「兄上は魔族なんです」

 男は開口一番。そうのたまった。


二話 / ラ族はおやつにはいりますか?


 まさか号泣する男を放置するわけにもいかず、千夜理は渋々と手を差し伸べ声をかける――結果、余計に泣かれた。
 しかし、それは一転して感激の涙だったらしい。男の反応にドン引きしていた千夜理であったが、差し出していた手は引っ込める前に凄いスピードで握られる。そして男はもじもじと恥らいながらもきゅっと手を繋ぐと、嬉しそうに頬を緩ませながら千夜理の後をカルガモの子よろしくとっとこ付いて来るではないか。大人が頬染めるのって本気で気持ち悪いと千夜理は怖気をふるい、光の速さで手を振り払おうとしたがそのたびに男は泣き出しそうな顔をする――まぁ、ともかくも諦めるしかなかったのだ。
 そうして男を引っ張りながらもやってきてしまったのは駅前のファミレス。そこで「自称・弟」がぶちかましたのは先ほどの爆弾発言だ。それに対し千夜理はへぇ、それはすごいと乾いた相槌を打つことしか出来なかった。ついでに、ちぅとストローでメロンソーダを吸い込んだが、生憎、それはかっさかさに乾いたハートまでは潤すことは出来なかったらしい。
 やっぱり拾っちゃったの失敗だったかな。
 改めて千夜理は思う。奇天烈な格好に奇天烈な言動。妙に情を刺激されたから見捨てられなかったけれど、今になると、それは海より深い後悔にとってかわる。ここまでの道中でも嫌というほど人の視線を浴びたし、こんな人通りが多い駅前のファミレスに来ようだなんて、トチ狂ってたとしか思えない。泣いている人間にはなにか食わせとけば間違いない、というこれまでの経験が裏目にでたのか。レジのウエイトレスが目を剥いていた反応から言っても「コスプレ青年」とその連れ、ぐらいには絶対に思われてるだろう。千夜理は想像して憂鬱になった。
 恐らく奴は、精神病院から逃げ出した外国人かなんかなのだろうと、千夜理は無理やり結論付けた。とりあえず話だけは聞いてそれからどこかの病院か警察に連れて行けばいい。
 だって魔族ってなんなのさ。ラ族だったら少しは知ってるけど。
 千夜理の貧困な想像力でこの狂った状況を納得するにはその程度が限界だった。
 そんなことを考えている千夜理の心中をまったく察していないだろう男はハイテンションで千夜理に話しかける。
「あにうえ、あにうえ! まったく驚かれませんねっ! 流石、肝が据わってらっしゃる! まさかなにか思い出しになられたんですかっ!?」
「呆れてるだけなんですけど。というか思い出すも何もはじめっから赤の他人だから」
 千夜理のやることなすこと総てを過大評価し感銘を受ける男のせいで頭が痛くなってきた。それは突き刺さる周りの視線のせいでもありそうだが。へこませた男を前に千夜理は基本的な事を聞き忘れていたことに気づく。彼の身元を調べるためにも必要だろう。
「あなた名前は?」
 千夜理は男の目を見据えながら名前を訊いた。すると男は嬉しそうな悲しそうな、なんとも複雑な表情で薄い唇を開く。
「ルーファウスです。兄上」
「ルー、……?」
 慣れない横文字がとびこんできて千夜理は反復しながらも首をかしげる。するとルーファウスは途端に顔を輝かせた。
「生前の兄上もそのように私を呼んでくださってましたっ! やはり思い出されたんですねぇ! 忘れたふりをするなんて兄上も人が悪いです! あにうえぇぇ!」
「私は一度たりとも死んだ覚えなんてないです。それよりあなた、さっきから声が大きいんですけど」
 ウザイ、という気持ちをあますところなく表現しながら千夜理は今にも飛びついてきそうなルーファウスの鼻面を半眼で押さえつける。しかしそれは手遅れだったらしく、店員が遠慮がちに声をかけてきた。
「お客様、大変恐れ入りますが、少しお静かにしていただけると……」
「――すみませんでした」
 千夜理は申し訳なさそうに頭を下げる。完璧非はこっちにというか目の前の男にある。千夜理が非難がましい目でじろりとルーファウスを睨みつければ、さっきまではだらしなく垂れていたルーファウスの眼が酷薄そうにすっと狭まるのが見えた。
 え。
 ルーファウスが音も無く立ち上がり、ゆらりと体を包む黒い陽炎がみえたのは幻覚か。びりびりと背筋を凍らせるようなプレッシャーが殺気と呼ばれるものとは千夜理が知るはずもない。しかしそれは動物の本能である恐怖を呼び起こすには十分なものだった。赤い眼をギラギラと瞬かせながらルーファウスは血も凍るような冷たい声を出した。
「貴様、兄上に対するその暴言。万死に値する」
「ちょちょちょちょっとあんたっ! 何言ってくれちゃってるの? すいません! この人ちょっと日本語変で!」
「しかし、この下等生物はあにうえをっ!」
 下等生物と目の前で言い切られた店員は睨みつけられてびくりと肩を震わせた。割って入った千夜理は無我夢中でルーファウスをなだめた。このままだと「ぶすり」ともやりかねない。係わり合いになってしまった以上、流血事件だけは勘弁して欲しい。
「あんたはちょっと黙ってる! 私は全然気にしてないからっ!」
「あにうえぇ! お優しいんですねぇ! 私は感激です! そんなあにうえも素敵ですーっ!」
「あぁ、はいはい。どうもどうもありがとう。というわけで……スイマセンデシタ」
 でれでれのどろどろ状態に戻ったルーファウスに胸を撫で下ろし、千夜理は店員の顔色を伺いながら謝罪した。蛇に睨まれた蛙のように固まっていた店員は曖昧な笑みを浮かべると、キッチンの方へ脱兎の如く逃げ出す。どっと疲れた千夜理は座席へと崩れ落ちた。
「……このファミレス、もう一生来れない」
 突っ伏したい衝動を我慢して千夜理はちくちくと突き刺さる視線からとっとと逃亡を図ることにして、伝票を掴み立ち上がる。
「兄上?」
 首を傾げる男に一瞥すると、くいっと千夜理は顎をしゃくる。仕草がだんだんとチンピラっぽくなってきたのは否めない。嬉しそうに立ち上がった男の後ろに一瞬、ぱたぱたと触れる尻尾が見えたような気がする……かなり疲れているらしい。レジにいけば、営業スマイルを浮かべる店員が「八百六十円です」と愛想よく言った。あまり期待はしていなかったが千夜理は男に向き直る。
「お金、もってる?」
「あ、これでしたら」
 これがこの世界のお金なんでしょう? とそう言って男が突き出したのは、きらきらと光を反射する金色の延べ棒――お前は何時代の人だ。
 千夜理は絶句したが、男はにこにこと千夜理の言葉を従順に待っているようだ。
 だめだこりゃ。
 千夜理は自分の財布から千円札を一枚取り出した。そしてそれを店員へ差し出したとき、何を思ったのか無一文の男はずいっと身を乗り出した。
「兄上、ここは私にお任せください」
 任せるって何を。
 不可解な言葉に千夜理がルーファウスに視線をやると、彼の赤い瞳が輝きを増し、ぴかりと光った。その瞳を見つめていたレジの店員の目は焦点を失い、夢でも見ているかのような胡乱な表情になる。
「兄上、それでは参りましょう」
「何言ってるの、まだお金払ってない……」
「アリガトウゴザイマシタ」
 背中をそっと押すルーファウスに千夜理が怪訝そうな表情を向けると、立っていた店員は機械のようにぎこちない動作でお辞儀をした。
「ほら、兄上」
 にこにこ。きらきら。
 千夜理は邪気の無い笑顔を浮かべる男とうつろな表情の店員を行ったりきたりで見比べた。そしてレジの机に千円札を置くと、男の耳をひっつかみファミレスを後にする。
 ――どうやら本腰入れて話を聞かねばならないようだ、と嫌な予感を抱きながら。



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