旧友+金髪男、複雑化する眼鏡盗難事件




 昨日とは一転、明るい太陽が西に傾き始めた午後三時前。
 アキカは緊張とそれを打ち消す怒り、そして昨夜の携帯電話に表示されていた空白に対する恐怖をごちゃ混ぜにしたような複雑な心理状態を両手に抱え、ゆっくりと館内を見渡した。
久しぶりの天候に恵まれた土曜日の午後、付近の住民はみんな遠出をしているのか神住町にある図書館の館内には今日もあまり人の姿が見えない。
 ちらほらと目に入るのはほとんどがお年寄りで、しかも閉館時間が近いためか帰り支度をしている人が多い。
 これは……思ったよりも無人に近い感じになっちゃうじゃない。やっぱりあいつの言うことなんて聞かずにハルミに一緒に来てもらえばよかったかなぁ。
 そんなことをうだうだと考えつつ、アキカはゆっくりと館内を奥へと進んでいく。
 ちらちらと周りを探してみるが、なにぶん眼鏡がないので周囲の人の顔がぼやけて見える。
 眼鏡がないのは金髪男のせいであり、その金髪男のせいで金髪男本人の姿を探すのが困難になっているために館内をうろうろ歩きまわる羽目に陥っているアキカは、なんだかだんだん腹が立ってきた。
 ちょっと、なんで見つからないのよ! っていうか、向こうが呼び出したんだからちゃんと時間通りに目に付く場所にいなさいよねっ。
 まぁ、あんな金髪長身イケメン男、少しぐらい目が悪かったってすぐに見つかるけど。
 って、イケメンは関係ないし。顔がよくたってあの得体の知れなさは問題おおありオオアリクイよ!
 あまりの緊張に少し……いやだいぶん思考が混乱しているアキカは、一人でわけのわからないことをぶつぶつと口走りつつ周囲を見渡しながら奥へ奥へと進んでいく。
 しかし、どれだけ歩いても金髪イケメン男の姿は見えない。
 館内は別に迷路のように入り組んでいるわけではないので、端から順番に本棚の間を見ていけば必ず見つかるはずなのに、それが見つからない。
「どういうことよっ」
 本棚の端まで歩いてきて金髪男の姿を確認できなかったアキカは、思わず一人苛立ちを声に出す。
「あの金髪イケメン男、一体どこにいるのよっ!」
「小澤(おざわ)?」
 どうしたらいいのかわからない状況で一番奥の本棚をにらみつけていたアキカは、自分を呼ぶ男の声にびくっとなりつつ後ろを振り返る。
 そこには、ここ最近この図書館で見かける男子学生がいぶかしげな表情でアキカを見ていた。
 アキカと同じく平日夕方の常連さんだったような気はするが、アキカにとって目の前の男子学生の存在はその程度であり、それ以上の情報は知り得ない。
 そんなよく知らない人に名前を呼ばれるというのは非常に気味が悪い状況であって。
「え? ダレ?」
 必然的に、じりじりと後ずさりをしつつこわごわと話しかける。
 まさか、金髪男の仲間?
「やっぱり小澤、だよな? うっわ、久しぶり! 俺だよっ。小六んとき一緒だった加瀬(かせ)ヒロム!」
 へ? 小六んとき一緒だったかせひろむ?
 誰よ、それ。
 きょとんとしたままのアキカの様子に少し残念そうな表情を見せて、男子学生はかけていた眼鏡をはずしてにかっと笑いながらアキカの顔を覗き込む。
 その笑顔に、アキカの中で何かがかちりと合わさって――。
「あー! 小六んとき同じ図書委員だった加瀬じゃんっ。うっわぁ、なんかすっかり落ち着いたね」
「へへ。小澤はあんまり変わってねーよな。昔のまんま、相変わらず本好きで図書館通いしてるんだなー」
「加瀬こそ昔はそーでもなかったくせに、なんかすっかり大人びた感じになっちゃってびっくりだよ」
 そう言って旧友と笑いあっていたアキカは、本来の目的を思い出してその笑顔を引っ込める。
 そうだった。今は久しぶりの再会を喜び合っている場合ではないのだ。
「小澤、どうかしたのか?」
「え? うーん……ちょっとね」
 久しぶりに会った昔のクラスメイトに話したところでどうにかなる問題でもないし、なにより相手はアキカに「一人で来い」と言っていた。
 まぁ、所定の時間に待ち合わせ場所に来ていない時点でこの約束も守らなくてもいいような気もするのだが。
「なんだよ。なんか困ってる感じじゃん? 俺でよかったら相談にのるけど」
「困ってるっちゃぁ困ってるんだけどね。うん。ちょっとよくわけわかんなくてさ」
 そう言ってアキカは視線をヒロムの後ろに向ける。
 と、そこには探し回っていた見目麗しい金髪イケメン男の姿が。
「あー!!!」
「え?!」
 自分の後ろを指差して大声を出されたヒロムは、アキカのその表情に思わず体をずらす。
 すると、その後ろにいた金髪イケメン男がアキカを見つけてにっこり極上の微笑みで向かってくる。
 見目麗しいその胡散臭さは、昨日会った時と全く同じである。
 しかし、その人懐こい笑顔は昨日の男からは想像もできないような別人ぶりだ。
「オジョーサン。探しマシタヨ」
「……あ、あんた誰よ?!」
 にこやかな笑顔とともにカタコトの日本語でアキカに話しかけてくる金髪男は、見た目は全く昨日と同じなのにその様子がまるで違う。
 昨日のけだるげで周囲の人間を寄せ付けない孤高の美青年――という感じは一切なく、そこにはその整った顔がより魅力的に見える人懐っこい雰囲気がある。
 それに、昨日の男はその容姿に似合わず流暢な日本語を操っていたはずだ。
「ダレト言ワレマシテモ……。オー失礼イタシマシタ! ワタクシ、ジョナサン、ネ」
 ジョナサンと名乗った金髪男は、にっこり笑顔で自己紹介をしてアキカに握手を求めてくる。
「おい小澤? お前、こんな変な外国人と知り合いなのかよ?」
「し、知らないわよっ! それよりあんた! 私の眼鏡返しなさいよっ」
 差し出された右手は完全に視界から外すことにしたアキカは、とにかく用件を済まそうと男が顔にかけている眼鏡を睨む。
 ジョナサンだか誰だか知らないが、とにかく昨日の電話の主とこの目の前の男は同じ人物、もしくはそれに近い人物であると考えられる。
 ということは、アキカの眼鏡は目の前の男から返してもらえるということだ。
 そう結論付けたアキカは、そこであり得ない事実に気付く。
「ちょ! ちょっとあんたっ! 私の眼鏡どこにやったのよ?!」
 アキカが睨んだ先には、縁なしのシンプルな眼鏡がかかっていたのだ。
「オー。ニッポンのオジョーサン、イガイとタンキね。ソレニ、ヤクソク守ッテクレナイ」
 ジョナサンはそういうとアキカの横にいるヒロムを見て悲しそうに肩を落とす。
「ボーイフレンド?」
「ちっ……違うわよっ!! 加瀬とはたまたま偶然会ったの! ちゃんと一人で来たんだからっ」
 ジョナサンの誤解にアキカは全力で訂正を入れる。
 せっかく親友のハルミに頼ることなく一人で来たのに、そんな卑怯者だと思われるのは心外だ。
 しかも、久しぶりに会った加瀬ヒロムのことを彼氏だなどと勘違いされるのは非常に困るのである。
「ソレハ失礼シマシタ。トイウコトハ、ソコノ彼はカンケイナイ人デスネ」
「そうよ! っていうか、私だってあんたとは全く関係ないんだから、さっさと眼鏡返しなさっ……」
 怒りにまかせて結構な音量でジョナサンに食ってかかっていたアキカは、背中に突き刺さる視線にそろりと後ろを振り返る。
 そこには本棚の整理をしている手を止めてこちらを凝視している若い図書館司書の姿が。
 忘れてた。ここ、図書館だ。
 ふと思い出した事実に、アキカは残りの言葉をそのまま静かに飲み込む。
 先ほどからほとんど通常の音量(むしろ時々大音量)で会話をしている二人はこの場所に非常に不釣り合いとなっていて、そろそろ司書から苦情を言われてもおかしくない状況なのだ。
「……と、とにかく場所を変えましょ。図書館であなたみたいな目立つ人と大声で会話してたら絶対に注意されるわ」
「オー。ソウデシタ。図書館ハ私語厳禁デシタネ」
 アキカの心情を知ってか知らずか、ジョナサンはもっともだという感じでしっかりとうなずく。
「ここを出たところに小さな公園があるから、続きはそこで話しましょ」
「おい、小澤」
 ジョナサンにそう言い放ってドアに向かって歩き出したアキカは、なぜか一緒についてくるヒロムに呼び止められる。
 ニッポンの図書館キビシイデスネ、などと言いながら同じようにドアに向かって足早に歩いているジョナサンには聞こえないように、ヒロムは声を落としてアキカに話しかける。
「なんかわかんねーけど、大丈夫かよ」
「何がよ?」
「あいつ、得体が知れないヤツなんだろ? そんなヤツと二人で公園とか危なくね? 外に仲間が待ってるかもしんねぇし」
「ま、まっさかぁ。土曜日の真っ昼間だよ? 大丈夫だって。加瀬はそんなこと気にせず閉館までのんびり過ごしてね」
 そう言って手を振って別れを告げようとしたアキカに、ヒロムは真剣な表情でついてくる。
「いや、やっぱなんか胡散くせぇし、俺も一緒に行くよ」
「えぇ? 別に大丈夫だよ。なんか変なこと巻き込んだみたいだけど、ほんっと気にしないでよ」
 そう言ってあっけらかんっと笑おうとしたアキカに、ヒロムはすっかり離れた前方を歩くジョナサンをちらりと見ながら言葉を続ける。
「それに俺、なんかあいつを見たことがある気がするんだよな」
「えぇ?! あんなヤツ、この町にいたっけ?」
「いや……地元じゃなくってもっと別のところで――」
 ヒロムは眉間にしわを寄せて難しい表情で言葉を止める。
「別のところで、ねぇ。それって、私が心配っていうよりあいつの正体が知りたいから一緒に行きたいってことじゃないの?」
 アキカのその言葉にヒロムはバツの悪そうな顔でにやりと笑う。
「ま、そういうことだよな」
「あっそ。そういえば加瀬ってミステリファンだったもんね」
「小澤はミステリよりファンタジーが好きだったっけ」
「うん。ミステリって苦手。謎とかいっぱい出てくるとうがーってなるもん。あんなのよく辛抱強く読めるわよね」
「そういうのを推理しながら読むのが面白いんじゃん」
 歩調を緩めてぼそぼそと本好きな元図書委員仲間らしい会話を交わしながら、アキカは小さくため息をついてヒロムを見る。
「わかった。んじゃぁ加瀬も一緒についてきて。ついでに昨日のわけの分かんないトリックも解いてよ」
「トリック?」
 ヒロムの言葉に小さくうなずくと、アキカは昨日、あの男(と同じ顔の別人?)から眼鏡を取られた経緯から夜に携帯電話に起きた気味の悪い出来事などをすべて話した。
 明らかにアキカの眼鏡だったはずなのに、なぜか度数がまったく変わっていたこと。
 非通知表示すらされない空白の着信履歴。
 同じく空白のメール受信履歴。
 そして、昨日と同じ顔の男なのにまったく違う雰囲気を醸し出しているジョナサンと名乗る男。
「あ、そういえば。昨日男から電話があったとき、着信画面のところに“トーマ”っていう名前が表示されていた気がする」
「トーマ?」
「うん。携帯のアドレス登録に入れてない名前なのに、あの男から着信があった時、番号じゃなくって名前が表示されてたの。よく考えるとそれって変な話だよね」
「うーん……」
 次々と並べられる不可解な出来事にヒロムは思わず頭を抱え込みそうになる。
 昨日からの出来事を整理したアキカも、再度前を歩くジョナサンという男の得体の知れなさに恐怖心が出てくる。
 確かにこれまでの出来事を考えると、あの男と一対一でいるのは危険かもしれない。
「オジョーサン? 歩クノ遅イからツイテキテナイノカト思イマシタ」
 自動ドアの向こうから、むっとした熱風が吹き込んでくる。
 図書館から外に出たアキカは、目の前の公園の中に立ってにこにこ笑っているジョナサンに警戒心を見せつつ近づいていく。


 私は眼鏡を返してもらえればそれでいい。


 そう思っていたが、はたして昨日からの出来事は眼鏡を返してもらったぐらいで終わることなのだろうか。
 しかも、どう見ても目の前の金髪男はアキカの眼鏡を持っている様子はない。
 と、いうことは。
 アキカにあの眼鏡を簡単に返してくれるつもりはないということだ。


 右隣にいるヒロムの存在を心強く感じながら、アキカはぐっと息をつめてジョナサンが待つ小さな公園へと足を進める。
「気をつけろよ、小澤」
「うん。加瀬もね」
 隣から聞こえてくる旧友の声にしっかりとうなずいて、アキカはジョナサンと名乗る不審な金髪イケメン男の前で立ち止まった。
 一人で来るはずだった。一人で目の前の金髪男と対峙するはずだったのだ。
 だが、今アキカの横にはヒロムがいる。
 思いのほかヒロムの存在に救われつつ、アキカは目の前に立つ胡散臭いイケメン金髪男を見上げた。

《続》


表紙 / 次項
作者 / 真冬