※ グロ描写があるので、食事中の方は絶対にご遠慮ください。


十三話 / 私の愛を召し上がれ


 千夜理はずきずきと鈍痛を訴える頭を押さえる。
 思えば、朝から何度、怒髪天を突く勢いで頭に血を昇らせたのだろうか。確実に両手では足りないはずだ。脳溢血になりそうなほどのストレスと苛立ちに千夜理は目眩を覚えた。
 なにをたくらんでいるのか、ルーファウスは千夜理の周りをうろちょろと徘徊し、飢えたコヨーテのように、虎視眈々と目を光らせている。
 薄気味悪くてしょうがないし、普通に日直の職務を全うしようとする千夜理には迷惑以外のなにものでもない。
 朝は先生の日直への呼び出しに、意気揚々と諸手をあげて立候補したあげく、そのあまりの懇願ぶりに任せた千夜理も悪かったのだが、どこのどいつが教師の脳天をかちわりかけるなんて想像できるのだ。あいにく千夜理はエスパーでも占い師でもない。
 千夜理が半眼で捻りあげた狂犬――もといルーファウスは、自分の権威を振りかざし、崇高なる存在である兄上を奴隷呼ばわりしたことが腹に据えかねたらしい。
 たぶん魔族の辞書には冗談という言葉は存在しないのだ。それかルーファウスという個体が絶望的に空気読めないだけか。もちろん魔族というものがいると仮定しての話である。
 ルーファウスの奇行はとどまることを知らず、その他にも授業の初めの号令の時に、少し立つのが遅かったとか、声が小さかったという理由で、哀れなクラスメイト数人が、投げられた消しゴムの餌食となった。
 たかが消しゴム、されど消しゴム。
 人外の力でぶん投げられた消しゴムは、ともすれば光の早さとなって、脆弱な人間のこめかみにめり込んだ。号令と共に人がばたばたと倒れていく様に、クラスメイトは息をのみ、千夜理はルーファウスの"どや顔(千夜理からみて)"に無言で裏拳をたたき込んだ。
 そして、極めつけはさっきの黒板の出来事である。
 自分から手伝いたいというから、勝手にしろ、とは言ったが、思い出すだけで怖気のふるうあの寸劇はいったいなんだったのだ。
 どこぞの可憐なヒロインもかくや、といったモーションで、上目遣いで自分に何かを訴えるルーファウスに千夜理は鳥肌がたった。美弥がやるんならともかく、自分よりも何倍も体の大きい男が許される動作ではないのである。
 犯罪的に気持ち悪かったし、手に持っていた黒板消しで白粉まみれにしてやれば、どんなにすっとしただろう。それでもなんとか素数を数えることでその衝動に耐え、自分も届かなかっただろう場所の黒板消しを秀に頼んだ。
 ルーファウスが一体、なにを考えているか意味不明だった。自分を助けると宣誓しておきながら、さっきからやっているのは千夜理の神経を逆撫でするようなことばかり。
 千夜理は自分の脳の血管が破裂する前に、今日というこの日が早く過ぎることを祈ったが、見上げた時計はのんびりとしたもので、まだ昼時を指している。いつものように美弥を昼食に誘おうと顔を上げれば、側に佇んでいたのは目当ての人物だけではなかった。
 妙に憔悴した様子の美弥と、その隣には緊張しているのか直立不動になっているルーファウスだった。
 千夜理は自分の眦がつり上がるのを意識する――美弥をすっかりたぶらかしやがって、こいつはどういう手管を使ったのだろう。

「ち、ちーちゃん、今日はいい天気だし、中庭で食べない? あの、ルーファウス君も一緒に」
 千夜理の不機嫌を感じ取ったのだろう、美弥はおずおずと口を開いた。
 変態の顔を視界に入れるだけで食欲が激減しそうだが、親友を怖がらせるのは本意でない。千夜理は少し無理をしながらも気持ちを切りかえて鷹揚に頷いた。それでも変態に愛想を振りまく気は、雀の涙ほどにもない。

「いいけど。私、今日はお母さんが寝坊したみたいだからお昼買ってこなきゃ」
 今朝は千夜理が起きてくると、いつもなら用意されていた弁当がなく、母親は寝坊したと謝った。でも千夜理はその顔に浮かぶ奇妙な含み笑いが妙に気になったのだ。
「あのっ! それなんだけど!」
 千夜理が今朝の出来事に首を傾げていると、美弥はルーファウスに目配せをする。
 それを受けて、ルーファウスは酸欠の金魚のようになりながらまくしたてた。

「あのっ、あああ、兄上! 実は、私、兄上に渡したいものがっ! あるので! なにもきかず、中庭にきていただけないでしょうか!?」
 この台詞とシュチュエーションだと、ルーファウスから愛の告白でも受けそうな勢いだが、それがまったくの冗談と言い切れないのも、気持ちが悪い。
 千夜理は当然、断ろうと思ったが、美弥の懇願するような目に渋々おれた。美弥が一緒だというのなら、なんとかこの不快な時間も我慢できるかもしれない。

「――時間は?」
「かかりませんっっ!!!!! ……嗚呼っ! 兄上、感謝いたしますっっ!!!!」
 喜色満面といった様子でルーファウスは飛び上がり、何かを大事そうに胸の前で抱き抱えた。そして、中庭で宴の用意をして参ります! と一目散にすっとんでいく。
 それを呆れた目で見送りながらも、自分を慕っていることを隠そうともしないルーファウスを見るたび、千夜理の心は少しだけ罪悪感でちくりと痛んだ。

 正直、ルーファウスはウザい。
 熱帯夜に耳元を飛ぶ蚊よりも、なによりも突き抜けてウザいと思う――だけど、あそこまでひたむきで一生懸命な人間を、千夜理は他に知らなかった。
 もとから、秀しかりで、自分を純粋に慕ってくれるものに非情になりきれない自分の性格を、千夜理は自覚している。だけど変なところで意固地な部分は、あのとんでもない変態を喜ばせてなるものか、と心の防壁を築いているのだ。
 一度だけでも心を許してしまえば、懐に入れてしまえば、絶対に嫌いになれない、憎みきれない。
 そうなってしまうのが解っているから、千夜理はルーファウスを突き放していた。あの変態を懐に入れたが最後、ずるずると変態ワールドに引きずられてしまう未来が想像できすぎて、千夜理は断固としてそれを払いのける。
 あの変態に懐柔されてなるものか。
 そして、複雑な表情でこちらを見る美弥と一緒に、変態の待ち受ける中庭へと向かったのだった。



 中庭へと到着した千夜理は、目の前に広がる光景に絶句した。
 大きな木の下には、どこから持ってきたのだろう、精巧な細工が凝らされた中世風の椅子が三脚置かれている。そしてその真ん中には、その椅子と対になるような白亜のテーブルが鎮座していた。白いレースがしかれ、テーブルの上には一輪挿しと、どこかでとってきたのだろう花が飾られている。そして、木漏れ日は、昼の太陽を丁度いい具合にやわらげ、気持ちよさそうな風がさわさわと枝を揺らした。雰囲気としては最高だった――ここが学校の中庭であるという大前提を除いては。
 美弥も驚いてはいたようだが何か聞かされていたのか、ぴくりとも動こうとはしない千夜理の制服を軽く引っ張る……何を企んでいるかと思ったが、変態の考えることはとことん解せない。
 千夜理は不機嫌になりながらも、その妙に高そうな椅子に腰掛けた。そして挙動不審で落ち着かない様子のルーファウスをじろりと睨みつける。
「――で、渡したいものって何」
「あっ、は、はい、こちらなのですがっっ、実は今日のお昼は私めが作らせていただいたのですっっ! 兄上の高貴なる舌にあえばいいのですがっっ……!」
 ずずい、とテーブルの上に置かれた見覚えのある弁当箱に、千夜理はようやく合点がいった。つまり今朝の様子を思い出すに、母親も美弥もぐるだったらしい。そこまで千夜理とルーファウスに仲良くして欲しいのか。そのお膳立てに千夜理は正直、げんなりした。
 弁当箱から視線をはずし、そんな得体の知れないものを食べるつもりは無い、とすげなく断ろうと口を開いた瞬間、千夜理はぐっと言葉に詰まる。
 千夜理の目に映ったのは、胸の前で拳を握り締めるルーファウス。
 そして、その震える手は絆創膏まみれだったのだ。
 まさか、その怪我はこの弁当を作ったせいなのか。いくらなんでもベタ過ぎる。そんな古典的な小細工にひっかかるわけが――。
 じいと、自分を見つめるルーファウスの視線は真摯で、千夜理を謀ってやろうという曇りは一筋も見つからない。喜んで欲しい、という気持ちが鬱陶しいほど伝わってきて、千夜理は観念したようなうめき声を漏らした……もう、そろそろ負けを認めてやってもいいのかもしれない。

「解った、ありがたく頂いておく……ありがとう」

 決まりが悪くて目を逸らしながら礼を言った千夜理だったが、ルーファウスはその場で蒸発するんではないかというぐらい喜んだ。きらきらと瞳を輝かせ、幸福感を空気中からめいっぱい吸い込む勢いで胸を膨らませる。そして美弥は、感極まったようにそっとハンカチで目を押さえていた。
「いえ、いえっ、いえっ!!!! 兄上っっっ! 兄上のその繊細な唇から、そんなもったいないお言葉を賜ることが出来ただけで、ルーは……ルーはっっ、恐悦至極で御座います!!!!」
「煩い。食事中は黙って座れ、ド変態」
「はいっっ! はい、兄上っっっ! っっぐ、あ、にうぇえ、ありがとうござびばずぅ」
 言葉に詰まり、泣き出したルーファウスにうんざりする。
 昼食時だというのに、三分の二が泣いているというこの愁嘆場は一体全体なんなのだ。千夜理はやれやれと頭をふり、顔中ずるずるになっているルーファウスにハンカチを投げつけた。
「いいから泣き止めば。あんたが泣き止むの待ってたら日が暮れるし、飯がまずくなる」
「すびばぜん……あ゛に゛う゛え゛ぇ」
 ルーファウスの白い頬を流れる涙の勢いが更に激しくなった。それでも嗚咽をとめようという努力はしているのか、んがぐっぐ、と鳴る喉に、千夜理は軽く肩をすくめる。どうやら落ち着くまで声はかけないで置いたほうがよさそうだ。
 美弥は赤い目をしながら、それでも明るい声で千夜理の手元を覗き込む。
「ルーファウス君のお弁当、どんなかんじなのかな? ほらっ、ちーちゃん、開けてみてよ!」
 美弥の声に急かされる様にして、千夜理はステンレス製の弁当の蓋に手をかけた。
 千夜理は見た目にも味にも、まったく期待はしていなかったが、とりあえずは作ってくれた奴の手前、嫌な顔ひとつ見せず食べなければならないだろう。それが仁義というものだ。

 かぱり、と蓋が音をたて、千夜理の視界にまず飛び込んできたのは――鮮血の赤。
 ケチャップをぶちまけたかのような真紅が弁当箱の中を支配していた。
 一応、食べ物の残骸とも思えるものがちらほら見えたが、あからさまに生々しい赤い物体が異物混入されている――これってソーセージじゃ、ないな。明らかに。
 ふっと、気を失った美弥が机の上に倒れた音がした。

「食、え、る、かぁぁああああ!!!!! こんなもんっっっ!!!!!」

 野球選手も惚れるぐらいの豪腕で、千夜理は弁当箱を遠くにぶん投げた。
 そして血走った目で鼻息も荒く、ルーファウスを睨みつける。

「ああああああ、兄上、何か、お気に召さないものでも、入っておりましたでしょうか……!?」
 天国から地獄へ叩きつけられた天使もかくや。
 顔から血の気をざっと引かせたルーファウスは青くなった唇を震わせながら問いかける。その頓珍漢な質問に千夜理は怒りで気が遠くなりそうになった。

「そう言うレベルじゃないわっ、このド阿呆がっ! いいから、美弥背負って、つべこべ言わずに付いて来い!」

 かなり荒々しい口調で言い切ってから、千夜理はルーファウスの手首を鷲掴む。
 それにルーファウスはびくりと体を震わせたが、鬼気迫る様子の千夜理に無言で従ったのだった。



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