四話 / 空色マグと迷探偵
ジーロ。ジーロ。
耳障りな蝉の音が、車の窓の向こうから飛び込んできて、私は眉をひそめた。アスファルトから立ち上る蜃気楼が町の風景を歪める。信号で隣にならんだ黒い車のボンネットで目玉焼きでも焼けそうだ。
「もうちょっとで着くからね」
ぼんやりとした私に結城さんが運転席から声をかけた。それに、私は勢いよく顔を上げて歯切れのいい返事をする。運転席のミラーに写った結城さんの目は優しげに弧を描いていた。
今日は、結城さんに連れられての買出しだ。カップを補充するついでにという名目で、少し町からは離れたホームセンターへの遠出!
女の子のほうが趣味がいいでしょ? ついてきてくれるかなぁ、と言われて二つ返事でお供することになって、私の気分は上々……だったはずなんだけれど。
「――暑いから窓、閉めて頂けませんか?」
エアコンに毒された現代っ子めが、と心の中で毒吐きながらも、無言で窓を閉めるボタンを押す。ウィーンという電子音で、ガラスは私と町とを隔離した。
怨めしい。番町皿屋敷のお菊さんになるんではないかと言うぐらい。怨めしい。
その憎しみのターゲット・ロック・オンな相手は、峰藤浩輝。呪いかけたら三倍ぐらいに返されそうな奴である。
この男は、私と結城さんとのラブラブデートをどこまでも邪魔するつもりらしい。
空気読めない男は嫌われますよ、と視線でアピールしてみたが、にらめっこでは絶対に負けたことがないだろう不屈の眼力に、あっさり敗北。結局、三人連れ立っての買出しとなってしまったのだ。
しかしなんといっても不満なのはこの席順! 普通なら女の子が乗るべき助手席に、なぜ可愛さの欠片もない眼鏡が当たり前のように陣取っているのだろうか。それも、私の存在は無視するかのように結城さんとの会話を独り占めしている――ひたすら酷いの一言だ。
頭のつくりが私よりも遥かに優れてるのは認めてやろう。ハンカチ噛み締めながらも認めてやるさ! でもそれを帳消しにするぐらいの性悪さをどうにかしたらいかがですか? ……って笑顔でアドバイスできたらなぁ。なんて、ミッション・インポッシブルなことを考えてみたり。
それから間もなく私たちは、ホームセンターへ到着した。
そのホームセンターは外国から来た量販店で、夏休みということもあってか家族連れなどが姿を見せていた。そして私たちは食器が売っている所まで歩みを進める。
「さて、君はどれがいいと思う?」
結城さんにそう促されて私は食器に目を落とす。すると、ふとあるマグカップが飛び込んできた。
外側は空のようなパステルブルーで中はレモンイエロー。フォルムはなだらかな卵のような曲線を描き、その玩具の様な色使いに私は目を奪われた。
しかし、今回の目的は紅茶などを入れるソーサーとカップだ。あまり奇抜すぎるのも使いづらいだろうと、未練がましい思いを断ち切って、私はシンプルな灰色のカップと対になるソーサーを選んだ。これなら落ち着いた雰囲気のあの喫茶店にも合うはずだ。
結城さんが会計を済ませている間に、私は慎重に食器をつめていた。
ソーサーが何組か入っている袋は、持ち上げてみるとビニールの取っ手が食い込んで、指先が血の巡りが悪くなるぐらい重い。腕をプルプルさせながらも峰藤を見ると、奴も片手に重量の在る袋を持っているが、流石に細くは見えても性別は男。顔色一つ変えていなかった。
助けて欲しい、なんてでも口にしたら、その冷たい眼差しで射殺されるのは目に見えている。こんなやつに助けを求めるぐらいなら、重いもの持ったほうがマシ、という変なプライドもあったけれど。
「やーやー待たせたね」
結城さんは軽い調子でそういうと、私の持っていたビニール袋を手から奪い取る。私が慌てて取りすがると、結城さんは言い含めるようにウインクした。
「いやいや、流石に重いもの女の子に持たすのはねぇ。男がすたるじゃない?」
恐縮する私をなだめて、その代わりに、はい、と軽い袋を手渡される。
それは数個の食器らしかった。
何枚かの紙に包まれた塊が、ゴロゴロと音を立てる。
「これ何ですか?」
私は首を傾げてみたが、結城さんは、秘密と可愛く笑うだけだ。とても三十路過ぎとは思えません。私はその笑顔にてい良く騙されながらも、喫茶店へと帰ってきたのだ。
じゃぶじゃぶと、皿を洗いながらも、マグカップに視線を移して、私は自然に笑みを漏らす。
あの日、結城さんが私に持たせていたのは、私がホームセンターで目にした空色のマグカップだった。あの時、私が食い入るように見つめていたのに気づいて、こっそりと後でプレゼントしてくれたのだ! 嬉しすぎる!!!
バイトがんばってくれてるご褒美だよ。今日、付き合ってくれたしね、という結城さんの台詞からもわかるように、実はあの男と色違いのお揃いだったりするのだが、それを思い出すと嬉しさ激減なので、ここはすっぱりさっぱり忘れたふりをしておこう。
結局バイト先に置いておいて、休憩時間のお茶はそれで飲むことにした。
初めて貰った結城さんからのプレゼントに私の頬は緩みっぱなしだ。
何を言っても(大半は小言と皮肉)機嫌よくにこにこしているので、流石の峰藤も毒を抜かれたらしく、さっきから無言だった。
何時もは煩い桂木も昼前ということもあって、お腹がすいたのか、だるそうにカウンターの所に顔を乗っけてこちらをぼんやりと見ている。その視線はさっきから私を観察していたが、生憎私は浮かれていてまったく気づかなかった。
だからその発言は唐突で、私の息の根を止めたのだ。
「なんだ。崩れきっている顔で何を見つめているのかと思ったら……2Cは結城に惚れてるのか」
お前が犯人だったのか。
推理小説の最後に犯人が判明してすっきりしたような口調で、桂木は軽く拳で手のひらを叩いた。
いや、そのジェスチャー古いですから、と突っ込む余裕も無かった私の手からは、がしゃん、と皿が落ち、それはバイトが始まってから私が割った通算二枚目の皿だった。
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