九話 / 恋の相談Mチャンネル


 ルーファウスにとって兄、つまり千夜理以外の生きとし生けるものは基本的にそこらへんの塵芥と同じである。
 しかし、チロルとか言う犬、この世界での兄上を生まれせしめた母上、養っておられる父上、そして先程、ルーファウスに見せ付けるかの如く熱い抱擁を交し合っていた目の前の大崎美弥という名の女。それらには自動的にステッカーがペタリと貼られていて、その上にはこう書いてある――"この世界で兄上が大事にしているらしいもの"。
 ちなみに成田秀とかいうひょろい人間はその存在を消してしまいたいほど疎ましいが、二の足を踏んでいるのは、手出ししたら烈火のごとく怒られることを本能的に悟っているからだ。自分が一番、千夜理に迷惑に思われているという可能性は、むろん抹殺されている。
 そうして、いつしかルーファウスが千夜理と語らった公園で、ぎこちない雰囲気を漂わせた二人はベンチに座っていた。
 俯いたままで沈黙を守るルーファウスに美弥はどうしていいか分からずに戸惑っているようだった。それもその筈で、ここに来たときからすでに三十分は経過していてもルーファウスは口を開くどころか微動だにしなかったからだ。
 まるでよく出来た彫刻のように座っているルーファウスに美弥は遠慮がちに口火を切る。
「あの、話ってなに? ちーちゃんのこと?」
 ルーファウスは電流に打たれたかのように勢いよく顔を上げた。何故解ったのかと、驚いたような表情でルーファウスが美弥を凝視すれば、恥ずかしそうに美弥は頬を赤らめる。
「だって、私とルーファウス君の共通点ってそれ以外ないじゃない」
「思ったより……愚鈍ではないのだな」
 ぼそりとルーファウスはつぶやいたが、それはしっかりと美弥の耳に届いていたようだ。
「あ、ひっどーい。ちーちゃんに言い付けちゃおうかな。ルーファウス君に苛められましたって」
「っっ!」
 ばっと弾かれたように見れば、冗談だよと美弥は小さく笑う。腹は立ったが、我慢できぬほどではない。それよりもルーファウスはこの女から聞きださねばならない事があった。その為にはどんなに虚仮にされようが耐えなければならない。ルーファウスは爪が掌に食い込むぐらい強く拳を握り締め、意を決して問うた。

「――お前は兄上の愛人なのか?」

 その質問を受けた美弥はことん、と頭を傾けながら二、三度、瞬きを繰り返す。
 要するに吃驚しすぎて言葉が出てこなかったのだが、その反応に焦れたルーファウスは激昂した。
「とぼけるなっ! 私の質問に答えろっっ!」
「あの、えーと、ルーファウス君、私とちーちゃんの仲をなにか誤解してるみたいだけど……」
 唐突に訪れてしまった修羅場に美弥は心の底から当惑しているようだった。
 どうやったらこの思い込みの激しい青年の誤解を解けるのかを美弥は考えていたのだが、そのはっきりしない態度に更に疑惑を深めたルーファウスは、とんでもない方向にその類希なるイマジネーション(被害妄想ともいう)をかきたてる。
「まさかっ、貴様ぁ! 兄上との関係は唯の戯れだというのかっ! 兄上の純真としか言い表しようがない御心を弄んだ大罪! 決して楽に死ねるとは思わぬことだッッッ!」
 襟首をつかまれてがくんがくんとゆすられ意識が遠のきそうになりながらも、美弥はなんだか口ぶりが桜吹雪の将軍様みたいだなぁ、という感想を漏らしていた――案外、大物なのかもしれない。



「つまり、お前と兄上の関係は唯の友人に過ぎない、と」
 二人の馴れ初めから、異端審問官のような詰問を経て、漸くルーファウスの疑惑は晴れた。美弥は目に見えてほっとしていたが、目の前の女が兄の愛人ではなかったことに安堵していたのはルーファウスのほうだ。
 その答えいかんによってルーファウスは、美弥を始末するつもりだった。
 千夜理に好意を向け、それに同等の気持ちを返されている美弥に嫉妬していないと言えば、それは真っ赤な嘘になる。しかしそれ以上にルーファウスは、兄の変わり様に心底動揺していたのだ。兄はどんな女と身体を重ねようと情を交わすことが無く、ついぞ執着という言葉を知らぬ人だった。だから記憶を取り戻せば、現世の記憶を留めたままだとしても、あっさりとこの世界のものを捨てて、自分と共に来てくれるだろうとルーファウスは信じて疑わなかった。しかし、今の千夜理の姿を見て、一緒に生活しているうちにルーファウスは時々、急に叫びだしたくなるほどの恐怖に駆られる。
 もしも兄が共に来るのを拒んだら? こちらの世界を選んでしまったら? ――捨てられてしまうのは己のほうなのではないか。
 その想像はルーファウスを絶望へと突き落とす。
 しかし、愛人でないというのなら事を急く必要はないかもしれないと、ルーファウスはとりあえず思い込むことにした。出来得ることならルーファウスも兄が悲しむ顔をみたくはないし、兄の記憶を操作することだけは避けたかったのだ。
「あはは。ルーファウス君って、ほんっとうにちーちゃんのこと好きなんだね」
 そんな仄暗いことをルーファウスが考えているとは気づきもせず、美弥は明るい笑い声をあげる。
「愚問だ。兄上ほど尊きお方はいらっしゃらない。あの方は――私のすべてだ」
 この女、これほどまで自明の理に何を言うのか、という態度を隠しもしないルーファウスに、美弥は目を丸くした。それは客観的にみれば普通の高校生(美弥から見れば)が口にする言葉ではないし、その目は疑いを挟む隙がないほど真剣だ。千夜理なら即、ドン引きしているところだったが、美弥は持ち前の包容力でそれを好意的に理解した。
「凄いなぁ。私もちーちゃんのこと好きだけど、ルーファウス君には全然かなわなさそう」
「それこそ愚問だな――それでも兄上の魅力を理解いる点では評価してやろう」
 素直に負けを宣言した美弥にルーファウスの中の好感度がぐぐんとアップする。
 なんだこの女、下等生物にしては、存外に話わかってるじゃん? ってな感じに。すこぶる感じが悪い上に単純である。
 ルーファウスの機嫌の上げ下げが解りやすすぎて美弥は思わず笑ってしまったようだった。こみ上げてくる笑いを引っ込めようと努力しながら、美弥はルーファウスを見上げる。
「それで、ちーちゃんが冷たいから、ルーファウス君はどうしたらいいのか悩んでるのね?」
 ルーファウスはまたもや驚かされる。もしかしてこの人間は人の心を読む能力を持っているのだろうかとルーファウスが疑惑の目を向ければ、美弥はいよいよ耐え切れずといった風に笑い出した。
「ルーファウス君を見てれば解るよ。私で良ければ話、聞こうか?」
「なにをっ! お前に話す、事なぞ……なにも、あるはずが、ない」
 自尊心からルーファウスは精一杯虚勢をはったが、言葉は次第に勢いを失う。そして美弥の穏やかな眼差しに気づいたルーファウスは一瞬顔を強張らせた。しかし、諦めたようにその緊張を解き、そっと口を開けば、頑なだった心はゆるゆると解け、心の底に沈殿していた想いが零れ出す。

「兄上に――こちらを見て欲しい」
「うん」
「少しでいいから兄上の役に立ちたいのだ……そしてルーと呼んでもらいたい。私に微笑んで欲しい。抱きしめて」
「ちょちょちょ、ちょーっとストップ!」

 ふんふんと頷き、感情移入しながら聞いていた美弥はぎょっとしてルーファウスの言葉を遮った。自分がとんでもなく恥ずかしい事を言っているという自覚はルーファウスにはまったくない。つい赤くなってしまった顔を掌で仰ぎながら、美弥は怪訝そうにしているルーファウスに向き直った。
「つ、つまり、ルーファウス君はちーちゃんと仲良くしたいってことだよね?」
「――そうだが」
 その安易すぎる言葉にルーファウスは憮然としたが、しぶしぶそれを認めた。
「じゃあ、ちーちゃんの喜ぶ事をやってみたらどうかな」
「喜ぶ事?」
 反芻したルーファウスに、美弥は力強く頷く。
「例えば、黒板を消すときに高いところが届かなかったら手伝ってあげるとか、重いものを持ってあげるとか、そういうさりげない事に女の子はきゅんとするものなのです!」
 ぴんと人差し指を立てながら美弥ははっきりと断言した。まだ合点がいかないように呆気に取られているルーファウスに美弥はふふふと柔らかく喉を振るわせる。
「丁度いいことに、明日、ちーちゃんは日直! これは絶好のチャンスだよ! ルーファウス君!」
「ちゃんす?」
「そう! ちーちゃんに褒められたいでしょ?」
 美弥の勢いに圧倒され、ルーファウスは身体を仰け反らせたが、美弥の助言をゆっくりと頭の中で繰り返した。兄上に、褒められる……?

『ルー、よくやったな。お前は俺の誇りだ。愛している』

 生肉さえ切り裂く鋭い犬歯をきらりと輝かせ、灼熱の瞳でルーファウスを見つめながら、地獄から響くような低い声で甘く囁く兄上。バックには当然のようにキャシャーと奇怪な声で鳴く魔界の食人植物を背負っている――嗚呼、流石は兄上……このよのものとはおもえないくらい、じゃあくでおうつくしや。

 想像しただけでも興奮のあまり、危うく体中の血管が破裂しそうなった。魔界でも人間界でも兄とのコミュニケーションの基本がバイオレンスなルーファウスにそれはいささか刺激が強すぎる。美弥は癲癇をおこしたかのごとく地に伏せ、不気味な笑い声を上げ始めたルーファウスにうろたえた。
「ルーファウス君、だ、大丈夫?」
「……美弥、殿」
「はっ、はい!」
 ルーファウスは俯きながら低い声で美弥の名前を呼ぶ。それも何故か敬称つきで。
 くっと顔を上げ、ルーファウスは立ち上がり、天を仰ぎながら、音が出るほど強く、拳を握り締めた。
「私はやってみせる! 兄上に……褒め、褒め、ほめほめほめ」
「褒め、られる?」
 興奮のあまりどもりまくっているルーファウスに美弥はさりげなく助け舟を出す。

「そうだっ! 褒め、られるためにっ! 明日は"ニッチョク"の兄上を全力でお助けする事をここに誓う! 私の命にかえてもっ! 兄上を手伝ってみせるっっっ!」

 沈み行く太陽に向かって吠えるルーファウスをぼんやりと見つめながら美弥は「ルーファウス君って意外と熱いんだなぁ」とか「あんまり気負いすぎないほうがいいよ」とか「ニッチョクって何か知ってるのかな?」とか思っていたが、まずはとりあえず。
 鼻血たれてるよ、と注意しなければならなさそうだ。



表紙 次項