十二話 / アタック大作戦パートU


 ルーファウスは絶望していた。
 美弥から借りた啓蒙書を熟読し、頭の中で何百回と予行練習した筈の計画が、ことごとく破綻しているらしいから。
 ちなみに"らしい"というのは、ルーファウスが兄の助けになるよう行動するたびに、お褒めの言葉を賜るどころか、愛の鉄槌が下されているこの現状からである。
 兄上から賜るものなら、塵ひとつでさえ桃源郷もかくやといった喜びではあるが、兄上の機嫌は下降を辿るばかりだし、ルーファウスの当初の本願はといえば、
 "兄上に褒めてもらって自分のいいとこをみてもらって、あまつさえルー、お前は俺の最高の弟だ。これからも俺の側に侍ることを許してやる――愛してる"
 とでも言って頂くはずなのだ! それがこのざまである! なんたることだ!

 悲嘆のあまり、今にも喉をかっきりそうな様子でルーファウスは美弥にすがりつき、助言を求めた。
 ……ルーファウス君、あの、言いにくいんだけど、もうちょっと落ち着いて行動してみた方がいいんじゃないかな? あっ、そんな暗い顔しないで、ちーちゃんも、あの、その、少しだけ、そう! ほんのちょっとだけ照れてるのかもしれないよ? そういえば、最近、つんでれ、っていうのが流行ってるみたいだし! たぶんそれなんじゃないかな!!! きっと!!!
 何故か汗まみれになりながら美弥は、ルーファウスの萎びた臓腑に新たなエネルギーをつぎ込む絶妙な慰めをいれた。ちなみに美弥曰く、つんでれというものは、相手を心の底から愛しているのに照れから好意を素直に伝えられない人間のことを指すらしい。
 まさに今の兄上の状態ではないか! もうっ! 兄上ったら奥ゆかしさん!

 ふふふ、と薄笑いを浮かべながら、ハイジもかくやといった風に顎に両掌を添えてルーファウスは夢見る乙女になりきった。確実に一発キまっている瞳で千夜理を見つめるルーファウスから、美弥は本能的に半歩距離をとる。しかし、何かに気づいたようにはっと体を堅くすると、ルーファウスに耳打ちをした。
「ル、ルーファウス君! ほら、あれっ! 挽回のチャンスじゃないっ!?」
 美弥の視線を辿ってみれば……なるほど。千夜理は次の授業のために、黒板を消そうとしている――あれは指南書3巻の141ページにあった、ヒロインとヒーローが日直で並んで黒板を消すシーンとそっくりそのままである!
 ルーファウスは電光石火で立ち上がり、瞬きをする間に、千夜理の隣に降り立っていた。
 その素早さに美弥は目を丸くしていたが、当の千夜理といえば驚きもせず、荒んだ目でルーファウスを一瞥しただけだ。
「なによ」
「いえっ、黒板を消される、可憐かついたいけな兄上を、手伝いたく存じます!」
 前のめりになっているルーファウスから千夜理は、興味なさそうに視線をはずした。
「……勝手にすれば」
「はいっ、この上ない喜び! 有り難き幸せでありますっ!」
 意気揚々と黒板消しを握りしめ、黒板を消し始めたルーファウスを千夜理は冷めた目で見たが、それを黙認したようだ。まずは第一関門突破である。
 激しく高鳴る胸を意識しながらルーファウスは、千夜理の様子をこっそり――というよりガン見した。
 生前の兄上の強烈な美しさは、花でさえも自分で根っこを引き抜いてその身を捧げるほどであったが、転生後の兄上のその儚さと可憐さは何者にも代え難い。ちなみにルーファウスの兄上フィルターは、通した全てのものが300%ほど美化されるという機能が搭載されている。
 ここでいいところを見せなければ、さもなくば死、という自らに課した重圧は、ルーファウスの心の臓を握りつぶすほど大きいものだったが、あれほど何度もシュミュレーションし、練習した動きである。
 ルーファウスは腹をくくり、共に苦しみ、喜びをかみしめてきた戦友(幸子)に祈った。



 美弥は息をつめながら、二人の動向を見守っていた。
 ルーファウスは相変わらず情緒不安定であるし、さっきは首を括りかける勢いだったが、なんとか踏みとどまってくれたみたいで美弥はほっと安心した。千夜理のほうはといえば、依然として機嫌悪い度マックスだ――なんとかルーファウス君がちーちゃんを手伝って、ほんわかんなごやかな雰囲気になればいいのだけれど。
 それに、黒板消しという仕事はうってつけであり、二人の距離を縮めるいいきっかけになるんじゃないかと美弥は期待した。
 千夜理は少し背が低めだし、ルーファウスは高校生とは思えないほど立派な体格に恵まれている。この状態では千夜理がルーファウスを積極的に頼るとは思えなかったが、ルーファウスが率先して困っている千夜理を手伝えば、それはきっと仲良しへの第一歩に繋がるはずなのだ。そして、それはさっき聞かされたルーファウスの秘策へのいい弾みになるに違いない。ルーファウスが、あれほどまでに気の利いたアイディアを実践してきたことに、美弥は正直、驚いた。それほどまでに今日というこの日を成功させたがっているルーファウスに、精一杯協力しようと、美弥は決意を新たにしたのだ。
 美弥はきゅっと拳を握り締め、ルーファウスを心の底から応援した――さっそうと男らしく黒板を消すのよ、ルーファウス君! 歯とか光らせても効果的!
 千夜理が聞いたら美弥に少女漫画を読むのを控えるように苦言するだろうことを美弥は真剣に願う。

 すると、刹那、頭から爪先まで決意をみなぎらせたルーファウスが、すっと動いた。
 黙々と黒板を消している千夜理はルーファウスの存在を意図的に無視しているようであったが、その隣でルーファウスは、見るものすべてを釘付けにするような不審な動きを見せる。
 その光景に、美弥は自分の目を疑った。
 なんとルーファウスは可愛らしくぴょこぴょこと飛び跳ねながら、"わたし手が届かないの〜♪"的なパフォーマンスを繰り返し、その上、困ったようにきゅうと眉を寄せているではないか。その可憐な表情に、美弥は強いデジャヴを覚える――あれって、幸子がヒーローに黒板を消してもらったときのシーンではないか。

 っていうか、お前が幸子ポジションかい!!!!!
 常識的に考えて反対やないかい!!!!

 衝撃の余り関西人ばりの突っ込みを心の中で入れながら、美弥はがくりと崩れ落ちた――どうしよう。ルーファウス君とちーちゃんが仲良くできるビジョンが、まったくさっぱり浮かんでこない。
 流石に恋のキューピットである美弥も、そのルーファウスの奇行には唖然とした。
 そして、案の定、千夜理は明らかな不審者を鉄仮面のような表情と視線で突き刺すと、唇の端をひくりと不穏に吊り上げる。
 その顔の上には嫌悪、殺意といった激情が渦巻いていた。千夜理が手に持っていた黒板消しでルーファウスをぶん殴らなかったのは奇跡に近い。
 ぶつぶつと何かをつぶやくことで、どうやらその荒ぶる魂をおさえつけることに成功した千夜理は、低い声で秀の名を呼び、黒板上部を消すようにいいつける。
 刹那、誰かがはっと息を呑み、空気はぴいんと張りつめたが、やってきた秀は漂う殺意をものともせずに、あっさりとそれを了承した。そして、ルーファウスが愕然とした表情でそれを見守るなか、その身長を存分に生かし、高い部分の黒板を綺麗にしたのだ。
 さらに、追い打ちをかけるかのように、秀は体勢を低くして、自分の頭を千夜理に向かって突き出す。美弥には秀の行動の意図が良くわからなかったが、流石は連れ添ってきた時間が違うのか、ぴくりとも動かずに何かを待っている秀に、千夜理ははぁと深いため息をつき、そっとその頭に腕を伸ばした。
 なでなでなで。
 秀の頭を何度かかき混ぜるようにしてなでると、千夜理は小さな声でつぶやく。

「秀、ありがと、助かったわ」

 千夜理の諦めを含みつつも、親しみのこもった声色に、秀は満足そうな笑みを浮かべ、そして、次の瞬間、美弥は教室に沈殿するおどろおどろしい雰囲気に総毛立った。
 その淀んだ空気の発信源は、予想するまでもなくルーファウス。
 乱れ髪を口の端からたらしながら、呪い殺したそうな目で秀を睨みつけている彼の頭の周りに白い蝋燭でもたてれば、立派なジャパニーズホラーの怨霊役でもつとまるのではないだろうか。
 今度はどうやったらルーファウスの鬱々とした気分を慰めることができるのか、美弥は再び頭を悩ませることになったのだ。



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