「紫苑の魔女をご存知かな?」
数少ない顧客からそれを耳にしたのはほんの世間話のついでだった。
同業者関係の噂にはとんと疎いリンがはぁ、と首をかしげてみると、話好きの彼は立派な髭を擦り、得意そうに話し始めた。
曰く、紫苑の魔女と自称するものが都に現れて、その驚くべき魔法で人の病気をあっという間に癒したり、願いを叶えたりと名を上げているらしい。しかもそれが無償だというのだから、頼っていく人が絶えないとか。
そういえば最近 妙に顧客の足が多少遠のいていたのもそれが原因だろうかと、リンはぼんやりと思い当たった。仕事の代償としてリンは高額の謝礼金をぶんどっているし、そのかわり貰った分の働きはきっちりしているはずだが、やはり無償と比べたら分が悪いのかもしれない。
深くは考えずに、リンは顧客が扉を潜っていくのを見送った。
接待用として一応 出した毒々しい色の液体と、お茶請けの砂糖ずけ マンドラゴラの根っこにはまったく手はつけられていなかった。
勿体無い。とそれをがじがじと噛んでいると、ホンが口火を切った。
「ねぇ、マスター。その紫苑の魔女。少し胡散臭くない?」
「そうだねぇ。無償で、なんて今時 奇特な人も居たもんだわ」
「……そういう意味じゃないんだけど」
自分の言葉を殆ど聞き流すマスターにホンは不満そうに呟く。
その時、聞き覚えのある間の抜けた金管楽器の音が響き渡った。あの男の来襲だ。
「ホン殿、本日もご機嫌麗しい事を」
跳ね飛ばされるように開け放たれたドアの蝶番がキィキィと不吉な音を立てた。飛び込んできたダルメシアンの後ろから、申し訳なさそうなトムの顔がそっと覗いた。
何度言っても扉を丁寧に開こうなんて、この馬鹿王の頭には残らないらしい。
三歩で忘れる鳥以下だと、リンは腹立たしく思った――その代わり、自分がトムにわりました請求をしているのは完璧に棚に上げていたが。
ダルメシアンは家主に断りも無く木の椅子に腰を下ろすと、机の上に置いてあったお茶に手をつけた。見るからに胃が拒否をしそうな色をしたお茶だが、一応は腐っても王様。毒殺対策に鍛えられた体は多少の事には動じないらしく、平気な顔をして飲み続けている――ただ単に味覚音痴である可能性も捨て切れはしないが。
一応は客でもあるはずのダルメシアンはまるっきり居ない風に振舞われているのにも慣れた様子で、一人でべらべらと話し始めた。
その話題は昨晩の自分の夢(ホンに会えなかった事を酷く嘆き悲しんだ様子)から、今日の朝食のメニュー(卵は半熟が好きなのに、今日は完熟だったらしい)までとバラエティに富むものだったが、それがホンの美辞麗句に移行する前に、ホンは話を遮った。
「王都で紫苑の魔女が評判らしいけど、何か知ってる?」
お茶請けのマンドラゴラに手を伸ばそうとしていたダルメシアンは、麗しの思い人から声をかけてもらった事に感激したらしく、声を震わせながら舌滑らかに言葉を続けた。
「ホン殿が望むなら一昼夜でも語り続けよう! 民の間で噂になっているたから、城にも呼び寄せたのだが、個性的な美女でね――勿論、ホン殿の美しさとは比べるまでもないのだが。不思議な術を唱えたり良く効く薬を沢山持っていたな。私なんかも惚れ薬……いやなんでもない。人の役に立てるのがこの上の無い喜びという、素晴らしい志を持った魔女でね。大臣の間でも国のお抱えにしてはどうか、という話が持ち上がっているのだよ。それよりホン殿が私のお抱えになってくれるほうが私としては嬉しいのだがね」
片目を瞑ってホンにあからさまなアピールしてくるダルメシアンにリンは立った鳥肌を擦る。そして聞き捨てなら無い言葉を改めて聞き返した。
「今、なんて言いました?」
「ホン殿が私のお抱えになってくれるほうが私としては……」
「その前です」
「勿論、ホン殿美しさとは」
リンはこめかみを引く付かせながらも、無駄に愛を囁き続けるダルメシアンに向かってこの上も無く爽やかな笑顔で言った。
「それ以上、無駄な事口に出すようなら、叩き出しますけど?」
国が魔術者や魔導士を”所有”するというのは、決して珍しい事ではなかった。
大国では魔術師個人どころか、その集団を戦力として保有する場合もあるし、城の地下に薬を調合したり呪術を行う魔女を人知れず雇うこともあった。
それは戦乱やお国騒動の影で暗躍してきた魔術師と国の結びつきの歴史であるし、平和になった今では王族専用の特殊な薬師として傍に置く場合もある。
ダルメシアンが統治するこの国では、魔の森に住んでいる魔術師と不文律な関係が出来上がっていて、王家の依頼は全部リンが受け持っていたが、その魔女をお抱えにするというのは遠まわしに解雇を言い渡されたようなものだ。ダルメシアンがどう思っているのかは知らないが、どうせしみったれの大臣がただより安いものは無し、と考えなしに提案したのだろう。
「仕事無くしてもいいの?」
魔術で作り出した浮かぶ光の玉の下で毛づくろいを続けながら、ホンはふんと鼻を鳴らした。最近ストレスで羽の艶が無くなってきたとぼやいていたが、リンにはまったく違いがわからない。バジリスクの卵パックを作ってあげたものの、ホンは匂いがきついと気に入ってはいないようだ。
「住む場所無くしたわけじゃないんだからいいじゃない。王家から仕事こなくても、まだ外の仕事もあるわけだから平気でしょ」
「――そういう問題じゃないよ」
僕は知らないからね。とホンが投げやりになってきたのは、暢気に構えているリンに呆れ半分で拗ね始めたからだ。
自分には無償で人のためになろうというほど愁傷ではないし、紫苑の魔女? 大変結構ではないか。とリンはあくまでマイペースだった。
後日、トムが妙に神妙な顔で「この森を出て頂く事になるかもしれません」と話を切り出すまでは。
「それどういう意味?」
それみたことか。という使い魔の視線が背中に刺さっているのを感じながらも、リンはもう一度聞き返した。
トムは大臣達の代理できたらしく、その時はダルメシアン抜きで小屋を訪れていたが、酷く言いにくそうに王家の印が蜜蝋で押された書状を再び読み上げた。
正式に紫苑の魔女が国のお抱え術師として契約を結ぶ時、直前になって魔女は一つだけ条件を出したらしい。
曰く、自分を守り人として魔の森に住まわせて欲しいと。
勿論、黒の魔術師であるリンがそこの住人兼守り人である事は公然の事実であったから、大臣達はこれに騒然となった。普通の森ならまだしも、魔の森と呼ばれる森の守り人は、単独の魔術師に限るとされていた。
魔が巣くう森では複数の魔力がそれを支配しようとすると、魔力同士が反発し歪みが生じた結果、守りは完璧さを欠く。するとその綻びから魔物が外界に抜け出すことになるのだ。リンは先代の魔術師である師匠からなんとなく流れ的に受け継いだだけだったから、特に自分が守り人であるという事を意識していたわけではなかったから、トムに言われてああ、そうだったけなぁ。と間抜けな感想を漏らしていた。
大臣達も無理矢理追い出して、黒魔術師であるリンの怒りをかうのは流石に避けたかったらしく、より優れている方を守り人と定める。と当たり障りの無い書き方をしている。
その意味が引っ掛かり首を傾げると、民衆の前で魔術対決を行い、はっきりと優劣を決めるのはどうかと魔女が発案したのだとトムは述べた。それに一も無く賛成したのがお祭り好きで派手思考の王だというのだから頭が痛い。娯楽が少ない国であるから、民衆もまるでサーカスか手品でも見に来るノリで押しかけてくるのは想像に難くないのである。
めんどくさ。と正直な感想を漏らすと、見咎めるような鋭い使い魔の視線が飛んでくる。それにリンは誤魔化すように咳をした。
「まさか、とは思うけどマスター。――めんどくさいから不戦敗でいいや。なんて事考えてないだろうね?」
ぴたりと心境を言い当てたホンにリンは少し感心しながらも、曖昧に言葉を濁した。無駄にプライドが高い使い魔は、自分が仕えているマスターでさえも完璧で居てほしいと思っているから、不戦敗なんて許さないだろうけれど、リンとしては自分の研究さえ出来れば、能力の優劣を人と比べる事なんてはっきり言ってどうでもいいのである。
「それで、もしも私が負けたときはどうなるの?」
「それはですね――」
「それは、私の口から聞いていただきたい!」
木が割れる音とともに、扉を倒して入ってきたのはやはりというかダルメシアンだった。駄目になって何枚目かになろうドアの無残な有様に流石に頭にきて、リンが呪いをかけようと開いた口はあんぐりと開いたままになった。
深紫にこれでもか、というほど星の輝きを散りばめているローブに、ピンと怒髪天をつくかのごとく尖った三角帽子。顔の真ん中では太く引かれたアイラインがぐるりと眼の周りを取り囲んでいるから、遠くから見ればまるで二つの黒い半月が浮かんでいるように見えるに違いない。唇は風邪気味ですか?と聞きたくなるほど真っ青な口紅を引いてある(体に悪そうだとリンは思った)。髪の毛はちりちりに波打っていて、雨の日には凄い事になるんだろうな。という期待の混じった不安を掻き立ててくれるには充分だ。体型は出る所は総て出ている。つまりは丸太のような体型だった。鼻の形は鷲鼻でなかったから裏切られた、とリンは勝手な感想を抱いたものだったが、ダルメシアンが連れてきた人物は人々が持っている悪の魔女というイメージを完璧に満たしてくれるような相手だったわけである。
「改めて紹介しよう。こちらが紫苑の魔女殿のマーグリ殿――そしてマーグリ殿、麗しいホン殿とそのマスターのリン殿だ」
「んまぁ! このちんちくりんが高名な黒の魔術師様ですのぉん? ゴホン。ご挨拶に遅れましたわぁん。あたしが噂の紫苑の魔女の通り名を持つ、マーグリ。宜しくねぇん」
自分が寧ろホンの付属品のように紹介された事に頭にくるより、ちんちくりんと称された事より、そのひっくり返ったような裏声にリンは度肝を抜かれた。ばちりと音がするような付け睫のついた眼を瞑って、紫苑の魔女は本人なりに優雅にお辞儀をしたつもりらしかった。
胡散臭い。
あからさまにそんな雰囲気をぷんぷんさせている魔女をお抱えにしようとしているこの国の正気を疑った――それとダルメシアンの美的感覚を。しかもこの人、明らかに男。
魔”女”といえど、勿論男の魔女も存在していて多く歴史に名を残してきたし、魔術師というのもどっちかというと男社会だったから、それに対する偏見なんてものはリンにはまったく無かったのだけれど。
それにしても女装をする男の魔女なんて初めて見た。
世の中にはいろんな人が居るんだねぇ。とまるで珍獣を見るかのように、リンはマーグリを観察した。
「それで早速だが、先ほどの質問に答えようではないか!」
マーグリ登場の衝撃ですっかり忘れてかけていた話題を引き戻したのはダルメシアンだった、何故かその張り切りようにホンは嫌な予感を覚え顔を歪める。
「万が一、マーグリ殿が森の守り人となっても安心するがよい! ホン殿の面倒は我が城で手取り足取りみることを私が保証する! ――ああ、ついでにリン殿も」
「死んでもお断りだね」
ホンは当然のようにすっぱりと断った。トムが気の毒そうな顔をしていたのも、このダルメシアンが原因だったか、と合点がいってリンは相変わらず突っ走っている王に冷たい視線を送った。
「そういう魂胆でしたか。……つまり王はそっち側って事ですね。ホン、しいては私達の敵と」
「愛の欲望には忠実な私を許してくれたまえ! 敵同士、という障害を乗り越えてこそ真実の愛が燃え上がるのだと私はそう信じているのだがね!」
「だから私と勝負してぇん、勝った方が晴れてこの森の守り人となるのぉん。お・わ・か・り?」
だんだんこの間延びした喋り方もくどくなってきた。リンはマーグリをさっくりと無視した。
「――別にかまいませんけど、この森出ても」
「マスター! 正気なわけ!?」
「だって、城に行ったら研究に必要なものは何でも買ってもらえるんでしょ? ついでに私の面倒は見てもらえるみたいだし」
「ああ勿論だとも!」
嫌味はまったく通用しなかったらしい。胸を張ったダルメシアンにこめかみを押さえながらも、ホンには気の毒だけれど面倒だし。なんて考えていたリンの前に、焦った様子でマーグリが割って入ってきた。
「ちょ、ちょっと待ってぇん! 貴方、自分が追い出されてもいいのぉん? それは戦わずして自分の負けを認めたことになるのよぉん?」
「貴方が言い出したことでしょ。今更何なんですか、それに勝ち負けって……決める事に何か意義でもあるんですか? くっだらない」
リンが怪訝な視線でそう切って捨てると、マーグリはしゅるしゅると小さくなって部屋の隅っこでいじけ出した。怒髪天をついていたとんがり帽子も、それに比例してかまるで触覚のようにぐんにゃりと下にたれ始めている。
「……オラみてぇな、田舎ものとじゃ、しょうぶにならねぇでぇ。思ってんだぁ? どうせ、オラはそんなにうつくしくねぇべ? 都会モンはこえぁなぁ。きっと心は氷で出来てるにちがいねぇ」
「……何、この生き物」
口調変わってるし。とホンが気味悪そうに呟いた。ダルメシアンはというと、そんなマーグリの肩を旧来の友がする様な仕草で叩いている。かけられている言葉は良く聞えないが、その語調からどうやら慰めているようだ。
垂れていた触角――帽子が力を取り戻したように上を向き、見事立ち直ったマーグリは特徴のある口調で胸を張った。
「そう、負けを認めるのねぇん? 貴方のお師匠様には、お世話になったからぁん。こてんぱんにのしてあげたかったんだけどぉん? 貴方が尻尾を巻いて逃げ出すって言うのなら止めないわぁん」
「……ちょっと待ってください」
非常に不吉な単語が、リンの耳をぞわりと撫でていったような気がした。
表情を険しくしながらも、リンはマーグリに詰め寄る。
「――師匠の、お知り合いですか?」
「昔の恋人、ってやつかしらぁん?」
「嘘ですね。貴方、あんな人でなしに付き合えるほど強靭な神経してないでしょう? もし仮にそれが真実だとしたなら、私が交際を拒否させていただきますけど」
そうはっきり言い切ったリンに、ホンはあの時の日記を思い出して少しだけ同情した。本人が思っている以上にトラウマは深いものであるらしい。
その勢いと台詞にマーグリは圧倒された様だったが、気を取り直したように咳払いをした。
「――恋人っていうのは冗談だけどぉん。あなたの師匠とは兄弟弟子だったのよぉん? 昔から魔術学校でも首席でぇん、ふるいつきたくなるような良い男だったわぁん。憧れを勇気を出して打ち明けたらぁん、綺麗な微笑み一つで死海に沈められたのも良い思いでねぇん。あたしがここをのっとたならぁん、鼻をあかしてあげられるでしょぉん?」
結構、いや絶対にお近づきになりたくない人種である。しかもはっきりと殺意をこめられているとまるわかりな事件も「良い思い出」と断言してしまうくらい変な所でうたれ強い。
うわ、ますますやる気なくなってきた。
リンはげっそりしたが、それでも師匠が関わってくるとなると話は別である。師匠は自分の顔につられる人間を油虫のように毛嫌いしているし、いつになるかそれがほんとうに起こるのかもわからないが、師匠がここに再び戻ってきたときにそんな人間が出迎えてみろ。
――笑顔で死海に沈められるのは私だ。無論、重石つきで。
「お受けします」
リンはあっさりと掌を返したように言った。

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