六話 / ぶつくさ星人の紅茶講座


 私がぎゃふんと言うべきなのでしょうか。
 体をカウンターにもたせ掛けて、私は空色のマグカップを手でゆっくりと手繰り寄せた。その拍子に入っていた液体が零れそうになって、私は緩慢な動作で状態を起こす。一口含んだミルクティーは微かに渋みがして、私は思わず舌打ちをした。

 美味しく、ない。
 だらしのない格好も自分の負けを認めるような台詞も、鬼と客の居ぬうちにだ。
 まだ十時を少し過ぎた所だというのに、外は相変わらずの太陽が、小憎らしく愛想を振りまいている。もう少しすれば、ランチを目当てにした客がちらほらと姿を見せるようになるが、噂の峰藤といえば、今日は用事があるらしく遅れてくると言っていた。
 ひんやりと冷房が効いた店内には、私と桂木しかいない。
 桂木は何時もの特等席――それは扉入って右、一番奥の窓側を指す――に陣取ってぱらりぱらりと漫画を捲っていた。もちろん足はいつものように行儀悪く、机の上に置かれている。普通ならそれは営業妨害に他ならないが、どの神の悪戯か、与えられた類まれなる美貌はどんな格好をしていようとも生きとし生けるものを魅了するのだ。私は、見事騙された妙齢の女性が頬を赤らめながらドアを開けるところを何度も目撃している。つまり、彼は本人の自覚なしに最高の客引き桜となっているのだった。
 さて、その最高の桜――桂木・ヨハネス・拓巳は私の呟きに反応し、顔を上げた。

「なんだぶつくさ星人。暑さにやられたのか?」
「なんですかぶつくさ星人って……違いますよ」
 投げやりに言葉を返した私に軽く首を傾げると、桂木は長い足をテーブルから無造作に降ろし立ち上がった。彼は有名な某玩具のTシャツを纏っており、その覚めるような蛍光イエローに真っ赤なロゴは、私には絶対に似合わないと思う。
 カウンターに近づいた桂木は、私の隣に腰掛けると、空色のマグカップを遠慮なく煽った。
「苦すぎる」
 そう、ひとつ文句をもらすと、もう既に砂糖が入っていた紅茶に容赦無くどばどばと砂糖を足す。それをまた一口飲んでから、桂木は満足そうに頷いた。
 私が桂木を恐ろしげに見ていると、翠がかった瞳が覗き込むようにこちらを向く。

 で? ぶつくさ星人、そのぶつくさはどこからくる? なにか言え。さえずれ。俺の暇を紛らわせろ。

 と目が促している。私はそれに渋々ながらも口を開いた。そうでないと彼の機嫌を損ねることは明らかだからだ。



 私と桂木の関係が(私にとって)微妙な方向へと変化したのは、私と峰藤とのそれがばっつりと決裂した日と重なる。
 それまでは、桂木の中でただの通行人A程度にしか認識されていなかった私のランクはその日、飛躍的に向上したらしい。
 彼曰く、藤に正面きって楯突くやつなんて珍しい! 面白いぞ! という私にとっては嬉しくもなんとも無い評価が下され、桂木は前以上にちょっかい(下らない悪戯とも言う)をかけるようになってきた。
 私の当初の猫かぶりもどこへやら。
 はっきり言ってウザイ桂木への態度も徐々にぞんざいになってきたし、生意気だなぁお前、と桂木は言いながらも美麗な笑顔を浮かべたから、この人マゾか、と私は戦慄した。
 なにがどうなったかはわからないが、どうやら気に入られてしまったらしい、とようやく気づいたのは、一週間ほどたってからで。
 その時は喜びなんてものは湧き上がって来ず、「桂木の暇つぶし」という自分の未来が透けて見えて、ちょっとした絶望感を味わった。
 桂木の思考回路は独特で、私は彼の凡人とは違う理論に振り回されっぱなしだった。
 私が結城さんの事を好きだと解った時の反応も、普通なら、自分と同年代の女が父親の事が好きだ、なんて話がでたら冷やかしたり、それか嫌がったりはするんではないだろうか、と私は思っていたが、桂木においてはまったくの無関心。
 私と峰藤の小競り合いには散々介入してくるくせに、曲がりなりにも実父の色恋沙汰にはまるっきり興味が無い様子で、それは私程度には結城さんはなびかないという侮りではなく、徹底した桂木の個人主義にあるらしかった。結城さんもどちらかと言うと放任であったが、二人とも仲が悪そうには見えないし、不思議な親子だなと私は思っていたのだ。



「それで、どうしたら、美味しい紅茶が入れられるんだろうって」
 私は悩み相談という言葉とは程遠い人種である桂木に向かい合って座っていた。
 悔しい事に峰藤の紅茶は美味しい。それにつけ仕事は速いし、動きに無駄が無いし、客を捌くのも完璧。
 紅茶に限らずここ数日で、嫌と言うほど私との格の違いを見せ付けられてしまったのだ。
 あれだけの啖呵を切ってしまった以上、私もいたたまれない気持ちを味わっていたが、それを見越しているのか、ことあるごとに峰藤が冷笑を浴びせてくるのだからたまらない。
 せめて美味しい紅茶だけでも入れられるようになりたい! と本を読んだりして試してみるのだが、峰藤には遥かに及ばない。しかし、本当に暗くなりながら告白した、私の真摯な悩みを桂木はばっさりと切り捨てる。
「なんだ、そんな事で悩んでいるのか」
「そんな事ってなんですか! 私にとっては死活問題ですよ……それとも会長は美味しい紅茶入れられるって言うんですか」
「馬鹿にするな! 俺に不可能は無い、だ」
 てっきり、無理に決まってるだろ、と返ってくると思った。
 桂木は勢い良く立ち上がりカウンターの向こうに回ると、紅茶のポットを手に取る。流石に腐っても喫茶店の息子だから、コツを知っているたのかもしれない、と期待をこめて眺めてみた。
 しかし、茶葉の量は適当だし、手元はおぼつかない。なんというか大雑把だ。私が本で読んだゴールデンルールとは似ても似つかない。
 目の前に注がれた紅茶に視線を落としてから、また上昇すると桂木の翡翠のような瞳とかちあう。私は、頂きますと覚悟を決めて、口に含んでみた。ふわりと口の中に広がる紅茶の風味。
 すごく、美味しかった。大雑把なようで、紅茶の味が確りと出ている。なんでだ。
 私は心の底からがっかりとしてしまって、恨めしい目で桂木を睨んだ。
「なんで、適当なのに美味しいんですか」
「俺が入れたからに決まってるだろう」
 なんじゃそれ、と私が脱力しているのを見て、桂木は胸をはり得意そうに笑う。
 本にのってた通りにやってるのに……となんだか悔しくなって呟いたら、ぽかりと桂木に頭を軽く叩かれた。

「馬鹿め。大事なの美味いものを相手に飲まそうとする気持ちだっ! 彼の人も言っていた――諦めたらそこで試合終了だと」
「はい、パクリ」

 この人も、少しはまともな事いえるんだなぁ――途中からパクリだったけど。
 変な感動を抱きながらも目から鱗。
 確かに私は峰藤に勝ちたいという意地だけで紅茶をいれていた。いつもの結城さんを思い浮かべれば、あの笑顔はたぶんお客さんに喜んでもらいたいと心の底から思いながらサービスしているに違いない。だからこそ私も、結城さんの紅茶を飲んだら元気になれるんだろう。まさか桂木に諭されてしまうとは思いも寄らなかったが。

「……まさか会長に諭されるとは思ってませんでした」
「人生の先輩だからな。崇め奉って敬うといいぞ」

 ぐしゃぐしゃと髪の毛を引っ掻き回されながらも、凝り固まってた気持ちが楽になったのは確かだったから私は素直にお礼を言う。その呟くような言葉に、桂木は完璧な笑顔を浮かべて、その腕の力を強めた。
 その微笑みは、結城さんのものとはまったく別のものであったが、不覚にも私は見惚れてしまったのだ――美しさは罪!



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