二話 / セールスマンは笑わない


 冷たく氷結された表情からは、イキモノにとって不可欠な心臓の脈動――つまり鼓動が微塵にも感じられない。
 その無表情は、まるでこの世には面白い事なんて一つも無い、とでも言いたげだ。その例えも、私は彼が笑っているところなんてみたこともないから、あながち間違いではないと思う。
 微笑を浮かべる峰藤浩輝(みねふじこうき)……笑うセールスマンに匹敵するぐらい不吉だ。人差し指を突き出して、どーん! とか言い出したらそれはそれでシュールだけれども。下手をすると高校の七不思議とかに普通に仲間入りしていそうだ。生徒会室の笑う峰藤、とか。
 血色の悪く薄い唇は、一度開かれれば見えない凶器が勢いよく飛び出して、ぐさぐさと人のコンプレックスとかプライドとかを軽く粉砕する。開放厳禁。開けゴマーなんて冗談でも唱えるもんじゃない。
 癖なのか銀の眼鏡フレームを中指で軽く上げて、その鋭い三白眼で睨みつけながら、彼は部屋を見回した。

「他に意見が在るかた、どうぞ」
 あるもんならぬかしてみろ愚民どもめが、とでも言葉の裏に潜んでいそうな威圧感を伴って彼は言った。
 なんで敬語を使うのだろう? なんでわくわくさん? とはあえて誰も突っ込まない。いや、突っ込めないといった方が正しいか。そんな猛者はこの高校にはいなかった。威圧的な雰囲気をまとい、黒板に背を向けて皆を見下ろす様はまさに支配者。彼が副会長を務める我が南高校は、実質上彼の独裁政権に置かれている、と言っても過言でない。
 しかし、なぜに副会長が? と疑問がでるのは当然の事。
 ちらり、と視線を少しだけ動かしてみると、その原因である人物と視線があった――正しく述べれば、その人物の目蓋に書かれたマジックの目と。



 全クラス委員があつまった会議を本来ならまとめる立場でありながら、桂木拓巳(かつらぎたくみ)はさっきから堂々と舟を漕いでいた。間抜けな第三の目は、一応は会議で寝ることを不味いと思っているからなのか……それともただのノリなのか。たぶん、ぜったいに後者だ。
 そして彼に代わって会議を取り仕切る峰藤を筆頭に、誰もが当然のように放置プレイ。
 ようするに慣れたのだ。私も含め。
 色素の薄い髪が、頭の揺れにつられてふわふわと浮き沈みする。それはブリーチ剤で出されたのではない金に近い茶色だ。桂木のフルネームは、桂木・ヨハネス・拓巳。風の噂で聞いた話によると、ドイツ人を母に持つハーフで、しなやかな肢体にまるで人形のように作り物めいた顔が乗っかっている。もしも普段、好奇心でキラキラと輝くその瞳がなければ、それは幾らか酷薄な印象さえ与えていただろう。スポーツはオールマイティになんなりと。おつむは人並みどころか、その名前は全国模試の上位でもお馴染みだ。その容姿と嫌味なほどの才能からいって、もてないはずが無かった。
 が、そこに大きな落とし穴があるのは世の常なのである。

 私の飛ばしていた思考を戻したのは、誰かの携帯の着信メロディー。しかも選曲が「うる☆やつら」だ。
 あんまりそわそわしないで〜♪ のメロディに、峰藤を除いたすべての人間がそわそわし、即座に峰藤の反応を伺う。この状況は言葉のジャックナイフを受けることがほぼ確定していた。この前、峰藤にたてついた委員の子が完膚無きほどに叩きのめされて、退場させられていたのは記憶に新しい。戦々恐々としているクラス委員の予想に反して、峰藤は深い溜息を吐くと――それにも皆が体を震わせる――低い声で「桂木」と名前を呼んだ。
 マジックの目が書かれた目蓋がピクリ、と動いてそこから緑がかった目が覗く。
 私がマスカラを塗ったとしても完敗するであろう、見事な長さの睫毛を数回瞬かせて桂木は、良く寝た、と体を伸ばした。
 言い逃れをする気というか、それ以前の問題だ。
 会議を昼寝かなんかと間違えてるのではないか、と思うような台詞をあっさりと吐いて、桂木はブレザーのポケットに手を突っ込んで、携帯の切るボタンを押した。どうやら、あれは彼のアラームだったらしい。

「よし、妖怪人間の再放送の時間だから、会議は終了だ!」

 今の今まで寝ていた男はあっさりそう言って、底抜けに明るい笑顔一つを残すと、さっそうと鞄を肩にかけて帰っていった。解散します、お疲れ様、という峰藤の言葉で、ようやく呆気に取られていた皆も席を立つ。
 この前は、確か……ドクタースランプだったっけ。
 と前回も似たような理由で会議が切り上げられたのを思い出して、私はその相変わらずな自己中ぶりに、呆れを通り越してある種の尊敬まで抱いていた。

 そう彼、桂木拓巳は、とんでもない自己中男だったのである。
 人の話を聞かない。やりたい事しかやらない。まさにゴーイングマイウェイ。キングオブザ自己中というとんでもない認識をされてている生徒会長なんて他にいないだろう。無論いたら困る。彼の辞書からは「思いやり」という文字は抹消されているに違いない。
 アニメ、漫画をこよなく愛し、カラオケなんぞ一緒に行こうものなら、アニメソングを強制的に聞かせ続け――そして一緒に歌う事を強要する。それは恐怖のジャイアンリサイタルと恐れられていた。その反則な顔の良さが無ければオの付く人種認定確実なのである。そしてきわめつけは生徒会長になった理由が――寒かったから。



 あれは忘れもしない、私が一年生の冬のことだ。次期生徒会役員の選挙を間近に控え、その日は立候補者の演説が体育館で行われた。
 南第一高等学校、通称南高(ナンコウ)は創立百五十年を誇る伝統のある公立高校で、創立から何度か増築、改築はあったものの、原型は昔のままという良く言って趣のある、ぶっちゃけるとボロい学校だった。建物が大きいぶん状態維持に費用がかかり、暖房冷房施設にまで手が回らなかった結果、夏は冷房なし、冬はいまだに石油ストーブという、人には厳しく地球には優しい環境に耐える事を生徒は強いられていた。
 そんな寒い中に集められた在校生の前で、他の候補者はブレザーをきちっと着こなしているにもかかわらず、一人だけコートにマフラー、手袋と完全防備。しまいには白のふわふわの耳あてまで身に着けて、桂木は演説台の上に立った。寒さの所為か白い肌を上気させた彼は鑑賞に堪えうるもので、女生徒だけとはいわず男子生徒までもが彼に見惚れる。
 桂木は大きく息を吸うと、マイクを必要としない音量の声で、文字通り《叫んだ》

「寒いから、俺の公約は《全教室にエアコンの導入》だ!」

 カラフルな手袋を振りながら桂木選手さっさと退場。
 呆気に取られていた在校生は、思い出すようにパラパラと拍手を始める。そんな突飛な選挙演説をした桂木が見事に会長になったわけ。それは彼の類まれる人を圧倒する能力にも原因はあったが、なによりも桂木の我侭は全校生徒のニーズと、ぴたり一致していたのである。

 圧倒的な票を集め、晴れて生徒会長になった桂木は一転した行動力を見せた。
 まずはPTAに今の学校設備の問題性を説き、環境の充実が学力の向上にも関係するなどと、彼の口から出たとは思えないほどのもっともらしい事を堂々と演説した。そしてそこから話は市の教育委員会に飛び、市でエアコンを導入してないのは事実うちの高校だけだったので、市の援助とPTAからの寄付で話はとんとん拍子に進んだ。そして桂木が会長に就任してから1年も経たず、公約は果たされる事となったのだ。
 その驚くようなリーダーシップを見せた桂木に、当初は不安を抱いていた誰もが淡い期待を抱いた。この様子なら、しっかり学校をまとめていってくれるだろうと。
 が、それを甘いと思い知らされるのは、すぐだった。
「エアコン入ったし。もういい」
 という政治家もびっくりな辞任発言。生徒も度肝を抜かれたがそれよりも焦ったのは教師陣である。その目覚しい働きぶりに「桂木も成長したなぁ」などと流した感激の涙も乾く間もなく、急にやめるなどと言い出されては校の規律もなにもあったものではない。
 叱り飛ばしても宥めすかしても桂木には「馬の耳に念仏」「糠に釘」「暖簾に腕押し」と日々身につまされていた教師陣は考えた。なんとか形だけでも最後まで桂木を生徒会長としてとどめておく方法はあるまいか、と。

 そこで白羽の矢がたったのが、峰藤浩輝だった。
 その冷たい表情と、それ以上にクールな物腰の彼は南高きっての秀才で、唯一桂木と成績を拮抗している人物である。そのストイックさは「自分に厳しく、ついでに他人にも厳しく」と洒落にならないモットーが似合うぐらいだが、奇妙な事に桂木と峰藤は友人であり、しかもそれが一番の友人だというのだからまさに世の不思議。桂木の手綱をとれるのはその人以外はいない、という必然的な人選だった。
 教師に泣きつかれた時、峰藤は深い溜息を付いたものの「お受けします」とあっさりと了承したという。もしかしたら、桂木が会長に当選した時点で、こうなる事を薄々予測していたのかもしれない。
 先に決まっていた副会長はこれ幸いと峰藤に座を譲った。会長一人にさえも胃を痛めていたのに、あの峰藤と"仲良く"協力するなんてことを想像すると、それだけで胃潰瘍になりそうだったから。



 そんないきさつで今現在の、天上天下唯我独尊男・桂木拓巳と、冷血陰険眼鏡男・峰藤浩輝の濃すぎる生徒会が誕生してしまったわけだ。
 そしてただの押し付け合いで決まってしまったクラス委員長であった自分が、まさかその人たちと係わり合いをもつなんて……知る由もなかったわけなのである。



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