十五話 / マウス・スパゲッティ・マウス


 銀髪の頭が食い入るようにテレビを見つめている。
 そのディスプレイの中では、一対の犬がスパゲッティを食べており、それは夢と魔法の国の古いアニメのワンシーンだ。そして、テレビのフレーム内で、パスタを食べていた二匹がハプニングでキスをする。瞬間、アニメに夢中だった銀髪の男――ルーファウスがはっと息を飲んだ。
 千夜理が、その形の良い後頭部に訝しげに視線をやると、恐る恐るこちらを振り向いたルーファウスの深紅の目とかち合う。
 人間離れした美貌――事実、本人は魔族と自称していたが――がこちらを注視し、その決意に強ばった表情に、千夜理は緊張を強いられた。
 ルーファウスはゆっくりと、神妙な表情で口を開く。
「あにうえ、私は、あの、あれを、その、一度、食してみたいのですが」
「顔を赤らめながら、アンタがどんな妄想をそのド腐れ頭で繰り広げようが勝手だけど、それを外に出した時点で戦争だから」
「あ、あ、あ、あにうえっっっ! まさか、まさか兄上は、私があわよくばその薔薇色の唇に思う存分接吻して、きゃっ! 恥ずかしい! 兄上ってぱ大胆! 的などっきり破廉恥なことを考えると仰せなのでしょうかっっ!!!」
「即刻生命活動を停止しろ。このド変態。アンタの腐った脳味噌、たたき割って中身を見なくても、読めた私が悲しくなるわ」
「流石、兄上! 私の考えていることなんて、すべてお見通しなんですねっ! 常々思っていたんですけども、兄上は読心術を……」
「そんな人外めいた特技なんかもっとらんわボケが。少しは自分の考えてること隠す努力をしてみんかい。アンタには羞恥心ってものがないわけ」
 冷たく言い放った千夜理に、ルーファウスは心底わらかないといった様子で首を傾げる。
 語るに落ちているって次元では無い。千夜理は唇をひん曲げた。
 ――こいつと喋ってるとどっと疲れる。
 千夜理は、重たく淀んだため息を臓腑から吐き出したのだ。



 改めて確認しておこう。金城千夜理は生粋の日本人である。
 そんな千夜理の家に居直り強盗のように存在し、あまつさえ千夜理のことを『兄』と呼ぶ銀髪紅眼の男。
 その正体は紛れもない変態に他ならず、さらに魔族と自称する、傍目からみるとその容姿の端麗さと相反して残念すぎる青年である。
 ルーファウス曰く、魔界からやってきた彼は、死んだ兄の生まれ変わりを探しに来たらしい。
 彼はそんな世迷い事をのたまい、しかも、その生まれ変わりが千夜理だと盲目的に信じ込んでいる。つまり千夜理にとっては迷惑きわまりない状態なのだ。
 目をぴかりと光らせ、怪しい催眠術のようなものでいともたやすく周りを懐柔したルーファウスは、偏質的な愛情を悪徳商法も真っ青な勢いで千夜理に押し売ってくる。千夜理がどれだけ冷たい態度をとろうが、口汚く罵ろうが、思い切り踏みつけようが、それはルーファウスを喜ばせるだけだった。
 これはいったい何プレイだ。魔族って、マゾヒスティックな人たちのことじゃね? 最近の千夜理はそう疑い始めている。
 しかも、ルーファウスはどんな狡い手を使ったかは知らないが、千夜理の大事な親友の大崎美弥を味方に付け、どうやら少女漫画を貸し借りするような仲にまで発展しているらしい。そして、その趣味のお陰で、変態の脳内は桃色乙女色を通りこし、腐れてドドメ色に染まりつつある……まったくゆゆしき事態なのだ。



 そんな千夜理称するドドメ色の脳味噌を頭にのっけながら、ルーファウスは美弥の家へと馳せせんじていた。
 ルーファウスは現代テクノロジーの結晶である携帯電話を、現役の女子高生ばりに使いこなし、ついにはギャル文字まで修得しようというのだから、変態の向上心の高さを甘くみてはいけない。
 ちなみにルーファウスの目標は、"偶然"兄上のメアドをゲットして、"偶然"メル友になっちゃって、あわよくばきゃっきゃうふふな関係になっちゃおう! なのである。絶望的に救えない上に、少女漫画を読むのを控えよ、とアドバイスしてくれる常識人は足りていなかった。

 そうして、ルーファウスはカルピスウォーターに舌鼓を打ちながら、自分の対千夜理相談顧問である、美弥と向かい合っていた。
 美弥はルーファウスの話を一通り聞くと、少しためらいがちに口を開く。
「ルーファウス君……その、ちーちゃんと、一つのパスタを食べるってのは、ちょっと無理があるっていうか」
「美弥殿っっ!」
「あ、あのね。ルーファウス君に不治の病で余命一ヶ月みたいな属性があって、死ぬ前に一度でいいからちーちゃんと一緒にひとつのスパゲッティ食べたかった……っていう設定だったら、ちーちゃんが譲歩してくれる一縷の望みがあると思うんだけど」
「なるほど……あるいは、服毒してみましょうか?」
「ええと、それはそれでロミオとジュリエットみたいで素敵だけど、ルーファウス君が体張ると、ちーちゃん怒りそうだからやめたほうがいいと思う」
 事実、ルーファウスは千夜理のために自分の指をナマス切りにしたことがある。もちろん結果、ド叱られた。その時のことを思い出し、ルーファウスは少し神妙な顔になる。
「そうですね。私も兄上の不況を買うのは本意ではない」
 それならルーファウス君はいつも無意識に大量購入してるんだね! とは美弥は優しいので口にしなかった。
 この計画を成就させうる対策を練らねば、とぶつぶつ呟くルーファウスを目の前に、美弥はどうかルーファウスが千夜理をなるべく刺激しない術はないものかと考えた。二人の打ち解けてきた関係は薄氷の上に成り立っており、ルーファウスが何かしでかせば、千夜理の心は再び凍り付く恐れがある。
 そんな美弥の心配もなんのそので、ルーファウスは紅の瞳を輝かせながら顔を上げた。そういう時のルーファウスは、美弥でも見とれてしまうほど無駄に麗しい。
 その美貌を煌めかせながら、ルーファウスは息を弾ませた。

「こうはどうでしょう美弥殿! 死と紙一重の飢餓状態で私が倒れているところに、兄上にご足労いただき! く、く、口移しで、すぱげってぃというものを食べさせていただくという兄上の深い情に訴えかける心理作戦は!」
「ルーファウス君、残念ながらスパゲッティは口移しには、向かない食品だと思う」

 つっこみどころはそこじゃない。
 二人で首を捻りながら、こうして千夜理攻略作戦会議のアフタヌーンはふけていくのであった。



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