて、呆然と立ち尽くしていた。
「春日君、泣かないでくれないか。私が、絶対に何とかするから」
 柴崎先生がそう言うのが聞こえたのと同時だった。
「えっ」
 なんと、柴崎先生に抱き締められていた。泣いている場合じゃない。マズイ。これは絶対にマズイ。
「せんせー? 泣いたりして、すいませんでした。生徒と抱き合ってるのを誰かに見られたら、マズイですよ」
「ああ、そうだな」
 柴崎先生の声は非常に冷静だった。そして、君は、もう生徒ではないがな、と付け加えた。そんなこと言ってる余裕があるんだと思った。
「まあ、いい」
 何がいいのでしょうか。突っ込んでみたい気もしたけれど、話はそらさない方が身のためだ。あたし絶対戻りたい。
「だから、心配するな。私が君を絶対に、未来に戻してやる。それにだ。未来を変えないように最善の策を練るから、安心してくれ」
「安心なんて出来ませんよ。せんせーの言うこと、信じられませんから」
「信じたからこそ、大学にも受かったんじゃないのかね?」
「あたしの実力です!」
「ほう。あのレベルをここまで育てたのは私のはずだが」
 そう睨まないでください。
「はい、その通りです。不出来な生徒をご指導くださったせんせーのお陰です」
「分かればいい。まあ、君は不出来でもない。素直ないい生徒だった」
 え? 気のせいか、なんだか含みを感じた。

「ところで、未来の私は何か言ってなかったか? 滞在時間とか――」
 ん? そういえば何かブツブツと言っていたような気がする。だけど、よく覚えていない。
「えーっと、確か『長くて半日』とか言ったような気がします。ああ! 『最初なので五分で戻ってくるように設定する』って言ってました」
「そうか」
 短く頷くと、柴崎先生は黙ってしまった。眼鏡の奥の真剣な眼差しは、深く考え込んでいるようだった。考えがまとまったのか、おもむろに口を開いた。
「それでだ。考えたんだが、君はしばらく、ここにいてくれ」
「えっ? 冗談、ですよね?」
「この非常事態に、私が冗談を言うと思うか」
「いえ」
 それは分かっています。あたしは目を逸らした。
「残念ながら、今の私には全てを解決できる力はない。だが」
 そう言って、柴崎先生はあたしの頭を撫でた。
「約束する。絶対に、君を元の場所に戻すと。だから信じていて欲しい」
 柴崎先生の鋭い眼差しが、あたしの瞳を捕らえた。体が小刻みに震えていた。あたしは震える身体を両手で抱きしめて、声を搾り出すように返事をした。
「せんせーを信じます」
「いい子だ」
 柴崎先生は微笑んだ。この笑顔好きだったなと感慨に浸りかけたら、柴崎先生は、アラレちゃん眼鏡をはめた。
「せんせー?」
「私を信じて、待っててくれ。いいね」

 アラレちゃん眼鏡から激しい光が飛び出していた。あたしを運んできた、まばゆい光が柴崎先生を包んでいた。あたしは大声で叫んでいた。

「せ、せんせー? やだ! 置いていかないでよ! せんせーったら!」

《続》


表紙 / 次項
作者 / 音和 奏