某日、憎くなるような輝きを見せる太陽が真上に来た時、その誰しもが浮かれるような陽気に反してホンのぴりぴりは最高潮に達していた。
 マスターと、見た目人間というよりは自分の種族だといわれたほうが納得できるような魔女の雌雄を決する対決が行われるピロシキ広場は、人々の興奮と熱気で異様な盛り上がりを見せている。
 低俗な人間達に囲まれるのも屈辱だった上に、人々の様々な思念が混ざり合う所は元から苦手だった。普通、人の魂から零れた生気は悪魔である自分の食料と成り得るものであるが、生憎ホンはグルメなのだ。俗っぽい人間の魂を味見するぐらいなら、あの曰くつきの鳥クラッカーを齧っているほうがマシである。――まぁ、彼のマスターであるリンも決して世俗離れしているわけでもなかったが。
広場の周りにはぐるりと食べ物の屋台が中央に設置された舞台を囲むようにして、ひしめき合っている。いっそ貪欲だといって良いほどな人々の欲を目のあたりにしたホンは、うんざりと言いたげにため息を付いた。そして自分を肩に乗せている人物を白い眼で見る。
「……マスター」
「ふ? はに?」
 木の実を串刺しにしてこんがり焼かれた串焼きや、薄く伸ばされた小麦粉の皮に豚や野菜がたっぷりと巻かれたものを頬張りながら、次はふかし芋に手を出そうかなと考えていた所でホンに話しかけられ、リンは目を瞬かせた。
「――いったい 何しに来たと思ってるの?」
 マスターが勝負を受けるといった時はほっとしたが、この緊張感の無さではそれすら忘れていそうである。マスターの実力の程は知っていたし心配もしていなかったけれど、対決内容がはっきりしない今では、油断していれば万が一という事も考えられる。そんなマスターの事をホンは胃がきりきりするほど心配しているのに当人は、勝負より食い気とばかりに片っ端から屋台で買い食いしては胃袋に詰め込んでいる。
 本当にやる気はあるのか? とホンが聞きたくなるのもしょうがない事だった。
「解ってるわよ。折角下らない事に付き合わされるんだから、精々楽しまなきゃあ損でしょ!」
「勝つ気なんだろうね? ――万が一に負けでもしたら、僕、魔界に帰るから」
「実家に帰らせて頂きますって? ……イタッ痛い。突っつかないでよ。わかってるって。私だって自分の命が惜しいんだから。それに、ホラ!」
 じゃあん。と声を嬉しそうに弾ませてリンが取り出したのは、色の付いた何かの半券が五枚ほど。何それ。とホンが怪訝そうな視線をやると、リンはにんまりと笑って、指を突き立てた。

「自分に5000コロナ賭けたの! これは勝つしかないでしょ!」

 ――頭が痛い。
 ホンはとことん呑気なリンに頭を抱えた。


「紳士淑女の皆様、ご静粛に――」
 シルクハットの変わりに穴の開いた布の帽子を纏った紳士に、髪飾りののかわりにほっかむりをした淑女。林檎パイをぼろぼろと零している紳士淑女予備軍の子供達。
 良く理解できずぽかんと自分を見つめる人々に気付き、舞台上に立っていたトムは咳払いを一つしてから言い直した。
「あー、えー。お集まりの皆様お静かに。これより王家主催、黒の魔術師リン殿と紫苑の魔女マーグリ殿の魔術対決を始めます。因みにその勝者が魔の森の守り人となりますことはここにいる皆様が証人です」
 トムがそう口上を終えてみたが期待した歓声は聞えて来ず、彼らは首を捻ってから、ご近所さんたちと頭をつき合わせている。
「おらたちが証人かえ?」
「ところで証人って。なんだ?」
「おもしれぇもんがあるって聞いてきたけんども」
「まじょ様の”まほう”を見せてくれるんだとよ」
 一応は端的に理解した一人がそう解説を加えると、聴衆はぱらぱらとした拍手と歓声を上げたから、トムはようやくほっと胸をなでおろした。
 壇上の上には勝負を行う当人達と、急遽作られたと思われる不恰好な王座に腰掛けたダルメシアンとトム、そして数人の大臣たちが居心地が悪そうに突っ立っている。
 マーグリは紫苑の魔女を自称するだけあって拘りがあるのか今日も全身紫だ。散りばめられた星達は、昼の太陽を反射して輝く。光り物を普段見ることの無い村人たちはそれに釘ずけだった。――その強烈な外見にも。
 それに反してリンは、いつも身に纏っている黒いローブで、マーグリの隣に並べば地味さと体の貧相さが目立った。まさか森の魔術師がこんな子供だったとは思いもしなかったのだろう、民衆はかすかに疑いと戸惑いの混じった視線を向ける。
 リンは平然としていたが、ホンはその不躾な視線に明らかにへそを曲げた。トムが勝負について話し始めなければ、呪いをそこらじゅうに吐き散らかしていたに違いない。
「審査しますのはダルメシアン様と4人の大臣であります――」
「あっ、おおちゃまだぁ!」
 嬉しそうに両手を振る女の子に、ダルメシアンは柔らかい表情で軽く手を上げる。村人達はその振る舞いに感動しざわついた。いつもホンの前では奇行に走るダルメシアンも黙っていれば王様らしい振る舞いも出来るものである。
「マーグリ殿とリン殿がお互いに勝負の内容を出し合い、先に二回勝利した方の勝ちとします。そして」
「わかったわぁん! それじゃあ、わたしからお題を出させてもらうわよぉん!」
 続けようとした言葉をマーグリに遮られたトムはびくりと肩を震わせたが、諦めたらしくすごすごと引っ込んだ。それを気の毒そうに見ているのはホンだけだった。
「まず最初の勝負は――」
 紫色のローブを纏ったマーグリは腕をビシッとリンに突きつけた。何かをたくらむかのごとくマーグリの瞳がきらりと輝く。

「――お料理対決よぉん!」

 魔術ぜんっぜん関係ない。
 そう心の中で思ったのは舞台上の数名+一匹。


「負けたね。終わった。勝ち目なし」
 リンは延々とマイナス要素を含む言葉を吐き出している使い魔を軽く睨んだ。目の前に運ばれてきた生成りの机の上には、真鍮の大きめな鍋がどでんと陣取っている。そしてその周りには村人が提供した、生みたて卵や野菜などが山のように積んであった。
「やってみなきゃ解んないでしょう?」
「……やってみなくても解ってるから、言ってるんでしょ」
 頬をぷっくりと膨らますリンに、まさか勝つ気でいるのかと信じられない気持ちでホンは羽を軽く持ち上げる。それは丁度人間が肩をすくめた動作に似ていた。
「ばっかねーホン。これは魔術料理対決よ?」
 リンは周りを見渡すと、ホンのほうへ顔を寄せながら、声を潜めた。
「――つまりはドーピングなんて反則のうちに入らないってこと。だって魔術だもの。こっちだって伊達に黒魔術師なんてやってないんだから、強力な惚れ薬の一つや二つ。あっという間にぽぽいのぽいよ!」
 その効果音はどうかと思ったが、そういう事なら安心だ。ホンは少しだけ寄せていた眉間の皺を浅くする。リンは黒いローブを腕まくりしながら、巨大な赤かぶらに手を伸ばした。
「さ、まずはベースとなる料理を適当に作るわよ!」
 適当って、そっちが主体でしょ。とホンは思ったが、折角やる気になっているマスターの気を削ぐのかもどうかと、とりあえず頷いておいた。


「――そこまで!」
 トムの声が調理の終わりを告げた。マーグリは自信満々に胸を張り、リンのほうをちらりと盗み見た。
「まずは私からねぇん」
 跳ねるような足取りでマーグリは審査員席のほうに歩み寄る。手にしている皿の上にはマーグリの帽子のように天を突く薄ピンク色の物体。そびえ立つ山の表面は溶けているのかとろりと柔らかそうだ。そして様々なフルーツとチョコレートが飾り付けとしてくっついたいた。凄く前衛的な形をしているが、推測するにケーキなのだろう。
 マーグリが取り出した銀色のナイフを刺し入れるたびに、ぱきりぱきりとケーキが音を立てて凍りつく。中に閉じ込めていたらしい氷の精が腹を立てているのだ。するとどろりとしていた表面は固まり、薄氷の張ったピンク色のアイスクリームになった。切り分けた内面からは、ハッカを効かせたヤギの乳クリームが顔を覗かせる。香るその爽やかな匂いに、大臣達もううむと唸った。
「さぁ、召しあがれぇん!」
 マーグリの声とウインクを皮切りに、五人の審査員達は恐る恐るとスプーンを取り、アイスクリームに手をつけた。
 そして一口。目をこれ以上は開けないというほど大きくしてから、もう一口。
 そして誰もが無言で食べだした。
 さく、パク、ごくん。サク。
 その恍惚とした表情から、結果は聞くまでもない。美味しいのだ。食べ終わったある大臣が申し訳なさそうな表情でマーグリに話しかけた。
「……申し訳ない。もう一切れいただけるか?」
 にんまりと笑ったマーグリはリンに流し目を送ってから、大きな声で「もちろんよぉん」と答えた。その声は己の勝利を確信していた。

「――では続いて魔術師殿」
 魔術で軽くした真鍮の鍋を両手で抱え込みながらリンは大臣達の方へと近づく。その顔は自信で満ち溢れている。当然だ。何故ならホンが見ている前で、一番強力な恋の妙薬を十分というほどたらし込んでいたのだから。一口食べればリンの虜になるのは折り紙つきである。
 大臣達の目の前でリンは平べったい銀の更に料理をよそった。リンが作ったのはスープだ。様々な食材とリンの自己流ブレンドを加えた結果、それは底の見えない濃紺になっていた。因みに味見は恋の妙薬を加えたから一切していない。大臣達の顔色もそれに習ってか青褪めた。――顔色を変えていないのはリンとダルメシアンのみ。
 おたまが鍋の下の方に沈殿していた具を掬い取る。そこには黄色い藻のようなものが見え隠れし存在を主張する。リンがうっかりとスープを零してしまった拍子に、毛の生えた節足動物の足がぴしゃりと机の上にへばりついた。
「あ、うっかりしちゃった」
 リンはそれを指で摘み上げると、鍋の中にぽいと戻す。大臣達の顔色は最早どす黒くなった。
 彼らは目の前に置かれた皿をひたすらじっと見つめる。そこからしゅうしゅうと音が聴こえ、緑色の湯気が立ち上っている。絶対にそれは暖かいという理由からではない。
 一人、勇気のある大臣が、顔を近づけ匂いを嗅ぐ。危険なものを判別しようとする動物の本能だ。そして―――白目を剥いて気を失った。


 結論。
 恋の妙薬は口にさせなければ意味がない。
 こうして一回戦はリンの黒星となったのだ。