※ちょっと残酷&倫理的に問題ある描写があるので苦手な方は注意。
三話 / 前世はなんたるぷれーぼーい
ルーファウスの父は魔界を統べる王、つまり千夜理の世界でいうRPGなんかでお馴染みの魔王という存在だった。
そんな父親は好色で気まぐれ、囲った妾は数え切れず、という権力者にはありがちな性質を兼ね備えていた。その中の一人がルーファウスの母で、彼女もルーファウスを産み落とした時にあっけなく命を落としたから、ルーファウスには母の記憶はまったく残っていない。
王は正妃の生んだ兄と姉達を大層可愛がっていたが、気まぐれで孕ませた女の息子である彼には取り立てて興味を抱かなかったらしい。幼いルーファウスは城では孤独であったし、彼もその寂しさに泣いてばかりいた。周りの魔族は王子である自分に慇懃ではあったが、それは取り繕った形式上のもので、実の父親である王に見捨てられ、母をも亡くしたルーファウス自身を本当に気にかけてくれる存在などいるはずがなかったのだ。
そんなある日、ルーファウスは庭の端っこでうずくまり泣いていた。自分が飼っていたバジリスクが死んでしまったからだ。それは兄であるジェイルの仕業であった。ルーファウスが悲しがる事を承知で、バジリスクに雄鶏の声を聞かせたのだ。
ルーファウスの白く柔らかい頬の上を際限のない涙が滑ってゆく。彼は掌にのせたバジリスクの屍骸をじっと見つめていた。そうしていても死んだペットが生き返るわけが無かったが、ルーファウスにはどうしても埋めてしまうことが出来なかった。せっかく出来たたった一人の友達だったのだ。そう思うと、またぶわりと涙が溢れてくる。
「そこの餓鬼」
唐突に声をかけられたルーファウスはびくりと肩を揺らして、後ろを振り返った。そびえたつ壁の如く、小さいルーファウスを見下ろしていたのは、漆黒を身にまとった魔族の青年だった。さらりと流れる黒髪は肩までの長さで、闇を凝縮させたかと思うぐらいに艶やかだ。ぞっとするような冷たい美貌は中性的ではあったが、どこか他人を萎縮させるような迫力を帯びていた。そして兄、ベリアルがルーファウスに言った第一声はこうだ。
「――辛気臭ぇ面さらしてんじゃねぇ。殺すぞ」
「ちょっと待った。その人、泣いてる子供にむかってそんな台詞吐いたの?」
千夜理は軽く揺らしていたブランコから飛び上がって目をむいた。
ファミレスを出た後、千夜理は結局、公園で男の話を聞くことになっている。
弾かれたように立ち上がった千夜理を見上げて、ルーファウスはことりと首を傾げる。
「ええ! あの時は兄上は息が止まるほど綺麗で怖くて失禁しちゃいそうでした!」
えへへ、とルーファウスはまるで恋人同士の馴れ初めを話しているように頬を上気させながら照れる。案の定、千夜理は後ずさりながらどっぴいた。
「いや、えへへじゃないから。それ客観的に見ればそんな照れるような素敵エピソードじゃないから」
「なにを仰ります! あれはあにうえと私の運命の出会いじゃないですかー! 兄上、ほんっとうにお美しかったなぁ……」
うるうると涙目で力説するルーファウスを前に千夜理はついに口をつぐむ。
そうしてルーファウスの話は続く。
ベリアルはルーファウスと同じように妾の子であったがその魔力は強く、下手をすれば王である父を凌ぐほどだった。故に王には存在を疎んじられていたが本人はどこ吹く風。好き勝手に暴力と快楽の限りをつくし遊びまわっていた。
ルーファウスと出会った時も丁度、魔獣狩りから帰ってきたところで、気分がよくなっている所に辛気臭い泣き声が聞こえたから興醒めしたらしい。
ベリアルは脆弱なものは反吐が出るほど嫌いであったし、それを不愉快だと感じた時点でその存在を消すことに躊躇はしない。しかし、ルーファウスに声をかけ、命を奪わなかったのは何故だったのか。血のつながりがあったというのは理由にならないが、そのときわずかにでも情をかけたのは偶然が生んだ奇跡とも呼べる彼の気まぐれだったのだろう。すぐに鬱陶しくなって突き放そうとした時にはすでに手遅れだったのだが。
ルーファウスにとってベリアルは母であり父であった。
自分に対して初めて偽りの無い言葉と感情をかけてくれた人。それは龍の子が殻を破って初めて見たものを母だと思うのと同じだった。
それからルーファウスはどんなに罵られようが、殴られようが、半殺しにされようが、兄の後ろをカルガモのようについて回った。断罪の丘で四肢を吹き飛ばされたのも、首切りの沼に沈められそうになったのも、ルーファウスにとっては兄とのかけがえの無い宝物(と書いておもひでと読む)なのである。
ベリアルには及ばないものの、育つうちにルーファウスの魔力の才能は開花し、それと共に戦闘能力も飛躍的にあがった。ベリアルのドメスティック・バイオレンスすれすれな教育もそれに一役買っていたらしい。ベリアルは快楽主義を貫いており、ルーファウスが近くにいようとも、それが改まることは無かった。”万人殺しのベリアル”とは女の魔族の中で揶揄とともに付けられた異名だったが、それは冷酷な性格にも当てはまる。相手を殺す時は、感情を見せず、血に酔うこともなく瞬時に消し去った。
ベリアルには権力欲がまったくなかったが、王にとっていくら息子とはいえど自分の立場を脅かす力の強い魔族にすぎない。魔界では血の繋がりに重きは置かれず、純粋に強いもの王になるのが常であった。日に日に老いていく王は不安を募らせ、ついに恐怖と妄想に取り付かれた彼は狂気の中でベリアルを殺そうと目論む。その頃には、ベリアルの魔力は王を遥かに凌いでいたし、彼は肉親だからといえどもやすやすと殺されてやるような愁傷な性格はしていなかった。敵とみなしたら、ルーファウスにさえも手をかけることに戸惑いはないだろう。だからルーファウスは、誰を差し置いても兄が死ぬはずがないと思い込み、それはあのような油断を招いたのかもしれない。
それは王の何百回めかにあたる誕生日の日だった。
国全体で大きな祭が催され、后や妃は勿論のこと、臣下、王子、姫などは王の玉座の前で祝福の言葉を述べるのが決まりであった。普段はそんな集まりに参加するはずもなかったべリアルだったが、王の妾である母に頼み込まれ泣きつかれたところで根負けしたようで、不遜な態度でその儀式に参加していた。自分が祝辞を述べる番になると、ベリアルは馬鹿らしいという表情を隠そうともせず玉座の前に進み出る。自分の名前を朗々と通る声で宣言すれば、その時、床に仕込まれていた魔方陣が光を放ちベリアルの身体を貫いた。ベリアルが参加するということで当然、その場にいたルーファウスはその光景に慄き、兄の名前を叫ぶ。しかし次の瞬間、ルーファウスの目に映ったのは、硬化した腕で王の身体を刺し貫いていたベリアルの姿であった。
血に濡れた手をずるりと抜くと、ベリアルは不機嫌そうに鼻を鳴らし崩れ落ちた父親の顔を踏みにじる。流石に年老いていても魔王であった男はまだ命を失ってはいなかった。這い蹲り、憎むべき相手から屈辱を受けている王の瞳に絶望は写っておらず、それどころか彼は狂ったような笑い声を上げた。
「余興だと思うたか? 愚かなベリアルよ! 我が施したのは決して解けぬ古の呪術ぞ! それは貴様の命を徐々に蝕むであろう! これより貴様は苦しみながらも確実に死に絶え、そして脆弱な生物へと転生する運命にある! 精々、己が弱さを悔いるがい――」
「五月蝿ぇ、老いぼれ」
ぐしゃり、とベリアルは男の頭を踏み潰した。飛び散った肉片に絹を裂くような悲鳴が上がったが、血も凍るようなベリアルの視線に皆、動きを止める。靴についた血を豪華な絨毯で拭うと、ベリアルは大した感慨も見せずあっさりとルーファウスに向き直った。
「ルー、ケルベロスに餌やっとけ」
心配そうなルーファウスをベリアルはにぃっと笑顔で、一蹴したのだ。
実力主義である魔界の掟により、ベリアルは本人が望む望まざるに関わらず半強制的に王座に据えられることになった。それでなくても父王を遥かに凌ぐ強い魔力による支配と統率力は臣下たちには歓迎されたのである。そんな兄・ベリアルの助けに少しでもなれば良いとルーファウスは当たり前のように彼の補佐を自ら立候補していた。
ベリアルの態度は相変わらずで、あの男が最期に紡いだ呪いの言葉はいつしか忘れ去られようとしていた。しかし、王であった男の命と引き換えにした妄執とも呼べる呪術はベリアルの身体を確実に蝕んでいったのである。苦しみながら、という王の言葉通りにそれはかなりの痛みを伴うものだったのだろう。しかし普段とまったく変わらないベリアルにルーファウスはまったく気付く事ができなかったのだ。
視察から帰ってきたルーファウスが、玉座に座っていたベリアルに報告していた時だった。いつもどおりに詰まらなさそうな表情をしながら窓の外を見つめていたベリアルは、ルーファウスの言葉をふと遮った。
「ルーファウス」
静かな声で、ベリアルは初めてルーファウスの名前を呼んだ。
「――俺がてめぇの辛気臭ぇ顔が嫌いってのは知ってるな」
「は、い。存じております、が?」
困惑しながらルーファウスが兄の真意をはかりかねていると、泣くんじゃねぇぞ、と一言呟いて兄は眼を閉じた。それは眠りにつくような静かな死だった。だからルーファウスは最初、兄は寝ているものだと信じて疑わなかった。しかしそれが永遠のものだという証に、黒い呪いに侵食されたベリアルの体はどす黒く爛れ、腐り落ちていた。兄の亡骸を必死で掻き抱きながらルーファウスは慟哭する。あまりにもその喪失は大きく、彼の心臓をずたずたに切り刻んだ。その気が狂いそうな悲しみの中、ルーファウスは決めたのだ。必ず兄を見つけ出してみせると。
「まさか、それが私とかいうオチじゃ」
「ええっっっあにうえっ! さすがの慧眼!」
ガッデム!!!!
千夜理はがくりと崩れ落ち頭を抱えた。きらきらとしたルーファウスの瞳は怖いほどに澄んでいる。狂人の目ってこんなんだろうかと千夜理はつい思ってしまった。
男の話にはリアリティが無さすぎる。男が魔族で自分がその兄の生まれ変わり? 物語としては突飛過ぎるし、口に出せば出すほど馬鹿らしい。自分は生粋の日本人であり、十数年間生きてきた正真正銘のホモサピエンスだ。
しかし、先ほどのファミレスでの出来事は千夜理の理性をぐらぐらと危うくさせる。このルーファウスという男は確かに胡散臭い催眠術みたいなものを使った。目がピカピカと光っていたのが単なる見間違いだとしても、この男の雰囲気は人間離れしている。千夜理はルーファウスを用心深く見返した。
「何で私があなたの兄だと思ったわけ。私が生まれ変わりだっていう証拠でもあるの」
ルーファウスはひとつ頷いて、はっきりと断言する。
「匂いです」
「匂い?」
「はい。それぞれが持つ魔力の性質と表現すれば良いでしょうか――それは肉親だったり、または長い間傍にいたりすると不思議と似てくるのですが。私はそれを今、"匂い"のようなものだと呼びましたが、兄上からは酷く微かですが以前の兄上の"匂い"がするんです」
にっこにこと満面の笑顔で、千夜理を自分の兄だと信じて疑わないルーファウス。千夜理は理論的に諭すのを放棄した。
「オォケィ。わかった。もしも仮に、万が一、私があなたの"兄上"だとして。で、あなたは一体どうしたいの?」
ドスを聞かせた声で千夜里は問うた。ルーファウスはよくぞ聞いてくれましたとばかりにすらすらと言葉を紡ぐ。
「魔界に戻ってきていただいて、再び王として君臨。磐石の地位を築いて――」
「却下ぁぁぁぁぁあぁ!」
凄い勢いで立ち上がった千夜理に何を勘違いしたのか、ルーファウスは穏やかになだめようとした。
「兄上ったら! 心配されなくても、以前のように私が補佐しますからっ! めんどくさいことはお任せください!」
「そういう心配はしてねぇ!」
ぱちくりと目を瞬かせると、ルーファウスはさっと純真無垢な瞳を曇らせた。
「では……どうすればいいのですか?」
「あのねぇ、そんな魔力の"匂い"なんてものが確実な証拠になるわけないでしょうよ。私は"脆弱"な人間ですから? もしも魔界なんてものがあるとしても、そんな化け物がわんさかいるような所、行きたいとも思いません」
「――"脆弱"で無くなる事は可能ですし、それを証明できる方法もあります」
「どういうことよ」
ルーファウスは困惑している千夜理に取り出した何かを見せた。ルビーに似た燃えるように紅い宝石はまるで火に突っ込んだみたいに熱を放っている。
「……なにこれ」
「これは核です。魔力の源であり、魔族はこれを右胸に持っています――これは死んだ兄上の核でした」
千夜理ははっと息を呑んだ。ルーファウスは少し寂しそうな顔をした。
「兄上が呼吸を止めたあの時、私が直ぐに取り出し、肉体と一緒に消滅する前に封印を施したのです。この世界には今、月が近づいているでしょう? 往々にして満月は魔力を高める働きを持っています。その月が頭上に輝いたとき、掛けられた封印を解くことで記憶は甦り、その核を再び身体に取り込めば兄上は以前と同じ強大な魔力をその身に宿すことが出来るのです」
すべて元通りに、とルーファウスは夢見心地で言い切った。そういえば確かに今朝読んだ新聞には『月の異常接近!』という記事が載っていたような。千夜理は自分が狼人間になったような気がした。途方も無い話に頭がくらくらしているし、脱力感で口をきくのも億劫だ。千夜理の反応を心待ちにしているルーファウスをねめつけると千夜理は投げやりな言葉をぶつける。
「あ、そう」
「解っていただけたのですか! 兄上!」
「あんたの言い分は解った」
千夜理のしらけた態度なんてどこ吹く風でぴょんぴょんと乙女のように飛び跳ねるルーファウス。そんな男に慣れつつあった千夜理は鋭い声で命令する。もはや我慢の限界だった。
「目をつぶって」
「兄上?」
「いいから。早く」
「はいっ!!!! 仰せのままに!!!!」
ルーファウスはぎゅっと堅く目を瞑る。兄から命令を賜ることはルーファウスの栄誉であり喜びそのものだった。兄には絶対服従を誓っていたが、そんな兄が自分に何かを望む事はまったくといって良いほど無かった。
兄上はじっくりと私の話を吟味してくださっているのだろうか、それとも「よく俺を見つけたな」と皮肉げな笑顔を見せてくださるのだろうか……あぁ、そういえばまだ記憶は戻っていなかったのだ。いや! その存在が奇跡である兄上のこと! もしかしたら私の必死の懇願をうけて自力で記憶を取り戻されたのかもしれない! 生前も「てめぇの鬱陶しさは魔界一だな。死ね」と鉄拳付で褒めて下さっていたし!
自分を喜ばせるどんな行動を起こしてくれるのだろうと、ルーファウスはそっと目を開く。彼の命令を破ってしまうことになるが、肋骨を何本か粉砕骨折させられるかぐらいで兄上は寛容に許してくださることは経験済みだ。
しかし、ルーファウスの期待を裏切りそこには彼の敬愛する兄の姿は無く、微かに揺れるブランコが寂しげな音を立てているだけだった。
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