八話 / 兄を射んと欲すれば


 ルーファウスが転校――つまり変態というレッテルを貼られてから一週間。
 彼はその名に恥じない変態振りを発揮しているというのがクラスメイトの見解だった。
 良くも悪くも話題の転校生の噂を聞きつけて、老若男女関わらずぞくぞくと野次馬がやってきたが、一人でいる時の凍てつくような美貌にうっとりと見惚れ、話しかければ雰囲気に違わぬ冷たい視線と言葉を頂戴してしまう。それでも美形というものは得なもので、愛想が無くても卑怯なまでの美しさが本人望むに関わらずアフターケアしてくれるのである。
「つれないところがクールで素敵! ぜんぜん変態じゃないじゃない!」
 というのが話しかけた女生徒の評価だが、それは所詮"一人でいるとき"のルーファウスの姿であって。

 一に兄上。二に兄上。三、四も兄上……って愚問だ!
 私の存在意義、そして同時に血と肉は兄上で出来ているのですからっ!

 そんな現代医学を全否定する痛い発言を口にするルーファウスは兄上――もとい金城千夜理を前にしたとき恐るべき変態へと生まれ変わる。唯一の取柄であった氷の美貌は跡形も無く消え去り、そこに浮かぶのは犯罪者めいた恍惚さ。それともほんのりと上気する頬は恋する乙女だろうか。そして学校にいる間中、用が無くても千夜理に引っ付いてまわろうとするから、結果的にルーファウスがその美貌を保ってられるのは日に十分あるかないかというぐらいだった。
 流石に一週間もそんな状態が続けば、千夜理も次第にストレスがたまる。
 そしてルーファウスに対する扱いが更にぞんざいになってくるのは当然の結果だった。
 罵っても、殴っても喜ぶルーファウスに千夜理がとったのは最終的な方法は"無視"。これはおおむね狙い通りの効果を発揮した。
 話しかけられても聞こえない振り。眼もあわせない。
 初めは必死に千夜理の気を引こうとしていたルーファウスも、何十分かするとすごすごと肩を落として席を立つ。こちらをちらちらと未練がましく振り返るルーファウスに気付きながらも、千夜理は美弥と話に熱中している振りをしていた。



「――やっと行った」
 くたびれたため息を吐きながら言った千夜理に、美弥は少しだけ困ったような顔をする。
 確かにルーファウスの千夜理に対する執着は美弥の目から見ても異常だったし千夜理がうんざりしてしまうのも解るが、この場を去る時のルーファウスの悲しそうな眼が気にかかった。最近の彼はまるで日の経ったレタスみたいに元気がない。
 美弥は少し遠慮がちに口を開いた。
「あのね、ちーちゃん。ルーファウス君のこと、このままでいいのかな」
 ぴくりと千夜理の眉が動き、言われたくないことを言われた子供のように視線が泳ぐ。美弥と合わせられない視線は、リノリウムの床に張り付いている。それはいつもの千夜理らしからぬ態度だ。
「――だってあいつ、兄上、兄上、兄上ってずーっと後ろくっついてきて、いい加減にして欲しい! って気分になるのしょうがないじゃん」
 千夜理は唇を尖らせて言い訳するように呟く。それは自分自身にも言い聞かせているように美弥には映った。
「うん。それは解ってるけど、でも無視するのは可哀想だよ」
 ルーファウスの味方をするのか、と千夜理は拗ねた子供のような表情でぽつりと言う。
「……美弥のそういうところ、私、あんまり好きじゃない」
 その言葉は美弥の心をちくりと刺した。誰に対しても正直な千夜理だから、言われるだろうと予想はしていたけれど。
「うん。私も自分がいい子ぶってることはわかってるけど」
 美弥は笑顔を作る。少しだけ無理をした。
「好きな人に無視されるのは辛いよ。本当に辛いと思うんだ」
 はっと千夜理は顔を上げ、表情は罪悪感に曇る。
「――ごめん美弥。私、すごい酷いこと言った」
 美弥は首を横に振り、その通りだからと気にしないでと笑う。今度は自然に笑うことが出来た。
「ちーちゃんも解ってると思うけど。今のちーちゃん、らしくないよ」
 千夜理は強くて心がまっすぐだから嫌いなものは嫌いだというし、自分が間違っていると感じたときには潔く謝ることもできる。美弥はそんな千夜理が好きなのだ。千夜理も自分を純粋に慕う相手を無視し続けられるほど無神経ではないから、この状態は千夜理にとっても辛いんじゃないかと美弥は思っていた。
 千夜理は少し憮然としながらも、肩の荷が下りたように言う。
「少なくとも無視するのは、やめる」
「うん」
「でも、ウザイ事には変わりはないから」
「ちーちゃんにかまってもらえるだけで、ルーファウス君、嬉しそうだけどね」
 本気で嫌そうな顔をした千夜理に美弥が声をあげて笑うと、千夜理はほっと息を付いた。
「美弥、ごめんね! 好きじゃないなんて嘘だから! あの変態に負けたかと思って拗ねただけだから!」
「ううん! 私はちーちゃんの正直な所が好きなんだからね。気にしてないっ!」
 おどけた口調で言えば、感極まった千夜理にがばっと音がするかと思うぐらい派手に抱き寄せられた。
 直情的な千夜理のスキンシップに美弥は一瞬目を白黒させ、少しばかりどぎまぎする。さらさらとした千夜理の茶色の髪の毛からは柔らかい石鹸の香りがした。ひしっと抱き合った二人に、クラスメイトの男子がため息を付く。
「おい、お前らレズってんなよなぁ」
「うっさい。友情の抱擁なの! 見たら減るからどっかいってくれる!?」
 舌を出しながら男子を追い払った千夜理に、たまらず美弥も噴出す――やっぱりちーちゃんはこうでなきゃ。
 その奇妙に甘ったるい雰囲気を醸し出す二人をじっと見つめる嫉妬交じりの視線――それに美弥はついぞ気がつくことがなかった。



 放課後になると千夜理と秀は連れ立って(というより千夜理が秀をひきずって)保健委員会へといってしまった。秀は世話するよりされる側なのだが、どっちにしろ保健室にいる時間が長いという理由で本人が不在のホームルーム時に満場一致で決定し、そしてその相手を押し付けられたのは秀のお目付け役である千夜理。それは必然的な流れだった。
 今日は委員会も部活もなかったから美弥は鞄の中に教科書を詰め込むと下駄箱に向かう。そして靴箱から靴を取り出し、ふいと向けた視線が見覚えのある人物をとらえた。銀色の髪の毛とアルビノだと噂されているルビーの様な眼を兼ね備えているひとなんてこの学校に一人しか存在しない。

「ルーファウス君!」

 自分がルーファウスに好かれていないことは知っていた。
 それどころか、彼には千夜理以外のクラスメイト、教師を含め学校に存在しているすべての人を見下しているような所がある。それを本人も隠そうとはしなかったし、そんな傲慢さが許されてしまうような不思議な雰囲気が彼にはあった。時代掛かった口調といい、振る舞いといい、まるで最初からそれが当たり前で育った貴族のような……そこまで考えてちょっと飛躍しすぎたと美弥は頭からその想像を追い払う。
 千夜理がいない時に見せる硬質な雰囲気は薄れ、靴箱の傍に佇むルーファウスはどこか頼りない迷子のような表情をしていた。だから無視をされるの覚悟で美弥は声をかけてしまったのだ。

「ちーちゃんを待ってるの? 委員会、今始まったばっかりだからまだけっこう時間がかかると思うよ?」
 駆け寄ってくる美弥の顔をじっと見つめ、長い間逡巡していたルーファウスは意を決したように口を開いた。

「いや、私はおまえに話がある……ついてくるがいい」

 その唐突な言葉に美弥は戸惑いながらも頷き、重たい沈黙を背負って歩き出した背中を追いかけることになったのだ。



表紙 次項