時をかける眼鏡




 小学生の頃ネコ型ロボットが机の引き出しから登場するアニメを見た後に、あたしはこっそり何度も自分の机の引き出しを開けて中を覗いているような子供だった。
 別に近所に歌の下手ないじめっ子がいたとか、お金持ちのマザコンがいたとかそういうことは全然なかったのだが、引き出しの中に入ることができ、しかもその先が未来や過去につながっているというその状況があたしの幼心を強く揺さぶっていたのだろう。
 だが。
 まさか本気で過去や未来に行くことのできるいわゆる「タイムマシン」があるなんて思ってもいなかったし、実際あたしの勉強机の引き出しはいつまでたっても単なる引き出しで、その中に入ることは不可能だった。
もちろん、あたし自身そんなことがありえるはずがないということは物心ついたころからきちんと理解していた。
 だいたいあたしたちの世界で時間を飛び越えることができるような、そんな発明ができるなんてことあり得ない話だ。
 百歩譲ってネコの形をしたロボットなら五十年後には完成しているかもしれない。
 二百歩譲ってもう一人のあたしがコピーロボットとなって動いている未来も、百年後にはあるかもしれない。
 でも。
 タイムマシンなるものが発明されて人類が時間旅行できるような、そんな未来はおそらく今の時点ではまずあり得ない話だと思う。
 それが、いわゆる「常識」というものなのではないだろうか。




「僕の計算が正しければ、これで我々は過去に戻ることができるわけだよ」
 久しぶりに訪れた高校の化学準備室でお土産に持ってきた大黒堂の揚げせんべいを食べながら、あたしは熱弁をふるっている恩師の顔をぼんやりと見ていた。
 やっぱり大黒堂の揚げせんべいはうまい。この揚げ具合、この塩加減、絶妙だよね。
 たった一つの弱点は、食べだしたら止まらないってことかなぁ。ほらほら、もうほとんどなくなっちゃったよ。
「行きたい場所と時間をここに入力することによって、我々は過去に戻ることが可能となる」
 あ、もうひとつみっけ。
 揚げせんべいって食べると指先が汚れちゃうんだよねぇ。指を舐めるのはやっぱりお上品じゃないし、それに舐めてもやっぱりべたべたするしなぁ。
「古代エジプトのピラミッドができる過程を見てくるもよし、明治維新により歴史が変わる瞬間を見てくるもよし。歴史上のどんな場面でもこれがあれば見に行くことができるんだ」
 こういうときはウエットティッシュだよね。えーっと、確かカバンの中にこの前ドラックストアで貰ったサンプルがあったような気が。
「これは、人類が誇る最高傑作だ! って、聞いているのか? 春日君」
「え? はぁ」
 カバンから取り出したウエットティッシュで右手の指先を拭いていたあたしは、恩師のその言葉に何とも気の抜けた返事をする。
「はぁって、君はこの発明の素晴らしさがまったく理解できていないようだな」
「理解もなにも……また何を言っちゃってるんですか、柴崎せんせー」
「何をって、今私は君に十分すぎるほど説明したと思うのだが?」
 そう言って恩師こと柴崎先生は細身のフレームが冷たい印象を与えがちな自らの眼鏡を指で触ってあたしの顔をしみじみと見つめる。
「あのさー。せんせーって見た目は結構いいんだから、そのハチャメチャな性格をどーにかすればお嫁さんも来ると思うんだけど」
「今は私の結婚の話をしているのではない」
「でも、せんせーももう三十路でしょ? 男でもそろそろ結婚しなきゃヤバイんじゃないの?」
「だから、今は私の結婚の話をしているのではないと」
「だってぇ。久しぶりに学校に来てみると、相変わらずせんせーってば自分の部屋でなんかわけの分かんないもんつくってんだもん」
「わけのわからないもんじゃない。タイムマシンだ」
 もうひとつ付け加えると、ここは別に私の部屋ではない。
 小さな声でそう言って、先生はあたしの横に設置された巨大な機械をみる。
 そりゃ、確かにここは化学準備室だけどさ。
 でもほとんど先生の私室みたいなもんじゃん。ってかこんなわけのわかんないもん置いててよく他の先生が怒んないもんだよね。
 まぁ、きっとほかの先生もここには近寄らないんだろうなぁ。柴崎先生、生徒間だけでなく先生たちの間でも変人で通ってるみたいだし。
「タイムマシン、ねぇ」
「まぁ、まだ実験段階で明確に成功だとはいえない発明だが、私の計算に間違いがなければ我々はこれで確実に過去に戻れる! そして私の計算に狂いなどあるはずがない」
「……」
 大学に入ってマトモな人々に囲まれていると、目の前のこの恩師が死ぬほど阿呆に見える。
 あたし、よくこの先生のもとで勉強して大学受かったなぁ。
 いやいや、きっとあれはあたしの個人的な努力の結果だよね。まぁ、理系科目はかなり先生に助けてもらったけどさ。
「で、せんせーの横に居座っているその巨大な機械がタイムマシンなんですか?」
 そう言ってあたしは見るとはなしに先生の横にある大型機械に目を向ける。
 化学の実験で使うガスバーナーや三角フラスコを入れている戸棚の横に、同じぐらいの大きさの機械が鎮座している。
 デジタル時計が何個か並んでいて、なおかつその下からはたくさんの配線が伸びている。
 ちょうど腰のあたりに押しボタンとレバーがついていて、おそらくこれでデジタル時計の数字を動かすのではないかと推測できる。
 うーん。この上なく胡散臭い。
 なんか、昔映画で同じようなシーンを見た気がする。
 って、あれは車だっけ? 白髪もじゃもじゃの博士が作ったやつ。
「ああ。それはデータを入力し、処理するものだ。実際過去に飛ぶタイムマシンは――」
 そう言って先生はあたしの目の前の机を示す。
 机の上には、私が持ってきた大黒堂の揚げせんべいとお茶、それにありふれた眼鏡が一つ。
 大きめのレンズがはめ込まれた黒ぶちのいわゆるアラレちゃん眼鏡。
 先生のスタイルからは想像できないタイプのものだ。
「どこにもないじゃん。 ってか、せんせーこんな眼鏡も持ってたんだぁ」
 ちょっと意外だなーなんて思いつつ、あたしはその眼鏡を手に取る。

「それがタイムマシンだ」

 ……はい?
 なんか、今ありえない言葉を聞いたような気がするんだけど。
「え?」
「ん?」
 あたしの問いかけに、先生は何故そんな顔をする、という顔で見返してくる。
 いやいやいやいや! 意味がわかんないから!
「せんせー……とうとうヤバイ感じになってますよ。ちょっと疲れてんじゃないですか? やっぱり人間休息が必要なんじゃ」
「君は何を言っているんだ?」
 あんたこそ何を言っているんだ。
 あたしは先生の言葉をそっくりそのまま心の中で復唱して、手に取っていた眼鏡を机の上にそっと置く。
「先生、タイムマシンって普通もっと大きなもんじゃないんですか? 仮にも人が時間というものすごく抽象的な空間を行き来するわけだし」
「そういうデータ処理はすべてこれで行うんだよ。その結果、我々がタイムトリップ時に身につけるものはこの小型マシンひとつ! ここまで軽量化するのはなかなか苦労したんだ」
 小型マシンって……偉そうに言ってるけど単なる眼鏡じゃん。
 ってか、わざわざ眼鏡にした意味がわかんないから、マジで。
「まぁ、論より証拠というわけで……とりあえず私が自ら実験台となり過去に戻ってみよう。ところで春日君、君ならいつに戻りたい?」
「え? なんで私に聞くんですか?」
 突然向いた矛先に、あたしはきょとんとしてせんせーをみる。
「私が時間を設定して飛んで見せてもどうせ信じないだろう? ここで君が行きたい過去を言ってもらい、その場所に私が飛んで当時のことを君に話せば、私が過去にタイムトリップをしたということを君が証言できるというわけだ」
「……」
 だめだ、目が据わってる。
 先生、本気で過去に戻る気なのかなぁ。
「さぁ、君が戻りたい過去はいつだ?」
「三年前の卒業式」
 先生の言葉に、私は無意識のうちに言葉を返していた。
 三年前の卒業式、それはあたしにとって非常に重要な意味をもつもの――。
「三年前の卒業式ということは……二〇〇七年の二月二十八日だな。よし、入力完了」
 あたしの言葉を素直に受け取った先生は機械のデジタル時計を何やら設定し始める。
「おそらく向こうに滞在できる時間は長くて半日というところだろう。最初なので五分で戻ってくるように設定するとして……」
 ぶつぶつとつぶやく先生を横目に、私は目の前の眼鏡をもう一度手に取る。
 これがタイムマシンねぇ。ほんっと科学者って変なこと考えるわよね。
 なんで眼鏡なのか激しく謎だけど、先生のことだからきっとよくわかんない理由があるんだろうなぁ。
 ってか、ほんっとに普通の眼鏡じゃん。一体どこでデータを受信するのよ。
「あとはこのボタンを押してっと、あ、あれを持っていくべきだな。っと!」
 ぶつぶつ言ってボタンのセットを完了させた先生が、何やら思いついたようにその場を動く……と、わわっ!
「きゃっ」
「あっ!」
 意外とうっかりものの先生、その瞬間あたしの横にある丸椅子に躓き、あたしにもたれかかる感じとなった。
 で、重力の関係か振り子の原理か。
 先生にもたれかかられたあたし、ちょうど眼鏡のレンズを覗き見るように顔の前に掲げていたせいもあるのか「うっかり」それを顔にはめてしまい。
「え? ええ?!」
 あたしの顔にすっぽりと収まったアラレちゃん眼鏡から、激しい光が飛び出す。
 と、同時に顔に感じる熱気。
「ま、まずいっ!」
 先生の焦りの声を聞きながら、あたしはまばゆい光に思わず目を閉じ――。



「春日君! 向こうで必ず私を訪ねるんだ!!」



 先生のその言葉を最後に――あたしはどうやら……時を飛んだ、らしい。
 幼いころ引き出しの中のタイムマシンにあこがれていたあたしは、まさかの眼鏡型タイムマシンで過去に遡ることとなってしまったのだ。
 一体誰が予想できただろう。こんなお間抜けな状況を。
 そして、誰が予想できただろう。この出来事によって「今」のあたしの人生が変わってしまうことになろうとは。

《続》


表紙 / 次項
作者 / 真冬