三話 / 灰かぶりは毒を吐く


 アッサムティーを入れる手が思わず小刻みに震えてしまう。
 それは確実に耐え切れない緊張感からだ。そして、ポットを置く時にも相手の刺すような冷ややかな視線に、私は激しく動揺する。

「遅いです」

 ばっさりと切り捨てるような硬質なテノールに、私の喉はひっと鳴った。それさえもが耳障りだと、相手は眉を顰める。すみません、と頭を下げても聞こえなかったふりで無視されて、私は鉛玉を飲み込んだような気分になった。
 ここで働くようになってからわずか一週間で、何回この人に対して謝ったっけ?
 もはや考えるのも数えるのも途方が無さ過ぎて、私はそれを放棄する。

「結城さんは何故、これほどまで使えない人を雇ったんでしょうか」
 ため息混じりにそう言われてしまい、それには流石にむっとして。
 あんたにそこまで言われる筋合いあるのか、とか。
 それはこっちの台詞ですけど、とか。
 次々と浮かぶ反論は、その威圧的な眼差しにさっと潮が引くように消えていく。お馴染みになっている感情の流れというやつだ。
 それに、同じ立場のバイトとして雇われている彼の手際はパーフェクト、文句なし、従業員の鏡! と言ってしまうのには、破滅的な愛想のなさを差し引かなければなれないけれど。
 彼――峰藤浩輝は、私の反抗的な気持ちを目敏く嗅ぎ取ったのか、鋭い一瞥をくれた。
「嫌なら自発的にやめて頂いても宜しいんですが。こちらも有能な方に働いてもらえるほうが作業が遥かにやりやすくなりますし、ありがたい」
「……やめません」
「そうですか」
 ぐさぐさと容赦なく突き刺さる皮肉に、唇を噛みながら言った呟きは、大した感銘も受けた様子もない峰藤の声に切り捨てられる……ああ、胃潰瘍になりそう。
 そのとき、剣呑な空気を破るように、けたけたと下品な笑い声が聞こえてきて、その発信源に峰藤は視線を送った。
「――桂木、営業妨害も程々に」
 有り余るほど長い足をテーブルの上に乗っけて、桂木はその薄いグリーンの目を面白そうに輝かす。その手の中にあるのがドラえもんのコミックだとしても、そのけだるそうなポーズは絵画のように麗しい。
「まだ飽きないのか? 藤のシンデレラ継母ごっこ」
 自分の言葉が面白かったのか、また壊れた笑い袋のように桂木は笑う。それはただ単純に事態を面白がっているのが透けて見えたので、私は憮然とした。私の恨みがましい目に気づいたのか、桂木はこちらに向かっておいでおいでと手招きをする。訝しげに思いながらも私が近づくと、桂木はふわりと天使のような無邪気な顔で笑い、ガムを差し出した。どうやら一枚くれるつもりらしい。
 その美麗な顔に少しばかり見とれた自分を悔しく思いながら、簡単に礼を言って、私はガムを一枚抜き取った。
 バチン、と鈍い音がして指を挟まれたような痛みに私は思わず声を上げる。それにますます高らかに笑う桂木。その得意そうな笑顔がさらに癇に障った。ガムに見せかけて抜き取るとクリップが指を挟むというくだらない玩具だ。
 あんたはどこの子供ですか! この性格破綻人間! と心の中では激しく突っ込みを入れながらも顔には笑顔を張り付かせる。
 なるべくこの二人には愛想は良くする様に努めていが、すでに眼鏡に関しては手遅れ気味だった。口を開けば役立たずだの、辞めたほうがいいだのいわれていれば心も荒むから、それが態度にでたりするのも仕方ないと思う。でも、それもこれもすべて、あの人のためだと思えば少しなら耐えられそうな気がする! ……たぶん。

「ただいま」

 その時、カランと軽やかな鐘が鳴り、じめっとした湿り気のある空気とともに帰ってきたのは結城さんだった。手にはコンビニにでも寄ってきたのだろうか、ビニール袋をさげている。
 その穏やかな微笑みを目にしたら、私のイライラは霧散して、自然に笑みが零れた。
「おか」「おかえりなさい」
「あ、二人ともご苦労様」
 少し前に出た私を押しのけるようにして峰藤が結城さんを出迎える。それは明らかに故意だったけれど、好きな人の笑顔がそこにあるというだけで、人は驚くほど寛大になれるらしい。私は好きな人のそばにいることが出来るこの状況の素晴らしさを噛み締めていた……まぁ、二匹のお邪魔虫を無視できれば、もっといいんだろうけど!



 こんな奇妙な事態になってしまったのを、単刀直入に説明すれば。
 桂木は結城さんの血縁だった。それも一等親。つまり、だいごろうぅう! ちゃぁああん! と呼び合う関係なわけだ。
 顔立ちはまったく似てないとは言い切れないが、率直に言えば母方に似ているのだろう、桂木のほうが整った顔をしている。しかし、あの破天荒な性格の桂木と、穏やかで優しい結城さんは繋げようにも繋がる筈がない。いや、繋げたくなかったっていうのが正解なんだけど。
 久しぶりに会った結城さんは相変わらず癒し系で、私の決死の覚悟とは裏腹に、すんなりと私を雇用してくれた。その喜びもつかの間のことで、結城さんとラブラブ夏休みライフを! という邪なプランを粉々に粉砕してくれたのは、言うまでも無くこの男たちである。
 あの雨の日に聞いたことだが、急な従業員の募集は、結城さんのお母さんが体調を崩したところが原因だった。既に夫に先立たれていた母の入院の付き添いに、結城さんは店に開けるが多くなることが予測でき、夏休みも重なったということで、息子の信頼の置ける友人である峰藤が店番をかってでてくれた。しかし、いくらしっかりとしてるとはいえ、夏の間中高校生一人に任せるのは大変だろうという理由から(それか愛想が無さ過ぎることを懸念してか、たぶん私の予想ではこっち!)、急遽、人を雇うことにしたのだ――その選択肢から息子が自動的に外されている理由が痛いほど解る。
 私は、バイト初日に顔を合わせた時の衝撃を忘れることはできないだろう。



 息子と、君と一緒に働くことになる子を紹介すると言われて、結城さんに引き合わされた人物を目にして、私は顎が本気で外れるかと思った。
 だってそれは我が校が誇る最凶生徒会コンビ、桂木拓巳と峰藤浩輝だったからだ。
 峰藤は無言で私の顔を一瞥したが、一応、顔に見覚えはあったらしい。だがしかし。その瞳に宿る冷たさは"友好的"とは北極南極の関係だ。
 桂木に置いては、誰だおまえは、と初対面の私を遠慮なしに指差した。あれだけ学校で顔を突き合わせてるんだから、記憶の端っこぐらいには引っかからないものか。もっとも桂木は興味の無い人間の顔を覚えたりはしないと聞いていたから、それも当然かもしれなかったが。
「2Cのクラス委員ですよ」
 しきりに、知り合いか? としつこく纏わり付いてくる桂木に、峰藤は嫌々といった様子で短く口を開いた。そして、結城さんがどこかへいってしまったことをいいことに、顔合わせは終わり、と峰藤はさっさとカウンターの向こう側に立った。爽やかな挨拶の口上を必死で考えてきた私の努力は無駄に終わり、よろしくお願いします、と力なく呟いた私の言葉は、桂木によって拾われた。

「精を出して働けよ2C!」

 どうやら桂木の中でのあだ名は2Cになったらしい。名前を覚える気がまったくみられない! いいけど!



「どう? お客さんは」
「今日は雨ですからあまり」
 ぼんやりとしていた私を覚醒させたのは、結城さんと峰藤のトーンの低い話し声だ。
 思えば、私、この喫茶店で働くようになったのはいいけれど、殆ど結城さんとらぶらぶできてなくない? 気のせいじゃなくない? どちらかというと峰藤や桂木にいびりという名のコミュニケーションを図ってない? というか眼鏡に妨害受けてない? 
 このままじゃ駄目だ! と激しく不安になりながら、私が佇んでいると、桂木が二人の横でコンビニの袋をゴソゴソと物色しているのが目に入った。まるでアルマジロのようにうずくまっている桂木は唐突に嬉しそうな声を上げると、笑顔でこっちを振り向いて、何かを差し出した。訝しげに目を細めた私の視界に入るのは、大きな手に握られたガム。

「2Cにガムやるからお礼はどら焼きで返せ! 俺は現代のわらしべ長者になってみせるぞ!」

 いらねーよ。かってにわらしべでも、たにしでもなってくださいよ。はぁ。
 眼鏡や俺様に苛められ、灰かぶりは今日も毒を吐くのだ。



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